拾五 欽之助、化け物に叱られる
以上のようなわけで、おれはほとほとくたびれ果てていた。疲労困憊の極みとは、このことである。
ある夜おれは、ダイニングキッチンで貧しい食事を摂ったあと、テーブルでそのままうとうとしていた。
すると、すぐ近所でガラガラという大きな音がする。
やれやれ、今度は雨戸荒らしがお出ましか――。夢うつつにそう思った。
これも子供の頃に爺ちゃんから聞いていて、お馴染みのやつである。
勝手に人の家の雨戸を開けたり閉めたりの悪戯をやらかす。
ここの家でやっていたかと思ったら、あちらの家でやったりと、近隣四方で繰り返す。ひとしきりそれをやったら、やがて満足したようにいなくなる。
しかし、今夜はガラガラがいつまでも終わらない。そのうちおれは、すっかり目を覚ましてしまった。
改めて耳をそばだてててみると、音はすぐ間近である。しかもおれの家のようである。
しばらく待ってみたが、いつまでもやめそうになかったので、行って叱りつけてやろうかと思った。
そこで、はっと気づいた。
慌てて浴室に飛び込むと、地獄の窯の蓋が開いたように、お湯がガラガラと煮えたぎっている。部屋の中はすっかり蒸気が真っ白になっていた。
おれは風呂を沸かしかけたまま、日頃の疲れのせいもあってうたた寝をしていたのだった。
雨戸荒らしはこんなこともあるから、気を付けなければいけない。
これも爺ちゃんが言っていたことだった。
ところが、事件はこれにとどまらなかった。
「もお、何やってんのよ。熱くて入れないじゃない」という声が、すぐ耳元でした。
驚いて振り返ったが、誰もいない。
すると、また声がする。
「それに白いバスローブはどうしたの? ずっと待っていたのに」
声の主は、洗面室の鏡の中にいた。
ショートカットで、目鼻立ちのはっきりとした女だ。
おれが使うために用意しておいたバスタオルを、勝手に身体に巻き付けている。
「お前――」と言いかけたら、
「お前呼ばわりはしないで」とぴしゃりとやられてしまった。
おれはすっかり呆れて言った。
「お前、手紙の印象とは全然違うな」
「だ・か・らあ、お前って呼ばないでって言ってるじゃない。あんた、耳あるの? 耳」
そう言いながら自分の耳を指さした拍子に、バスタオルが胸元の所からほどけかかる。
我知らず、そこに目が釘付けになったら、すかさずまた叱られた。
「見ないでよ、エッチ。このド変態。ドスケベ欽之助」
鏡の中でバスタオルを直しながら、きっとこちらを睨んでいる。
人の家の浴室やバスタオルを勝手に使っておいて、余りの言い様である。




