参百参拾 今度は投げ技で一本負け
「竜之さんに怒っているんじゃないですよ。自分に怒ってるんです」
「自分にだって? そりゃあ、際限がないぞ。なにしろ四六時中、自分に付き合っていかなけりゃあならねえんだからな」
「確かに」
おれは竜之さんを見て笑った。
「ということは、人に八つ当たりしたわけだな。ひどい奴だ。罰として、全部やってしまうまで休憩なしだ。もう大体のコツは掴めたろうから、一人でいいだろう? おれはイノシシ避けのワイヤーメッシュを取り付けるんで、まず支柱から立てることにするよ」
竜之さんはそう言うと、くるりと背中を向けた。しあわせは歩いてこない、だーから歩いてゆくんだね、幸せの赤い耕運機よ……などと、滅茶苦茶な節回しで歌いながら、さっさと行ってしまう。
おれはそれを横目で見送りながら、再び耕運機を動かし始めた。一羽の鳥が慌てたように甲高い声で鳴きながら、斜めに空を横切っていった。突き抜けるような青空を見上げると、気分がだいぶ良くなった。
一往復して、確かにおれは幸福だと思った。二往復目は少し飽いてきた。三往復すると、農作業はやはり大変だと思った。四往復目には、やれやれ、おれはいったい何をしているんだろうと情けなくなった。
何往復目だったろうか。間に畳一畳分ほど、土の盛り上がっている箇所があって、そこだけ草が生い茂っている。前作で何か植えられたような形跡もない。何だろうと思ったものの、えーい、行っちゃえとそのまま進んだのが悪かった。
乗り上げた途端、耕運機は大きく横に傾き、コントロールが効かなくなった。いつかのお神輿の時のように、自分の身体が持っていかれそうな気がした。
「危ない、逃げろ!」
竜之さんの声がした時は、もう間に合わなかった。おれは耕運機のハンドルに両腕を捩じられ、見事に身体を裏返しにされたのだった。
「大丈夫か?」
竜之さんが飛んできた。
「大丈夫みたいです」
目をぱちくりさせながら答えた。
「大丈夫だな? どこも打ってないな」
「大丈夫です。どこも打ってないようです」
おれは相手の言うことを馬鹿みたいに繰り返しながら、そう答えた。
「どうかすると、ハンドルで強烈なアッパーカットを食らうこともあるんだが、大丈夫みたいだな」
「はい、どうやら……」
「うん、それなら良かった。あっ――」
視線の先を追うと、横倒しになった耕運機から黒い液体がボトボトこぼれ、土に沁み込んでいる。竜之さんは、咄嗟に首にかけていたタオルで給油口を塞ぐと、あった、あった、と直ぐに蓋を見つけ、元に戻す。それから、慣れた手つきで耕運機を起こした。
「百姓も命がけというのが分かったろう?」
怒りもせずに言う。
「はい」
「しかし、お前も器用な奴だなあ。たったあれぐらいの段差で耕運機を横倒しにするとは、大したもんだ。普通は、畦から田んぼに乗り入れる時とか、軽トラから降ろすような時にやっちまうんだが。俺の伯父貴は、それで下敷きになって死んじまった。俺も油断していたよ。済まなかったな」
「いや、いいんです。おれの判断ミスでした」
「よし、ここらで腹ごしらえといくか」
「えっ? まだ十分の一も終わってませんよ」
「いいんだ、いいんだ。今日はほんの小手調べってとこだ」
「でも竜之さん、見てください。よく見たら、真っ直ぐじゃない」
「いいんだって。とりあえず全体を耕して、それから幾つかの区画に分けるんだ。あとはそれぞれの人間が勝手にするさ。さあ、飯だ、飯だ」
二人で、さっきの廃屋のような家の前に戻ると、庭にブルーシートを敷いた。早苗さんの手料理が食べられると思って、ワクワクしながら待っていると、出てきたのは大きなおにぎりだった。三角ではなく、真ん丸だ。それも、ソフトボール用のボールぐらい、どでかい。
「俺が握ったんだぜ」
「……」
「大丈夫だって。素手じゃない。ちゃんとアルミホイルを使ったから」
アルミホイル……? おにぎりより大きくなるぐらい目を真ん丸にして見ていたら、次に出たのは、梅干しとぬか漬けだった。
「これも俺が漬けたんだ。結構旨いんだぜ。食べて見な」




