百六拾七 ガマの油と万金丹
英ちゃんの肩を借りて、ダイニングキッチンに移動した。そのままへたり込むように、ダイニングテーブルに突っ伏した。
このままじっとして動きたくなかった。意を決して上着を脱ごうとするが、痛くてどうしてもうまくできない。
「はい、万歳して」
京子からまた言われる。赤ちゃんじゃあるまいし。しかし、もう自分の力では、両手を上げることさえ不可能だ。
「もう……」
見るに見かねたのか、京子から無理やりに脱がされてしまった。もっと優しく、丁寧にできないものだろうか。不器用なんだから仕方がない。
美登里さんが優しく丁寧に巻いてくれた包帯も乱暴に解き、ガーゼもべりッと引き剥がした。
「ひどい……」
と言ったまま、息を呑んでいる様子。
「さっきより赤く腫れあがっている。私のせいなんだ。こんなことになってしまって、ごめんなさい」
「本当にこんなものを塗って大丈夫なんですか? おれはやっぱり速攻で病院に行くべきだと思うんですが」
英ちゃんが心配そうに言う。
「大丈夫ですよ。――さあ、京子さん、お願いします」
「はい」
京子の細い、冷たい指先が背中に触れるのを感じた。今度は乱暴ではなかった。最初はおずおずと、やがては大胆に。そして、患部にだけは慎重に、的確に。
「あっ」
彼女が小さな悲鳴を上げた。
英ちゃんも驚いたように言う。
「何なんですか、これは……。見る見るうちに腫れが引いていく」
「でしょう? これには止血剤や痛み止めの効能があって、切り傷や腫れもの一切に効くんです。関ケ原の戦いでは、大勢の人がこれで助かったんですからね」
と清さんが自慢する。
「すごい……」
と、京子が感嘆している。まさか自分の婚約者がこれで助かったとは、夢にも思うまい。
さっきまでの痛みが、嘘のように薄らいでいる。
バスガール、有難う。少しだけ疑ってごめん。
おれは自分で立ち上がると、学生時代から使っている水屋の引き出しを開けた。白い五角形の薬包紙を取り出す。
これもバスガールがくれたものだ。ウコンとゲンノショウコと朝鮮人参と、それに万金丹をすりつぶしたものを、自分で調合したと言っていた。
効能のほとんどが、呑みすぎや二日酔いに対してだが、おれの目的は別のものにあった。バスガールはおれに悪ふざけを仕掛けるために、睡眠薬までこっそり混入させていたのである。今はとにかくぐっすり眠りたい。
「それは何?」
京子が後ろから覗き込んでくる。
「ん? かすかに香水の匂いが……」
「それも私が調合したものですよ」
清さんから、また助けられる。
「本人の好きなようにさせてあげてください。それで痛みも和らぎますし、若干の抗炎症作用もありますから」
京子は好奇心旺盛で何にでも興味を示すのはいいが、人のことまで余り探求しないでほしいものだ。
おまけに出しゃばりな所があって、何にでも首を突っ込んでくる。過去にそのために失敗したことだって、多々あったのだから。
「君、今日は災難だったね。今まで付き合ってくれて有難う。もう大丈夫だから、君はもう帰るといい。――英ちゃん、悪いけど彼女を駅まで送ってくれないか?」
最後に彼女をしっかり見つめながらそう言った。これが見納めだとばかりに。




