ダミーシステム(前編)
順調に高度を上げる輸送機が雲海を見下ろしている。
アメリカ合衆国西海岸上空を滑る様に飛ぶ、宇宙軍海兵隊の連絡輸送機。
その機内ではODST候補生48名と教官役のBチーム4名。さらに、ODSTスクールのイントラ20名が降下装備を整えて待機していた。
約一年続く教育カリキュラム課程の前期を締めくくる一大イベント。五日間続くODSTのヘルウィークが始まろうとしていた。
――――サンクレメンテ島上空8000メートル
西部標準時間 午前8時
「降下三分前!」
機内へ向かってバードは右手を上げた。指を三本立てて意思を伝えている。
ODSTスクールの前半戦を締めくくるデビルゲート三週目。
ヘルウィークはODSTの実戦装備を持って動く訓練だ。
候補生は宇宙軍海兵隊のIFFを外し、島へと降下する。
所定のルートを通って島を一周しなければならない。
その途中で、様々な課題をこなしながら。
シールズでもデルタフォースでも同じ名称のイベントはある。しかし、内容の厳しさでは比肩するものが無いのだ。
野戦装備を一式持っての訓練降下は勿論だが、今回は実弾を撃てる実銃を装備しているだけでなく、ODST活動に必要な支援機器などを全部装備しての降下となる。
前週には散々と実弾訓練を行い、射撃の技術に関してはマスターレベルへ到達した。
今度はそれを生かすための技術を習得しなければならない。
その為、太平洋に浮かぶサンクレメンテ島は、島全体が一つの演習場になっていた。
ただ、高空から見下ろすその島は頼りないほどに小さく見えるのだ。
全備重量で80キログラムを超える降下装備で海へ落ちてしまえは溺死は免れない。
「全員連携を密に。降下地点を見失うな。万が一にも海へ落ちた場合は装備を捨てて、自分が生き残る努力をしろ。ここまで訓練した事を思い出せ。君らなら出来る」
機内の候補生たちへ言葉を掛けたテッド隊長も若干緊張していた。
Bチームやヴェテランの現役ODSTが集まるイントラと違い、候補生は素人だ。
地上から撃たれる心配が無いとは言え、この高度からの降下は緊張が伴う。
エアボーンにおける基本テクニック高高度降下・低高度開傘は、降下する者の気合いと根性と、そして勇気を試されるものだ。
「降下一分前!」
再びバードが機内へ向かって声をあげる。
その声に促され、全員がヘルメットを被った。
酸素を供給してくれる高高度降下用の気密マスクだ。
Bチームだけが視野の広い通常の降下ヘルメットを被っている。
自発呼吸を必要としないサイボーグで無ければ、こんな事は出来ない。
機内の気圧を下げるべく換気シャッターが開き、続いて降下用ハッチが開いた。
一万メートルに手が届く高高度では、急激な減圧が起きると身体の負担が大きい。
そんな中でも候補生たちは装備を整え降下の合図を待っている。
背中だけでなく腹部も脚部も様々な装備を括りつけてある。
この状態では機内を歩くのですら難しいのだが。
候補生達のゴーグル部分に小さく[join]の文字が浮かんだ。
サイボーグの士官から降下支援情報が送られ始めた。
同時にジョンソンが手を上げる。
「一班降下!」
ジョンソンに続き一班の候補生12名が機外へ飛び出した。
一緒にアシスタントインストラクターの五名も降下を開始する。
二班の班長であるシェーファー少尉が時計を読む。
降下間隔は最低でも一分を空けねばならない。
手の中に嫌な汗を掻きながらその時を待つシェーファー。
だが、引率するペイトンは涼しい顔だ。
「よーし! 降下一分前!」
指を一本立てて注意を促すペイトン。
二班の候補生が息を呑んでジッと待っている。
「行くぞ! 二班降下!」
ペイトンが隊を引き連れ機外へ飛び出す。
理想的なバラけ具合だと後方で見ていたバードは感心する。
僅かな期間の訓練だったが、候補生は安全に降下するノウハウを学んでいた。
これなら暗闇でも砂嵐でも吹雪きでも行けそうだ。
もっとも。真冬の雪中降下は凍死の危険がある。
「三班降下用意!」
射撃演習以来、何かと意見を交換するようになったリッジ少尉が指を一本立てた。
バード自身が気が付く事無く、何でもざっくばらんな会話をしている。
これじゃいけないと心中で線を一本ひいているつもりなのだが。
「三班降下!」
走って行って機外へ飛び出したバード。
後方を確認したら三班の面々が空中へ飛び出していた。
降下の対地速度は時速300キロ近い。
空中では空気抵抗をうまく受けて安全速度を保つ必要がある。
雲ひとつ無い快晴のサンクレメンテ上空だから、どうしたって距離感は狂う。
そんな状況下では気圧計情報と、そしてサイボーグが送るレーザー情報が頼りだ。
グングンと高度を下げていき、島の南西部に広がる三班降下目標を目指す。
「全員目標を確認! 安全装置解除! 戦闘降下モード!」
高度4000を切った辺りでヘッドダウン姿勢になり一気に加速。
そのまま急降下して行って高度千メートルを切った辺りで身体の向きを変える。
ヘッドダウン姿勢からヘッドアップ姿勢へ切り替え最初に小型の減速パラを展開。
速度をある程度殺してから大型パラを広げ一機に減速して着地する。
振り返って辺りを確認するバード。
班長であるリッジ少尉をはじめ、ゲインズ曹長やシンプソン上等兵。更にはコマロフ上等兵など12名が無事に着地した。
降下だけなら充分にODSTをやっていけるレベルに達していると判断できそうだ。
最後にアシスタントインストラクターの五名が着地する。
バードはリッジ少尉へ目で合図を送った。
所定の手順に従い移動を開始。
「ここから移動を開始する! 海岸沿いに進むぞ! 地上装備へ切り替えろ!」
サンクレメンテ島南西部。通称「ロストポイント」と呼ばれる辺りの涸れ沢付近。
ここがバード最初の戦場になりそうだ。
各班はここから島の北東北西と南東南西へそれぞれ着地し、反時計回りに前進する。
「ゲインズ曹長! 後続班の為に誘導信号器を設置しろ!」
「イエッサー!」
副長を務めるゲインズ曹長は幾人かの部下と共に電波誘導器を設置した。
この信号を頼りに北西部へ着地した筈の四班がやってくるはずだ。
「リベラ曹長! 二班の信号は受信できるか!」
リッジ少尉の質問にリベラ曹長が首を振る。
「現状では受信できません!」
「よろしい! 前進する! 注意を怠るな!」
隊の先頭を歩くのはゲインズ曹長とリベラ曹長だ。
その後方をリッジ少尉が歩く。
左右にモーガン二等軍曹とシェング三等軍曹が続く。
その後方にバードは陣取り、左右にはシンプソン、コマロフ、ケーシーの上等兵。
最後尾にはヴォリティ軍曹とヒース軍曹。シャイラ伍長とゲイリー伍長。
この十二名で前進を開始する。サンクレメンテ島を舞台にした、壮大な鬼ごっこだ。
「二班に追いつくぞ!」
リッジ少尉の発破が響き、部隊は海岸沿いを進んでいく。
前方にはあらかじめインストラクターが用意した電子スタンプが置かれている。
各班はその電子スタンプポイントを一つずつ確かめながら前進する。
つまり、島一つ使った壮大なオリエンテーリングだ。
「今日中にチャイナポイントを目指す!」
リッジ少尉の意気込みは素晴らしいが、この辺りは断崖絶壁の続く場所だ。
頭上に注意しながら波打ち際を前進するか、足場が不安定な尾根を進むか。
そのどちらかを選択しなければならない。
そして、道中にあるスタンプには通しナンバーが付いていて、順番に押す必要がある。
どんな所でも突入出来るODSTのヴェテラン隊員がインストラクターなのだ。
自分たちの経験上、ここに敵が居ると面倒だと言う場所ばかりにスタンプが設置されていた。
つまり、候補生はなかば遊びの途中で、そう言う注意すべき部分を学ぶ事になる。
「少尉! ナンバー5が見つかりません!」
先頭を行くリベラ曹長が声を上げる。
バードの視界には的の位置がハイライト表示されているのだが……
「周辺を捜索しろ! 足場に注意だ!」
リッジ少尉は尾根ルートを選択していた。
足場が悪いのは承知の上で、浜辺は危険だと判断した。
だが、ここにスタンプを設置したイントラは尾根にも浜辺にも設置してある。
つまり、急な断崖絶壁をラペリングで降りて、電子スタンプポイントに到達。
その後に仲間を回収しなければならない。
全く持って優しくないのだけど、敵はもっと優しくない。
だから、愚痴も文句も言わずやるしか無い。
「少尉! 有りました! 浜辺です!」
コマロフ上等兵が叫ぶ。断崖絶壁の上から見下ろした浜辺に旗があった。
ご丁寧に一番小さい旗で、しかも崖の上からでは絶妙に見えにくく気がつき難い場所。
つまり、降りるしか無い。このエリアの課題は地形克服だった。
「ラペリング用意! ゲインズ! モーガン! シェング! スタンプを回収しろ!」
「イエッサー!」
リッジ少尉の的確な指示で三班は機敏に動いている。
その姿を眺めているバードは、部下を指揮するリッジ少尉をジッと見ていた。
自分に出来ない事をしているシーンは、眺めているだけ勉強になる。
迷わず指示を出し部下を危険にさらす覚悟を見せるリッジ。
その姿にバードは頼もしさすら感じている。
僅か十五分ほどの間に危険な崖を降下した三人がスタンプを集めて撤収してきた。
視界に浮かぶ所要時間を見ながらバードは手際の良さに唸る。
候補生の電子手帳に電子スタンプが集まっている。
『シールズもヤるね。ちょっと驚く』
『そりゃ連中も鍛えまくってるからな。特殊部隊経験者は伊達じゃ無い』
無線の中で呟いたバードだが、ボブ中尉と行動中のジョンソンは当然といった風だ。
Bチームの各々が各班の位置を情報交換し合っている。
ただし、この情報は候補生には伝わっていない。
追いつきそうな時は時間稼ぎをしろと言われているバード。
全力で追跡しつつ、追いつかない様にブレーキを掛けなくてはいけないのだ。
「リッジ少尉。今日中にチャイナポイントまで進出しましょう」
「了解した。バード少尉」
バードの指示に強く頷いたリッジは隊列を整え前進を再開する。
足場の悪い場所故か、時間の割に思うほど前進出来ていない。
しかし、疲労と空腹をモノともせず、リッジ班は前進していた。
続々とスタンプを回収し、チャンネル諸島付近を通過した。
十八個目の的を探している所だった。
『各班、今夜は最低二時間休ませろ。ちょっとテンション高すぎる』
テッド隊長が少し手綱を締めているので、それに返答する。
さて、今夜はどう野営しようか?とあれこれ考えるのだが。
「バード少尉! 前進するが、なにか問題が?」
「いいえ。前進しましょう。予定通りチャイナポイントまで」
テキパキと動くリッジ少尉の戦術指揮報告を本部サーバーへ送り始めたバード。
人を評価する事もまた、重要な勉強と言える。
自分自身が行った中国での戦闘を思い出し、比較的高い評価を付けていた。
――――サンクレメンテ島 最南端チャイナポイント付近
西武標準時間 午後7時
カリフォルニアの沖合とは言え、深々と冷えてくる時間帯に入ったサンクレメンテ。
バード班はたき火を囲んでチャウタイムに入っていた。
今夜はこのまま二班を追跡して歩き続ける予定だ。
僅か三十分の休憩時間だけど、カロリー補給には余念が無い。
「ところでバード少尉」
休憩時間を待ちかねたかの様にリッジ少尉が口を開いた。
なにか用?とでも言いたげに目だけ向けたバード。
そんな仕草に苦笑いを浮かべつつ、リッジ少尉は言葉を続けた。
「もし良かったら、バード少尉の経験した訓練を教えて欲しい」
「私の?」
「そう。具体的にどんな訓練をしたのか知りたいんだ」
「なんでですか?」
「うーん…… 知的好奇心とでも言っておこうか」
何となく話を切りだしたリッジだが、その興味は班全体が持っていた。
ODSTの現場は生身の女性でも勤まるほど易しくは無い。
だから、ODSTに在籍する女性は全て女性型サイボーグ。
能力的に言うと、百戦錬磨の生身男性を軽く凌駕するバケモノ揃いと言える。
そんな現場に送り込まれたバードの様な存在の過去は、誰だって興味を持つ。
実際、どんな訓練をしたのかと言う部分も含めて……だ。
「そうですね…… 何から話をしましょうか」
「順を追ってくれると凄く嬉しいのだが」
「じゃぁ、余り具体的で無い範囲で」
リッジと同じくパウチのチキンコンソメスープを飲んでいたバードは食事の手を止めた。話を切り出す上では食事を中断せざるを得ないからだ。
「まぁ、色々有りまして否応なくサイボーグ処理されてからシミュレーターの士官学校へ行ったのですが、その中身はアナハイムやウェストポイントと変わりません。勿論、やったこともです。その後でシミュレーターのODSTスクールへ行ったんですが」
気が付けば三班全員が真剣に話を聞いていた。
「基本的にODSTは志願制です。ここに居る全員は志願してここへ来たはずですよね? 最初の契約時点で不慮の事故死も甘受すると書いてあったはずです。違います?」
バードの問いかけに皆が頷く。
「ですが、私の場合はサイボーグ適応率の関係でスカウトされ入隊です。宇宙軍からお願いされたんです。あれこれと説明を受けてカウンセリング紛いのトークをして、様々な契約条項について了承し、宇宙軍海兵隊の一員になりました。で、シミュレーターのODSTスクールへ行ったんですが、今思えば随分なシステムでしたね」
苦笑いを浮かべるバード。
リッジを始めとする三班全員が真剣に聞いている。
「私を含めサイボーグに肉体的負荷と言う物はありません。筋肉が疲労により痛みを訴えたり、或いは筋繊維断裂といった事もありません。限界を超える負荷が掛かった時は警告表示が出て、そんな時はとにかく脱出します。ですから、シミュレーターの上でそれを体験する所から始まります。両手を挙げて荷物を支え、荷重限界を超えたら視界に警告表示が浮かび、それを超えて何処まで支えられるかを何度か体験します」
バードの説明を聞いていたケーシーが手を上げた。
「支えきれない場合はどうなるんですか?」
「荷物に押しつぶされて死ぬ所まで体験します。まぁ、擬似的な死ですが」
なんともアンニュイな笑みのバードは、死と言う言葉を平然と使った。
「実際、体験するのは圧死だけじゃありません。空挺の訓練では装備不良で空中姿勢が取れないとか、パラが開かず狼煙で終るとか、他にも、肩に掛かるストラップが引きちぎれて空中に放り出されるとかね。地上に激突して全身のセンサーが一斉に脳へ痛みの信号を送り、パニックを起こして悲鳴を上げるなんて事を何度もやりました。誘導を失敗し海へ着水したまでは良かったのですが、水中で緊急浮上用のバルーンが作動せずドンドン沈んで行って、最後に水圧で自分の身体が圧壊していくのを体験したり」
話を聞いていた三班の隊員から表情が消え始めた。
淡々と話すバードの言葉に食事すら忘れてしまっている。
「何度も擬似的な死を繰り返しながら、手順を正確に確実に行う事を学びました。そして、緊急事態における冷静な対処の必要性もね」
「あの、具体的に言うとどんな感じなんでしょうか?」
ケーシーは再び質問をあげた。
その言葉にバードはニコリと笑う。
「ループするんですよ。訓練を行った日の朝。自分のラックで目覚める所へ。自分の身体の構造物が段々と破壊されていき、痛みや警告や様々なリカバリー情報が一斉に脳へ送られるんですけど、それが段々と途絶えて入って視界がブラックアウトして、最後にフッと意識が途絶えるんです。サイボーグはこれをオールブラックアウトと呼んでいますが、この状態になってから数秒後に、ラックで目覚める所へ戻ります。何度も何度も同じ訓練を体験するんですよ。出来るようになるまで」
映画やドラマや創作物の多くで皆が知っているループモノと言われる手法だが、それをシミュレーターで疑似体験すると言う部分に皆が恐怖を示した。
死の恐怖を何度も何度も体験する事で少しずつヴェテランになって行くのだと言うが、サイボーグはそれを徹底的に行うのだと言うのだ。
「訓練用のダミーボディと有線で繋いで、至近距離から本物の銃弾で撃たれると言うのも体験したのです。ライフル弾で至近距離から撃たれると、電源リアクター以外は貫通するんですよ。メインバッテリーも主基盤も機能不全に陥ります。そんな時、実際に自分で自分の身体を応急救護して戦闘を継続できるように処置してみたり、腕や足が取れてしまってモーメントバランスを崩した状態になった時の対処とか」
だんだんと機械的な言葉になり始めたバード。三班に言葉が無い。
そんな状況を察したのか、インストラクターが口を開いた。
トレーナーに小さくマッドキャットと書いてある。キラーパンサーという意味だ。
「バード少尉を支えるものは契約上の義務感ですか? 使命感ですか?」
インストラクターの質問にやや目を伏せたバード。
しばらく真剣に考えていたのだが、ふと顔を上げ空に瞬く星を見た。
「例えば、こうしましょう。ヴェテランのODST隊員になると、背中から不意に襲われても考える前に対処を行いますよね? まず相手の攻撃を封じ、次に自分が有利になるポジションへ移行し、最後は確実に相手を屠ります。考える前に動きませんか?」
インストラクターが顔を見合わせる。
「動くな。間違いなく。そして、アレですね。サイボーグが持ってる最終自己防衛機能はそれ以上だと言う……」
「そうです。私にもインストールされています。ダミーシステムです」
バードの口から出た言葉をリッジ少尉は繰り返した。
「ダミーシステム?」
「そうです。わたし達の場合、脳と言う『人間』の部分がサイボーグの身体に搭乗していると言う考え方をしています。そしてその人間の部分が何らかの理由で機能不全に陥った時、脳のダミーを起動し、身体を動かすサブコンピューターに指令を出すんです。どんな手段を使っても良いから、人間である脳を基地まで持って帰れ……と」
淡々と説明したバードをジッと見るリッジ。
もっと聞きたいと顔に書いてある。
「ちょっと怖い話をしますよ? 覚悟は良いですか?」
三班のメンバーやインストラクターが頷く。
それを見届けたバードはもう一度目を伏せて焚き火を眺めた。
森のテレビといわれる炎の揺らめきに、バードの心が照らし出された。
「あれは、私が月面基地へ配属された次の日の事です。ODSTサイボーグチームの戦術教範長であるマークハミルトン大佐はマンツーマンで私の特訓を始めました。ただそれは、シミュレーター上で経験した事とは全く違う、文字通りのスパルタで、返事以外に喋る事を許されず、五日間ノンストップの耐久訓練でした。実戦で使用する完全装甲服を着込み、戦闘装備一式を持って、月面一周ランです。ほんとに月面を一周したんですよ。その途中で覚えなきゃいけない事が余りに多くて焦りました。残り電源の上手な使い方。障害物を越える為の身体の使い方。大気圏外での強烈な放射線や太陽光線の対処法。衝突軌道にあるデプリを回避する方法。だけどそんなのはシミュレーターでも出来るんですよ。実際、大佐が何をやりたかったのかと言うと……」
バードはもう一度三班のメンバーを見回した。
「全くの一般人をサイボーグにして戦わせるんです。やる気や使命感や義務感と言うものが志願兵とは全く違うのは仕方がないんです。でも、実際にはサイボーグの兵士が必要だから。そんな人間を硝煙漂う最前線で大暴れさせる為には、少々では無い荒療治が必要って事です。私自身、士官学校やODSTスクールで散々と絞られたんですけど、それは単なる技術論です。実際に身体を動かして経験する事が大事なのは言うまでも無い事です。どれほど感覚的な物をリアルに再現できるシミュレーターと言っても、脳の疲労までは再現できないんです」
水戻ししたドライフルーツを口へ放り込んで甘酸っぱさに目を細めるバード。
自分の体験した極限を思い出し、少しだけ顔を顰める。
「約五日かけて月面を一周し終わる頃には、もうマトモな思考力が無くなっていて、ただただ機械的にエナジーアンプルを飲み込んでリアクターで発電して電源の確保に努めて。ただ、消費量の方があまりに莫大過ぎて、リアクターがフル回転していても追いつかない。電源が絶望的に足りない状況下、全く睡眠を取ってない、脳も活動限界に近かった。そんな状況下で後方から足元へ実弾をバンバンと打ち込まれ、苦痛と恐怖とストレスに曝されて――――
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「バード! お前の両足は最大効率なら最初の五歩で時速350キロまで加速する。しかし、その分バッテリーも早く無くなるから、残量に常に気を配れ!」
月面を一周し終わった基地の入り口で乱数表と対比しながら関数計算。
入り口のセキュリティを突破し、あわせてブービートラップの除去を行う。
しかし、睡眠不足から来る思考力の低下。疲労から来る記憶力と注意力の低下。
それらが渾然一体となり、普段なら一分と掛からない簡単な事も手に付かなくなる。
「我々の身体は、そこらの宇宙船並のコストが掛かっている。だから一番重要なのは帰ってくる事だ。戦果ゼロでも良い。必ず帰ってくるんだ。その為には何でもしろ」
朦朧とする意識を覚醒させたくとも、自分の頬をたたく事すら出来ない。
ヘルメット越しに頭を揺すって少しでも目を覚まさせようとするが、効果はない。
ふと、ブルが銃を構えバードの足下へブラスターを撃ち込み、僅かな砂煙が舞う。
「バード! どうした! 早くしろ! 早く! 早く! どうした! 早く開けるんだ! 仲間が死ぬぞ!」
通常であればすぐに突破できそうな簡単なロジックを三分掛かって突破。
頭がボーっとし、立っているだけで睡魔に負けそうな状況だ。
姿勢制御が自動なのだからサイボーグがふらつく事は無い。
しかし、ブルは全く休む時間を与え無かった。
そのまま休む事無くCQBを行い、精神と頭脳を限界まで追い込む。
射撃管制ソフトの誤差つぶしを兼ねた疲労時における瞬時判断トレが続いた。
「10回連続して瞬時判断を正解したらご褒美だ」
影から飛び出す赤と緑の小さな的を瞬時に判断し銃で撃つ。
赤の的には[+]のマーク。緑の的には[!]のマーク。
ブレードランナーに必要な能力。これは機械的に判断をしてくれないのだった。
判断に迷う部分や戦術ではなく戦略的に『撃たない方が良い』と決断する。
その実に曖昧な部分で判断を行い責任を取れるのは、人間だけだからだ。
連続して300回近く行い続け、ようやく10回連続して正解した。
「よーし! 良くやった! ご褒美は立ったまま睡眠15分だ! よーい!」
もはや反抗する気力も無く、無意識に関節をロックしたバード。
周辺を常時警戒するアプリを立ち上げ、一秒たりとも惜しいと意識を手放した。
脳の機能を一時的に止めるだけで疲労は随分と抜けていく。
パワーチャージと呼ばれる短時間睡眠で脳のリフレッシュを図るのだ。
実はこれ自体が次の訓練への罠。だがバードは全く疑ってなかった。
疲労極限まで行って、言われた事に素直に従うように。
自分で考える前に身体が動くようにする訓練だった。
目を閉じて意識を手放してから、体感時間で三秒後にたたき起こされる。
バードの真正面からブルがショルダータックルを掛けた。
自動警戒アプリが緊急回避を行い、脳殻内へ強制覚醒薬剤が投与される。
「良く寝たか?」
「はい」
「よし、次だ。これが終わったら一旦休憩とする」
最後にバードは、遮蔽物の多い市街戦トレーニング用の模擬都市へ移動した。
次々に出てくるレプリを含めたシリウス側兵士と一般人を瞬時に識別するのが目的。
一般人は保護し、レプリだけは確実に攻撃するトレーニング。
延々と走りながらこれを行う。
「ここにはAIで動く模擬市民が100体。そして仮想レプリが5匹入っている。それに銃を隠し持ったシリウス側兵士が30人。全て追い詰めて全部処理しろ。良いな?」
ハイと大声で答えたバードは銃を構えて模擬市外へ飛び出していった。
月面の片隅に作られた賑やかな模擬市街。大気の無い場所故に生身は入れない。
つまり、ここにはAIで動く機械しか居ない筈だ。
遠慮する事は何も無い……
「いいかバード。良く聞け。俺たちの身体に付いてるサブ電脳は一昔前のスーパーコンピューター並だ。瞬間的に四倍程度まで処理能力を上げられる。つまり現実には時間の流れが半分以下程度になったと錯覚する訳だ。その間に、瞬時に判断し倒す相手を正確に選べ。人間の脳はそれ位の能力を誰でも持っている。ただ、それを使いこなせるのはお前を含めた一握りだけなんだ。だからお前が選ばれた。全人類の中からな」
落とした刃物を拾う時、瞬間的に刃じゃなくて握りを掴むことがある。人間の脳が持つ驚くべき反応速度の一例だ。だけど、今のバードにはそんなのは関係ない。
脳が限界に達していて、生身と違って走ったりしても血圧が上昇する事は無いのだ。つまり、眠りに落ちつつある意識も覚醒する事は無い。
表現的にもっとも正しいのは、自動車の居眠り運転状態。
一瞬意識が遠くなりかけ、ブルがヘルメットの上からゴンゴンと叩いて覚醒。
そんな事が何度か続き、ガクッと膝を突きそうになる。
一緒に走っているブルが手を伸ばして目を覚まさせるが、もう限界だった。
何もかもが遠くなっていく錯覚に陥り、バードの意識から光も音も消える。
自分の意識が自分で制御できなくなる瞬間だった、
視界一杯に真っ赤な文字が現れた。
意識が落ちる寸前でバードは意識を繋ぎとめた。
まるで血のように赤く、恐怖感を覚えるような文字だった。
[ CAUTION! SYSTEMDOWN! ]
次の瞬間、バードは自分の意思で自分の身体を動かす事が出来なくなった。
起動したダミーシステムに身体の制御権を乗っ取られたと理解した。
これは要するに自己防衛本能みたいなもんだから……
そんな安心感を一瞬覚えたバード。
しかし、現実は余りにもショッキングなものだった。
[ DUMMYSYSTEM START! ]
――――え?
バードは心の中で驚く。
ダミーシステムがドライブするバードの身体は市街地を全力で走った。
走りながら、左右に出てくるAI体を片っ端から切り倒し始めた。
近距離はナイフで斬り、離れているAI体には銃を撃った。
幾つかのAI体が真っ赤な擬似血液を吹き出しながら倒れてるのが見えた。
本能のまま闘うと言う部分を勘違いしていたとバードは気が付いた。
最大効率で加速し街を走ると、自分が猛獣か肉食獣になった錯覚に陥る。
もしくは、血に飢えたプレデターだ。
獲物を追い詰めるように走り続け、レプリを四匹処理した。
だが、もう一匹が見つからない。
市街地の中を全速力で移動しながら次々とターゲットを切り刻む。
若い男女。杖を付いたお年寄り。立ち塞がるバスまでも一刀両断に切ってしまう。
その間を駆け抜けたら後方で大爆発が発生した。
周囲から『もうやめてくれ!』と悲鳴が聞こえる。
しかし、身体を乗っ取られると、自分で解除する事も出来ない。
――――もうダメ! もうやめて! もう無理!
心の中で叫んでも終わりは来ない。
目を瞑りたくても、ソレすら出来ない。
自分じゃない自分を見続ける苦痛をバードは言葉にできない。
心の中で泣きながら、最後のターゲットに早く出てきて!と祈った。
そしてその祈りは、最悪の形で裏切られた。
模擬ターゲットが小さな子供を抱えて銃をこっちへ向けている。
人質を取っている格好だ。
――――だめぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!
心の中でバードは絶叫する。
あれほど眠かった頭が今は透き通る水のようだった。
全てがスローモーに見える。AIな子供の表情が恐怖に歪む。
――――子供がいるの! ダメだって! 止まって! お願い!
自分の身体がナイフを構えなおした。
速度は一切落ちていない。
子供と目があった。
瞳孔まで開ききった諦観の表情だった。
――――私の身体止まって! とまってぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!
両手に最悪の感触が過ぎった。
柔らかい物体を斬った後、ちょっと固い物を斬る感触。
そして、ヌルッとした生暖かい液体を浴びる。
急ブレーキを掛けてから、まるで壁に跳ね返るボールのようにキックターン。
そのまま後方から襲い掛かり、垂直にナイフを振り下ろした。
真っ白な血と真っ赤な血が交じり合ってピンク色になった液体を頭から被る。
一瞬視界が失われ、瞬時にクリーナーが噴射。
視界が回復した時、バードは十字に切り捨てられた模擬死体を見下ろしていた。
赤い血を流す子供の死体。白い血を流すレプリの死体。
――――うそ……
限界まで追い込まれていた脳が覚醒した。
眠気も疲労も感じなくなって、呆然と見下ろしている……・
「バード これがダミーシステムの怖さだ お前が自立戦闘できなくなると こうなる」
「………民間人でした。しかも子供が!」
「IFFに反応しない物は全て敵だ。機械はそう判断する。グレーは無い。白か黒かだけだ」
バードはガタガタと震えだした。
こんなに震えたのは配属の時以来だとバードは思う。
だが、今は震える理由が違う。訳もわからず与えられた能力の恐ろしさ。
自分の持つ能力に震えた。
全く疑念を挟まず相手を切り殺す殺人鬼と成り果てた、もう一人の自分……
「自分が……恐ろしいです」
声まで震え始めた。両足がガクガクと震えた。
生身なら泣き出すような状況だろうけど、でも。
「サイボーグは皆、この機能を持っている。だから自分が恐ろしい。だが、恐怖に慄いて意識を手放してしまうのはもっと恐ろしい事になる。バード。よく覚えておけ。お前の中に居るもう一人のお前は血も涙も無いパーフェクトキラーの殺人マシーンだ。全てを破壊するモンスターだ。立ち塞がるものは全て完全に粉砕する。一切の矛盾無く、味方以外は全て殺す。それが何故だか、もう解るだろう?おまえ自身の生存本能そのものなんだよ」
ブルは転がった模擬体の死体を持ち上げて、バードに見せ付けた。
「お前がマトモなら、この子は死ななかった。これは模擬体だから良いが、実際に本物の人間を切り刻んで大問題になった事もある。だからなバード。お前自身が自分自身を使いこなせ。乗り物だと思って乗りこなせ。お前の持つ実力を使いこなすんだ。お前の身体はこれ位の事を朝飯前にやってのけるんだ。わかったな」
「……はい」
「今日の訓練はここまでとする。充電しておけ。脳殻の栄養補給を怠るなよ」
「はい」
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「その後、マーク大佐に見送られ自分の部屋へと帰ったんですが……」
バードは深い溜息をついた。
サイボーグには必要ない物だと皆も知っている筈の溜息。
しかし、それについて誰も違和感を感じなかった。
「戦闘準備室で身軽な格好になりシャワーを浴びて気分転換を図ったんですけどね。アレは模擬体だったって。どれ程、頭ではそう思っても、子供を斬ったと言う衝撃が頭から離れないんですよ。疲労限界を超えて脳がまともに思考出来ないんです。半ば無意識に充電ケーブルを接続し、エナジーアンプルを飲み込んで生体脳へカロリーを入れて。そして寝る努力をしたんですが、子供を切った瞬間をありありと思い出してしまうんです」
コーヒーを一口飲んで、また一つ息を吐いて。
「子供を斬った。それだけじゃなく、一般人を斬った。私が……この手で」
コーヒーカップを地面へ置いて、バードはジッと手を見る。
「気が付けば、無意識に詠唱していました。我々は海兵隊は無辜の市民を護る砦。剣となり盾となり、市民に仇なす敵を打ち倒す。この身体と精神の全ては市民の為に。常に忠誠を。我らの市民を護る為に」
バードの呟く海兵隊精神を三班のメンバー全員が途中から共に唱和した。
「だけど、その市民を私が殺した。子供を殺した。私が。私が。私が……」
まるで懺悔するかのようなバードの言葉に皆が瞬きも忘れて話を聞き入った。
ジッと手を見たままのバードの、その次の言葉を皆がじっと待っていた。
「どんな状況下でも常に冷静でいるって、実はそう言う事なんですよ」
バードの目がゲインズとシンプソンを捉えた。
まるで刃のような眼差しに、二人とも背筋を伸ばす。
「自分が持っている能力を正しく把握し、そして正しく行使する」
バードは真っ直ぐにマッドキャットを見た。
そして次にリッジ少尉を見る。
優しい微笑を添えて。
「私を支えるものは、恐怖です。自分の意思とは関係なしに与えられた、この恐ろしい能力をちゃんと自分の制御下に置いておくこと。それが出来ている限り、自分が安心出来るんです。自分が機械では無い、意思を持った人間だと安心出来るんです。何故だか分かりますか?」
バードは三班の面々をもう一度見回した。
候補生もインストラクターも顔を見合わせ、そして首を横に振る。
「自分が怖いんです。もしかしたら、自分が全部機械かもしれないと言う根源的な恐怖です。自分の脳を自分で見られるわけじゃ無いんです。本当の自分はもうとっくに死んでいて、今ここに居る自分は精神転写を行ったAIかも知れない。そして、自分が気が付かないうちに思考を制御されている、ただのロボットかもしれない。そんな恐怖です。それを打ち払う為に―――
言葉を続けようとしたバードが急に振り返ってナイフを投げた。
暗闇の中で金属同士の衝突音が響き、直後に『しまった!』と言う表情を浮かべる。
「どうしました!」
ゲインズ曹長が暗闇を凝視する。
その瞳に焚き火の明かりが写り込んだ。
「……やってしまいました。無意識に反応してしまった」
立ち上がったバードは暗闇から何かを拾ってきた。
ナイフに貫かれたのは、フライングトレーサードローン。
ちょっと大きめの蛾の様な、昆虫型のUAVだ。
「本当は壊しちゃいけないんですが」
「なんでですか?」
ゲインズ曹長がすかさず尋ねる。
「訓練を追跡し観察しているんですよ。本部が」
バードはゲインズの手にポイッとドローンを投げた。
完全に機能が死んでいる状態だ。
「そのドローンは自立思考し闇に紛れ敵を追跡します。攻撃能力はありませんが、だいたい二十時間は自立して飛行が可能です。私のこの身体と同じ位ですね。そのドローンと私の違いは、自分の意思があるかどうかに過ぎません。もしそのドローンに意思が有ったとしたら、どうします?」
「意思ですか?」
「そう。意思です」
返答に窮したゲインズはしばらく考えて何かを思いつく。
「レプリカントと同じじゃ無いでしょうか。彼らにも意思があります。プログラムではなく教育された意思です。私もそうですが」
「あなたも?」
「はい。自分は……」
ゲインズもまた一瞬だけ『しまった!』と言う表情を浮かべた。
「自分は兵学校で敵を打ち倒す教育を受けました。戦闘から無意識に逃げ出さない訓練です。その意味では自分も思考を制御されている可能性があります」
ゲインズの言葉にリッジ少尉が膝を叩いた。
「そうだな。その通りだ。バード少尉の身体は電気で動く。我々は筋肉で動き心臓が鼓動している。だが、レプリだって筋肉と心臓で動いている。そこに意思があるかどうかなんて、外からは分からない。だけど、自分が自分である蓋然性は自分でしか認識し得ないんだから……あぁ、そうか。だからバード少尉は恐怖と言う感情で自己認識を繋ぎとめてるんだな」
何処か勝手に自論を並べたリッジ少尉はスッと立ち上がって辺りを見回す。
「ドローンが追跡していると言う事は、本部がチェックしているな。サボってるなんて評価されるのは不本意だ。移動するぞ! 火を消せ! 痕跡を残すな! 戦闘展開し東へ移動する」
三班が動き出し、バードはその様子を黙って眺めた。
まだ夜は始まったばかりだった。




