二日酔い
――――月面 キャンプアームストロング バード少尉私室
地球標準時間 3月18日 0230
前日の午前中に月面基地へと帰還したバードは、半ば下ろし立ての新しい身体を受領して首から下を付け替えていた。午後を丸々使ってフィッティングとセッティングに費やしたバードだが、そのニューボディは恐ろしいほどにピーキーで扱いにくい部分があった。
普段の生活ならば何の問題も無いのだろうが、ちょっと素早い動きを試みると自分の予想をはるかに上回る速度で動く事が出来るのだった。自分自身で『これは早く慣れないと戦闘で危ない』と、そんな事を思うバード。だが、どうにもこうにも気が乗らないでいる。
その晩に開催された兵卒の打ち上げで酒を飲み、ウォードルームでの反省会でもついつい飲みすぎたバード。
「おいおいバーディ…… 加減して飲めよ」
「そうよバーディー。ちょっとだらしないわね」
そんな風にロックにもホーリーにも窘められ少し呆れられてしまい、バードはちょっとしょげ込んだ。
「うーん…… ごめん」
反省会と言う名のお疲れさん会を途中で中座し、バードは落ち込んで自室へとトボトボ帰った。やっちゃったと言う後悔ばかりが心の中に渦巻いた。
――――ロックに呆れられちゃった……
同じ事を何百万回と反芻しながら、ぼんやりとベッドの上で天井を見上げたバード。やがて夢と現の境を失っていきイメージと妄想の世界に入り込んでしまった。そんなバードのまぶたの裏側に描き出されるのは、自分へ向かって飛んでくる30ミリ対物ライフルの弾丸だった。自分の胸を貫通していくその感触が、なんともリアルに思い出されるのだ。重要な部分だけに厚めの装甲でカバーされているのだが、それを貫通し、内部器機を一つずつ破壊しながら弾丸が自分の身体を進んでいく。
だが、そのイメージの中に出てくる自分は、白い血を撒き散らして苦しむレプリだった。あのレプリの胎児が眠っている球体シリンダの内側にいて、11ミリの弾丸が貫通し身体を痙攣させ苦しみながら死ぬ自分だった。そして、その自分を見下ろす冷たい三白眼が炯々と闇の中に光る。静まり返った部屋の中に聞き覚えのある声が聞こえる。抜き放ったロングソードを握り締め、呆れた眼差しで見下ろす男……
――――チッ…… 使えねぇ女だな…… 勝手に死ねよ
そんな声が耳の中に溢れ、バードは悲鳴にも似た息を吐き出しながら飛び起き、ベッドの上に立ち上がって闇の中に手を伸ばし叫ぶ。
「いかないで!」
その時点で我に返り、そして眠っていた事に気が付いた。視界に浮かぶ時計の表示は深夜2時を回ったところだった。
不自然に息を吐き出し自分の額へ手を添えて首を振る。頭の中に渦巻く悪いイメージを払い出すようにしたバード。その脳裏に、ふと、居心地の良いカウンターが思い浮かんだ。
――――飲みに行こう……
翌日がいつもどおり休暇である事を思い出し、バードは適当に着替えて部屋を出た。誰が来るでもない自室の中は散らかしっぱなしになっていた。ディテイラーが来たなら間違いなく部屋を使用止めにされるほどだが、そんな事は頭から完全に抜け落ちていた。
人間的に、精神的に。その両方で全く余力も余白も無くなっている状態だったのだが、それに関して自分で自分を疑う事も戒める機能も失ってしまったバード。一杯一杯の状態で苦しんでいるのだが、それは誰が助けてやれるものでもないのだから、Bチームのメンバーは黙ってみているしかない。この夜も行きつけになったバーのカウンターでぼんやりと頬杖を付きながら、自分の零す溜息を酒の肴にバカルディを呷る。
思い出したようにマスターが世間話を振ってくれるのだけど、そもそも世間世情に疎い上に、ここしばらくは色々ありすぎて世の中の流れを把握してはいなかったバードだ。はぐらかす様な答えを返しながら5本目のボトルまでは覚えてるけど……という状態で飲み続け、最後にはマスターがグラスへチェイサーを注ぎ自室へ帰る事を促す始末だった。
「バーディー? 辛い事があっても酒に逃げちゃダメだよ。酒は逃げ込む所じゃ無い。酒は楽しく飲むものだからね。今度は仲間とおいでよ」
バードの内心がどれほど辛いのかを見抜いたマスターは、そんな言葉を優しく掛けた。寂しそうに笑って頷いたバードだが、覚束ない足取りで自室へ戻り倒れこむようにベッドへ横たわる。だが、やはり寝付いてすぐに同じ夢を見た。何度も何度も同じ夢の同じシーンで目を覚まし、その都度に深く溜息をついてもう一度まぶたを閉じる。そんな事を延々と繰り返し、時計の表示が午前5時を表示する頃になってやっとバードは眠った。僅か一時間少々の熟睡だった。
翌朝。
バードは酷い頭痛で目を覚ました。ありえない事に、全身がだるかった。
視覚センサーの奥からは疼痛が襲い掛かってくるし、聞こえる音にはキンキンと金属音が入り交じった酷い状態だった。
――――え? なにこれ
最初は事態の把握に努めたのだが、慢性的に襲いかかってくる頭痛が如何ともし難い。全ての思考にヴェールでも掛けられたかのような不明瞭さが入り交じり、論理立てて思考することすら難しい。
だが、バードはそれがなんとなく懐かしいとすら感じていた。あの高度医療センターで闘病していた頃、毎朝こんな状態だったのだ。そして、あの時に比べればいまは遙かにマシな状態だ。
自分の意思で動けるのだから、これを僥倖と言わずして何というのだ……と。バードは痛む頭を抱えながらクスクスと笑って部屋を出た。なにも食べたくないし飲みたくも無い。電源は睡眠中に無意識に充電していたのだから問題ない。
フラフラとした状態で通路を歩くバード。向かったのはキャンプアームストロングに駐在する技術大佐の鷹司が個人で管理するラボだった。これはきっと機能的な問題が発生しているに違いないと、そう思ったのだった。
「失礼します」
「おぉ! バード! いまちょうどお茶を入れた所だよ。良いタイミングだった」
部屋の奥へと誘った鷹司は小上がりになった座敷の上であぐらをかいた。余り良い表情では無いバードを見て僅かに怪訝な表情を浮かべてる。
「どうしたんだい? 君らしくも無い」
「実は朝からおかしいんです。頭の芯が痛くて、しかも全身がだるいんです。音は割れて聞こえるし、視神経は強い光を見るとズキズキ痛むんです。昨日新しい機体を受領したんですが、どこか機能的におかしいんじゃないか?って」
「……はぁ?」
湯飲み茶碗で湯気を上げるお茶を手渡した鷹司は、座布団を用意してバードに座る事を進めた。そして、自らは手垢の分だけ色が変わった茶碗を握り、香り立つ茶の味を楽しんでいる。
「バード。それはね……」
クックックと笑いを噛み殺した鷹司は優しい眼差しでバードを見た。
「いや、その前に原因を探る方が先だな。で、何があったんだい?」
遠慮しない口調で語りかけた鷹司は、構う事無くネイティブな日本語になっていた。24時間連続して英語生活をしているはずなのだが、ごく普通に、息をするように日本を吐き出せる鷹司の頭は恐ろしい程回転が良い。
「え?」
「昨日の反省会で随分と飲んだみたいだけど」
「……お酒臭いですか?」
「いや、そうじゃない。ただね、話を聞く限り」
鷹司の指がバードを指し示した。
その指がまるであの30ミリ弾のように感じて、バードは思わず身をねじった。
「バード。きみ、二日酔いだよ」
「ふつかよい?」
「そう。生身で深酒をやると次の日にそんな状態になる。そして、だいたいが気持ち悪くてフラフラしてだるくて、そして頭が痛い。そんな状態で水を飲みながらウーンって唸って大人しくしてるモンだ」
ゲラゲラと少し下品に笑う鷹司。
「頭が痛いだけじゃなく、吐き気とか寒気とか、色々生身は大変なんだよ。まぁ、二日酔いって言うのは脳がアルコール中毒を起こしているようなものだからね。サイボーグならしばらくすれば自然に回復するよ。心配ない」
わずかに頭を傾げさせ考え込むバード。
鷹司はジッとバードの言葉を待った。
「実は……先の戦闘で」
バードは切々と語り出した。脳移植を行う為の施設で酷い戦闘をしたことや、レプリの工場を襲撃して胎児を次々と射殺したこと。それだけじゃ無く、至近距離から対物狙撃ライフルを受けて動けなくなったことなど。バードの心の奥に溜まっていた腐臭を放つ悪い感情を全部吐き出させようと、鷹司は言葉巧みに会話を誘導した。それ自身にバードが気がついているにも関わらず全く抵抗する事なく話し続け、ふとバードが時計に気を向けたら、部屋にきてから一時間が経過していた。
「そうか…… まぁ、そうだろうなぁ」
一人だけ解ったようにウンウンと鷹司は頷く。
そんな姿を見ながらバードが少しだけ不機嫌になった。
「バード。ちょっと頸椎バスにこれを挿して」
「え? あ…… はい」
渡されたケーブルを接続すると、バードの視界に【ONLINE】の文字が浮かびあがった。自分の身体をアレコレと弄られる事に対し、サイボーグは根源的な部分での恐怖がある。自分の意思ではなく他人の思惑でセッティングを変えられるからだ。
だが、鷹司はそんな事を一切に気に留めず、自前のラップトップコンピューターにケーブルを射し込んで、端末から設定画面を呼び出した。機体制御を掌る部分のセッティングを書き換え始めたのだ。バードの視界にはルートエリア書換中の表示が浮かび上がるのだが。
「心まで書き換えることは出来ないよ。だって君はAIじゃ無いんだからね。ただ、身体の方は幾らでも設定を変更出来るから、ちょっと細工をしておこう。いつもより早く酔っ払う魔法だよ。だいたいまずもって、人の脳というのは酔っ払うとかえって眠れないものなんだよ。幻覚や幻聴を覚えたり、或いは、嫌な記憶とか忘れたい部分を逆に励起してしまう」
次々とバードの視界に文字情報が浮かび上がり、それが下から上にスクロールしていって書き込まれている情報量が膨大なものだと気が付く。鷹司はまるで魔法を詠唱する魔法使いの様にアレコレとブツブツ言いながら、唱えた文章を文字に起こしてバードのサブコンが持つ記憶領域を書き換えていった。
「これで良いだろう」
「あの、何を書き換えたんですか?」
「脳殻部に接続してある生体維持用ラインに繋がる部分のセッティングだよ」
「え? それって?」
不思議そうに首を捻ったバード。
鷹司は笑いながら身振り手振りを交えて説明を始める。
「アルコール分のスクリーニング機能を大幅に落とした。つまり、いままではボトル一本飲んでやっと脳殻部に入り込むアルコールの量をグラス一杯のビールくらいでまかなえるって事だ。簡単に言えば、いままでより大幅に少ない量で酔っ払う上に、摂取総量が少ないモンだから転換リアクターの高圧分解でアルコールを処理する量が大幅に少なく済む」
バードの視界に浮かぶダイアログにセーブしておくか?と言う問いかけが浮かび上がった。鷹司は端末側からそれにOKを出して設定の書換を終了した。
「しばらくは打ち上げのグラス一杯しかないビールで十分酔っ払う事が出来る上に、自室で寝入って暫くしないうちにそのビールに含まれるアルコールの分解が完了する。つまり、酒を飲んで気絶するように寝てしまっても、それはすぐに普通の睡眠と切り替わるって事だ」
説明を終えた鷹司はバードのケーブルを回収し言う。
「まぁ、なんだ。冷たい言いぐさだけどね。その苦しみは自分で乗り越えるしかない。どんなに取り繕っても結局の所は心の持ちようなんだ。そして多分だけど、バードと同じように皆が一度は苦しむ事なんだと思うよ」
事実上突き放されたバード。
だが、鷹司は静かに笑っている。
「人を殺すのが仕事って言うのは因果なものだ。だからね、兵士でも士官でも、軍人というのは命よりもっと大事な物があるって事を理解しなきゃいけない。それが何であるかは、考えた人間の数だけ正解があるモンだけどね。ただ、あんまり冷たいことばかり言っても仕方が無い。思い悩む日々が重すぎるならカウンセリングを受けると良い。結局最後は自分なんだよ。自分の気の持ちようだ。ただね、どういう訳か君も僕も東洋人で日本人だ。だからね……」
鷹司は一冊の本を取り出した。
表紙には仏教系の神仏像が描かれている。
「今度眠れない夜があったら、静かな気持ちでこれを読んでみると良い。そして、意味が解らなかったらINABAの中に超電寺って怪しいお寺があるから、そこへ行って住職に相談すると良い。けど、まぁ……あそこの住職はかなり変わってるから気をつけなよ」
バードは鷹司に背中を押され、まるで追い出されるように部屋を出た。そんな状態で静かに自室へと戻り、ソファーへ腰を下ろしてアレコレ考え始めるのだが、考えたって結論が出る問題では無い。根源的な罪の意識から来る葛藤なのだから、導き出される結論はわかりきっていると言って良い。ただ、それを受け容れるかどうかは個人の、こっち側の問題だとバードは気付いている。
思考の堂々巡りに飽きた頃、バードは余りに散らかっている部屋の中を綺麗に片付け始めた。何もしないとかえって悪い考えばかりが心を埋め尽くすと思ったからだ。もっとシンプルに考えよう。もっと単純化した図式で簡単に判断しよう。そんな事を考えていたバードは、その夜もやはりPTSDから来る悪夢に魘されるのだった……




