表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
358/514

参百五拾五 恋心変心変身

「ふん、無趣味だと言うくせに、ゴルフばかりでなく、そんな趣味まであるとはな。だが、生殖能力はあるんだろう?」


 キンケツは思わず、顔を赤くした。


「いや、何も生殖能力がないのが不可(いけな)いというわけではない。だが、わしの祖父が苦労の末に興した会社だ。やはり、子孫にも跡を継いでほしくてな」


「それは大丈夫だと思います」


「だとしたところで、ハナがお前に惚れてくれるとは限らんぞ。あれは一筋縄ではいかない女だ。油断すると寝首を掻かれかねないぞ。覚悟をしておくんだな」


「望むところです」


 藤堂ハナ――。ただの同姓同名なのか、偶然の一致なのか。なぜ何も言わずに、自分の許を去っていったのか。そして、この自分という人間は、いったい何者なのか。それを確かめなければならない。




「そのためにも、僕は日本を一旦離れる。そして、必ず何らかの成果を上げて、帰ってくる。藤堂ハナに会うためにね」

 キンケツはそう言うと、レッドアイを一気に飲み干した。


「ちょっと待てよ。それじゃあ、京子は――、いや彼女はどうなるんだ。婚約してたんだろう?」


「あんなのは嘘さ」

 平然と言う。


「な、何を言ってるんだよ」

 おれは唖然として、相手の顔を見つめた。


「君は、一杯食わされたのさ」


「食わされたって、誰に――」


「京子さんにだよ。君の心を自分につなぎ止めるために、そんなことを思いついたんだ。僕はその片棒を(かつ)がされたわけさ」


「待てよ。つる坊やキョンシーたちも知ってたのか」


「彼らは何も知らないさ。世間を騙すためには、まず身近な者たちからって言うじゃないか」


「しかし、なぜそんなことを――」


「決まりきってるじゃないか。彼女はまだ君のことを愛しているんだよ」


「ちょっと待ってくれよ。そんなわけない。彼女はすっかりおれに愛想を尽かしたんだから。それに、君は彼女のことを好きだったんだろう? その君にそんなことを頼むなんて、彼女はそんな残酷なことができるような人ではない」


「ハハハ」

 キンケツは、頭をのけぞらせて笑った。渇いたような笑い声だった。

「その言い方だと、君もまだ彼女のことを愛してるんだな。良かったよ。いいかい? 彼女は聡明な女性だ。僕は、彼女を愛している振りをしていただけなんだ。彼女のことは好きだが、女として愛していたわけではない。そして、そのことは彼女のほうだって最初からお見通しだったのさ。そんな僕のことを、彼女は迷惑がったりもせず、面白がってたんだ。そういうのを、君の好きな漱石に言わせれば、無意識の偽善って言うんじゃないのか?」


「馬鹿な――」

 あとの言葉が続かなかった。自分の意志で別れたにもかかわらず、彼女がキンケツと婚約したということを聞いて、おれは彼を呪い殺したいほど憎んだのだった。


 真相を聞かされて正直、嬉しかった反面、だからってどうなるのだと思った。おれには彼女を愛する資格なんてない。無職で明日をも知れない身ということもあるが、それ以上に、彼女の父親から言われた言葉が重くのしかかっていたのだ。


 はたしておれは、彼女の全てを受け入れることができるのか。彼女の全人生を、ずっと一緒に背負っていけるの。一緒に暮らすようになった時に、何かにつけてあのことを思い出し、心の中で彼女を責めたりしないだろうか。そしてそれは無意識のうちに、彼女への態度となって現れないだろうか。さらにそのことで、自分自身を責め(さいな)んだりはしないだろうか。


 確かに彼女の父親の言うように、自分は器の小さい人間だ。つまらぬことにすぐに反応し、カッとなる。どうでもいいようなことに言い返す。彼女が最後に目に涙を溜めてまで反駁する頃になって、ようやく気づいてやめる。あとになって、うじうじと後悔する。こんな自分が、どうして彼女を本当に愛することができるだろうか。


 おれがいつまでも黙り込んでいると、

「マスター。トム・コリンズをお願いします」

 と、キンケツが言った。


「君も何か頼むかい?」と聞かれたので、「じゃあ、同じのを」と、つい、うわの空で答えてしまった。


「大丈夫か?」

 キンケツがまた、俺の顔を覗き込む。


「ん? 何だっておれにそんなことを聞くんだ。おれなら何ともないさ。それよりお前のほうこそ――」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ