参百六拾五 雪に救われた男
「お姉さま、それはこの人が下手な小説ばかり書いてるからですわ」
人形から痛烈な一言を浴びせられる。
「だから僕を早く使えばよかったんだ。そうすれば、斬新な発想が泉の如く次々と湧いてくるのに。だが、僕はもう京子さんのものだ。今更、言ったって始まらないがね」
万年筆が追い打ちをかける。
「おれは直接パソコンに入力するんだ。お前なんか必要ない」
何とか逆襲を試みる。
「ほら、すぐそうやって言い返す。しかも、こんなおチビちゃんを相手に――。大人げないわよ」
京子からたしなめられる。
「あっ、それでだわ」
と人形。
「えっ、何?」
京子とつんつくもんが同時に聞く。
「つまりこういうことですの」
とエミーが答える。
「パソコンだと何回でも簡単に入力し直せるでしょう? 一度入力した単語が気に入らないで、別のものに打ちかえる。それがしっくりこないと、その単語の意味を徹底的に掘り下げる。結局それはボツにして、またもとの単語に戻す。その繰り返し。堂々巡りなんだわ。
単語にこだわるあまり、表現がおろそかになっているの。仮に自分では表現できたと思っても、他人の胸には響かない。一言で言えば、面白くないんだわ。そのことには一向に気付かないで、ただもうKASASAGIの画面を開いては、アクセス数ばかり気にしてるの。お姉さま、駄目ですわよ、この人」
「ふーん」
皆でジロジロこちらを見る。
むー。むむむ……。おれは京子の座っている机のそばを離れて、窓辺に寄った。
「いつもさんざん言い返してくるくせに、都合が悪くなると、すぐにそうやって逃げるんだから」
おれの背中に向かって、京子が言う。
「あっ、雪だ」
おれは小さな声で叫んだ。
「本当?」
京子がすぐにおれの横に立つ。
淡い微かな雪の粒が空からチラチラ降ってきては、地面に落ちて消えてゆく。だが、畑や田んぼは、うっすらと白くなっていた。遠くの山や家々も、すべてが雪でかすんで見える。
「素敵……」
京子がひっそりとつぶやく。
雪は風に吹きつけられ、次々と窓ガラスに当たっては儚く溶けていき、水滴となって流れ落ちてゆく。
左肩に触れる彼女の微かな温もり。おれも溶けてしまいそうになる。このままずっとこうしていたい――。だが、やはり寒い。彼女に気の毒だ。
「ストーブを持って上がろうか?」
俺がそう聞くと、
「それじゃあ大変だよ。階下に降りようか」
と京子は答えた。
「その前に京子さん――」
と万年筆が言った。机の上で、腰に両手を当て威張って立っている。
「こいつに言っておきたいことがあるんだ。――いいか、欽之助? このマホガニー製の高級机は京子さんのものだからな」
「それに、あの書棚」
と、今度は人形が言った。
「書棚もマホガニー製の立派なものだけれど、中に納まっている貴重な書物の数々。あれもみんなお姉さまのものだからね。私いま、猛烈に知識に飢えているの。いや知識だけでなく、あなたの屁理屈に対抗するためには、もっともっと知恵を身に着けなければ不可い。そのためにも、あの書物の全てを繙いて勉強しなくては。――お姉さま、いいかしら?」
「いいわよ。エミーはお利口さんね」
京子は人形の頭を撫でながら答えた。
「やれやれ、何を勝手なことを」
おれは苦笑しながら言った。
「僕はただの賃借人だが、この屋敷の相続人は百人を下らないんだ。その人たち全員の承諾を得なければ、何一つ処分できないんだからね」
すると京子は、二体の妖怪と目を見交わせながら、何やら意味ありげに笑っていた。
おれはそれを見て、待てよ、まだおれの気付いていない何かがあるのではないだろうかと、漠然と思ったのだった。おれはここを借りるにあたって、生涯特約を結んでいると、化野の奴は言っていたが……。
座敷に入ったとたん、人形があっと声を上げた。
「お姉さま、怖い!」
そう言って、京子の胸にしがみついている。
「どうしたのエミー」
京子が心配そうに聞く。




