丗七 帰ってきたメイドさん
気が付くと、門のそばに風呂敷包みを持ったお婆さんが立っている。粗末な和服姿ではあるが、何となく品がある。
おれの姿を見ると驚いたような顔をして、
「おやまあ、どうなさいましたか?」
と、小走りに駆け寄ってきた。
おれに手を添えながら、
「さあ、お立ちなさい」
と言うので、つい素直に従ってしまった。
お婆さんはおれの尻をポンポンとはたきながら、土埃を払っている。
一体誰なんだろう? 近所にこんな人がいたっけ……。
「清と申します。お一人で何かと御不便でしょうから、お手伝いに上がりました」
きょとんとしていると、
「さあさあ、ここじゃあ暑くってたまりませんから」
と言って、どんどん玄関のほうに歩いていく。
慌ててついていくおれを尻目に、玄関をくぐり、式台に上がったところで、
「あなたは、座敷で休んでいてください」
と言って、勝手に台所のほうに向かう。まるで、かつて知ったる我が家のごとくである。
影法師がさっと奥に引っ込んだが、無論彼女が気づく由もない。
おれは呆気にとられながらも、どういう訳だか、この得体のしれないお婆さんの言うがままに、座敷に行って腰を下した。
よく分からないまま待っていると、レジ袋に氷を入れたものを持ってきた。
「さあ、これで冷やすといいでしょう。さもないと、きれいな顔が台無しですよ」
おれは後にも先にも、顔がきれいだなどと褒められたことはない。
大いに照れていると、団扇でこちらを扇いでくれながら言った。
「いいえ、あなたは本当に奇麗な顔立ちをしていらっしゃいます。あなたの内面と同じように。心がきれいで真っすぐだから、さっきみたいな目にお遭いになるんです」
何だ、実は見ていたんだな。驚いたような顔をしていた癖に。
しかし、おれのことなんて本当は何にも知らない癖に、どうしてそうひとりで決めつけているんだろう。
彼女はにっこりと笑った。
「いいえ、私はよく存じていますよ。あなたは、今にきっと出世なさいます。芥川賞だって、きっとお取りになります。ノーベル文学賞だって夢じゃありません。清にはわかります」
これには驚いた。それから、少し怖くなった。
恐る恐る、聞いてみることにした。
「それで、今日は何の御用で――」
「だから、さっき申し上げたじゃありませんか。お一人で御不便でしょうから、お手伝いに上がったんですよ」
「いや、別に僕は不自由はしていないんだけども……」
「いいえ、きっと御不自由なさっている筈です。ちゃんとわたくしは存じているんですから」
おれは考えてみた。
この人の言う不自由とは、ひょっとして、おれがあやかしどもに難儀をしていることを指しているのだろうか……?
「左様でございます。難儀と言い換えてもよございます。この清なら、きっとお役に立てます」
「いや、そうは言われても……。それに僕一人なら何とか食っていけますが、とても人を雇ってまでは……」
「それでしたら、心配ご無用です。お給金でしたら結構ですから」
持っている風呂敷包みを見せながら言う。
「身の回りのことは、これ一つで足りますし、ここに住まわせていただけるだけで十分ですから」
いくら何でもそういうわけにはいくまい。それに食費だけでも馬鹿にならない。でも、見るからに上品なお婆さんだし、そんなにパクパク食い漁るようにも見えないしなあ……。
そう考えていると、目をキラキラさせながら、うんうんとうなずいている。
実際にはパクパク食い漁るどころか、おれに給仕するばかりで、自らは全く口にしていないことに、おれは後で気付くことになる。