参百参拾八 竜之さんの悩み
何だ、まだ根に持っているんだ。男らしくもない、と思った。もとはと言えば向こうが悪いんだから、そっちから先に何とか言ってくるのが本当だろう。竜之さんの言葉に期待した自分が馬鹿だった。
誠と英彦さんのほうはどうかと言えば、彼らも示し合わせたかのように決して姿を現さなかった。それならそれで構わない。もう本当に絶交だ。お前たちも永久にヤンマーと村人Aだ。おれはそう固く決心したのだった。
コンニャク芋の収穫作業も、一度手伝った。竜之さんがトラクターで掘り起こしたものを、早苗さんと二人でひたすらコンテナに詰めていくのである。
竜之さんの話では、生子というコンニャク芋の赤ちゃんを植え付けてから出荷できるようになるまでに2、3年かかるし、その間に病気で全滅してしまうこともあるので、栽培が非常に難しいということであった。
平均温度は13度以上必要で、それ以下だとイモが腐ってしまう。また、日照時間が不足しても腐ってしまうということである。日当たりの良い場所がいいのだが、日差しが強すぎても良くない。さらに、土はふかふかで水はけのよい所がいい反面、保湿性も良くないと不可いというのだから、誠に厄介な作物ではある。
先にトラクターの作業を終えた竜之さんが、こっちへやってきたので、「腰が痛いです」と文句を言った。何か憎まれ口で返されると思ったら、「だろう?」と相槌を打っただけだった。
「こんにゃく様のいわれを聞いたろう?」
一緒にコンテナ詰めの作業を行いながら、不意に聞く。
「いわれと言われても、いろいろあるみたいだから。どのいわれですか?」
「ほら、江戸時代に大変な凶作の年があったんだが、悪代官がいて、どうしても決められたとおりの年貢を供出しないと承知しねえんだ」
「ああ、こんにゃく様がそのように呼ばれるようになったいわれですか。あの神社は、古くからいんにゃく様と呼ばれていたそうですよね。確か印鑰というのは、国司の管理する印鑑と倉庫の鍵のことで、それをあそこが預かっていたということだった」
「そうだよ。記憶力は流石だな。普通はできた米を奉納するんだが、ウンカだかイナゴにやられちまって、かろうじてできた米もみんな年貢として持ってかれてしまった。それで村人たちで話し合って、これも余り出来は良くなかったんだが、こんにゃくのほうを捧げた。するってえと、この悪代官が改心して年貢を減免してくれたってえ話なんだが。あの神社がこんにゃく様なんて呼ばれるようになったのは、それからだ」
「その頃から、この辺でコンニャクを作る人が増えたらしいわね」
と、早苗さん。
「うん。だが、今じゃ先細りだ。作業が大変な割には実入りが少ないから、年々辞めていく。やはり地域でまとまった量を安定的に供給できるような状況じゃないと、なかなか難しいんだ」
「確かに、収穫作業はきついよね。今まで手伝わなかったから知らなかった。ゴメンね。これからはもっと加勢するよ」
「ありがとう。トラの奴にも持ち掛けたことはあるんだが、奴は稲作主体で集落営農をやってるし、とても手が回らないと言っていた。それに米の収穫時期ともかぶるしな。生産規模ではとうてい群馬なんかには敵うべくもないから、何かこの地域の特性を生かしたようなやり方がねえかなとも考えてみたんだが、俺の頭じゃ思いつかない」
「自分たちで直接コンニャクに加工して販売するっていうのは?」
「無理だろう。この辺のおばちゃんたちを集めてチマチマやったって、コスト面で大きな工場には敵いっこないからな」
「うーん……」
早苗さんが考え込む。
「俺も辞めよっかな。江戸時代とは違って、こんにゃく様の御加護もないようだし。――おい、欽之助。ひょっとして、わらわんわらわの呪いは、本当はまだ解けてはいないんじゃないか?」
「えっ?」
いきなり矛先が向いてきたので少し慌ててしまったが、かろうじて答えた。
「大丈夫ですよ。だって、登世さんが断言したんですから。わらわんわらわの呪いは、すでに解けているって」
そう答えたあと、あの時、清さんの胸に抱かれた人形の表情を思い出した。あどけない口元をほころばせながら、きれいな二重瞼の目で彼女を見上げていた。安らぎに満ちた、優しい表情だった。もう、わらわんわらわなんかではない。
「それに、このおれもしっかりと見届けました。呪いどころか、わらわんわらわ自体、もういないんですから」
そう言いながらも、何かまだ俺の胸にはすとんと落ちないものがあった。
何かまだ、おれの知らないもの、気づいていないものがあるような気持ちの悪い感覚が、折に触れて呼び覚まされるのである。そしてそのたびに、あの日の京子の顔が思い浮かぶのだった。
あの日、京子は、おれの家を見上げて茫然としていた。しかし、それは京子に限ったことではない。あの今にも倒壊しそうな屋敷を見て驚愕しない者はいない。それなのに、京子のあの表情に何か釈然としないものを感じるというのは、やはり彼女に未練を抱いているせいなんだろう。早くこの不健康な思いを立ち切らねばと、改めて思ったのだった。
おれの気持ちを何となく察したのだろう。二人ともそれ以上、旺陽女様が何とかだというような話題は持ち出さなかった。




