丗四 坊ちゃん、青虎にぶん殴られる
話は、この赤虎と青虎の二人が、おれの家のそばで、聞こえよがしにおれの悪口を言っていた時に戻る。
モンジ老にコテンパンにのされた後のことだったから、よりにもよって、最も機嫌の悪い時だった。
おれの性格からして、売られた喧嘩は買う主義だ。
しかもこいつらには、お祭りの時に散々酒を飲まされたうえに、ほったらかしにされた怨みもある。
怒りに任せて、思いっきり大声で怒鳴りつけてやった。
「この百姓どもめ、何か言いたいことがあるんなら、そんな所でコソコソやってないで、ここまで来て、正々堂々と言ったらどうなんだ」
「何だと?」
青虎が色をなす。
「おい、お前。今俺たちのことを百姓どもと言ったな」
そう言うと、土塀の崩れた所に申し訳程度に立てられていた四つめ垣を、バキバキと押し倒しながら、赤虎が止めるのも構わずに邸内に侵入してきた。
「人の屋敷内に、何を勝手に入ってくるんだ。」
おれと年頃の変わらない青虎ことヤンマーの狼藉に、おれの怒りは頂点に達した。踏み石に飛び降りると、草履を履くのももどかしく庭に飛び出した。
「百姓に百姓と言って何が悪い。何度でも言ってやる。何だ、この百姓野郎め」
「ふん」
向こうは、いつでも受けて立つぞという風に、仁王立ちをしている。
「百姓が自分のことを百姓と言うのはいいんだ。百姓をしたこともなく、百姓の苦労も分からない人間が、百姓のことを百姓と呼んだら、それは差別用語ってもんだろうが」
そう一気呵成にまくしたてる。それにしても、えらく百姓を繰り返したもんだ。
「差別用語だって?」
おれは急いで頭を巡らせた。
「そうだ。そんなことも分からないのか」
ヤンマーはますますこちらを睨みつけてくる。
「だったら、さっきおれのことを、ごくつぶしだなんて言ってただろう。それも立派な差別用語じゃないのか?」
「何だと?」
向こうも急いで言い返そうと、足りない頭を働かせているようだった。
「馬鹿野郎、そんなものが差別用語なもんか。NHKの放送禁止用語辞典でも確かめてみろってんだ」
青虎の癖に、屁理屈を言う。
おれもますます向きになる。
「差別用語だろうが何だろうが関係ない。この百姓め。何だ、高い米ばかり食わせやがって」
「何だと、貴様」
いきなり胸ぐらを掴まれる。青虎の顔が真っ赤になり、赤虎みたいになる。続いて庭に入ってきていた本物の赤虎のほうが、慌てて制止する。
しかし、次の瞬間、ポカリとやられてしまった。
おれは惨めに地面に尻もちをついたまま、しばらく放心していた。
人に殴られるのは、子供の時分に近所のガキ大将にやられて以来だ。親からだって、こんな目に遭わされたことがない。
おのれ、どうやって反撃しようか。
おれは短気で喧嘩っ早い割には、腕力のほうは全く駄目である。なにしろ子供の頃から、体育の教師と前に倣えと、それにうさぎ跳びほど嫌いなものはなかったのだから。
弁舌は苦手でも、悪態ならいくらでも口をついて出る。然し、いざこういうことになると、からっきし意気地をなくしてしまうのである。
おれが黙っていると、ヤンマーが静かに言った。
「百姓と呼ばれるのはいい。むしろ、俺は百姓であることに誇りを持っているのだから。そんなことよりも、お前が最後に言った言葉、それが俺には許せない」