参百弍拾八 幸福の赤い耕運機
「いや、おれなら大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃないって」
竜之さんはそう言うと、家の隣にあるトタン葺きの小屋に向かった。ブルーシートを剥ぐと、大型の赤い耕運機が出てきた。あちこち錆びていて、かなりの年代物のようである。
竜之さんは前のほうに行き、何やら曲がった道具を装着すると、ものすごい勢いで回し始めた。しかし耕運機が何も反応しないので、あれ、おかしいなあと首をひねっている。
やれやれ、早苗さんも無責任なことを言ってくれたものだ。それに、おとといの寅さんたちと言い、誰も彼も何故おれに何の断りもなく、物事を進めようとするのだろう。おれが仕事もせずに、毎日ブラブラしているせいなんだろうか。
このままでは不可い。そろそろ本腰を入れて小説を書き始めねば。しかし、書くだけでは駄目だ。わずかでもいいから、せめて原稿料をもらえるぐらいにならなければ。そうでないと、相変わらず周りからは遊んでいるぐらいにしか思われず、このままの生活が続くことになる。
竜之さんが諦めずに回し続けると、ついに耕運機はブルンブルンと音を立て、小さい煙突のような所から煙を吐き始める。
「よし、行くぞ」
小屋からそれを出すと、さっき通ってきた道をゆっくり横切っていく。
ついてゆくと、そこには小学校の運動場を半分にしたほどの土地が広がっていて、そのまた半分ぐらいは畑になっている。残りの半分はきれいに整地されていて、煉瓦で囲った花壇や杉の木の丸太で作ったようなベンチなどが所々に配置されている。何かの苗木もたくさんの数、植えられていた。
「ほとんどが広葉樹だよ」
竜之さんが言った。
「イチョウにカエデ、モミジ、キンモクセイ。それに桜もある。春は桜、秋は紅葉。こいつらが大きくなったら、それは見事だろうな」
「何なんですか、ここは」
不思議に思いながら聞いた。
「ちょっと前までは田んぼだった」
「ここがですか?」
「そうだよ。たぶん太閤検地も免れて、こっそり作ってたんじゃねえのか? だが、水が取りにくいということもあって、畑に替えたんだ」
「竜之さんがですか?」
「いや……。まあ、話は後だ」
少し寂しそうな顔で言うと、耕運機とともに畑に向かった。
おれがぼんやり周りを見渡していると、来いよ、と言うので、仕方なくついていくと、耕運機の使い方を教えてやろう、と言う。
「えっ、おれが運転するんですか?」
「そうだよ。耕運機を運転できるなんてラッキーだろう?」
「何故ですか? イヤですよ」
「イヤな筈がない。ラッキーなんだって。幸運をもたらす耕運機ってな」
「……」
親父ギャグは寅さん以上だ。これには早苗さんもうんざりだろう。
竜之さんはいろいろレバーをガチャガチャいじりながら、ひととおり操作方法を説明してくれた。
「細かいことはおいおいと教えてやる。基本的に、前に進む。速度を調整する。旋回する。これだけでいい。まずは前進だ。やってみろ」
言うとおりにすると、いきなり強い力で引っ張られたので、足をもつれさせながらやっとついていった。
「できるだけ真っ直ぐに行けよ。そうそう、上手いじゃないか」
竜之さんが、おれの横を歩きながら言う。
「おだてようたって、そうは問屋が卸しませんよ。こんなことは、もう今日限りですからね」
そう言いながらも、おれは爽快感を感じていた。
もう少しで行き止まりになりそうな所で、竜之さんが言った。
「速度を落とせ。それからハンドルを心持ち上げながら、左のレバーを握るんだ。そうそう。欽之助、お前才能あるぞ」
向こうはそう言うが、おれのほうはおっかなびっくりだった。それでも何とか無事に旋回できた。
以前夏祭りで、寅さんたちに半強制的にお神輿を担がされた時に、自分が担いでいるのではなくて、反対にお神輿にぶら下がって振り回されていたことを思い出した。そう言えば、あの時はこの竜之さんも一緒だったのだろうか?
おれがそんなことを考えていることを知ってか知らずか、竜之さんはこっちを見ながらニヤニヤしている。




