罪と罰
――――地球周回軌道 高度450キロ
強襲降下揚陸艦ハンフリー ハンガーデッキ
地球標準時間 3月14日 2355
月面に駐屯している海兵隊の第一遠征師団五千名は、地球降下作戦に向け準備を整えつつあった。先の中国降下作戦と同じ算段で降下する事になって居るので、改めてブリーフィングを行うほどでも無かったのだ。つまり、全ては見越して行われていた事なんだと今更バードも気が付く。それほど大きくない艦内ではあるが、今回はレプリ狩りをする事も無く、士官サロンの中でノンビリと地図を眺める余裕があった。
「寝なくて良いのか?」
中国沿岸部辺りを衛星撮影して作られた精密地図とにらめっこなバード。そんな彼女へホットコーヒーを渡しながらロックは静かに声を掛けた。ニコッと笑ってカップを受け取ったバードは地図を何カ所か指さして無線で呟く。
『この辺りの施設、絶対ヤバイよね』
『なんで?』
『レプリの密造するなら条件揃ってる』
今回の降下で最大の目標は中国人民解放軍の戦闘能力を根本的に殺ぐ事だった。つまり、前回の中国降下作戦と同じように、国連宇宙軍は総力を挙げて中国へなだれ込む事になっている。事前にありとあらゆる手段で綿密な下調べが行われ、シリウス側の人間が居ると『黒』と判定された基地を全て焼き払う作戦だ。
『情け容赦なく基地ごと蒸発させろって言ってたよな』
『うん。エディもアリョーシャも遠慮するなって言ってた』
黙って地図を眺めながらコーヒーをすするバードとロック。
その姿を生身の士官が遠巻きに見ている。
『傍目に見たら黙りこくってるって思われてるね』
『実は仲悪いんじゃ無いかって思われるぜ?』
『……ちょっとイタズラする?』
『なに?』
『喧嘩するフリ』
『……そりゃ悪趣味が過ぎるってモンだぜ』
地図から目を上げたバードは唇のすみを歪ませ、不機嫌そうにロックを見た。そんな表情に眉間へ皺を寄せ困った表情を浮かべるロック。遠巻きに見ている者たちが何事かを囁いた。
『イタズラ成功!』
『……バーディも案外に底意地悪いな』
『あれ、いま何て言った?』
『いや、底意地が悪いって』
『そっちじゃない』
『え?』
『バーディって短くなってた』
『なんか変か?』
バードは薄笑いではなく満面の笑みを浮かべた。桜色のルージュがひかれた唇の、その艶やかな質感にロックの目が釘付けになる。テーブルに広げられた地図を並んで眺めている士官がふたり。押し黙って怪訝な表情を浮かべ続けるロックの姿に、生身の士官たちが距離を取り始めた。Bチームで一番のCQBスペシャリストとブレードランナーが険悪な空気で、しかも双方がご機嫌斜めに見える。とばっちりはゴメンだと言うところだろうか……
『バーディって呼んでくれる? 次から』
『……なんでだ?』
『兄さんが私の事をバーディって呼んでたの』
さらにロックが怪訝な表情を浮かべた。バードはコケティッシュな相を浮かべ上目遣いで見上げている。
「なぁバーディ」
「……なに?」
眉間に皺を寄せ厳しい表情なロックの唇だけが笑った。思わず吹き出しそうになりつつ、バードはジッとロックの眼を見ていた。
「キスして良いか?」
「衆人環視のど真ん中だよ?」
「俺はそれでも良いが」
「後で処分されるんだから止めた方が良いんじゃない?」
「出撃後にモンキーハウスは歓迎しかねるな」
「でしょ?」
眉間の皺が緩んだロック。
バードは柔らかに笑みを浮かべたままだった。
「無茶すんなよ」
「それは私の台詞よ」
「なんで?」
「良いカッコ見せようって無茶するのは男の子の憧れでしょ?」
「……間違ってないが」
――――あぁ そっか……
バードの言いたい事と、そして思っている事のすべてをロックは理解した。
『バーディの兄貴の代わりには……なれねぇかもしれねぇけどさ』
『代わりなんか求めてないよ。違う人格じゃない』
一度下を向いたロックは不意に天井を見上げて何事かを思案した。
そして、再びバードを真正面に見据えたロックは男らしい自信を見せた。
「俺の手が届く範囲にいてくれ。そこにいる限り……」
「いるかぎ……り?」
「俺が安心だ」
「なんで?」
「俺が背中を預けるのはバーディだけだからな」
バードは黙って頷き、ロックも頷いた。そして互いが拳をぶつけ合って信頼を確かめ合う。
遠巻きに見ていた下士官たちが再びヒソヒソと囁きあっている。どうやら折り合い付いたらしいな……と。そんな事を言っていた。
その5時間後。
バードは再びシェルで中国上空飛んでいた。左右を見ればBチームのメンバーが編隊を組んで飛んでいる。無線の中に続々と戦況報告が流れ、統合参謀本部から次の目標指示が出ていた。そもそものオーダーは簡単なモノだった。
『中国人民解放軍の戦闘基地を片っ端から叩き潰せ』
続々と地上軍が侵攻を開始し、中国共産党政府は戦闘開始から3時間後に国連統合運営委員会へ全ての戦闘放棄を提案。国連委員会は即時にこれを拒否し、人民解放軍の即時全面武装解除。および中国共産党政府の代表団を国連委員会へ出席させる事を要求。事実上の最後通牒を行った。
つまり、国連の統合委員会は中国共産党政府に対し、何処かの運営委員会の下部組織に甘んじろという、彼らにしてみれば到底飲む事の出来ない要求を突きつけたのだった。
数は力を信条としている中国にとって、何億の人民が居ようが、国としての票は一票しか無いと言う事がどうしても受け容れられない。また、連邦化して票を増やす事は『数は力』の信念に反するので出来ない。つまり、実質的に中国を封じ込める方向へ舵を切った事を受け容れるしか無いのだが、それを彼らがどう考えるかで大きく話は変わってくるのだった。
――――ピッ!
『UNAFより通達。アフリカ大陸上の国連非加盟国家の無力化を完了した。難民が少々発生しているので、国連関係機関へ対応を引き継ぐ』
――――ピーッ!
『UNSC参謀本部より地上展開中の各軍へ通達。南アメリカエリアの非加盟武装集団支配地を全て灰にした。対地艦砲射撃を完了する』
無線の中に各軍団の指揮本部から広域通達が流れている。降下艇から外へ出たBチームのシェルは高度20キロから徐々に高度を下げつつあった。
「このまま中国も灰にしてくんねぇかなぁ」
ボソッと呟いたペイトンの言葉が妙に寒々しい印象を振りまいた。赤茶色に錆た大地が連なる砂漠地帯の上空。所々に見えるグリーンはオアシスだろうか。
――――この全てを灰にすると どれほどの涙が流れるのだろう?
ふと、そんな事を思ってバードは、改めて一緒に飛ぶ仲間のシェルを見回した。飛行機雲を引いて飛ぶシェルの編隊は両手に地上攻撃用の火器を抱えている。ラムジェット推進中のエンジンがものすごい勢いで燃料を消費している。
『各機現状を維持して聞け』
唐突にテッド隊長の言葉が無線に流れた。
『俺たちはこれからSYUSENを目指す。チーノの宇宙港だ。周辺には彼らが第二砲兵と呼ぶ長距離弾道ミサイルの発射サイロがある。まずはここを叩く』
無線の中に小さな呻き声がいくつも流れた。もちろんバードも鈍い声でうめく。どうも中国と核物質と言うのはセットらしい。しかも、弾道ミサイルの発射サイロを潰す作業となれば偶発的な核連鎖反応の発生を否定できない。毎度のことだが共産党政府の権威史上主義的なやり方はどうにかならないものか……と、愚痴の一つも言いたくなる。
────そう言えば前回ここに来た時には……
バードの意識は不意に最後の墓守作戦を思い出した。ジャクソンの馬鹿話に出て来た優雅でエレガントな仕事を願いたくもなる。
────でも 今更遅いよね
ふと我に帰れば、いつの間にかこの手をずいぶん汚しているのだった。レプリの白い血も、地球人の赤い血も、目に見えないだけで、ずいぶんこの手に着いている筈だ。
────汚れたなぁ
そんな自嘲を飲み込んだとき、テッド隊長の次の言葉が流れた。
『危険なのは全員承知の事だろうからとりあえず注意するのは三点だ。まず、ミサイル本体に当てるな。それから、周辺の液体燃料タンクには有毒物質があるだろうから注意しろ。それと、万が一にも発射してしまった場合は、どんな手段を使ってでも撃ち落とせ。多少環境被害が発生するが、どこかの街がガレキの山になるよりはマシだ』
なかなかどうして難しいことを言ってくれる……
そんなことを思いつつもバードは改めて地上に展開中の中国軍情報を視界へ呼び出した。宇宙センターSYUSENの周辺に待ち構える地上軍はおよそ10個師団。おそらく総人員は十万程度だろうかと推察出来る。
『ボス。地上は全滅するまでやりますか?』
おそらく皆が一番確かめたかった事をジョンソンが聞いた。この辺りの気配り心配りは、やはりジョンソンが頭一つ抜けているとバードも思う。なんだかんだ言ったところで、やはり歴史のある国で揉まれるというのは、こういう部分で注意深くなるのだろう。
『そうは言ってない。抵抗する意思がないと判断すれば……』
『多少は手心加えていいってこってすね』
相変わらずな南部訛りのライアンも確かめた。スカンジナビア出身のクセに南部訛りと言う謎めいた部分を、をバードはいつも確かめたいと思っているのだが……
『アリョーシャの情報では中国軍の奥深くにシリウス関係者が食い込んでいるのは確認済みだ。従って、破れかぶれになって自棄な攻撃体制に入られると面倒だ。エアボーンもレッグもおっかない場所には近づきたく無いだろう。従って俺たちの仕事というわけだ』
この土壇場で攻撃目標を知らされる辺り、宇宙軍も内部に密通者がいるな……
ふと、バードはそんなことを思った。事前のブリーフィングでは具体的な話が一切出なかったのだから、つくづくと信用されてないなと思う。だが、実際の話としてBチームのサポートにつく生身にまでシリウスの手先が入り込んでいる可能性を考えると、こうせざるを得ないのだろう。
情報セキュリティをどう担保するかは永遠に尽きない悩みと言えるのだろうが、最も良い解決策は『教えない』『知らせない』に尽きるのかもしれない。もっとも、実際に出向く側にしてみれば、あんまりそれをやられると事前に情報を得られないので作戦成功率を維持するのが難しくなるのだが。
『さて、じゃぁ仕事だ。まずは周辺の対空陣地を黙らせる。その次は発射管制センターだ。発射サイロの蓋を破壊するのも良い。抜かるなよ』
テッドの指示に全員が応答し、そして隊長機を先頭に急降下を始めるシェル。バードはテールエンドチャーリーを決め込んでガンランチャーの発火電源をもう一度確認した。各機が撃ち漏らした拠点のとどめ役をやる心づもりだった。地上各所から次々と爆炎が上がり、液酸タンクと思しき場所からは大きな火炎が上がった。今時、弾道ミサイルのエンジンが液体式と言うのもどうだろうか?と思うものの、単純に大推力を得ようとするなら個体式より遥かに有利だ。
おまけにここなら宇宙開発拠点として常時幾つかの液体燃料エンジンがある。液体式の欠点とも言える燃料劣化も、ここならば常にフレッシュなものを使えるのだろう。その意味では理にかなったやり方と言えるのだが。
『発射サイロはあら方掃討を完了』
地上を確認していたジャクソンが報告を上げた。あちこちで次々と液体燃料の爆散が続いていて、有毒系燃料も激しく燃えていた。
『消化活動の邪魔はするな。ただ、手動でサイロの蓋を開けそうな時は遠慮せずやれ。各機散開しろ、満遍なく地上を監視るすんだ』
テッド隊長の指示により編隊が解かれバードはさらに高度を下げ、もはや舐める様な高度を飛んでいた。前回は地上へ激突して痛い目にあったのだがら、今回はその失態を防がねばならない。もちろん、バードだって痛いのは勘弁願いたいものだが。
『7番発射サイロ! 手動で蓋を開けつつあります!』
低高度を飛んでいたバードはブルトーザーを使って蓋を強引に引き開けようとしているのを発見した。全員が共有している地上マップに該当するサイロをハイライト表示させると同時に榴弾を使って地上を攻撃する。考える前に身体が動き、なんとなくだがダミーモード一歩前をイメージしてしまった。そんな中、次々と爆発が続き、作業を行っていた兵士が挽肉以下に成り下がった。
『13番サイロ! 蓋が空いたぞ!』
無線の中にビルの声が響いた。続いてサイロの中からやや黄色がかったクリーム色の煙が吹き上がった。間違いなく弾道弾が発射された。バードの背筋にゾクリと悪寒が走る。
『よし! 任せろ!』
やや離れた場所に着陸したジャクソン機は手にしていたロングバレルのガンランチャーを構えた。シェルに乗っても狙撃仕様なのだがら、ジャクソンもつくづくとスナイパーなんだとバードは思う。
眩い光がマズル部から零れ、音速を遥かに超える実体弾頭がミサイルのエンジン部を破壊する。わずかに炎を噴き上げバランスを崩したミサイルは、そのサイロの真上辺りで大爆発した。その爆発に誘導されたのか、周辺の液酸液水関係と思われるパイプラインが次々と引火して大爆発を続けている。そして、ヒドラジン系らしい燃料にまで引火が確認され、激しい炎が吹き上がり、その火柱は見上げるほどだった。
『なんだかシャレになってねぇな』
その手を下したはずのジャクソンまでが呻くほどの惨状だ。次々と誘爆する地上の惨状が上空にいても手に取るように分かる。その、あまりに寒々しい光景にバードの心が震えた。
『対空陣地は完全に無力化した』
スミスがそう報告し、視界の中に広がるバトルフィールドマップには、セーフティゾーンを示すグリーンエリアが広がり始めた。短い間だったが、SYUSENの地上では大気圏外との行き来を行う手段が全て無力化されてしまった。一切情け容赦なく進んだ全ての作業だが、バードは地上を眺めつつも心の中で溜息を零していた。
――――本当に不毛な光景……
業火に焼かれる地上の情景を見ていたバードの視界に何かが写った。意識の外ギリギリにあったそれは視界に浮かぶ仮想モニターだった。地上の部分部分をクローズアップして映すその画面の隅。なにか小さなモノが動いている。
――――え?
はじめてそこで意識を集中したバードは不思議なモノを見つけた。人民解放軍の制服を着た女性兵士が幼子を抱えて地上を走っていた。その後ろには幾つものレプリドーリ―が続いている。それを理解した瞬間、バードの意識が沸騰した。
『あいつら地球上でレプリを密造していた!』
再びバードは急降下を掛けてレプリドーリーの列の真上をフライパスした。猛烈な衝撃波が地上を襲い、未起動のレプリを納めたケースに皺が入った。そして、女性兵士は耳から真っ赤な血を流してうずくまっている。無意識にガンランチャーの砲口を差し向けたバードは榴弾を選択し、遠慮無く射撃を加えた。地上には赤と白の花が開き、いくつかの挽肉が焼け焦げていた。
『しかし、なんでここで密造してるんだ?』
頭を捻ったドリーの言葉が無線に流れる。
そんな声に応えたのはダニーだった。
『案外、火星のタイレルから胚を買ってたのかも知れないな。で、ここで生育して高級将校とか官僚とか政治家が身体を乗り換えるんだろ?』
余りに酷いやり方だが仕方が無い。
中国の人口密集地域では環境破壊の進行が食い止められず、生身で過ごしていけるほど優しい世界では無いらしいのだから。
『いずれにせよ、ありゃバーディーの場合は見逃せないよな』
ジョンソンの声はバードを労うモノだった。こういう部分で気遣ってくれるのを忘れちゃいけない。ふと、バードはそんな事を思ったのだった。
――――ピッ!
『こちらODST102大隊。現在SYUSEN郊外。大規模なレプリ密造工場を発見した。Bチームの支援求む!』
――――え?
息を呑んだバード。
Bチームの無線が静まりかえる。
『こちらBチーム。支援要請了解。直ちに向かう』
テッド隊長の声が流れ、同時に隊長機が身体を捻ってコースを変えた。チーム全機がそれに着いていくように進路を変えた。
バードの脳内に浮かぶあやふやなイメージ。だが、そのイメージに具体的なフォルムを付ける事が憚られる。つまり、『また』あれをやるのかも知れない。密造工場の奥深くに、きっと火星と同じ物があるはずだ。
――――またか……
言葉にならない悲鳴にも似た言葉を漏らしたバード。シェルはあっという間にSYUSENの市街地上空へと到達した。酒泉市の一郭には巨大なロケット工場が存在している。この内部でレプリが密造されていると、地上側から連絡が入る。
バードは覚悟を決めた。また……悪夢を見る事に成る。だけどそれは、自分の背負った義務。
――――ここで逃げたら逃げ続ける事に成る
そう自分に言い聞かせて、そしてバードは着陸態勢に入った。Bチームの面々が着地しているロケット工場の広場には、ODSTの地上サポートチームが待っていてくれたのだった。




