廿四 幽便配達夫、雷鳴と共に去りぬ
「いやあ、申し訳ない。本当に申し訳ないことをしました」
コイブミは縁側から腰を上げ、自分の自転車の所まで戻った。
「ああ、あのねえ、あなた初めてそんなことを言われたんでしょう? 初めてね。急にそんなことを言われたんでしたら、無理もありますまい。あなたの気持ち、あなたの気持ちね、私分かりますから。分かりますよ」
そう言いながら、赤い自転車を前に押すと、スタンドがカタンと上がる。
「あっ、いや、こちらこそつい大声を出してしまって……」
相手が突然帰り始めたので、おれは慌てた。
長居をしてしまったこと、お詫びさせていただきます。そろそろお暇することといたしましょう。どうか、決して諦めないで。あなたの御健闘を心からお祈りしておりますよ。
コイブミは。帽子を取ると丁寧に頭を下げた。最後にゴッホゴッホと咳をしたかと思うと、自転車にまたがり、あっという間に暗闇の中に消えていった。
おい、ちょっと待ってくれ。爺ちゃんの手紙も尻切れトンボになってしまったし、おれはもう少しあんたの話が聞きたい……。
おれは急いで門の外に飛び出した。しかし、北を向いても南を向いても、もう幽便配達夫の姿はなかった。
悄然として、また門を潜ったとたん、ゴロゴロっという音が轟いた。稲妻が光り、重く垂れこめた雲をその刹那に映し出す。
すると、頭の上からコイブミの声が聞こえてきた。
謙虚におなりなさい。今日日この言葉がえらい流行ってますがね。奢らず高ぶらず、謙虚に耳を傾けるのです。そうすれば、草木や大地、いや地球の声だって聞こえてくるはずです。
その昔、人間は大地とともにあった。大地には、精霊や物の怪の棲み処もあった。
しかし今の人間は、合理主義の名のもとに大地を征服し、簒奪の限りを尽くし、精霊や物の怪たちを追い払ってしまった。今や我が世の春と、物質文明を謳歌している。
その結果どうです? 空にはぽっかりと大きな穴が開き、有害な紫外線が降り注いできている。大地は悲鳴を上げ、精霊や物の怪たちも慌てふためき、右往左往するばかりです。人間は物の怪たちを追っ払ったかもしれないが、代わりにもっと大きな化け物を生み出しました。
穴が開いたのは、空にばかりではありません。人間社会にも大きな深淵がぽっかりと口を開けて、人間を飲み込もうとしています。そこには物の怪どころではない、もっと恐ろしい魔物が潜んでいるのではありませんか?
万物には霊が宿っています。木にも草にも大地にも。
ただの石ころにも人形にも――。
この世の生きとし生けるもの全てに、謙虚に耳を傾けるのです。
あなたに地球を救えとまでは言いませんが、少なくとも今のあなたの問題を解決する方法がきっと見つかるはずです。
また稲光がして、空がゴロゴロと鳴った。
コイブミの声はそれっきり止んだ。
そうか、コイブミの奴、もう霊界に戻っていたんだなとおれは初めて気づいた。




