2056年への殺害
どこにもなかった身体をどこかに出した瞬間に存在だけの精神が消えてしまった
その場その時間に歴然と残存したものは中身が空虚な誰とも知らぬ死体である
これが徹底的な殺害なのであり事前に誰も死亡宣言を教えてはくれないのである
近いうちに黒い戦争が始まり多くの人々を漫然と呑み込み溶け込み包み込み
崩れ壊れた死体は生皮を剥がれ赫赤しい血管は零れ落ち骨も砕けてしまって
そして知らぬ間に自分の死体が生まれるということは誰もどうにも語れない
狂気じみた幾ばくの亡者の群れが向かう先はおれの家の方なのであって
それは同時に同時間にお前たちの家にも向かっているという意味なのである
予感なく新たに手術を食らう誰かのはらわたはかわいそうなものではなく
奇妙にも誰からもうらやましい代物として崇め奉られる生贄にもなる
見知らぬ人間が犠牲になるということはおれのところには来ないことと
虚しく錯覚してしまう愚かな人々の集まりだからこそ暴動が起こっているのだ
自傷他害を繰り返すけだものの牙に噛まれて潰れるひとつのこころ
食欲をそそらぬ食卓机の上にあるのは身内の死体と花散る魔獣の群れ
寝心地の悪いベッドに自分を押し込むともう時間がないような気持ちになる
ゴーレムに息を吹き込むほどの禍々しい力を持つ呪文は運命神仏には効かぬ
インク壺の黒檀によって描かれた数頁ぽっちの地獄を味わわないためにも
身体の寒さに感情が昂ぶった嬰児らとの戦争に必ず勝利しなければならない
どんなちっぽけな何かすら見つけられない人生に意味も糞もあるのだろうか
そんなことはわかっているのに脳の中の身体がそれを理解することはしない
それ以降満足するような旨い食事にありつけることもなく砕けて昏倒した
昨日見た夢に現れた年老いて死にそうな男は首を傾げて世を憂いていたけれど
よくよく考えてみるとその光景は何十年も昔の懐かしい光景でしかない
優しさを切り裂いて呑み込まれていた邪悪さを引っ張り出したとしても
2056年までに多くの恐怖と多くの絶望そして多くの生物どもは死んでいく
2056年には自分の身体はバラバラに砕け散って何も残らないというのに
淋しくも何ともないそんな所から何のメッセージを読み取ればいいのか
目を充分に瞑ったとしてもそこから何も読み取れないのではないか
そんな死後の世界を想像することもなく命は鬱陶しいほど無くなっていくのだ
見るもの見られるものそのすべてその塵一つすらも崖に蹴落とされて
雨粒に濡らしたそんなちっぽけな抒情を感じ取れる感受性は破損した
脳頭蓋の中の観念論の渦に邪魔されて徹底的な殺害が上手くいかない
不確かな手応えは益々おれを不安に陥れ正常な基準も軸がぶれていく
彷徨い歩き見つけたものは感傷を台無しにするおれが殺した嬰児の死骸ら
喉を潰すほどの碌でもない叫びは嘔吐感にもよく似たひどい排泄物
宙を流れる絶声は誰の耳にも届かず風に吹かれて現実から消滅した
巨大スクリーンに朧げながら映るは誰の目にも明らかな存在しない肉体
誰にも知られない誰かの死体は結局誰の許にも辿り着けず誰かのままで逝く
千億の星々に手を伸ばしてみてもその理性の埒外では彼の首に手をかけている
目の前の死体が何によって生み出され殺されていったかも知らぬということは
たった今のおれの眼の瞬きや一挙手一投足が奴の直接の死因なのやもしれぬ
そうなればおれは2056年までに一体何人もの他人を殺害し葬っていくのだろうか
自分が殺害されないよう自分を殺害する殺害者を事前に殺害しなければならない
脆弱な嬰児よりも脆弱なおれの手はもはやどんな兇器すら握れやしないのに
戦争の欠けたおれに真に他人の身体に触れることは許されるのだろうか
同じ他人の身体に触れることならば人を救うよりも人を殺す方がたやすいのだから