百五拾四 京子の意外な能力
「へえー。中は意外と綺麗なんだ」
彼女が玄関でそう言うのを尻目に、おれは奥の六畳間に素っ飛んでいった。
階段の下で、影法師が待ちわびている。恐らく百年杉の落雷の件を知っているのであろう。
「さあ、安太郎さん。早く――」
おれは彼よりも先に階段を上がりながら、急かすようにして言った。
ところが、肝心の影法師がついてこない。
どうしたんだろうと思って下を見ると、京子と真正面から向き合っている。
おれは驚きの余り、つい口走ってしまった。
「おい、京子。ひょっとしたらお前、安太郎さんが見えるのか?」
言った後で、しまったと思ったが、もう間に合う筈もない。
ところが、彼女はおれをやり込めるどころか、おれの言葉が全く耳にも入らない様子。
影法師も同様である。彼女のほうを一心に見つめたまま、びくともしない。おれ以外に自分のことが見える人間に出逢って、驚いているのかもしれない。だが、そんなことに構ってはいられない。
「安太郎さん、時間がないんだ」
もう一度急かすと、はっとしたように自分も階段を上がってくる。直ぐにおれを追い抜き、上り口の蓋をすっと通り抜けていった。
「すごい……」
京子が下から見上げながら、言う。
「すごいって、君、怖くないのか?」
「全然。だって、怨みや悪意みたいなものが、全然感じられないんだもの。ねえ、彼はどういう……?」
「詳しい話は後だ。君はそこで待っていてくれ」
「私も行く」
おれは、わらわんわらわにかけられた恐ろしい呪いのことを考え、首を横に強く振った。
「駄目だ! 何が起こるか全く見当もつかないから」
「いや! 私も二階を見ておく必要があるの」
彼女はいったん言い出したら、決して聞かない。丸で、頑是ない子供のようになるのだ。
おれは諦めて、上へ向かった。彼女も勝手にトントンとついてくる。
木の蓋を押し上げ、二階に上がる。京子も続いて入ってきた。家の中を見回しながら、「へえー」とまた感心している。
閉所恐怖症のおれは、あれ以来、雨戸を開けっ放しにしていたのである。
「うわあっ、すごい本ばかり並んでる」
上りついた直ぐ先の洋間で、京子がまた感嘆の声を上げる。
おれは彼女のことは放っといて、階段の上り口にある手摺りを回り、直ぐに物置のほうに足を向けた。影法師が、トランクの傍で既に待っている。
「おい、欽之助」
おれを見るや、万年筆の付喪神が、早速食ってかかってきた。
「一体いつまで、僕をこのままにしておくんだ。早く僕の血液でもあり、命の源でもある青いインクを注入してくれ。やる、やる言いながら、いつまでもやらないのは、怠け者の特徴だからな」
すると、その声を聞きつけたのか、京子がやってきた。
「まあ、可愛い!」
そう言って、付喪神をつまみ上げる。
「一体、どうしたって言うの? おチビちゃん」
「エヘン、エヘン」
万年筆のほうは、その真っ黒な顔を真っ赤にしながら咳払いをする。
「こいつが、僕のことを使う、使うと言いながら、いつまでたっても、使ってくれようとしないんだ」
「あなたの言うとおりだわ。この人は、本当に愚図で怠け者なんだから。じゃあ、私が使ってあげようか?」
「本当かい?」
万年筆はそう言って、目を輝かした。




