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弐百弐拾壱 欽之助、お説教をくらう

 おれがそんなことをぐだぐだと考えていたら、清さんが言った。


「あなたは短気なくせに、そうやっていつまでもうじうじと煮え切らないところがありますね。

 それにご気性が奇麗で真っすぐなところはいいですけれども、それが逆に偏屈と取られてしまって、いたずらに人と衝突してしまうところもおありなさいます。女から見たら、本当に厄介なお人ですよ。坊ちゃんは」


 む、むむむ……。

 何と言い返そうと考えていたら、清さんはため息をついた。


「そう、そこですよ。女にやりこめられたら、黙って言われっぱなしになっていればいいものを、すぐにそうやってむきになって言い返そうとする。大人げないことと言ったら。

 それに何ですか。自分が小説を書けないのを、あの方のせいになさいましたね。もっともらしく、乱れ髪なんてあだ名までつけて。単にご自分がなまけものだっていうことを覆い隠したかっただけじゃないですか。

 自分で自分のことを認めたくないんです。坊ちゃんは卑怯ですよ」


 む、むむむ……。

 今生の別れになるかもしれないのに、何て言い草だろう。


 すると清さんは、さらにまた深いため息をついた。

「この世にもう心残りはありませんが、ただ一つあなたのことが心配でたまりません。しかし、それももう私の役目ではないようですね。最後に坊ちゃんのためにあえて申し上げます」


 そう言うと、真っ直ぐにおれを見つめる。


「愛している。そんな簡単なひとことを言えなくてどうしますか。おはよう、こんにちは、ありがとう――。それと同じぐらい大事な言葉ですよ。

 それがなかなかできないとおっしゃるなら、まずはボディランゲージから始めたらいかがですか?」


 ボディランゲージ……? まさか流行の先端を行くようなこの言葉を、清さんの口から聞くとは。

 おれがまた呆気にとられていると、彼女は言った。


「だから申し上げたじゃありませんか。老化防止のために、本や新聞で世上のことはちゃんと勉強しておりますからって」


「はあ……。で、そのボディランゲージというのは――」



「そう、そこでございますよ」


「はあ……」

 おれはまた、阿呆みたいに繰り返す。


「いいですか、坊ちゃん」

 清さんは俺の手をぐいと握りしめた。

「手をつなごうと言われれば、黙ってつないであげればいいのです。いちゃいちゃしようよと言われれば、つべこべ言わずにそのとおりにしてあげればいいのです。

 それを何ですか。人目があるだの何だの言い訳ばかり。そういう態度を一番みっともないと言うのですよ」


「い、いや、違うんだ清さん――」


「いいえ、違いません」

 ぴしゃりとやられる。

「ねえ、抱いて――。そう言われたら、黙って抱き締めてやるものです。

 愛している――。そんな簡単なひとことが言えないなら、せめてそれぐらいのことをして、自分の気持ちを素直に伝えたらどうですか?」


 おれは愕然として、その場に立ち尽くした。


 ねえ、抱いて――。

 すべてはその言葉から始まった。そしてその始まりは、乱れ髪ではなかったのだ。


 手をつなぐ? 簡単なことだ。

 人前でいちゃいちゃする? 本当に彼女がそう望むなら、死んだつもりでそうしてあげてもいい。


 彼女を抱き締める? 骨が折れるほど力一杯、そうしたかった。



 ではなぜそうしなかったのかだって?

 決して人目や世間体を憚ってなどではない。


 彼女の父親が怖かった?

 決してそんなことはない。


 清さんの言うとおり、おれは偏屈もんだ。九州男児だ。げってんだ。政治家だの、権力者だの大っ嫌いだ。誰がそんなものを怖がるか。


 おれはただ負けただけなのだ。中野十一との戦いに。いや違う。戦わずして負けたのだ。


「清さん、僕は――」

 そう言いかけたら、すでに彼女はこちらに背を向けてすたすたと歩いていた。


 最後に門の所でこちらを振り向くと、言った。

「それでは坊ちゃん、これで本当にお別れです。ごきげんよう」


 そう言い残すと、すっと消えてしまった。

 こうなると、女というものはじつにあっさりとしたものである。

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