百四拾参 怒りの連鎖
「誰が呆けちまったって?」
突然、大声が響いた。
「あっ」
「登世さん――」
「どうしてここに?」
皆が口々に言う。
登世さんだって?
おれは急いで、交差した梁と柱の隙間から覗いてみた。
一人の老女が、杖を突いてそこに立っている。紫色のチョッキに、焦げ茶色のもんぺという出で立ち。
こんな小柄な人が、よくもまあ、あんな地の底から響くような声を発することができるものだ。
「寅が酒ばかり呑んでるから、何だって?」
眼光鋭く、皆に詰問する。
「いや、それは……」
「それにこうも言ったな。こんなボロボロの神社に金をかけるなんて、無駄なこったって」
「いや、そこまでひどい言い方は……したかな?」
「した、した」
登世さんは、なかなか追及の手を緩めない。
「ひょっとしたら私の聞き間違いかもしれないが、氏神様を替えるだって?」
皆は口を噤んで、お互いに顔を見合わせている。
「言ったのか? オウマイガッ!」
登世さんはそう言うと、頭を抱えて天を仰いだ。その拍子に、手にしていた杖がばさりと落ちる。
一人が慌てて、彼女の身体を支えた。
「この罰当たりどもめ。向こうの人間たちが何と言ったか知らないが、お前たちのような根性の腐った人間どもを、あちらの氏神様が受け入れるものか」
登世さんは、手水舎の石に両手をつき、荒い息を吐いている。
皆はしゅんとしていたが、一人が頑張って反駁を試みた。
「でも登世さん、そんなこと言ったって、現実問題として、ここを維持していくのは、もう無理なんじゃないですか?」
それに勇気を得たのか、ほかの者も応援に回る。
「そうですよ。住民も高齢化して、人口も減っていくばかりだし」
「俺もそう思います。そもそも、伊勢木家の人間だけの働きで、このお宮を維持してきたわけじゃない。俺たち氏子から徴収する会費があったればこそじゃないですか。破産する前に、やめにしませんか?」
「何ということを……。これまでただ同然に、社務所を公民館代わりに貸してきた恩を忘れたのか。それに、ここにお祀りしている大国主命様まで見捨てると言うのか? 千年の間、我々の先祖とこの地をお守りしてくれたと言うに」
皆が再び黙り込んだのを見るや、登世さんは、
「ええい、くやしや!」
と言って、涙をぽろぽろと流した。
「ああ、こんな目に遭うぐらいなら、この年になるまで長生きなんてするんじゃなかった」
首にかけていたタオルで涙を拭うと、頭上を見上げる。
「見よ。百年杉が、拝殿の屋根を一刀両断するかのように倒れている。お前たちを断罪しているんだ。これだけでは終わらない。わらわんわらわの呪いが、この地を覆い尽くすであろう。私はもう知らない」
「だから、向こうの氏神様にお縋りするんですよ」
「馬鹿者! 大国主命が、実は恐ろしい祟り神でもあることを忘れたのか? わらわんわらわが、命のお怒りまで呼び覚ますんじゃ。私はもう、本当に知らないからな」
叱られたほうは、黙って項垂れるしかなかった。
「ややっ――」
登世さんが突如声を上げる。
「そこの履物はなんじゃ?」
「履物?」
「ほれ、そこじゃ。拝殿の入口」
おれは後悔した。今までの成り行きを見守っていることに気を取られ、つい
皆の前に姿を現すタイミングを失してしまっていたのだった。
どうしようかと迷いながら、京子と目を見交わした。




