二段構えの修飾節とは
ラブクラフト先生の著書を拝読していて読みにくいと思う。
素直な感想だ。
勿論原文ではない。
翻訳のものだ。
一文がとにかく長い。
難読の漢字が頻出し、表現も独特だ。
こんなに読みにくい小説も珍しい。
だがそれが良い。
渾身の力を振り絞り、仕様書を書き上げ、レビューに回し、コメント欄に「読みにくいです」の一文があると脱力する。
なにか今までのエンジニア人生を否定されたような気分になる。
読みにくいということは伝わりにくいということだ。
書いてあることを読解するのに時間と労力が要るということだ。
ラブクラフト先生の著書のように読解することそのものが楽しいものもあるだろう。
哲学書のようにそもそも難解な概念を説明しているものもあるだろう
しかしソフトウェアの仕様書はそんなジャンルのものではない。
そして大抵の小説もそうではないだろう。
文章の読みやすさとはなにかの問いは文章を書くものにとり重要だ。
ソフトウェアの仕様書ならば適切な図を添えるとグッと読みやすくなる。
図に記号を振り、本文では図の記号と対応させて説明を行うわけだ。
問題は図の作成に時間がかかるので常にそこまで丁寧な仕事ができないことだ。
大抵はペラ一枚を殴り書き、電話で説明する。
伝わるのならばそれでも良い。
これはこれでちゃんとした仕事のやりかただ。
ただ投稿小説にはこれらの手法は使えない。
私は「小説になろう」の作品群を拝読させて頂くにあたり、誤字脱字があったところで読むのを止めたりしない。
読むのを止めるのは内容が私の嗜好に合わなかった場合だ。
もしくは、より私の嗜好に合う他の作品を見つけてしまった場合だ。
少々の誤字脱字は私の脳内の補完機能により適切に補完・補正される。
私のこの投稿を読み直してみるとやはりそれなりに誤字脱字が見受けられる。
私の誤字脱字は諸先生方の優秀な補完機能により適切に補完・補正されえるレベルであろうか?
私の小説をTomarigiにかけてよく指摘される項目がいくつかある。
「長文のチェック」、「読点の位置チェック」などだ。
長文は短文よりも理解するのが難しい。
ラブクラフト先生の小説が読みにくいと感じる最大の理由がこれだ。
読点はいつでもどこでも打って良いものではないらしい。
係り受けの関係にある文節間には読点を打ってはいけないものらしい。
動詞連用形の文節の後には読点を打つ必要があるらしい。
ただただ、へえ、そうなんだ、と感心する。
私は校正ツールとしてTomarigiを(参考として)使っているのでTomarigiの指摘を最小にする方向にスタイルを変えている。
ツールに合わせてスタイルを変えているわけだ。
まだまだ「読点のチェック」の指摘を受けることは多いが、この文章は指摘されるのだろうな、というところは分かるようになってきた。
Tomarigiが吐き出す指摘の中に「二段構えの修飾節が存在する長文です」という難解なものがある。
Tomarigiには文節の係り受けを評価する機能がある。
Tomarigiの右ペインにある各指摘カードの左側に三つのボタンがある。
その中の真中のボタンを押せば、係り受けの図を見ることができる。
係り受けの図を見せられると確かに意図したとおりか自分でも悩む。
自分でも悩むのだから、他者が見たらもっと悩むのだろうということは想像に難くない。
結局この指摘を受けてしまうのは悪文だからなのだろう。
ラブクラフト先生の「狂気山脈」の第一節をTomariginiにかけてみる。
長文の指摘だらけになるのは予想通りだが、「二段構えの修飾節が存在する長文です」という指摘は現れなかった。
一文は長いことは長いが悪文というわけではないのだ。
長文を書いてはいるが、それなりの芸があるわけである。
はるか前の文節が文の後に集中して係ってくるような長文は読解が難しい。
そして読解した結果が作者の意図と同じかどうかは誰にも分らない。
逆に長くても整理された文は作者のリズムを掴めば逆に気持ちよく読める。
読んでいて気持ちよくなってくる。
ラブクラフト先生の文は(翻訳者の先生の文なのかもしれないが)確かに文芸である。
だから多くの読者と多くのフォロワーを獲得しているのだろう。
簡単に見習えるものでもないが。




