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弐百六 安太郎さんの手記(31)

 川辺の発行した新聞は、粗末な紙1枚だけを両面刷りにしたものだった。表側に先の記事が印刷されており、裏面には真珠湾攻撃以降の戦況が時系列で具体的に記されている。


 その上で、現下における日本の軍事力は、兵員や兵器の数或いは石油の備蓄量等、何れの点から見ても、既にもう絶望的な状況に陥っていることを端的に伝えている。


 潰れた新聞社で同様なことをやったのは、他に3紙。しかしながら、何れも用紙の配給が厳しく制限をされていく中で、密かに蓄えていた僅かな用紙を使用したものであり、記事のボリュームのみならず、発行部数も著しく限られることになった。


 統合されていたのは新聞社だけではなく、共同販売制度により販売網も一元化されていた。道府県単位に一つの販売組合が置かれ、更にこの下に市町村を単位として一つの販売所のみが認められているだけであった。


 このような体制下にあって、無許可で発行した新聞を配達してもらい、多くの人に目を通してもらうようなことは、もともと不可能だったのである。


 食料を初めとする人々の生活必需品さえも配給制となっており、何もかも統制、統制の世の中である。


 貴金属はおろか、家庭生活で欠かせない鍋や釜なども強制的に回収されるのだから、私有財産制度が否定されているも同然である。最早(もはや)、共産主義国家とどう違うというのだろうか。


 或いは、この国は軍部独裁国家なのであろうか。そこまでは言えなくても、この国にあっては、軍部の暴走を政府が抑えることもできないばかりか、ひたすら戦争に邁進するために経済を統制しているということだけは最低限言えるであろう。


 官憲によって国民が常に監視され、かつ自由が抑圧されたこの国の体制は必ず変えなければならない。そのために私も、仲間たちも立ち上がった筈なのだが……。


 私たちの企ては、ほぼ失敗に終わってしまった。原因は二つ。


 一つは、先に挙げた事情により発行部数が限られている上に、それを人々に届ける手段に事欠いたことである。


 販売店に頼れない以上、自分で配るしかない。従って、駅や街頭で配ったり、ビルの屋上からばらまいたりして、さっと逃げるゲリラ的戦術を取ったのであるが、当然部数は限られる。


 仲間の親族であった一人の兵士が事前にこれを聞きつけ、B29に体当たりする前に空からばらまいてやると、ひとかたまり持って行ったそうだが、その後の消息は分かっていないという。


 失敗した原因のもう一つは、全くの偶然なのであるが、決行日の7月28日の朝刊に、ポツダム宣言の記事が掲載されたことである。新聞各紙はこれに激しく反発し、逆に国民に対して戦争の完遂を強く働きかける始末であった。


 かかる大きな事件に関わる記事にかき消され、私たちの小さな声が一般の人々に届く筈もなかった。


 実は54紙の中にも一人協力者が居た。記事は当然デスクで校閲等を受けるのだが、印刷直前に記事を差し替えようとし、露見してしまう。


 仲間の一人である「寫眞週報」の編集者もこれと同じことをしようとしたのであるが、ある将校に見つかり、即座に軍刀で斬り捨てられてしまった。


 雑誌「未来へ」も「中央公論」もかねてからの打ち合わせどおり決行したが、同様に直ちに当局の知るところとなり、発行停止処分となる。


 「寫眞週報」の編集者以外は(ことごと)く皆、特高や憲兵隊に引っ張って行かれたが、その後どうなったかは今の時点では分からない。


 計画段階で私たちがしっかり話し合ったことがある。それは、記事の論調を、あくまでも国体護持のために戦争を終結に導こうという主張で統一しよう、その一点だけは強調して書こうということであった。


 多くの国民と同じように嘘偽りのない気持ちからでもあったが、ある意味、軍部への媚びであったかもしれない。私たちは生き残りたいと等しく思っていたのである。


 とにかく生き残って、敗戦後の日本を立ち直らせたい。そのために微力を尽くしたいと心から願っていたのであるが、私にはもう、その機会はないようである。


 川辺が「朝陽新聞」に私の記事を載せたことで、その日のうちに私は釈放され、別の病院に収容された。それから3日間治療を受けたが、私の強い希望により7月31日に自宅に帰されたのであった。


 身体は著しく衰弱し、ヤットコで引き抜かれそうになった舌もますますひどく化膿し、腫れ上がっていたが、私はそれを押して両親にこれまでの不幸を詫びた。


 父と母は涙ながらに、もういい、もういいよと言って私を抱きしめ、許してくれたのだった。それ以来、私は一言もしゃべることができなくなった。


 今、私は二階の自分の部屋でこれをしたためている。円山と井脇が唯一残してくれた右手で……。長年愛用してきた万年筆を持って……。


 時々意識が飛んでしまいそうになる。私の時間は、もうそんなには残されていない。両親もそれを分かっていて、私の好きにさせてくれている。


 私は今、ようやくのことでこの手記を書いている。

 ところで、私はまだ正常な意識を保っているのだろうか……。


 戦争のことはもう、うんざりだ。

 最後に一つ、奈美さんのことを書き残さねば……。

この作品はフィクションであり、実際にあった事件や、実在する人物・団体等とは一切関係がありません。

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