汚れ仕事
その部屋はやや薄暗かった。
暗順応したバードの眼には、中央の通路を挟んで20基ほどの球体シリンダが並ぶ光景が映っていて、その中には挽き肉状の塊から生えている様な姿の胎児がいた。指をくわえ時々身体を動かし、夢見るように眠る姿で漂っている。それは全て、レプリカントの胎児だ。
――――人の子供と変わらない……
バードは言葉を失った。
――――これ 全部…… 殺さなきゃ
バーディーの手が硬く握り締められた。
その姿は人間の胎児と全く見分けが付かない。
間違い無く言えるのは、その胎児をも『処分』しなければならない。
工場の主電源は落とされた筈だがここは独立した電源で動いているらしい。静寂に包まれた部屋の中、レプリの胎児が成長する為の生命維持装置は単調な騒音を発していた。
球体シリンダ下部にある制御パネルには複数の情報が表示されていて、育成開始日時や30桁近い認識番号と、そして、育成されるレプリの形式番号などが読み取れる。
バードは震える手で球体シリンダを触った。何処にも取り出し口が無い密封型のケースだ。どうやって開けるのか全く想像がつかず、バードはその方法をしばらく思案した。
理屈ではなく本能として。バードが本来持っていたはずの母性本能として。せめて最期は人の手で子供を抱いてやりたいと思ったのだ。
どうあっても手を下さざるを得ないのだから、せめて最期は……
意識や人格が無くとも最期くらいは。『人として』死なせてやりたい。そう願った。だが、そのケースを開ける方法は全く見当が付かない。継ぎ目がなく、また、台座部からケースが外れる様子も無い完全密封容器だ。もしかしたらレプリの胎児が自力でケースを破壊して出てくるのかも…… そんな馬鹿な事を考えたバードだが、余り時間が無い事を思いだした。
意を決し一番手前の球体シリンダを銃で打ち抜くと、超硬質のガラスは一瞬にして粉々に砕け散る。直後にあふれ出す人工羊水のストリームに乗ってレプリの胎児が流れ出て、バードはとっさにそれを受け止めた。バードの胸に抱かれたレプリの胎児は人口羊水を吐き出し、最初の自発呼吸をはじめる。そしてその直後、起動した乳児は部屋の中に泣き声を響かせた。まだ目も開いていない乳児だけにバイナリーは書き込まれていない。姿だけ見れば普通の人と全く同じ姿だ。
ジッと乳児を見ていたバードは、震える手でその頭に銃口を突きつけた。手が震えるのは作動誤差のせいだと自分に言い聞かせた。目を閉じて、そしてグッと奥歯を噛んだ。全身に力が入り、視界の中にダミーモード移行警告が浮かび上がる。
――――ダメ! 出来ない!
乳児を抱きかかえて床に膝を着き、バードは震えだした。涙を流さずに泣いて、そして子供をあやした。
「お願い 泣かないで 泣かないで 最期までそばに居てあげるから」
柔らかにゆすって赤子をあやすバード。やがて泣き疲れたように赤子は泣くのを止めた。それとほぼ同じくして、唐突に部屋の入り口側から声が聞こえた。
「面倒な事は考えるな」
聞き覚えのある声が部屋に響いた。驚いて振り返ったバードは、部屋の入り口に立つブルを見つけた。
「最期までって、いったい何時までのつもりだ?」
「それは……」
「まさか一緒に死のうなんて言うんじゃ無いだろうな?」
「いっ…… いえ……」
口籠もったバードだが、ブルは平然と笑っている。
「バードもやはり女だな。ちょっと安心したよ。最近じゃ中身はTレックスかなんかだと思っていたが、子供を前にしたら女の顔になったか。まぁ、それは本能だから仕方が無い事だ」
ゆっくりと部屋へ入ってきたブルはグルリと室内を見回した。
すらりと並んだ球体シリンダに浮かぶ胎児を見て、小さく溜息をつく。
「レプリも人間も変わらない。だが、成長し製品として出荷された後、ここのレプリは一気に凶暴になる。なぜだか知っているか?」
「いえ……」
「深層心理に闘争本能を植え付けるんだ。人に抵抗する様に。人に危害を加える事に快感を覚えるように、そう教育するんだ。人には何をしても許されると教え込まれるんだそうだよ」
驚きの表情を浮かべたバードは手に抱いた幼子を見た。
天使の笑みで眠っているその姿に、バードの心が震えるのだが……
「なんでそんな非道い事を……」
「このレプリを使う側にはその方が都合良いのさ。タイレルの中で利益を得ている連中が居るんだよ。そいつらは地球でもどこでも、人とレプリが争ってくれた方が利益になる。だから……」
まだ膝を突いて幼子を抱くバードの襟をつまみ上げた。
引っ張り上げられたバードがネコのようだった。
「バーディー。ここは俺がやる。下をやれ」
バードの抱きかかえていた幼子を、ブルはそっと取り上げた。
その顔を見ながらブルは呟いた。バードにも聞こえるように。
「次はちゃんとした人間に生まれてくるんだ」
乾いた銃声が部屋に響いた。
白い血がパッと飛び散り、霧状になったものがバードの顔にかかる。
「なんて事を……」
自分の両肩を抱いてバードは震えた。生まれたばかりの幼子が死んだという事に少なからぬ衝撃を受けている。例えそれがレプリであっても、祝福されるべき新しい命だったはずだ。だが、ブルはレプリの幼児を破砕した球体シリンダの下へと捨てた。文字通り、生ごみのように捨てた。
「このレプリが育ってテロに使われると、より多くの犠牲を生む事になる。俺はその方が恐ろしい。そして多くの憎しみの連鎖が世界を壊してしまう。だから、俺一人が苦しめば良いんだ。そうすればテロで死ぬ人やその家族がきっと救われるだろう。この小さな命も罪を犯して苦しまなくて済む」
その言葉を聞いてバーディーはハッと顔を上げた。
「バード。お前は神を信じるか?」
「何故こんな時にそれを?」
「大事な事だからだ」
ブルは次々と人工子宮の中の胎児を射殺して行った。単純作業を行うように淡々と続ける。そのシーンを正視する事が出来ず、バードは顔を覆って震えている。
「人は死んだら神の御前に立つと言う。残念ながら俺の知り合いに神様って奴は居ないからまだ会った事が無い。故に、チャプレンって胡散臭い職能の連中が言う言葉の受け売りだがな」
一列全部処分したあと、ブルは背筋を伸ばして敬礼した。
そして、マガジンを入れ替え次の列へと取りかかった。
「罪を犯して死ねば地獄へ落とされる。堕落した生涯を送れば罰を与えられる。例えそれがどうでアレ、人を殺す事は良くないことだ。善良な生涯を送った者は新たな生を与えられ、またこの世に戻ってくるらしい。俺も前世の記憶なんて無いから本当かどうかは知らない。これこそ神のみぞ知るって奴だ」
再び室内に銃声が響く。
ブルは次々と球体シリンダを打ち抜いていった。
「じゃぁ、このレプリたちはなんだ? 人ではなくレプリに生まれ変わるって仕打ちはどういう意味だ? レプリに産まれて何の疑問も持たずにテロの道具になって人を殺して。そして神の御前に立つのか? それはおかしくないか? 矛盾してないか? 神の摂理だの世界だのは不条理すぎるだろ。そうは思わないか?」
神を疑う言葉がブルの口から出た。不条理で理不尽な事に憤る言葉がバードの胸を打つ。何時だったかペイトンが言った事を思い出す。
――――なんで俺たちばかりサイボーグなんですか?
理不尽で不条理で非道い話しだ。
「ならば、罪を犯す前に殺してやろうじゃ無いか。俺はもう数え切れないほど殺してきた。今さら救いがあるとか期待するだけ無駄なほどにな。これが、レプリに生まれ変わってくる事が神の差配なら、俺はそれにすらも抵抗してやる。このレプリが罪を犯して神の御前に立って、そして地獄へ落とされないようにな」
再び鋭い銃声。そしてその音に弾かれるようにして、バードの耳にジョンソンの言葉がよみがえった。
――――この手で殺すんじゃない 助けるんだ
バードの心に灯った小さな炎。
次々と消えていく小さな命の炎がバードの心に燃え移ったようだった。
「ここの面倒は俺がみる。無理せずお前は下へ行け」
「いえ」
顔を上げたバードは銃を確かめた。
「ブル。それは…… それを人に任せる事は自分の存在を自己否定する事です」
銃を抜いたバーディーが無表情でやって来た。
「私はブレードランナーです。このレプリを処分するのは私の仕事です。でも」
「でも?」
不思議そうな顔でバードを見たブル。
バードは無表情のまま力なく呟いた。
「せめて最期は母親の様に抱いてやりたいんです、せめて最期くらいは」
静かに歩み寄ったブルはバードの襟倉をいきなり掴むと、テイクバック無しでいきなり平手打ちした。
「甘ったれるなバード!」
吹っ飛ばされて床に転げたバードは驚いてブルを見上げた。
マーク大佐の言葉がバード突き刺さった。
ブルは大きく目を見開いてバードを見ていた。
「優しさと自己満足を取り違えるな」
「……自己満足」
「生きていれば良い事があるなんてただの奇麗事だろ? お前は誰よりもそれを良く知っているはずだ! 生きるよりむしろ死にたいと願う瞬間を!」
「そうだったとしてもあまりに残酷です。何の自由も無く生まれて来る命なだけでも残酷なのに、それが生まれる前に殺されるなんて……」
「バード! 世界が残酷なんてのは当たり前だ!」
大きな目玉で睨まれたバードの足が震えた。
「何の自由も無く食われる為に生まれ殺される家畜をお前は哀れんだ事があるか」
ブルはバードを指差して訊ねた。
その問いにバードは答える事すら出来ない。
「世界中で飼育される競走馬は毎年何百万頭と生まれて来る。だが表舞台へ登場するのはほんの一握りだ。残りの馬がどこへ行くか考えた事はあるか? 穀類は生物の種子だろう? つまり植物の胎児をお前たちは喰っているんだぞ?」
大きな目を見開いてバードに迫ったブル。
プルプルと震えながら、ブルは怒鳴っている。
「不味いと言う理由で食事を残す。それは食われる為に生まれてきた生命への冒涜じゃ無いか? 食べきれないといって残すのも同じじゃないか? それは残酷とは言わないのか? 命の価値をその形で判断してるだけじゃ無いのか? それは優しさとは言わないんだ! 単なる偽善者だ! 良識を持ち善良な人間であると自己満足しているだけだ!」
静かな部屋の中に轟くブルの声が透明な球体シリンダを揺らす。
眠れる胎児は音に反応しているのか、次々と身体を揺り動かした。
「運命や宿命って奴は確かにあるだろうさ。生まれてくる場所や時代や環境を選ぶなんて出来やしない。つまり、生まれた瞬間にその人間の生きる条件は決まってしまう。きっとそれを宿命って言うんだろう。だがな! 生き物は生き物を殺して生きているんだ。突き詰めれば、それが命の連鎖だ。見ろ! 目をそらさずに見ろ! この『生』の始まりはただの化学反応に過ぎない! 神も魂も存在などしない! 心など神経細胞に流れるただの電気パルスに過ぎない! 工業製品として作られ育てられる『これ』が人間か?」
その胎児へ向けてブルは銃を構えた。
見開いた眼に狂気を感じたバードは何かをしゃべろうとして言葉を飲み込んだ。
「人間とレプリの違いはなんだ!」
ブルの指が胎児を指差した。
「これが人間か! これは人間か!」
シリンダの中に浮かぶ胎児が僅かに動いた。
その姿はまるで運命から逃げようとしているかのようだとバードは思った。
「連綿と続く家や家系は無く、親も兄弟も存在せず、機械の容器から生まれ奴隷のように酷使され、僅か8年の生涯を閉じて、そして最期は溶解槽でタンパク質に分解され、次のレプリの栄養にされる……」
憤怒の表情を浮かべたブル。
だがその顔に浮かぶものは怒りではなく哀しみだった。
「己もその仲間たちの存在も記憶情報として蓄積された泡に過ぎず、どれ程祈っても許しを請うても救済を願っても、絶対に救いの無い……己を守護する神すらいない無慈悲な世界で奴隷として生きる宿命のレプリに……」
ブルの指が再びバードをさした。
まるで刃物に貫かれたように、バードは身を硬くした。
「お前はお前のただの自己満足で『人間のように生きよ』と命じるのか!」
バードはやっと自己満足の意味を理解した。レプリに生まれてくるはずだった者に『人』の人生を生きさせる所業をブルは怒っているのだと。レプリはレプリで殺してやれと言っているのだと。そしてそれは宗教的倫理観と表裏一体になった文化や文明の衝突だった。
「目覚める前に殺してやれ! 生まれる前に殺してやれ!」
再び銃を構えたブルは球体シリンダの中で夢見る胎児の頭を打ち抜いた。
「これは鬼畜の所業だ! 悪魔の所業だ! なんとでも誹るが良い! なんとでも非難するが良い! その批判も誹謗も中傷も全て甘んじて受け入れてやる! そして、そいつら社会の良心と自称する善良ぶった偽善者どもが安心して、俺や俺たちを小馬鹿にして蔑んでこの世で一番汚いものを見る目で見られるように、俺は俺の手を汚して安全な世界を作ってやる。この世の理に染まる前に、もう一度この魂を神の御許へ送り返してやる! 神の気まぐれでこの差配なのだとしたら、もう一度やり直しが出来るように!」
再び一歩前へと歩き出し、再び球体シリンダへ向けて銃を放つブル。バードはその後姿を呆然と眺めていた。
――――この人は怒りながら泣いているんだ
ふと、そんな事を思ったバード。そして無意識にバードも一歩踏み出していた。眠る子を起こさぬよう忍び足で歩いていって、そしてまだ割られていない列へと歩み寄った。まさに天使の寝顔だと、レプリの胎児を見てバードも思う。無意識にその左手が自分の下腹部を触った。かつてそこにあった器官が失われて久しいのだが、それでもバードは大切な何かを思い出した。
初めて生理を迎えた日。父も母も喜んでお祝いをした日。新しい命を生み出せる唯一の存在となった自分に不思議な感慨を持った日だった。いつか自分も母となるだろう。その時の為に母はたくさんの事を教えてくれたはずだった。
――――今の私は何者なんだろう?
ふと、脳裏にそんな事を思い浮かべた。そして、球体シリンダの表面に写る自分の顔を見た。全くの無表情で、ジッと中を見ている自分を見た。
強化ガラスに隔てられた向こう側。レプリの胎児が僅かに動いた。
トン……
バードは銃口をガラスへと密着させた。右手の動きに誤差が出ているが、これなら外さない。
――――ゴメンね
心の中で一言呟いてから、バードは引き金を引いた。ガラスが弾け飛び、粉々になって人工羊水と一緒に飛び散った。そして、スライドが後退して薬莢を吐き出すと同時に胎児の小さな頭を11ミリの弾丸が通過していく。バードの心からの思いを込めたその弾丸が一瞬で胎児の脳をすべて破壊し、球体シリンダのそこに溜まっている挽肉状の『レプリの元』になるタンパク質構成体へと戻っていった。
「人間は…… いや、人間だけじゃ無い。レプリもそうだ。教育で変わってしまうもんだ。どれ程おかしい教育をされたとしても、それを疑う事が無いように育てられると、人間は疑問を持たなくなる。それが当たり前だと思うようになる」
何処からかブルの声が聞こえた。その声を聞きながら、バードは次々と人工子宮を破壊し、胎児を殺していく。全くの無表情で機械的に作業を進めていく。
「生まれてくるまでは無垢だ。人を憎む心も殺そうとする闘争心も無い。純粋で穢れの無い存在だ」
一列すべてを処分したバードは隣の列に入った。
次々と球体シリンダの『中身』を処理しながら、バードは無表情でブルの言葉を聞いていた。
「すべては教育なんだ。このシリンダを出て、育成カプセルの中で成長促進剤を投与されながら、彼らの精神は育成カプセルを出る30日後までひたすら教育を受ける。人に使役され奴隷のようにこき使われ、消耗品のように酷い扱いをされ、それでもそんな境遇に疑問を持たないよう、精神的に制御される」
不意にバードの目がブルを見た。淡々と作業しながら、ブルは球体シリンダの中身を処理しつつ、一体ずつ小さく十字を切っていた。それは己の許しを請う祈りではなく、レプリの胎児の安らかな死を願う祈りだとバードは直感した。
「罪を犯して死ねば、神の御前に立ったとき裁きを受けるという。なら、罪を犯す前に死んだ方が良い。次は人に生まれてくるように祈ってやろう。次はレプリに生まれないように祈ってやろう。レプリに生まれ兵士となってテロリストとなって、次々と人を殺して死ねば、きっとレプリも神の御前に立つだろうさ。またレプリに生まれて苦しむか、人に生まれて生きるか……」
「でも、人に生まれたからって幸せとは限りません」
まるで独り言のように呟いていたブルだが、唐突なバードの反論に顔を上げた。
「私は何でこんな恐ろしい事をしてるんでしょうか」
淡々と響く銃声の中、ブルは再び『作業』を再開した。無表情になって、淡々と、淡々と。そんな中、バードの言葉が部屋に響く。
「私もレプリになるはずだった。親から貰った身体がダメになって、私はクローンすら作る事が叶わずレプリの同位体を作って移植するはずでした。その身体もきっとこうやって作っていたはずです。もしかしたら作りかけのもう一人の私が何処かにいるかもしれません」
バードの独白に血の滲むような苦悩が混ざっている。サイボーグ特有の精神的混乱と言われるアイデンティティ・コンフリクト・シンドロームがバードを蝕んでいる。その懊悩をブルは肯定も否定もしていない。
「今の私は本当に人間なんだろうか。こんな恐ろしい事を平然と行っている私は、レプリカントより酷い事をしているんじゃないでしょうか。人のたくさん集まる場所で爆弾テロを行えと指令を受けて、それ自体に何の疑問も抱かず実行するレプリカントのテロリストは人を殺すことにも自分を殺すことにも抵抗がありません。じゃぁ、そのレプリを殺す事に抵抗が無い人間は、果たして人間足りえるのでしょうか」
無表情になって淡々と処理していくバード。
口から漏れ出る言葉だけが心情を吐露する雫のようだ。
「バード」
「はい」
「人間に取って一番大事なものはなんだ?」
バードは胎児を射殺する手を止め、ジッとブルの顔を見た。
「人殺しを生業とする軍人は何故その存在を許されるのか、お前は考えた事があるか? 士官学校で教育される建前論じゃ無い。軍人の真実だ。銃弾や砲弾やブラスターの荷電粒子飛び交う戦場で己のたった一つの命をさらけ出して、見限って、それでも戦うのは何故だ」
僅かに俯いたバードはその理由を必死で考えた。だが、考えれば考えるほど混乱していくだけだった。そもそも、軍人に成りたくて成った訳ではない。
「正と邪の交わりの果てに真実はある。それを自分に問い続けると良い。軍人の数だけ、士官の数だけ正解の形が存在している。ただな、これは俺やエディやテッドが得たひとつの結論だ。心の片隅に置いておくと良い」
再びマガジンを入れ替えたブルは、まっすぐにバードを見た。
「人間にとって一番大切なのは命なんかじゃ無い。命よりももっともっと大切なモノの為に軍人は命を差し出してまで戦うんだ。命を捨てても護らなければ成らないモノは、自分の命を踏み越えた向こう側にあるんだ。それがなんであるか気が付いた時、お前はきっと一人前の軍人に成るだろう。その答えは誰かに教えられるモノじゃ無い。教科書にも書いてない。偉そうな事をダラダラ並べる頭でっかちの連中が声高に言うものでもない。苦しんで苦しんで苦しみぬいて、その果てに気が付くものだ。お前なりの結論を見出すだろう」
時間に追われている作戦中だというにもかかわらず、バードはブルをジッと見ていた。レプリの胎児を処理していくブルの手も膝も、僅かながらと震えていた。それはブルの震える心そのものだとバードは思った。そして、己の手をレプリの白い血で染めて、鬼畜の所業を行い続けるブルの心に掛かるストレスがどれ程であるかを考えた時、ふと、士官学校で教えられたリーダーシップを思い出す。
「俺たちに肉体は無い。あるのは脳だけだ。身体が機械と交換可能になった日から、人間を人間たらしめているのは、レプリカントではなく人間であると証明するものは『心』と『記憶』だけだ。だから、外から見て俺たちが自由意志をもった人間か、それともこのレプリのように自動機械かは……」
「わかりませんね」
「そうだ。わからない」
銃弾を撃ちつくしマガジンを入れ替えたブルは、再び作業を再開した。
段々と速度を上げていき、最後の一列へと差し掛かった。
「だが、機械か人間かわからなくとも、外から見ていて簡単にわかる事が一つだけある。それは、どう生きているか。どう生きたのか。そして、どう死のうとしているのかを見れば良い。それが己の義務だと理解して、護るべき者の為に命を差し出してでも戦う強い意志を持っていれば、それはきっと人間だ。俺たちはそうやって胸を張って死ぬ日のために……生きるのさ」
奥から一体ずつ処理していくブル。そこへ手前側から処理していくバードが近づく。そして、二人が肩を接した時、目の前に最後の一体があった。
バードは『それ』を凝視した。女の子だった。
「フィメール型のレプリは月経が無いんだよ」
「じゃぁ、子供を産めないんですね」
「生命の神秘だ。人の脳を移植したフィメールレプリは月経を持つそうだ」
「じゃぁ、そもそもレプリは人間ではないんだ」
「そう言うことだな」
ブルが手を上げる直前、バードは銃口を強化ガラスへ密着させた。
「次は人間に生まれるんだよ」
鋭い音を放って銃弾が放たれた。ガラスの割れる音と共に、最後の一体が土塊へと還った。バードは銃をホルスターへとしまってからブルへと向き直った。
「大佐。任務を完了しました」
士官らしく胸を張って敬礼したバード。
その姿にブルも敬礼を返した。
「ご苦労だった」
「はい」
力なく笑ったバード。
ブルも引きつった笑みだ。
「……バード 無理をするな 道理が引っ込む」
「それはあなたも一緒ですよ、大佐」
薄ら笑いを浮かべ見つめ合ったバードとブル。
そんなタイミングで無線の中にテッド隊長の声が響く。
『Bチーム全員工場から退避! 10分後に砲撃が始まる!』
無言で見詰め合った二人だが、ブルはにやりと笑った。
「半人前のひよっこが一人前の口を効きやがって」
ブルの拳がバーディーの額をコンと突く。その仕草ですら楽しそうにバードは見ていた。あちこちに白い返り血を浴びているが、もはや何の感情も湧かない。
「逃げるぞ」
「はい」
駆け足で工場を飛び出したバードとブル。工場の前ではティルトローター機が出発を待っていた。
「バーディー! ブル! こっちだ!」
大きく手招いたジャクソンが二人を呼んだ。駆け足のままふたりが機内へ入るとゲートハッチが上がり、そのまま機体が火星の空へ舞い上がった。白い返り血を大量に浴びていたバードとブルをBチームの皆が見ている。そんな中、バードは窓の外を見た。タイレルの巨大な工場の中心部にはおびただしい量のレプリが積み上げられていた。
「なんて恐ろしい光景なんだろう……」
ボソリと呟いたバードの肩をロックが抱き寄せた。されるに任せたバードは、ロックの腕の中で僅かに震えていた。グングンと高度を上げる輸送機の中、一息ついて顔についていた『汚れ』をふき取った。窓の下には小さくなったタイレルの工場が見える。そして上空にはまばゆい光を放つ戦列艦の地上照射光が輝いている。
「じきに始まるな」
「あぁ」
ドリーがボソリと呟き、ジャクソンが上の空で答えた。
輸送機は大きく旋回して砲撃の着弾誤差圏を離れつつあった。
「何か見えるのか?」
窓にかじりついていたバードをライアンが茶化した。
軽い声だったが、その中身は心配しているのがわかった。
「いや、見えないけど。でもね」
「……わかってるよ。見届けるんだろ?」
「そう。この手でそうしたんだから、最後まで見届けないと」
日の沈みつつあるオリンポスグラードの郊外エリアへ光の柱が降り注いだ。大気圏外にいる戦列艦から地上砲撃予告が始まったのだ。
大質量の物体を第二宇宙速度を越える高速で地上へ打ち込む艦砲射撃の威力は、地上を行動するいかなる軍事兵器の破壊力をも用意に凌駕する恐るべき威力だ。位置エネルギーと運動エネルギーとを混ぜ合わせたその威力は尋常ではなく、放射能の心配をせずに得られる弾道ミサイルの破壊力と言って良いのだった。
「あっ!」
バードの小さな驚きが輸送機の中に零れた。眩い光の柱に沿って真っ赤に光る何かが通過して行った。それが何であるかを考える前に、窓のしたに広がる火星の大地を震わして巨大な爆炎が湧き上がったのだった。
「始まっちまったな」
ボソリとこぼしたドリーの声に、チームのメンバーが窓の外を見た。幾つもの真っ赤な物体が落下して行き、次々と凄まじい爆炎を巻き起こしていた。
「なんて光景なんだ……」
「これが人のする事か」
次々に巻き上がる爆炎を見たリーナーが悲痛に呟き、スミスは人の業を呪った。真っ赤に光るものが地上に着弾する都度、眩い光の中で確実に幾つかの命が蒸発して行くのだった。それはレプリであったり、或いは人であったり。そして、まだ人ならぬ何かでしかない夢見る存在が混じっている事だろう。
「くそっ!」
誰かが苛立たしげに壁を殴った。不機嫌な鈍い音が機内へ響き、バードはそれに腹を立てた。間違いなくあまりに理不尽で非生産的な光景だ。だが、いちいちそれに腹を立てたってしかたがない。
うるさい!と、文句の一つも言ってやろうと声の主をバードは探した。そして、輸送機の壁を殴っているのが意外な人物であることに驚いたのだった。
「ふざけやがって!」
いまだかつて見たことのない……
バードにとっては全く信じられないシーンだった。テッドが。いつも沈着冷静なテッド隊長が怒りに震えていた。怒りに震えて、そして、輸送機の壁を殴っていたのだった。
「何度見ても嫌な光景だな」
フラリとやって来たエディ少将はテッドの肩を抱いた。なにかを共有しているのは間違いない。バードもそう思うのだが。
「全くだ! こんな作戦を立案しやがって……」
「文句は参謀本部に言え。お前が言えば無下にはしまい」
再び輸送機の壁を殴ったテッド。
沈痛な溜息を吐いて目を閉じた。
「……まだ吹っ切れない。つくづくとダメな男だ。くそっ!」
首を振ってなにか嫌なイメージを頭から掃き出そうとしているテッド。その胸をエディが小突いて、優しげな声音で語りかけた。
「部下の前で無様をするな」
「……あぁ、わかってる。わかってるが」
我を忘れそうになってギリギリで踏み止まったテッド。その姿を見ていたバードはロックをチラリと見た。
「隊長…… どうしたんだろう?」
「なんかトラウマ系だな。しかし、意外だ」
「ホントに。テッド隊長が取り乱してるの初めて見た」
不機嫌なのもすっかり忘れたバードは驚きの眼差しで隊長を見ていた。そして、機内を見回すと、皆が一様に驚いた表情でテッド隊長を見ていた。過去何度も修羅場を共にしているはずのジョンソンやドリーですらも驚いて言葉を失っている。エディはテッドの肩に手を置いて、静かに語りかけた。
「手が届かないわけじゃないだろ?」
「……なまじ手が届くからかえって辛い」
「それは否定しないが、なに、もうひと頑張りだ」
「そうだな……」
それでもテッドは拳を握り締めていた。力が入っているのか、腕がプルプルと震えているのがバードにも見える。そんな時、輸送機の機体をガタリと揺らして至近弾が通過していった。瞬間的に焦るものの、まさか直撃もあるまいとバードは落ち着いた。
砲撃の誤爆圏内を脱した輸送機は、段々と距離をとっていく。赤々と燃え盛る工場の敷地にたくさんのゴマ粒が走り回っているのが見えた。バードは無意識に最大ズームにして地上を観察している。降り注ぐ砲弾の間をたくさんのレプリが走り回っていた。いや、それは何処かに隠れていたシリウス派のテロリストかもしれない。この距離ではバードのインジケーターも反応しない。
「地球人類史上最高のレプリカント技術が全部灰になったな」
下界を見ていたアリョーシャがボソリと呟いた。窓の下を眺めているブルも上の空の様に呟く。
「レプリとサイボーグの戦いはサイボーグの勝ちだ」
心底嫌そうな表情のアリョーシャは首を振ってため息を吐いた。遠くに見えるオリンポスグラードの街でも粛清の業火が燃え盛っていた。
「タイレル社は二度と立ち上がれまい。主工場だけじゃなく技術者まで全部灰になったんだからな」
その一言に機内が凍りつく。バードは驚きの眼差しでアリョーシャを見ていた。姿を見なかった高級将校たちが地上で何をしたのか…… そのすべてを理解したといっても良い。
シリウス派に連なっているタイレルを地球文化圏から完全に排除する。この作戦の根幹はそこだったのかと、いまさらにバードは気が付いた。そして、これから行うはずの地球文明圏で新たにレプリが戦闘員として送り込まれないようにする為の、相当厳しい処置である事も。
「マジかよ!」
突然ジャクソンが地上を指差して声を上げた。窓のそと遠くを見たバードの目は、裸の女性が地上を走っているのを捉えた。間違いなく起動したばかりのフィメールレプリだと思う。少なくとも普通の人間ならあんな事はするまい。だが本当に言葉を失ったのは、そのフィメールレプリが幼児のレプリを抱いて走っていることだった。次々と降り注ぐ艦砲射撃の中を、全力で走って逃げ回っていた。誰もそれを教えていないはずなのに、レプリの女が子供を抱えて走っている。その姿にバードは理屈では無く、女が持つ本能そのものだと思った。
「あのレプリには誰も教えてないはずなのに……」
ふと、バードの心に劣等感が浮かんだ。それがなんであるかを自分で考える事が出来なかった。認めたくない。絶対に認めたくないと思ってしまったのだ。
――――これは差別じゃ無い 命を差別してるんじゃない!
自分の口から出た言葉で自分自身が衝撃を受ける。そんな訳のわからぬ現象に苦しみつつ、バードは地上を凝視した。そして、その直後に砲弾が直撃し全てが蒸発して無くなった。何の痕跡も残さずに……
「なんて恐ろしい光景なんだろう」
ボソリと呟いたバード。僅か数時間の間に見たたくさんの事が一斉にフラッシュバックした。高度を20キロ近くまで上げた輸送機は降下艇に収容された。火星の地上戦は終わりを告げようとしていた。




