廿七 欽之助、バスガールを泣かせる
「いいかい? 僕は決して君のことが嫌いで、こんなことを言う訳じゃないんだ」
見る見るうちに潤んできた瞳にたじろぎながら、宥めるように言う。
「ただ、さっきみたいに僕が真面目に頼んでいるのに、それを茶化すみたいな真似をされると、僕だって人間だ――」
「僕だって人間だって、やっぱり私のことを化け物扱いしている」
「いや、そうじゃなく」
「いや、絶対そう。この間だって、私のことを立派な化け物だろうって――」
バスガールの目からとうとう涙が溢れ出てきた。
バスローブ姿で涙の溢れ出てる様は、まるで涙のアフロディテか。
これには参った。
コイブミの言う、自分の意志や感情を、言葉を介さずに他者に伝えることができる能力って、かえって邪魔なだけじゃないだろうか。いや待てよ。ひょっとしてこの能力は、自分で制御できるものなんだろうか。いや是非ともそうならなければ、まともな人生が送れない。
おれは慌てて言った。
「それは全く僕が悪かった。取り消すよ。そして考えを改める。君のことを、実は可愛い子だと思っている。本当だよ」
そう言いながら、自分で赤面してしまった。
なんという歯の浮くような台詞を、おれは言っているんだろう。ああ、気持ちが悪い。全くおれらしくもない。これもこいつが言わせているんだ。おれはすっかりこいつの策略にはまってしまったのか……。
ん? ちょっと待てよ。ひょっとして今そう考えたのも伝わってしまった?
「それに、さっきのあれはひどい。私のことをそのうち人喰いになるだなんて、あんまりだわ」
しきりに涙を拭っていたが、そのうちタオルに顔を埋めてしまった。
この様子だと、さっきのは伝わっていなかったようだ。制御できているのか?
「ごめん、このとおり謝る。そんなこと金輪際、大地の果てまで、いや宇宙の最果てまで思ってもいないから。この家にも君が居たいだけ居ていい。いや居てほしいんだ」
「本当?」
タオルから顔を上げて訊く。
「うん、本当だ」
「本当に本当?」
「本当に本当だとも」
ああ、こんなやりとりをしているおれって、なんて気持ち悪いんだろう。虫酸が走る。背中がぞくぞくする。チクショー、気持ち悪ーい。
でもそう思っているおれの気持ちは、どうやら彼女には伝わっていないようだ。
どうやら制御できているのか?
バスガールは、奇麗な白い歯を見せてにっこりと笑った。こうして見ると、目鼻立ちのすっきりした顔に、清潔そうなショートカットヘアがよく似合っていて、本当に可愛いのかもしれない。
「じゃあ、分かった。モンジ老さんを呼んであげる」
彼女はそう言うと机の上で両手を組み、何やら呪文のようなものを唱え始めた。