表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
375/514

参百七拾弍 別れとともにジングルベルが鳴る

 少し怒りが込み上げてきた。

「正しい人だなんて、そんなことを言われて喜ぶ人間がいるだろうか」


「でも、私にはそう思える」

 京子は強情に言い張った。

「あなたを愛そう、愛そうと一生懸命努力してきたのに、いつもどこかに違和感を感じていた。何故だろうと不思議で仕方がなかった。ある時はこうも思った。実は私は、自分がこしらえた人間に自分で恋しているだけなんじゃないかと。本当のあなたは違うんだと。でも、どこが違うのか、ずっと分からなかった。その正体が今日になってやっと分かったの。あなたはやっぱり正しい人なんだわ」


「何が言いたいんだ」

 とうとう声を尖らせてしまった。


「分からない?」

 彼女はそう言うと、一度ため息をついた。それから少し考え込むようにしていたが、すぐに顔を上げてこちらを見た。


「たまにあなたの見せる笑顔。優しさ。それにほっとして、そのたびに、ああ、私はやはりこの人を愛している。そしてこの人も私を愛しているんだわ、と思ったりしていた。でも、それは勘違いだった。だって、ほっとするってことは、緊張してたことの裏返しでしょう? 何に、緊張してたのかって? あなたの正しさによ」


 これはまずいと思った。以前付き合っていた頃のいつものパターンだ。女に言い返すおれも悪いが、彼女は、どうしても行きつくところまで行かなければ気が済まない性質(たち)だった。程よいところでやめることができないのだ。


 それが分かっていながら、最後まで付き合ってしまうおれが一番不可(いけな)いのだろう。これも自分の怒りをコントロールできないせいである。これ以上愚かなことがあるだろうか。


「緊張してただって? 要するに亅おれと一緒にいて居心地が悪かったってわけだ。それは愛なんて言えないな」


「だから、そう言ってるじゃない」

 彼女の両目には、すでに涙がいっぱい溜まっていた。


「緊張してただって? おれと一緒にいて居心地が悪かったって?」

 おれは怒りに任せて、同じことを繰り返していた。

「最高の誉め言葉だよ。ありがとう」


「どういたしまして。要するに――亅

 彼女はわざとのようにそこでいったん区切ると、おれの顔を見た。

「あなたは、ただの石頭のいい人ぶった意気地なしのEDなんだ」

 そう言い終わると、口に手を当てた。身体を震わせながら嗚咽している。


 なぜいつも、彼女をここまで追い込んでしまうのだろう。程よいところでやめることができないのは、彼女ではなくおれ自身ではないか。


 おれは黙り込んだ。だが、もう遅い。いや、まだ間に合う。つべこべ抜かさずに押し倒しちまえよ――。竜之さんの声がした。


 そうだ。大切なのは言葉なんかじゃない、共感だ。今のこの刹那に通じ合う心。だが、それをどう確かめる? 言葉はもう無力だ。肌と肌を触れ合わせ、互いの温もりを交感するしかない。


 そう決心して、京子を見た時だった。彼女が立ち上がって言った。

「やはり私たち、やり直すのは無理ね」


「……」

 おれは一瞬、言葉を失ってしまったが、すぐに気を取り直すように言った。

「ちょっと待ってくれよ。何故君はいつもそこまで思いつめてしまうんだ」


「何故でも」

 と彼女は言った。

「ただ、あなたのせいではない。全部私が悪いんだわ。ごめんなさい。あなたを振り回すことになって」


「少し落ち着こうよ。そうだ、近所の人がたくさんご馳走を持ってきてくれたんだ。ワインもシャンパンもあるんだ。今日はクリスマスイブだし、君も最初からそのつもりだったじゃないか」


「もうそんな気持ちにはなれない」

 京子はコートを羽織りながらそう言った。

「実はねここに来るまでに賭けをしてきたの。あなたとうまくいったら、このままここで暮らすって。駄目だったら、旅に出るの。前から行ってみたいと思っていた神社がいくつかあるの。冬休みでちょうどいいからね」


 すると、何時の間にか目を覚まして、さっきから成り行きを見守っていたつんつくもんが言った。

「駄目だよ、京子さん。僕はここに居たいんだ。やっとここに帰れたっていうのに」


「そうよ、お姉さま」

 とエミーも言った。

「わたくしもここに住みたいですわ。だって、ここはわたくしたちの(うち)なんですもの。お姉さま、あなたもでしょう?」


「つべこべ言わないの」

 京子はさっさと万年筆をポケットにしまい込み、人形を抱き上げた。こうなると彼女はてこでも曲げることのできない女だ。


「じゃあね、落目君。いい小説が書けるといいわね」

 そう言うと、玄関に向かう。


 おれは馬鹿みたいに、彼女のあとを追うばかりだった。庭に出ると、もう夕暮れだった。驚いたことに、門のそばに人だかりができている。土塀の上からもたくさんの人が中を覗き込むようにしていた。


 京子が出てきたのに気づくと、押すな押すなの騒ぎとなった。後ろから押されて、四つ目垣をバキバキ倒しながら、なだれ込んでくる者たちまでいる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ