参百七拾参 サンタが来りて、京子を連れ去る
寅さん夫婦や、竜之さん夫婦たちも見える中から、一人の老女が杖をつきながら、足早に近付いてきた。
「旺陽女様、どうなされました? ややっ、そのお姿は――? 何故、旅行鞄などをお持ちで?」
と矢継ぎ早に尋ねてくる。
京子は鞄を一度おれに預けると、老女に向かって丁寧にお辞儀をした。
「登世さん、今日はこの子の入魂式をしてくださってありがとうございました。さあエミー、あなたからもお礼を言うのよ」
そう言って、人形を掲げてみせる。しかし、エミーはピクリとも動かない。人前ではただの人形に徹するつもりなんだろう。
京子はさっと顔を赤らめながら、慌てて言った。
「こ、この子が昔住んでいた家も見せることができましたし、ほかの用事も一通り終わりました。これでお暇することとします」
「行ってはなりませぬ」
登世さんが言った。京子がおれから鞄を受け取ろうとするのを見て、
「のっそりひょん、返すんではない!」
と大声で一喝する。おれはびくっとして危うく京子の鞄を地面に落とすところだった。
「旺陽女様、今はこんにゃく様などと呼ばれておりますが、あなたにはあの由緒ある印鑰神社を再興し、この地域を繁栄させるという大切なお役目があるんですよ。これは定めです。あなた様はそれに抗うことはできません」
「ですから、私はそんな大層な人間では――」
京子が困ったような顔で言い掛けると、それを遮るように言った。
「さてはその者が何かしでかしましたか?」
ぎろりとおれを睨む。
いや、しでかしたって……。
「そのたわけは、この婆がよく言い聞かせておきますから、どうかお考え直しくだされ」
「この者とは関係ありません」
と京子が答えた。
「単にもう用がないから、帰るだけです。それにこれから旅行に出かけるつもりなんです」
「それでは、旅行が終わったらお戻りなされますか?」
「いえ、こちらに戻ることはもうないと思います」
京子はきっぱりと答えた。
それから皆に向かって、もう一度丁寧に頭を下げる。
「皆さん、いろいろお騒がせして申し訳ありませんでした。これで本当にお別れです。どうぞ皆さんもお元気でいらしてください」
そう言うと、おれから旅行鞄を受け取り、人垣の間を歩き出した。
「あっ、お待ちくだされ――。ええい、この馬鹿者! あれほど鞄を返すんでないと言うておったに」
やれやれ、さっきからその者、この者扱いされた末に、最後は馬鹿者ときたか。だが、確かにおれは馬鹿者に違いない。
「トラ、旺陽女様をお止めするんじゃ」
「おう、分かった」
寅さんが、京子の行く手を遮る。
「京子さん、あなたに行かれると、この私が困るんです。私には霊感などないから、神職が務まりません。それに私は農業に専念したいんです。私の明るい未来は、ひとえにあなたにかかっているんです。どうかお願いです。行かないでください」
うーん、ちょっと説得力がなあ……。
「そう言われましても、私には何の力もないですから」
京子がまた困った顔をする。
すると今度は、竜之さんが前に出てきた。
「あ、あのう、俺のコーヒー、また飲みに来ていただけませんか?」
「ぜひまたご馳走になりたいです。でも……、御免なさい。はっきり言って、もうここには来たくないんです」
そう言うと、おれのほうを振り返った。
皆の厳しい視線が、矢のようにいっせいにあびせ掛かってくる。そこへ、頭上から突然シャンシャンシャンという音が響いてきた。
サンタだ――。誰かが叫んだ。見上げると、確かにサンタクロースがトナカイに橇を引かせて大空を翔っている。やがてそれは、段々と地上に近付いてきた。皆が慌てて四方に広がると、真ん中のぽっかりと空いた所にゆっくりと着陸する。
すると京子はさも当たり前のように、橇に乗り込んだ。サンタが、どちらまでと尋ねると、彼女は、さあ、ここから遠い所ならどこでもいいわ、と答えた。
「お待ちなされ。こんな異教の者と一緒に行ってはなりませぬ」
登世さんがなおも引き止めようとする。だが、橇は無情にもすぐに浮かび上がり、再びシャンシャンシャンと音を響かせながら、星空のかなたに消えていった。
「ええい、口惜しや。もう少し早くここに到着しておれば、何とかなったものを。そうすれば襖越しにでも、事が成就するのを見届けられた筈だのに」
えっ、事が成就って? 襖越しに見届けるって?
「それもこれも、お前が不甲斐ないせいじゃ」
登世さんはいきなり杖を振り上げ、おれをぶとうとした。寅さんが慌てて杖を掴んで制止する。




