表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
345/514

参百四拾弍 性の目覚め

 それを最初に意識したのは、確か小学一年生の時だったと思う。初めての遠足があってね、みんな真新しいリュックだとか水筒だとかで、まあ何の他愛もないことなんだが、名前を書いているかどうか互いに確かめっこしてたんだ。


 ハナちゃんっていう可愛い子がいてね、下げている水筒に名前が見当たらない。誰かがそれを咎めるものだから、その子は泣きそうになって、底に書いてあると言う。それで僕が、下から覗き込んで見たんだ。


 その途端、男の子たちが騒ぎ出してね。「ユタカ君が、ハナちゃんのスカートの中を覗いた」、「ハナちゃんのパンツを見た」って。僕は何のことか分からず、茫然としていた。


 その子は確かに可愛かったし、当日着ていた服も可愛かった。だが、スカートの中を覗くという発想は僕にはなかったし、その意味も分からなかった。その日から僕にとって周りの子は、ただのハナちゃん、ただのタロウちゃんではなくなって、女の子のハナちゃん、男の子のタロウちゃんに変わったんだ。


 そしてもう一つ、僕の中に疑問が芽生えたんだ。それは、なぜ男は大人も含めて何の変哲もない恰好をしているのに、女は綺麗な恰好をしているんだろうということだった。鳥だって、オスのほうが着飾っているじゃないか。その時は、ただ不思議に思っただけなんだけどね。


 ともかくその日から僕は、「パンツ」っていうあだ名を付けられた。実は、そのハナちゃんって子が僕は好きだったんだ。まあ、初恋って言ってもいいだろう。席も隣同士でね、その子も僕を嫌ってなかったと思う。


 ところが、例の一件以来、その子から避けられるようになってしまった。人生で初めての失恋だ。


 クラスに金本富雄っていう奴がいたが、たまたま姓が同じっていうだけで、親戚でも何でもない。こいつが特に僕を目の敵のようにして、二年生になっても執拗に僕のことをパンツ、パンツと言い続けるんだ。たぶん、自分がハナちゃんのことを好きだったからじゃないのかな。


 ある日の掃除の時間だったが、余りにもしつこいから、とうとう頭に来てね、そいつと取っ組み合いの喧嘩になってしまった。誰かがクラス担任を呼びに行ってすぐに止められたんだが。


 クラス担任は亀井先生と言って、若くてハンサムで、生徒にはとても人気があった。掃除のあとに帰りの会があって、二人とも自分の席で立たされた。


 どっちが先に手を出したと聞かれたから、僕ですと正直に答えた。何故、手を出したと重ねて聞かれたから、パンツと呼ばれたからですと、これもストレートに答えたんだ。これにはクラス中、大笑いだったな。ハナちゃんは真っ赤になって(うつむ)いていた。


 すると亀井先生は、富雄のほうに向かって聞いた。

「ユタカには、金本結貴という立派な名前がある。それなのに何故、そんなあだ名で呼ぶんだ?」


 富雄は突っ立ったまま、何も答えない。


「何故、答えられない?」


 これにも答えられず、俯いてしまう。


「いいか、トミオ。君に二つ言っておく。人前で堂々と言えないことは最初からするんじゃない。これが一つだ。分かるか?」


 そう言われ、今にも泣きそうな顔で小さく頷く。


「それからもう一つ」

 亀井先生は、優しい顔で富雄の顔を見守りながら言った。

「金本富雄君、君はどうだろう。もし君が、トミオじゃなくパンツって呼ばれたら嬉しいかい? 嬉しくないだろう。自分が厭だと思うことは、人にもしちゃあ不可(いけな)い。分かるな」


 富雄はとうとう、しゃくり上げ始めた。それでも何とか頑張って、はい分かりましたと言った。


 僕はその時、自分が勝ったと思ったんだ。僕は泣かなかったし、先生がこっちの言い分を認め、公正に裁定してくれた。そう思って、少し得意になっていた。


 すると、先生がまた僕のほうを見て言ったんだ。

「それからユタカ。先に手を出した君も良くない」


 心外だったから、すぐに言い返した。

「でも、そうしないと、いつまでもパンツ、パンツと言われます」

 ここでまた、クスクスと笑いが起こる。


 それにもムッとなってしまった。

「じゃあ、僕はどうしたら良かったんですか?」

 と、先生を問い詰めるように聞いてしまった。


「ほかに方法があるだろう?」

 そう言われた僕は、意味が分からないまま先生の顔を見返していた。向こうも真っ直ぐにこちらの目を見つめながら続ける。


「気に食わないことがあったからって、すぐに暴力で訴えるのは良くない。腹が立ったからって、すぐにかっとなるのも良くない。それは男らしくないことなんだ」


「男らしくない?」


「そうだ、男らしくない」

 先生はきっぱりと言った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ