丗壱 妖怪の親切
「ふん、今度は黙りか」
背中からまた声がする。
おれは相変わらず返事をしなかった。
「まあ、勝手にするがいいさ。おれはお前にしがみついたまま、これからもずっと離れるつもりはないからな」
これにはうんざりした。
本当にこのまま、何処かに打遣ってしまおうかしらん。
すると突然、大きな音が聞こえてきた。
土砂降りの雨が、屋根瓦を激しく叩きつけている。
ハッとした。
コイブミの忠告をすっかり忘れ、雨戸を開けっ放しにしたままである。
おれはゴングに救われたボクサーのように、よろよろとダイニングを抜けて縁側へと急いだ。
ところが、意外なことにちゃんと閉まってある。
コイブミは言っていた。
雨戸荒らしも、今日のような日は悪戯をすることはあるまいと。
しかし悪戯どころか、親切にも雨戸をちゃんと閉めておいてくれたのだ。
妖怪に散々打ちのめされたかと思えば、こんな親切も受けることもある。
いろいろ考えるのも面倒になってしまった。
おれは畳に倒れ込み、そのまま泥のように眠りについたのだった。
石児童のやつが、その後どうなったかは知らぬ。
季節はいつの間にか夏真っ盛りになっていた。
おれは例によって雨戸を開け放したまま、座敷にゴロゴロ寝っ転がっていた。
あの一件以来、郵便物も新聞も文字が消えることは一切なくなった。
乱れ髪も、ぴたりと出ないままである。
それなのにおれは、ただの一行も小説を書けないまま、悶々とした日々を過ごしていた。モンジ老の容赦ない指摘は、まさに正鵠を射抜いていたのである。
それにしても暑い。
あの吝嗇な化野のことだから、エアコンを設置してくれている筈もないし、元々エアコンを取り付けるための穴も開いていなかった。
だったら自分の金で着ければいいのだが、なけなしの財産を蕩尽してしまうわけにもいかない。おれはまだ若く、先は長い。それなのに当分就職などする気もないし、小説家として食っていける見通しは皆無だ。
それならそれで構わない、おれは高等遊民を決め込んだのだから。贅沢と引き換えに、精神的に豊かな生活を犠牲にするようなことだけはしたくない。
おれの愉しみは書くことだけだ。
ひたすら書いて書いて、書きまくるのだ。
しかし、そうせずにいた。
おれはすっかり堕落してしまったのだろうか。
モンジ老から揶揄されたように、ただの性欲の塊なだけの人間なんだろうか。




