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弐百七拾四 さつま白波対ブラッディメアリー

「こっちこそ御免蒙(ごめんこうむ)りたいものです。あなたのほうで勝手につきまとってくるんだ」

 おれはそう言うと、黒い陶器製のぐい飲みを手に取った。


「この暑いのにそんなものを飲んでいるのか。自分で言うように本当に変人だな、君は。そのうえ馬鹿ときているから始末に負えない」


「幸い、暖房がよく効いていますからね」

 さつま白波のお湯割りをちびりとやった。


 片桐は顔の向きを変えた。視線がマスターからぐるりと移動し、グランドピアノ、テーブル席へと店内を一周する。

「こんなしけた店で、しけた人間が、しけたものを飲む。おあえつら向きだ」


 マスターは素知らぬ顔でグラスを拭いていたが、耳はじっと傾けているようである。ある一線を越えたら飛び掛かってやろうと、そのタイミングを見計らっているのかもしれぬ。


 おれは言ってやった。

「教養のない人間が、教養があるように見せようと、教養のありそうな言葉を吐こうとする。それで失敗するんです。おあえつら向きではなく、お(あつら)え向きだ。それともわざとぼけて、笑わせてくれようとでもしたんですか? 全くあなたらしくもないようですが」


 片桐は心持ち顔を赤くすると、

「マスター、ブラッディメアリーは出せるかな?」

 と聞いた。


 相手は眉毛をぴくりとさせて、ちょっと片桐の顔を見つめたが、すぐに背中を向けた。やがて無言で、赤い液体の入ったグラスを置く。


 こちらはマスターの右手をちらりと見て、ふんと鼻を鳴らした。グラスに少し口を付けると、

「ふん、悪くないようだ」

 と言った。


 それから添えられていた塩とタバスコを、それぞれ3回ずつ振り入れた。もう一度口を付けると、

「ふん、ますます悪くない」

 と呟く。ふんもこれで3回目だ。


「マスター、次はもう少しウオッカのほうを濃くしてくれるかい?」


「いいだろう。だが、もう少し口の利き方に気を付けるんだな。俺は礼儀知らずが嫌いでね。あんたはお客さんかもしれないが、目上の者はそれなりに敬うもんだ」

 抑制のきいた低い声である。


 おれは腕力では片桐には叶わないが、この人なら互角に渡り合えるかもしれない。そう期待しながら、成り行きを見守ることとした。


 片桐は唇の端を歪めて笑った。

「年を取ってりゃいいってもんじゃない。世の中、無駄に生きているだけの人間がいかに多いことか。大方あなたもその(たぐい)だろう。国会議員もそういう連中ばかりでね、尊敬に値する人間は、うちの先生だけだ」


「はっ、これはこれは――」

 マスターはあきれたように一度言葉を飲み込んだが、再び口を開いた。

「あんたの先生がどこのどなたなのか一向に存じ上げないが、要するにあんたは純粋な人なんだろうね。または純粋バカとも言う。そうやって下手(へた)を打ったばかりか、死んでいった若い奴らを俺は何人も見てきた」


「そういう若者たちを見殺しにして、あなただけはのうのうと生き延びてきたんだろうね。見殺しどころか、自分の身代わりにしてね」


 マスターは、黙って第一関節から先のない小指を立てて見せた。

「俺は決してそんなことはしない。流儀に反するんでね。その成れの果てがこれさ」

 そう言って、にやりと笑った。


 片桐は、値踏みでもするように相手の顔と右手を交互に見比べながら、

「ふん、まあいいだろう」

 と言った。

「ところで、今日はあなたに用があって来たんじゃない。こっちの若者と話があってね」

 そう言って、おれのほうに顔を向ける。


「勝手にするがいいさ。俺は他人のことには首を突っ込まないたちでね」

 マスターはそう言うと、グラスをまた磨き始めた。グラスだけじゃない。店内はカウンターも床もぴかぴかで、チリ一つない。


 おれは言った。

「あなたの話はもう聞き飽きましたよ。どうぞもういい加減、お引き取りを」

 白波のお湯割りを相手の顔にぶっ掛けてやりたいぐらいだ。

 

「まあ聞きたまえ。今日はお互い誠実に話をしようじゃないか」

 奴には珍しく、穏やかな口調で言う。

「マスター、ブラッディ―メアリーのお代わりを。そうそう、ウオッカをもう少し濃いめにね。いや待てよ――。そうだ、マティーニにしてくれ」


 しかし、向こうの視線に気づくと、

「マティーニをお願いしますよ」

 と言い直した。


「ほお、マティーニとは挑戦的じゃないか。しかしあいにくの所、こいつには自信があるんでね」

 マスターはそう言うと、用意を始めた。

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