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参百参拾壱 欽之助、ソフトボールに食らいつく

 しかし、このおにぎりは幾らなんでも……。


 おれは覚悟を決めて、ソフトボールにかぶりついた。意外にもおいしい。これだけでも十分いけそうだったが、梅干しと一緒に口に入れると、さらにおいしかった。


 ぬか漬けは、ウリとニンジンだった。ちょうどいい塩加減にヨーグルトのような芳醇な香りが合わさって、おいしいとしか言いようがない。


 おれはよく冷えた麦茶をごくりと飲み干すと、おにぎりと漬物をぱくぱく、むしゃむしゃ、ポリポリ、カリカリ、交互に食べ続けた。箸が止まらないとはこのことだ。舌が幸福を味わっている。


 ソフトボールは1個で十分だったが、竜之さんに敬意を表して2個平らげた。食べている間中、竜之さんの漬物愛と蘊蓄(うんちく)をさんざん聞かされた。


 最後に、ぬか床をやるからお前もやれと言われたので、面倒臭いからやりませんと即座に答えた。その代わり、もらって食べますと付け加えた。このうつけものと言われたので、少しだけ笑ってやった。



「あのお、早苗さんは……?」

 さっきから気になっていたことを聞いてみた。


「寝てるよ」

 爪楊枝を使いながら答える。


「えっ?」


「二日酔いでまだ寝ている」


「ええっ、早苗さんがですか?」


「そうだよ。ゆうべは葡萄酒をがぶがぶ飲んでいた。二週間の間に三つも大仕事をやり遂げたんだから、自分への御褒美だってさ」


「はあ」

 おれには、あの早苗さんが、そのぶどう酒とやらをがぶがぶ飲んでいる絵がどうしても思い浮かばなかった。


「確かにあいつの言うとおりだ。パラシュート娘が旦那と上手くいっていることも見届けてきたし、俺の土地問題も解決した。そのうえ、八十八(やそはち)が帰ってくるかもしれないという希望をもたらしてくれたんだからな。全く大した女だよ」


「良かったですね」

 心からそう言った。


「ああ、そうだな」


 竜之さんは感慨深げに一度空を見上げると、「お前のお蔭だよ。ありがとう」と言った。


「おれは何もしていませんよ」


「そうかもしれない」

 向こうは独り言のように呟いている。


「そうですよ」


「だが、お前は不思議な奴だよ」

 こちらの顔を、あらためてまじまじと見つめながら言う。


 不思議な奴と言われれば、確かにそうかもしれない。これまでも書いてきたように、おれは子供の頃からほかの人には知覚できないものが見えたり、聞こえたりしてきた。


 だからと言って、たいした霊感や能力があるわけでもないし、それが何かの役に立ったということもない。物事が解決したとすれば、それはおれの手柄でも何でもなく、ただその場に居合わせただけである。


 わらわんわらわのことだってそうだ。おれが何か凄い能力を発揮して、百年にわたるその呪いを解いたというわけではない。事態は勝手に推移し、勝手に解決した。おれはただその過程に遭遇し、振り回されただけなのだ。


 だが、本当に解決したのだろうか。何かおれの気付いていないもの、おれの知らないことがまだあるのではないか――。


 実は以前から、そういう何か釈然としない感じをおれはいだいていたのだったが、その度に否定してきた。それもこれも、京子のことがあるからだ。いつまでも彼女のことを引き()っていては不可(いけな)い。もういい加減、新しい一歩を踏み出さなければ。そのためにも、早く小説を書き始めなければ――。



 気持ちを切り替えようと、おれは例の廃屋のような家を振り返りながら言った。

「最初からずっと気になっていたんですが、ここは一体どなたのお宅なんですか? 竜之さんの実家というわけでもなさそうだし。それにあの畑も」


「うん……」

 竜之さんは、急に元気をなくしたように目を伏せる。


「あっ、いいんですよ。立ち入ったことを聞いて申し訳ありませんでした」


「実は、友達の家なんだ」

 ぽつりと答える。

「もちろん、あの畑もな。いや、それだけじゃない。ここへ来る途中に田んぼがあっただろう? 今はトラのものになっているが、もとはそいつの所有だったんだ」

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