廿参 欽之助、混乱する
すっかり困惑して、あたりを見回した。
稲のだいぶ育った田んぼが、夕闇に沈んでいる。
不意にカエルが鳴いた。
あのカエルは、嫁さんが欲しくて鳴いているんでしょかなあ。それとも、もうしもし、雨が降るぞよ、今すぐに。支度はいいか、万全かと鳴いているのか……。
いや、僕にはわからない。分かったとしても、そんなことが何の役に……。
すると、幽便配達夫はそれまで立っていた玄関脇から、開け放しの縁側のほうにおもむろに歩き出した。踏み石にひょいと飛び乗ると、勝手に縁側に腰かけた。
「ふんふん」と聞き耳を立てるようにしている。
「もうしもし、雨が降るぞよ、今すぐに。支度はいいか万全か――。
ああ、やっぱりそう鳴いていますなあ。これは一雨来ますよ、きっと」
カエルの鳴いた方角を見ながら、今度は声に出して言う。
おれも誘われるように田んぼのほうを振り返った。
低い山々が田んぼを取り囲むように黒く横たわっていて、もう古寺の甍も赤い鳥居も見えない。近所の民家の明かりがぽつんぽつんとともっているだけで、あたりはすっかり暗闇に包まれていた。
カエルがもう一声鳴く。
「雨戸だ。雨戸。雨戸。雨戸を早めに閉めることですな。
こんな日は、ほら、あの雨戸荒らし。雨戸荒らしね。さすがの雨戸荒らしも悪戯をすることはありますまい。妖怪。妖怪ね。妖怪なんて、しょせんその程度ですよ。本当に悪さをするのは人間です。いや怖いですなあ、人間は。実に怖い。あなたどう思います? どう思いますか?」
最初の口調に戻りかけている。
コイブミはそのことに自分でも気づいたのか、いきなり自身の頬をひっぱたいた。それから自分を落ち着かせるように長い顎鬚をもみしだいている。
それからまたこちらを振り向いた。
あなたは先程、そんなことが何の役に立つのかと、疑問を抱かれましたが、少なくとも当座の苦境から抜け出すことはできますよ。ほら、あなたの仰る乱れ髪さん、彼女の気持ちが分かれば、何か手立ても講じられるというものじゃありませんか?
しかし問題は、あなたのその能力が役に立つとか絶たないとか、そういう話ではありません。これがあなたの宿命なのです。あなたはそれにしっかりと向き合って生きていくほかありません。
「もういい加減にしてくれ」
おれは思わず彼を怒鳴りつけていた。
「何が宿命だ。急にそんなことを言われても、頭が混乱するばかりで、僕にはどうしたらいいのか……」