弐百六拾壱 タチュユキさん、講釈を垂れる
「でね、さっきの続きだけど――」
京子は何事もなかったかのように話し始めた。
良かった。大丈夫なようだ。
子供の頃、爺ちゃんからよくお説教を食らったものだ。
お前はうろたえたり、腹を立てたりした時は、すぐにそれが顔に出る。それどころが、考えていることまで他人に伝わってしまう。だから気をつけなくっちゃいけないよ――と。
「混ぜ終わったら、スプーンはソーサーの上に置くものだよ」
彼女は、コーヒーを飲むときの手順とやらを実際にやってみながら言った。
「次に右手で取っ手を持って、右側にくるりと回転させるの。飲むのはそれからだよ。それをあなたったら、スプーンを入れたまま左手で持って飲むんだもの。あーおかしい。あははは」
大口を開けて笑ったかと思ったら、今度は腹を抱えるようにしながら、くくく……と身体を震わせている。
それからちらっと上目遣いにこちらを見ると、
「あーおかしい。駄目だわ、こりゃ」
と言って、涙を拭うような仕草をした。
馬鹿にしてらあ……。
おれはふてくされたように両腕を組み、顔を背けていた。
しかし本当のところは、彼女に心をすっかり鷲掴みにされていたのである。
思えばあの時が、おれの不幸の始まりだったのかもしれない。
そんなことを思い出しながら、おれはぼんやりと呟いた。
「手順……ですか?」
「そうだ、手順だよ。――欽之助、お前もこっちに来いよ」
竜之さんに促されて、キッチンに行く。
「まずは器だ。マイセンもいいが、今日はウェッジウッドにしとこう」
水屋の中をガチャガチャやりながら、華やかな色合いのカップとソーサーのセットを取り出した。
「こいつはバタフライブルームと言ってな、女房のお気に入りなんだ」
「よくカタカナで言えた」
早苗さんもこちらのほうに来て、カウンターテーブルの席に着く。
「こいつで飲むと、ひときわコーヒーの香りが引き立つ」
竜之さんは素知らぬ顔で言った。
「高いお金を払うだけの価値がある。職人さんがていねいに作ってあるからね」
と早苗さん。
「だからこつこつお金をためては、集めていった。と言っても、決して私はコレクターではないからね。物は使わなければ意味がないと思っている。
だから、誤って割ってしまっても仕方がない。現にこいつ――タチュユキはもう何個も割ってしまった」
「済まん。――そうだ、ティーポットもバタフライブルームに合わせよう」
そう言いながら、またガチャガチャやっている。
「いいか、欽之助。この魔法瓶の温度を見てみろ。90度になっているだろう?」
「はあ」
「90度でもいいが、コーヒーは熱いほど苦みが増す。だから80度ぐらいになるまで少し冷ますんだ」
「はあ……」
おれの心に少し疑念が湧いてくる。
竜之さんは、そんな俺の心の内を知ってか知らずか、今出したばかりのティーポットに魔法瓶のお湯を注ぎ始めた。
「それから……と」
棚からインスタントコーヒーの瓶を取り出す。
「えっ?」
アルコールランプのようなものを使って淹れてくれるものとばかり、勝手に想像していたおれは、すっかり拍子抜けがしてしまった。
「お前いま、えっインスタントコーヒーかよと思っただろ」
「いえいえ」
おれはあわてて頭を振った。
「いや、思ったよな?」
竜之さんもなかなかしつこい。
「思ってませんってば」
「まあいい。でも、欽之助。インスタントだからと言って決して馬鹿にすんじゃない。社員の皆さんが日夜努力して、最高の味を引き出したものなんだからな」
「分かりました」
「いいか、手順が大事なんだ。インスタントだからと言って決して手間暇を惜しんじゃいけない」
「はい」
やれやれ。京子もそうだったが、人はどうしてこのおれに上から目線で講釈を垂れたり、命令したりするんだろう。




