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ツールの話をしよう  作者: 九曜双葉
差分抽出ツール
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WinMergeに合ったスタイルについて

 文化の発達はその文化体系の発達の方向性を決める。

 文化は本来どの方向にも等しく発達の余地がある。

 しかし一つの文化様態が選択されることによりある方向への発達は加速していき、他方の方向への進化は捨てられる。


 例えば農耕文化が発達すれば、狩猟文化は相対的に捨てられる。

 農耕文化と狩猟文化はその両方を選択するのは難しい。

 どちらかを選べば他方は捨てるのが自然だ。

 農耕文化と狩猟文化に関してはその土地でどちらが有利かという選択もあるのだろう。

 しかし右利きに有利な道具が支配的になることで右利きが増え、結果的に左利きが減るような事象も発生する。

 いわゆる対称性の破れというやつだ。

 文字の記述からハサミ、フライ返し、ドアノブまで右利きに有利なようにできている。


 結果幼いころから右手を使う機会が多くなり、本来両利きであった幼児でも右利きになるのだろうと推測する。

 更には右利きであることが有利になるがゆえに親により右利きに矯正される場合も多かろう。


 WEBのように横に構成されている文章は改行が多いほうが良いらしい。

 私は概ね同意であり、そのルールで執筆を続けている。

 しかしその理由はその実WimMergeを用いるにおいて改行が多いほうが有利であるからであったりする。


 前回借用させて頂いた青空文庫の夏目漱石先生の名著「吾輩は猫である」は紙媒体向けに書かれたもの。

 多くの方は既読であろうと思うが、ご存知の通り段落は長く改行は少ない。

 横四十文字で折り返して表示させると文字がギッシリ詰まって見える。

 縦書きの場合あまり気にならない。

 しかし横書きにすると視線が滑っていき、確かに見辛みづらい。


 私が紙媒体で縦書きの小説を読むとき、複数行をまとめて読む。

 日本語の縦書きの文章はそれができる。

 しかしWEBベースの横書きの文章では少なくとも私にはそんなことできない。

 私はやはり小説を読むのならば紙媒体で読みたいと思う理由の一つである。


 紙媒体で縦書きの小説を読むのならば、あまり空行を作らず、改行もしないスタイルが一番あっているのだろうと思う。

 同じ内容ならば早く読めるし途切れることがなく物語に没入できる。


 日本語は本来縦に書くものだ。

 太平洋戦争前、日本語を横書きにする際右から左に記載することもあったという。

 日本語は行を右から左に埋めていくわけだから、横書きにする表題やキャッチフレーズなども右から左に記述したほうが合理的ではある。


 日本語を横書きにする際、左から右に書くようになったのは欧米語の影響であろう。

 そしてまさにWEB文化は一部の例外を除いて左から右に記述する方法が主体となった。


 多くのツール類も横書きで書かれることを前提に設計されている。


 前回のWinMergeの例の図では左側の変更箇所を表すマップが黄色で占められていた。

 何故かというと「吾輩は猫である」の小説はテキストデータとしての一行が長く、その中に「猫」が含まれる確率が高いからである。

 一行の中に複数の句が含まれ、その中に一つでも「猫」の文字があれば、その行は変化のある行となってしまう。


挿絵(By みてみん)


 さて今回実験的に「吾輩は猫である」の小説テキストデータを句点で改行するように「Grep置換」した。


挿絵(By みてみん)


 このテキストデータに対し、「猫」から「犬」への「Grep置換」を行い、WinMergeで結果を比較してみる。


挿絵(By みてみん)


 左側の変更箇所を表すマップに着目して頂きたい。

 変更を表す箇所がピンポイントになっているのがご理解いただけると思う。


 書籍ベースでの一行は文字通り一行である。

 縦書きならば一番下、横書きならば一番右の折り返しまでを言う。

 しかし電子ファイルの一行は改行コードまでが一行である。

 表示装置の都合による途中での右側の折り返しは一行として扱われない。


 重要なのは便利な差分抽出ツールであるWinMergeは改行コードをベースに一行を取り扱うことである。

 差分を抽出するのにWinMerge(もしくは類似のツール)を用いるのならば一行は短いほうが効果的だ。


 私は一文ごとに改行するスタイルは合理的であると思う。

 横書きで読む場合においても読みやすい。

 そして校正する際においても都合が良い。

 読者と執筆者の両方にメリットがある。


 さて、一行ごとに改行すると今まで見えてこなかったものが見えてきだす。

 句ごとの始まり方、末尾の閉じ方等。

 複数の句で段落を作っていた場合と気にする箇所が変わってくる。

 文芸として気にする箇所が変わってくる。


 WEB小説を意図した執筆でそれに適合するツールを選択する。

 その結果、文芸のスタイルが変わることを私は面白いと思う。

 選択する文化によって己の文芸の作法が変わるのだ。


 京極夏彦先生はページを跨ぐ文章を書かないポリシーで執筆しているという。

 これは京極夏彦先生の文芸への、そしてデザイナーとしての拘りであろう。

 ページを開いた際の印象、美しさの探求は見習うべきものが多い。


 ではあるものの、おそらくページの概念のないWEB小説においては、美しさはまた別の拘りにより醸成されるものであろう。


 最後に、「吾輩は猫である」のスタイルに文句があるわけではないことは強調しておく。

 ただ、願わくは「吾輩は猫である」は縦書きで読まれることをお勧めする。

 言うまでもなく、作者の意図は縦書きで読まれる作品であるのだから。

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