参百参拾六 ゆるい取り調べ
「そんなんでいいんだよ。俺の手のひらは精巧なセンサーみたいなものでね。いちいち量ったりしなくても、ちょいと握っただけで肥料の分量が分かるんだから」
「でも、調味料を手のひらで入れたりはしないでしょう?」
「お前なあ……」
半分あきれたような顔をしながら言う。
「これまで旨いコーヒーをひたすら追求してきたんだ。味覚も嗅覚も研ぎ澄まされているさ。そんなのは大さじ一つあればなあ、あとは勘でいいんだよ」
「はあ、そんなものですか」
「そんなもんだよ」
「ぷっ」
早苗さんがまた噴き出す。
「さっきから二人で、同じようなセリフばかり繰り返しているわよ」
そう言って、白ワインのグラスを傾ける。
「そうですよね」
おれも苦笑しながら言った。
「じゃあ竜之さん、焼いたってのは何を?」
「サンマだよ。それに、大根おろしをボール一杯作ってやった。だが、サンマと同じ皿には入れない。せっかくのサンマが、べちょべちょになっちまうと不可えからな。だから、大根おろしはお椀に入れて、しらすを上からどっさり乗せてやったんだ。スダチをたっぷり搾ってやってな」
「スダチですか。今度はカボスにしてください。こっちも断然いけますよ」
「そうなのか? 分かった。今度試してみよう」
「きっとですよ。じゃあ、チンしたのは?」
「お前もしつこく聞いてくるねえ。警察の事情聴取じゃあるまいし。唐揚げだよ。スーパーで買った冷凍食品だ。文句あるか?」
「ありません。降参です」
「参ったか」
「はい、参りました」
「どうだい、早苗。俺はこんなやりとりを八十八の奴としたかったんだ。馬鹿野郎め、勝手に大学を辞めて出ていきやがって」
「そうだね」
早苗さんが相槌を打つ。
「さあ、欽ちゃん、遠慮しないで食べてね。今夜はあんたのために奮発したんだから」
確かに、テーブルにはご馳走がふんだんに並べられている。竜之さんが夕べ作ったという煮物のほかに、サケと玉ねぎとレタスのマリネ。豚の角煮。大根とにんじんの酢の物……。どれも好きなものばかりだ。
遠慮なく箸をつけて舌鼓を打っていると、早苗さんが言った。
「ホント、息子が一人増えたみたいだね」
「だろう?」
竜之さんが真っ赤な顔で言う。すでにビールはやめて、焼酎に替えている。どこで調達したのか知らないが、『白岳しろ』だ。球磨地方で造られる米焼酎である。
「竜之さん、それ、どうしたんですか?」
「白状しろ」
早苗さんがいきなりそう言ってテーブルを叩く。
「白岳しろだよ」
と竜之さん。
――おれの前で夫婦漫才はやめてくれ。
「それが何故ここにある。洗いざらい吐いちまいな。さあ、白状しろ」
早苗さんが、今度は夫の首を絞め上げる。
「違うよ、白状しろなんかじゃない。白岳しろなんだよ、これは」
――だから、もう分かりましたってば。
何でも、竜之さんの友達が建設業をやっていて、いま熊本城の再建工事を手伝っているとのことであった。それで激励の積りで、彼の作った米を送ってやったら、この焼酎が返ってきたというのである。
「あちらにも、『森のくまさん』って米があるんだけど、やはり故郷の米はいいもんだって言ってたらしいわね」
竜之さんは目を閉じて、うん、うんと頷いている。半分眠りかけているようだ。
もうこの辺が潮時だろうと思っていたら、ぱちりと目を開けた。
「おい、欽之助」
突然大きな声を出す。
「はい」
「俺は嬉しいんだ。分かるか?」
「はい、分かります」
「馬鹿野郎! お前になんか分かるもんか。じゃあ、何が分かるんだ。言ってみろ」
「アンタ、もう酔ったの? もうそれくらいにしたら?」
早苗さんが、夫をたしなめる。そう言う自分は、白ワインのお代わりをしている。
「大丈夫だって。さあ、欽之助、言ってみろよ。お前に何が分かる?」
そう言って、ぐびりとやる。大丈夫じゃない! 眼が据わりかけている。やっぱり今日の疲れが出たんだろう。おれがすぐにへたれたものだから、支柱をハンマーで打ち込むのも、ほとんど彼一人でやったし。
「酔ってなんかいないよ。嬉しいだけなんだよ。分かるだろ?」
おれのコップに、勝手に『白岳しろ』をドボドボと注ぐ。
「はい、はい」
おれは急いでコップを持ち上げると、慌てて氷を継ぎ足した。『白岳しろ』は久し振りだ。一口飲むと、とろけるようなまろやかな味である。
「あー、お前、適当に返事をしてるな。そんな奴は大っ嫌いだ」
「いいですよー」
そう言って、二口めを味わった。
「おい、欽之助」
「はい、はい」
「はいは一度でいい。お前は二言めのように寅さん、寅さんとばかり言ってるがなあ」
「はあ」
「あんな奴のことはしばらく忘れるんだな」
「えっ?」




