参百五拾九 クリスマスイブ
「さようなら」
「Hang on ! チョイマッチ!」
高男がまたおれの行く手を遮る。例によって、ごってごてのクリスマスの装いだ。
まず眼前に見えるのは、赤いズボンを穿いた長い脚。腰から上は赤と緑を主体にしたタータンチェックのブレザー。赤い蝶ネクタイに加えて、大きな金色の十字架を首からぶら下げている。御丁寧にもサンタの赤い帽子までかぶっている。
赤いズボンは鳥居の形。和洋折衷だ。鳥居が仁王立ちしているから、神仏混合でもある。
「君はまた逃げるのかい?」
長い体を折り曲げ、おれの顔を覗き込んでくる。十字架がピカピカ光る。
「あんたに取り合うのが面倒なだけさ」
「僕のことじゃない。いいかい? 君があれ程憎んでいた男がいなくなるんだぞ。ビッグチャンス到来ってわけだ。彼女と寄りを戻すチャンスじゃないか。ところがだよ、ついにその時が来たというのに、君と来たらすっかり怯えて逃げようとしているんだからね」
「彼女と寄りを戻す? そんな節操のない真似ができるものか」
「せっそう? ハッ」
ラポール鳥居は、呆れたように一度身を逸らすと、再び屈んで顔を近づけてきた。金色の十字架が、目の前で大きく揺れる。
「は、は、は、は。運のわるい弱虫の忍剣め、つぎの世には拙僧のような不死身を持って生まれかわってこい。喝! 南無阿弥陀仏ッ――」
「拙者の負けでござる。では、これにて――」
退散。退散。こんなのにいつまでも構っておれぬ。おれは地下鉄の駅に向かって、青山通りをスタスタ歩いていった。
「待てと言うのに」
高男の顔が上から覗き込んできた。見ると、首から先が伸びている。
「お前は、見越し入道なのか?」
驚いて聞いた。
「僕の先祖にそういう人がいるよ。今じゃ西洋の血のほうが、だいぶ濃くなっているがね」
向こうはそう言うと、スルスルっと胴体から下がついてきた。
「しつこい奴」
「君はもう諦めたのかい?」
「おれは自分のほうから身を引いたんだぞ。それなのに、彼がいなくなったからといって、早速寄りを戻せって言うのか? 男として恥ずかしいことだ」
「やれやれ、恥だの、節操だの。そんなことばかり言ってるから駄目なんだ。いいかい? 身を引いたということは、まだ愛しているということなんだろう?」
おれは言葉に詰まってしまった。するとラポール鳥居は畳み掛けてきた。
「もっと素直になれよ。思い切って僕の股の下をくぐってみな。君は自分で垣根を築いているんだ。そんなものは、取っ払っちまえよ。彼女といるだけで、楽しいんだろう? 幸せなんだろう? それでいいじゃないか。大切なことは共感だよ。さあ、僕の股の下をくぐるんだ」
また仁王立ちになって立ちはだかる。
「彼女といると楽しい? 幸せ? だが、今のおれには苦しみのほうが勝っている。おれは不死身じゃない。ただの弱虫の人間なんだ」
「そうかい? 残念だな……」
高男はしばらくおれを見下ろしていたが、最後にそうつぶやくと、くるりと背中を向けて歩き出した。今度はステップダンスを踊ることもなく、まちなかに吸い込まれるように静かに消えていった。
やれやれ、今年も寂しいクリスマスがやってくるか……。そう思いながら帰路についたのだった。
その後もおれは、何の変哲もない日々を過ごしていた。竜之さんには毎日こき使われ、寅さんたちとは仲直りできないままだった。
あの日のことは忘れもしない。2017年の12月24日のことであった。おれがいつものように貧しい昼飯を食べ終わった頃、うちの玄関先に、突然、京子が姿を現した。手に旅行鞄を提げ、胸には一体の人形を抱いて。
最初は目を疑った。長かったピンクブラウンの髪をばっさりと切り、黒髪のショートヘアにしていたからである。
「どうしたんだ、いったい?」
思わず尋ねた。髪もだが、旅行鞄も気になった。
「ああ、これ?」
京子は旅行鞄を上がり框に置くと、髪に軽く手を添えた。
「どうだっていいじゃない」
顔を赤くして、腹を立てたように言う。
「それより、清さんは?」
そう問われたので、
「うん……。実はもうこの家にはいないんだ。ここではあれだから、良かったら上がって話さないか?」
と言ってみた。
京子は少し躊躇する様子を見せたが、「じゃあ、2階に行きたい」と言う。
「えっ、座敷じゃ駄目なのか?」
すると彼女は、「ほら、これ」と言って、万年筆と人形をおれの前に掲げてみせた。
「2階は、この子たちの故郷みたいなものでしょう? 折角だから見せてあげたいの」
※ 『神州天馬侠』吉川英治




