参百五拾五 恋心変心変身
「ふん、無趣味だと言うくせに、ゴルフばかりでなく、そんな趣味まであるとはな。だが、生殖能力はあるんだろう?」
キンケツは思わず、顔を赤くした。
「いや、何も生殖能力がないのが不可いというわけではない。だが、わしの祖父が苦労の末に興した会社だ。やはり、子孫にも跡を継いでほしくてな」
「それは大丈夫だと思います」
「だとしたところで、ハナがお前に惚れてくれるとは限らんぞ。あれは一筋縄ではいかない女だ。油断すると寝首を掻かれかねないぞ。覚悟をしておくんだな」
「望むところです」
藤堂ハナ――。ただの同姓同名なのか、偶然の一致なのか。なぜ何も言わずに、自分の許を去っていったのか。そして、この自分という人間は、いったい何者なのか。それを確かめなければならない。
「そのためにも、僕は日本を一旦離れる。そして、必ず何らかの成果を上げて、帰ってくる。藤堂ハナに会うためにね」
キンケツはそう言うと、レッドアイを一気に飲み干した。
「ちょっと待てよ。それじゃあ、京子は――、いや彼女はどうなるんだ。婚約してたんだろう?」
「あんなのは嘘さ」
平然と言う。
「な、何を言ってるんだよ」
おれは唖然として、相手の顔を見つめた。
「君は、一杯食わされたのさ」
「食わされたって、誰に――」
「京子さんにだよ。君の心を自分につなぎ止めるために、そんなことを思いついたんだ。僕はその片棒を担がされたわけさ」
「待てよ。つる坊やキョンシーたちも知ってたのか」
「彼らは何も知らないさ。世間を騙すためには、まず身近な者たちからって言うじゃないか」
「しかし、なぜそんなことを――」
「決まりきってるじゃないか。彼女はまだ君のことを愛しているんだよ」
「ちょっと待ってくれよ。そんなわけない。彼女はすっかりおれに愛想を尽かしたんだから。それに、君は彼女のことを好きだったんだろう? その君にそんなことを頼むなんて、彼女はそんな残酷なことができるような人ではない」
「ハハハ」
キンケツは、頭をのけぞらせて笑った。渇いたような笑い声だった。
「その言い方だと、君もまだ彼女のことを愛してるんだな。良かったよ。いいかい? 彼女は聡明な女性だ。僕は、彼女を愛している振りをしていただけなんだ。彼女のことは好きだが、女として愛していたわけではない。そして、そのことは彼女のほうだって最初からお見通しだったのさ。そんな僕のことを、彼女は迷惑がったりもせず、面白がってたんだ。そういうのを、君の好きな漱石に言わせれば、無意識の偽善って言うんじゃないのか?」
「馬鹿な――」
あとの言葉が続かなかった。自分の意志で別れたにもかかわらず、彼女がキンケツと婚約したということを聞いて、おれは彼を呪い殺したいほど憎んだのだった。
真相を聞かされて正直、嬉しかった反面、だからってどうなるのだと思った。おれには彼女を愛する資格なんてない。無職で明日をも知れない身ということもあるが、それ以上に、彼女の父親から言われた言葉が重くのしかかっていたのだ。
はたしておれは、彼女の全てを受け入れることができるのか。彼女の全人生を、ずっと一緒に背負っていけるの。一緒に暮らすようになった時に、何かにつけてあのことを思い出し、心の中で彼女を責めたりしないだろうか。そしてそれは無意識のうちに、彼女への態度となって現れないだろうか。さらにそのことで、自分自身を責め苛んだりはしないだろうか。
確かに彼女の父親の言うように、自分は器の小さい人間だ。つまらぬことにすぐに反応し、カッとなる。どうでもいいようなことに言い返す。彼女が最後に目に涙を溜めてまで反駁する頃になって、ようやく気づいてやめる。あとになって、うじうじと後悔する。こんな自分が、どうして彼女を本当に愛することができるだろうか。
おれがいつまでも黙り込んでいると、
「マスター。トム・コリンズをお願いします」
と、キンケツが言った。
「君も何か頼むかい?」と聞かれたので、「じゃあ、同じのを」と、つい、うわの空で答えてしまった。
「大丈夫か?」
キンケツがまた、俺の顔を覗き込む。
「ん? 何だっておれにそんなことを聞くんだ。おれなら何ともないさ。それよりお前のほうこそ――」




