参百七拾 クリスマスイブに悪魔が囁く
「お客さんだろう? はい、これ」
米さんはそう言うと、たった今早苗さんから受け取ったばかりのバスケットの上に、四角い風呂敷包みを重ねた。中身は重箱のようである。
「ひょっとして、これは?」
何だか、日本昔話のような展開だ。
「そうだよ。昨日からあんたのために、張り切って作ったんだからね。おせちみたいにしてあるから、長く持つと思うよ。正月前にはまた奮発して作ってやるから、楽しみにしておくんだよ」
「は、はい……。何とお礼を申し上げたらいいものか……。ありがとうございます」
まるで、京子がこのままずっとここにいるような言い方だったので、困惑しながらそう言った。
すると、ヤンマーが相変わらず仏頂面のまま、近づいてきた。バスケットと風呂敷包みを縦に抱えて手も足も出ないおれに、いきなり回し蹴りをしてくる。
当然避ける間もなく、尻に食らってしまった。誠は、頑張れよとだけ言うと、すぐに米さんと一緒に去っていった。
頑張れよとは、何を頑張れと言うのだろうと思いながら軽トラを見送っていると、それと入れ違いのように黒塗りのセドリックが入ってきた。今度は村人Aだ。
英ちゃんは先に車から降りると、生意気にも助手席のドアを開け、一人の女性をエスコートしている。出てきた彼女を見ると、新垣結衣と石原さとみを足してはみたものの、2で割るのを忘れてしまったようなふくよかな人だった。
英ちゃんが二人を引き合わせるように言った。
「こいつは落目金之助と言って、どうしようもない野郎なんだ。で、こちらは細井さやかさん。もうすぐ添田英彦の妻となる」
おれが呆気に取られて見ていると、さやかさんはぽっと顔を赤らめて、
「あの…、これを」
と言って、四角いトートバッグのようなものを差し出しきた。
「言っただろう? 料理が得意なものでね」
英ちゃんが自慢気に言う。
「農家レストランをやるのが夢なんだ。しかも、自分で焼いた器でな。そのための窯も、俺がすでに作ってある。それだけじゃないぞ。この人は音大を出ていて、ピアノも上手なんだ。今度聞かせてやるよ」
たかが村人Aのくせに、よくもそんなすごい人を射止めることができたもんだ。
おれが感心していると、彼女はますます顔を真っ赤にして言った。
「やめてよ、もう……。本当にどれも中途半端で、恥ずかしいぐらいなんですよ。料理も本当は自信がないんですけど……、良かったら召し上がってください」
それから、おれがバスケットと風呂敷包みを縦に抱えているのに気づき、
「中までお持ちしましょう」
と言って、一緒に玄関まで運んでくれた。
「挨拶をしたいんだけど、今日は遠慮しておきます。今度紹介してくださいね」
さやかさんはそう言うと、ぺこりとお辞儀をして出ていった。
すると、英ちゃんが顔を覗かせた。
「布団は二組並べて敷いたか?」
そう言い放つと、逃げるように車まで走っていく。おのれ、村人A! おれは追いかける。
さやかさんが慌てて振り返り、御免なさいと言った。もう一度ぺこりと頭を下げると、車の中に消えた。
おれはセドリックを見送ったあと、もう来る者がいないことを確かめ、家に戻った。上がり框に続く廊下に、四つの御馳走の包みを並べ、おれは少し途方に暮れていた。
やれやれ、ここの田舎は、どうしてこうも料理好き、料理自慢がそろっているのだろう。料理が苦手なのは、うちの京子だけだ。いや、うちのではない。おれの京子でもない。
しばらく思案して、とりあえず全部、ダイニングキッチンに運んだ。座敷に戻ると、京子は旅行鞄を枕に、コートを布団代わりにして眠っていた。
万年筆も人形も、座卓の上で大人しく寝ている。おれは改めて京子の寝顔を見た。彼女の寝顔を見るのは、もちろん初めてである。
思わず目を逸らしたら、視界の端に、コートの裾からはみ出している彼女の足が見えた。靴下を脱いでいる。ドキリとした。彼女の素足を見るのも初めてである。
駄目だ。慌てて目を逸らす。心臓がドックン、ドックンとぶっ壊れそうになる。理性に反抗して、もう一度チラリと見た。今度は足の指まで見えた。
不可い。これでは変態だ。エッチで助兵衛で、性欲の塊だ。痴漢だ。けだものだ。犯罪者だ。恥を知るがいい。
絵画に描かれたマリア様は、いつも伏し目がちで美しい。京子の寝顔はそれに似ていた。
おれは逃げた。逃げて、またダイニングキッチンに戻る。みんなからもらったご馳走を包みから出して、テーブルに並べてみる。
唐揚げ、ローストチキン、サラダ、うま煮……。サラダは赤、緑、白のクリスマスカラーにしてある。ケーキのほかに、ワインやシャンパンまである。
ドンドン並べていったら、もうどれが誰の用意してくれたものか分からなくなった。しかし、煮しめと田作りと昆布巻きは米さんが作ったものだろう。
京子は不器用で料理など苦手だ。焼き物もピアノも恐らく無理だろう。不器用だからこそ恋愛も真っ直ぐに突き進む。そして失敗をする。おれは急に彼女のことが哀れで、そして愛しくてたまらなくなった。
人を哀れと思うのは上から目線なのか? 与次郎は言った。かあいそうだたほれたってことよ……。
おれは、ワインとシャンパンを冷蔵庫にしまいながら、今夜はどの料理にしようかと考えた。京子は一緒に食べてくれるだろうか。一緒に乾杯してくれるだろうか……。
冷蔵庫のドアをバタンと閉めると同時に、おれの理性もバタンと閉じてしまった。もう一度、マリア様のように美しい彼女の寝顔をしっかりと見てみたいと思った。




