恐怖の室内検閲
テッド隊長らと一緒にフロリダへ降下して1週間。
バード達は相変わらず候補生の指導役を絶賛継続中だった。
候補生らがバード達Bチームを見る目は、この数日で随分と厳しくなってきた。
厳しいと言うより尊敬の眼差しに近い部分もあるのだが。
ちょっとだけ敵意を感じる部分もあり、バードも時々は背筋が薄ら寒くなる。
だが『コレくらいでビビってちゃ海兵隊失格だ!』と自分を奮立たせ、候補生に体当たりで向かっていく方針は揺るがない。
まぁ、バードにしてみれば、正直面倒でもあるのだが。
―――――アメリカ合衆国 フロリダ ODSTスクール
2月25日 午前7時
Bチーム向けの臨時オフィスで朝食を摂っている朝。
良い匂いのする中へコナー大尉がやって来た。
画に描いたように四面四角なお堅い性格のコナ―大尉。
その姿は下士官以下から見て『めんどくさい士官像』そのものだった。
「おはようございます。少佐殿」
「おはようコナー大尉」
「デビルゲート第2週です。よろしくお願いします」
「今朝の段階で何人残ってる?」
ファイルを持ってきたコナー大尉へ、テッド隊長が質問を浴びせかける。
「少佐殿がこられた時点で108名でしたが、この1週間で68名脱落しました」
「というと、残りは40名か」
「今日からクラス124でドクターストップの掛かった者が今日から合流します。8名です」
「まぁ、仕方が無いな。1週間で20人にするつもりでいたんだが」
「十分絞ってもらいました。運営本部も満足でしょう」
「そうだとありがたい」
ODSTスクールの候補生は現場と同じく、基本的に12名で1つのチームを作っている。
朝5時半に起床し、まだ冷たいフロリダの海を着衣状態で2マイルほど水泳する。
その後、濡れたままの戦闘衣装で砂浜を5マイルほどジョギング。
最後に、用具倉庫の中で乱雑に振りまかれた戦闘装備を集め、野戦準備を完璧に整え演習場へ整列し点呼を受ける。
各班毎のチームワークが悪ければすぐに時間をロスする仕組みだ。
最下位になったら1アウト。
メンバーのうち、誰かしらの装備が欠落していたり、或いは不完全だと1アウト。
教官の指示と違う装備をした場合。または、完了できなかった場合も1アウト。
3アウトでチェンジだ。チーム単位で罰ゲームになる。
こうやって、チームより自分を優先するものが現れないよう、相互助力と補完の精神を植えつけられる。
そして、午前中は徹底的に身体を苛めて体力を練成する。
だが、本当に辛いのは午後だ。
食事のあと、僅かな休憩時間を挟んで午後はミッチリ学科の勉強。
その間、ウトウトしたり、或いは寝てしまうと、最初は『起きろ!』と警告される。
これが1ストライク。だが、その後、もう一度寝てしまった場合に2ストライク。
この時点で廊下に出て『腹筋20回!』か『腕立て伏せ20回!』が指示される。
これで目を覚まさず尚も寝てしまった場合、3ストライクで1アウトが取られる。
学科の厳しさはまだ続く。
毎日行われる学科の授業は最低でも三教科が行われる。
いずれかの学習進捗テストで最下位を取ると1アウト。
複数の学科で最下位になるとダブルプレーで2アウト。
3つ最下になってしまえば、トリプルプレーで3アウト。
自動的に審議委員会へ送られ審査を受ける事になる。
審査で再チャンス付与が無い場合はODSTスクール追放だ。
体力上の問題で追放された場合は、次回も志願出来る。
しかし、学力上で追放になると、志願を一切受け付けなくなってしまう。
宇宙を生活の場とするようになるODSTの場合、学習能力に問題があると判断されると非情に厳しい事になる。
地上と違い宇宙で生活すると言う事は、それだけで格段に注意力と洞察力が必要になるからだ。
バカではODSTは勤まらないが、利口な奴はODSTなんかに志願はしない。
選りすぐりで粒揃いな最高の兵士が揃う国連軍のODST。
ニヤニヤと笑うテッド隊長がファイルに目を通している間、コナー大尉は微動だにする事無く、ジッと次の指示を待っている。
ジッとテッド隊長を見つめ、周囲の状況に気を配る事が無い。
実はこの時、バードとペイトンは自分より上階級の士官が来たのだから、食事の手を止めていた。士官である以上は必要なマナーと振る舞い。黙ってジッと待つ事も重要な能力である。ややあってコナー大尉がそれに気が付いた。
「あぁ。二人とも気が付かなくてすまない。構わず食事を続けてくれ」
「ありがとうございます」
ニコリと笑みを添えて食事を再開するペイトンとバード。
ジョンソンが笑っている。
「マイクも気がつくようになったな」
「あぁ。だいぶ勉強したよ。ここで」
コナー大尉がそれに答えた。
そうか、コナー大尉の名前はマイケルかとバードは気が付くのだけど。
「早く宇宙戻って来いよ。また一緒に降下しようぜ!」
「あぁ。もうちょっと勉強してな」
不思議な会話をしているのだけど、気にしないようにしてバードは食事を続けた。
ただ、チラリとペイトンに目をやった時、向こうもそれに気が付いたらしく一瞬だけ目が合った。
『コナー大尉は性格に問題ありで人物評価審議委員会へ送られ、ここで新人教育担当になったのさ』
ペイトンは無線でこっそり、バードに舞台裏の説明を始める。
『性格に問題あり?』
『そう。無茶なタスクを組んで部隊を危険に晒してな』
『あらら。問題上司の典型例だね』
『ただまぁ、それ自体は生まれ育った環境と言う部分もあったからな』
『そうなんだ』
『もう一つ、士官に致命的な欠点が有って』
『……注意力散漫?』
『その真逆で、一点に集中しすぎるんだ』
一瞬だけペイトンの目がコナー大尉を見た。
釣られてバードもチラリと視線を向ける。
大尉は真っ直ぐにテッド隊長を見ていた。
一切わき目も振らず、ただただ純粋に。
その姿にバードが苦笑を浮かべる。
『この人が部下から信頼され敬愛される上官となる為には、訓練指導って経験が必要だって踏んだのさ』
『そうだったんだ。最初に降りた時もそうだったけど、思った事は考えずに喋っちゃうタイプね』
『オマケに口が悪い。ジョンソン並に皮肉屋なんだよ。この人も』
『わぉ! じゃぁ、理解の浅い人に囲まれると辛いね。間違いなく』
『そう。だから俺はBチームに居られる事を感謝してるんだ。神様なんかじゃなくて、仲間にさ』
横目でチラリとバードを見たペイトンがウィンクする。
バードはニコリと微笑を返した。
「で、今日の予定は?」
「今日は―――
テッド少佐とコナ―大尉の会話が続く中、給仕担当がワゴンを押してやって来て、並んでいた皿を片付けた。
リアクターのタンク容量以上は食べられないサイボーグの場合、同じガタイの男と比べると驚くほど食が細い。
西欧的食文化である以上、デザートは必ず付いてくる。
給仕はオレンジのシャーベットをデザートに置いて行った。
「凄いな。ピッタリだ」
ジョンソンが驚いている。
デザートまで食べ切ってリアクターのタンク容量にピッタリだった。
「しかも、カロリーと再合成発電容量まで計算しつくしてるぜ、これ」
ペイトンも驚いている。
だけど、味は文句ないほど美味しいし、それに丁寧だ。
嬉しそうにシャーベットを食べるバードを見ながら、テッド少佐は笑っていた。
「バーディーは本当に何でも美味そうに食べるな」
「え? あ…… そうですか? これ美味しく無いんですか? 美味しいと思うけど」
「そうじゃない。見てる方も幸せになるって事だ」
アハハと笑いながら気の置けない仲間達と囲む食卓。それも大切な調味料だ。
バードは三年以上も点滴だけで生きてきた、いや、生かされていた。
その苦痛に比べれば、たとえ泥や石ころを食べたとしても、きっと美味しいと思う筈だとバードは思った。
まぁ。実際に泥は食べたいとは、さすがのバードも思わないけれど。
「さて。行くか!」
皆が食べ終えて席を立った。
給仕がその後を片付け始めるので、ごちそうさまを言いつつ手伝うバード。
士官が手伝っているのを恐縮しきりな給仕は手が震えている。
「じゃ」
立ち去るバードの後ろ姿に給仕が深く一礼した。
それを見たジョンソンがつぶやく。
「バーディーの様な心配りが出来れば、マイクも苦労しないんだろうけどな」
独り言じみたその言葉にテッド隊長は言う。
「バーディーの配慮は女性特有の物だ。こればかりは学べるもんじゃ無い」
「そうっすね」
ペイトンもそんな事を言いつつバードを見た。
「すいません。お待たせしました。今日は何からですか?」
明るく問いかけたバードを三人が笑いながら見ている。
「バーディーはいつも前向きで良いな」
「え? そうですか?」
「才能って事だ。後ろ向きに生きている奴はいつかどこかで痛い目に遭う。人生ポジティブが一番だ」
テッド少佐の柔らかな言葉にバードは訝しがった。
「まぁいい。午前中の課題は候補生にとって試練だ。男が一番苦手な奴だからな」
そんな言葉にジョンソンとペイトンがニヤリと苦笑している。
二人の仕草に何かを読み取ったバードもまたニヤッと笑った。
「厳しめですか? 甘めですか?」
両手をすり合わせてニヤニヤと笑う姿に、皆がバードの中のサディスティックな部分を見つけている。
「士官学校並みに厳しくやって良いぜ。しかもバーディーの視線でだ」
ジョンソンはバードを指を指して凶悪な笑みを浮かべた。
そしてペイトンだけじゃ無くテッド少佐までもが邪悪な笑みを浮かべている。
「合格を取れなかった奴は芝生で寝るようだな」
「まぁ、涼しくて良いんじゃ無いですか? 野営訓練みたいなモンすよ」
「そうだな。どこでも寝られないとODSTは務まらない」
四人はゆっくりと候補生達の暮らす宿舎へと歩いて行く。
これから起きる本当の悲劇を、候補生達は知らなかった。
――――ODSTスクール 候補生宿舎前
午前8時
メスホールで朝食を終えた候補生達は、突然現れたインストラクターから野戦服へ着替え宿舎前に整列を命じられた。
午前5時過ぎに起床し、寝起きからガンガンと鍛えられまくった後でメディカルチェックを受け、シャワーを浴びてから朝食。
ラフな格好で午前9時の集合時刻まで自由時間だったはずなのだが。
意味が解らずも素早く着替えて整列した候補生。
そこへBチームの四人が現れた。
当然、候補生達は猛烈に嫌な予感を覚える。
「これより装具点検と室内検閲を行う。全員整列!」
インストラクターが大声で宣言したあと『どうぞ』の姿勢で手を差し出した。
テッド少佐以下、ジョンソンもペイトンは白手袋をはめて立っていた。
『バーディー。一切遠慮するな』
そんな隊長の言葉が無線に流れ、僅かに首肯したバードは両手に白手袋をはめて皆の前に立った。
緊張の面持ちで候補生48名が並んでいる所を歩きながら、一人ずつ点検して行く。
「おい、パット。お前ほんとに士官学校出てんのか?」
最初の一人、パットフィールド中尉の時点で既に四人は足を止めている。
ジョンソンはプレスの効いた上着の肩をいからせて中尉を眺めている。
「バーディー」
「はい」
テッド少佐に声を掛けられたバードは、短く返事をしてからパット中尉に正対し敬礼をした。
「中尉殿。失礼します」
「少尉。よろしく頼む」
まずヘルメットを取る。宇宙飛行士でもあるODSTの場合、丸刈りは一切禁止だ。ヘルメットと頭蓋骨の間に挟む緩衝材として髪の毛は、バカになら無い効果がある。
だが、長すぎてもいけないのは言うまでも無い。
ある程度短く切り揃えられ、耳に一切かかって無い事が重要である。
また、ヘルメットなど使いまわす都合などもあり、丁寧に洗ってフケなど出て無い事も重要であった。
パットフィールド中尉の髪は若干長い。本来はギリギリ許容範囲であるが……
「理髪不備!」
次に上着の点検。ボタンは緩くなって無いか。
チャックなどにほつれは無いか。縫い目は笑っていないか。
身を包む衣服として『機能を維持しているか』が非常に重要だ。
そしてそれと同時に重要なのは、しみや汚れなどを残していないか。
臭いを発していないか。洗濯とアイロン掛けが行き届いているかだ。
宇宙基地は巨大な密閉空間であるから、誰か一人が不潔であったら皆が迷惑する。
それを防ぐ為の点検だ。
バードは中尉の襟を掴んでクンクンと臭いをかぐ。
「着衣洗浄不備!」
服だけでなく重要なのは靴。
宇宙服で一番損傷するのは靴部分と言われている。
靴の手入れを怠る者は案外多い。
しかし、Bチームは皆知っている。
戦場では靴から損傷し戦闘継続不能となるケースが結構ある事を。
自らの装備全てに細心の注意を払って整備を行う事が重要だ。
バードは靴紐に指を挿し込み、力一杯グッと引っぱる。
エアボーンで着地の瞬間、靴紐には体重の五倍も力が掛かるといわれている。
予想通り、中尉の靴紐はブツリと音を立ててあっけなく切れた。
「戦闘長靴整備不備! 更に洗浄不備!」
そう。洗浄不備。これが結構命取りになる。
靴磨きは単に身だしなみと言う意味だけではない。
宇宙服は気密を保って生命維持の担保となる。
その表面を丁寧に磨く事によって細かな傷や割れ目を探す事になる。
戦闘中に気密服が破け、急減圧して戦闘不能と言う事があると困るのだ。
何より、戦闘前の土壇場で手間を増やすようなドジは現場だと邪魔なだけ。
パット中尉を囲んでいるBチームの士官は、全身くまなく整備の行き届いた姿だった。
「パット。俺の経験的に言うとな。靴の手入れを怠る奴は、だいたいが銃や降下装備の手入れもいい加減だ。そして、そう言う奴はだいたい最初の降下で死ぬ。細かい部分までの配慮は非常に重要だ。戦闘降下前の準備を怠る奴は戦闘中に装備の不備で死ぬ事になる。ODSTへ配属されてまだ三ヶ月の新任少尉にこれだけ指摘されてて、君は恥ずかしいと思わないか?」
テッド少佐の呆れた声に他の候補生が表情を引きつらせていた。
「両手を地面へつけ! わかっているな! ワンペナで10回だ! 始め!」
ジョンソンの声が居並ぶ候補生の心臓をギュッと締め付ける。
パットフィールド中尉は反射的に両手を地面へついた。
大声で回数をカウントしながら腕立て伏せを始め、皆がそれを見ている。
それを横目に見ながらバードは隣のボブソン中尉のチェックを始める。
ここでも非常に厳しい採点が行われ、やはりボブソン中尉も腕立て伏せ40回を行った。
シーファー少尉も40回。最後の頃は声が掠れているが、容赦は一切無い。
「ライナリッジ少尉。失礼します」
「よろしくお願いします」
バードは最初にリッジ少尉のヘルメットを取る。
「理髪良し! 身だしなみ良し! 合格!」
続いて服装検査、軍靴検査と続き、リッジ少尉は最初の合格者となった。
「さすがシールズだ。バッズ経験者は違うな」
ジョンソンとペイトンが感心する中、バードはCPOの検査に移っていた。
上級曹長であるクライダ、途中参加のシューメイカー、スコット、そしてゲインズ。
この4名も全滅だった。
「ゲインズ曹長。プリーブを思い出しなさい」
「了解しました!」
一歩下がったバード。
「両手をついて40回!」
上級曹長が腕立て伏せを始めると同時に、今度は曹長6名に正対する。
リベラ、ライブリー、ホランド、フー、ビショップ、フリオニール。
やはり全滅だった。聞きしに勝る厳しさに言葉を失っている下士官達。
呆れた様子のバードが同じ様に腕立て伏せを命じる。
一等軍曹の8名。ボーグルソン、ヒース、ゲイリー、ヴォリティ、ジャスティス、ルースベント、途中参加のチェイニー、テイラー。
二等軍曹の8名。ピッチアーノ、モーガン、ハース、途中参加のスピノヴィッジとローゼンバーグ、スコット、ペース、インゲネリ。
三等軍曹の6名。シェング、ハーシェル、フォックス、ポッター、ジャスティナとレーンも途中参加。
合計22名もまた全滅。そろそろバードがやる気をなくしつつある。
見る間でもなく、全員不合格とすぐにわかるだらしなさだった。
そしてそのまま最後のグループ。
伍長の5人。シャイラ、カード、クリスピーノ、フランシア、途中参加のゲイリー。
上等兵の7名。コマロフ、最年少一九歳のケーシー、疑惑の2人。シンプソンとアレン、ゲティーズ、ホリー、途中参加のレッグ。
全員まとめて不合格だ。
48名全部チェックしたバードは呆れて言葉も無かった。
だが、テッド少佐の目は最後まで気を抜くなと指示を送っていた。
「全員腕立て伏せを続けながら聞きなさい。宇宙空間では僅かな気の緩みが死に繋がります。無意識に細心の注意を払えるようにならなければいけません。海兵隊は市民の手本足るべしと言いますが、そもそも装具の手入れや自らに気をつけると言う事は、すなわち自分自身を守ると言う最も重要な事の第一歩です。気密ハッチを閉めるだけでも、密着部分を清潔清浄に保つなど、些細な所まで気が付くように自分自身を教育するのです。無意識にそれが出来るようになれば、宇宙でも生きていけるでしょう。私と違って生身な候補生は気密が抜けたら、それだけで簡単に死にます。そうならない為のトレーニングです」
女性らしい丁寧な口調を心掛けたバードだったが、候補生の反応はちょっと違っていた。
腕立て伏せを続けながら『はい!』と元気な声が帰ってきたモノの……
―――少尉はマジ切れ一歩前だぜ
と、変に警戒しているらしい。
『なんか返って警戒されちゃったかな?』
無線の中で愚痴をこぼしたバード。
腕立てを続ける候補生を挟んだ向かい側に陣取るジョンソンとペイトンは微妙に渋い表情だ。
『期待に応えてやれよバード』
『そうだ。室内検閲も派手にやってやれ』
怪訝な顔でジョンソンを見たバード。
その表情は『ほんとに?』と言わんばかりだ。
「宜しい。では次に室内検閲にうつる」
テッド隊長が宣言し、12ある部屋の内、最初の1部屋目へとバードがやって来た。
4人部屋の前で整列している候補生達。
「室長は?」
「私だ」
バードの問いにパットフィールド中尉が手を上げた。
ルームメイトはクライダー上級曹長。ペース二等軍曹。ゲティーズ上等兵。
4人部屋に平のベッドが4つ。バードは士官学校を思い出す。
「パット中尉はアナハイム出身か?」
「いえ、兵学校ではなく一般校です」
ジョンソンの質問にパット中尉は胸を張って答えた。
だが、それと同時進行でバードは最初の引き出しを開けていた。
「ここは?」
「私の所です」
ペース二等軍曹が手を上げた。
ウンと頷いたバードは、引き出しごと引き抜き部屋の外へポイと捨てた。
窓の外までは結構距離があるが、バードの仕草は紙屑を投げる様なものだった。
「やり直し」
それが始まりだった。10分と経たないうちにペイトンがウヘェと小さく漏らす。
候補生達は教官役のサイボーグに女性が混じっている事を嫌と言うほど理解する。
ベッドがキチンと整理されてなければ、シーツごとまとめて窓の外へ。
枕の位置。毛布の位置。シーツのたたみ具合。
その角がキチンと揃っているかまで確かめられる。
なにも、ネチネチといじめをしている訳じゃ無い。
嫌みたらしくいびっている訳でも無い。
自分の装備を調える上で隅々まで徹底的に気を配り、注意深く準備すると言う能力を頭にたたき込むショック療法だ。
激しい戦闘を生き延びる為には、それが始まる前にどんな些細な事でも手を抜かず準備する事が必要になる。
一般兵士よりも激しい部分へ投入されるODSTの場合。人的被害を減らす為の能力向上というのはこういう部分から行われる事になる。
だが、同じ軍隊でも緩い環境で何となく兵士をやって来た者にとっては大きな試練だ。
全てにおいて従来とは次元の違う洞察力を求められる事になる彼らは、教官陣が何を求めているのか?を自分の頭で考えなければならない。
そのヒントになり得る事件の一つは、3つめの部屋で起きた。
「このベッドで寝てるのは?」
「自分であります。少尉殿」
手を上げたのはフォックス三等軍曹。
彼の使っていたベッドだった。
「ベッド一つ手入れ出来なくてODSTが務まると思っているなら大間違いね」
「申し訳ありません!」
「まともな手入れをしていないと言う事は、コレが無くても一緒って事ね?」
ベッドのフレームに手を掛けたバードは、遠慮無く窓から放り投げた。
膂力に余裕のあるサイボーグとは言え、重量のあるベッドを軽々と担ぐ様は恐ろしいの一言に尽きた。
部屋の中からベッドが一つ無くなると、この部屋の誰かはベッド無しで寝る事になる。
「誰かの不注意で戦闘装備が無くなったとして、そこを責めるのはフェアでは無いと敵が攻撃の手を緩めると思う者は手を上げなさい」
室内の候補生は直立不動で固まっている。
「全てにおいて注意深く準備するとはそう言う事です。こっちが弱点を見せれば相手は徹底的にそこを狙ってきます。生きるか死ぬかの境目は、案外こういう部分での注意力で決まります。そして……」
クローゼットを開け、つり下げてある戦闘服を確かめるバード。
アイロンこそ必要ないモノの、丁寧に洗濯しつり下げてあるとは言いがたい。
「えぇっと…… これなに? 洗ってないの?」
すぐ近くに立っていたカード伍長の顔から表情が消えた。
「臭い不備! 洗濯不備! 清掃不備! 整頓不備! 取り扱い配慮不備!」
クローゼットの中身を全部抱えて窓から放り投げる。
引き出しの中もどうせ同じだと見るまでも無かった。
引き出すと同時に部屋の中にぶちまける。
「普段の服や装備やベッドや部屋の中。それだけじゃ無く、引き出しやら水回りやら、そう言う部分において一つ一つ丁寧に、細かな部分まで配慮して行動すると言うのは、最終的に自分の身を守る事に繋がります。部屋の中ひとつ片付けも整備も出来ない者が宇宙で暮らせると思うなら、勘違いも甚だしい」
そのまま12号室まで検査して、一部屋として合格の出た部屋が無かった。
唯一、リッジ少尉の使っていた部屋だけは片づいていたのだが、ルームメイトがダメだった。
「黙ってたな? リッジ」
テッド隊長はライナリッジ少尉を捕まえていた。
「はい。経験しなければ学べないと思いました」
「……良い上官になりそうだ」
「ありがとうございます」
僅かに頷きジッとリッジ少尉の目を見たテッド少佐。
だが、どこか不満げな態度にリッジ少尉は更に考える。
「次はもう一段上を目指そう」
「上……ですか?」
「そうだ。今それをバーディーが学んでいる真っ最中だ」
「バード少尉が?」
「そうだ。君も学べ。将来役に立つ。誰もが通る道だ」
2人が会話している中、ジョンソンは各部屋を回って通達を出す。
「いいか! 11時から再検査を行うからな。そこで合格しない場合は……まぁ楽しみにしておけ」
各部屋に分かれた候補生が必死になって部屋の掃除を始めた。
それを監督しつつ、ジョンソンやペイトンも指導に当たっている。
靴も靴下も脱ぎ、素足で部屋を歩くペイトンは床の感触を確かめていた。
「砂だらけで部屋に入ったら床に砂が落ちるよな?」
室内の候補生がペイトンの話にジッと耳を傾ける。
「この砂が舞い上がったら面倒だと思わないか? 月面は重力が弱い。重力補償を使っても弱い。だから、舞い上がった砂や埃はなかなか下に落ちない。で、月面の表面にある砂はレゴリスと言うが……学科でやったよな? あれを基地内に持ち込むと喘息やアレルギー性鼻炎などに類似する症状を引き起こす事が多々ある。自分の装備から汚れを落とす癖を付けておくのが必要だ。あと、もう一つ」
ペイトンは部屋に装備されているエアコンの中を覗き込む。
中のダクトにまで気を配れと言う指示でもある。
「宇宙空間における基地というのは巨大な潜水艦だ。密閉空間なんだよ。悪臭や刺激性物質を基地内へ持ち込むと、自分の部屋だけでは済まなくなる。基地中臭くなるんだ。宇宙では水と空気が一番の貴重品で、その浄化と再生処理には下手な兵器やらより余程コストが掛かっている。そう言う部分を蔑ろにする様な奴はODSTに参加できない。戦闘能力がどれ程高くても、宇宙で暮らす資質に欠けると言う事だ」
およそ軍隊と言う所は戦闘を継続する為の部分に関しては、恐ろしく組織化されているものだ。しかし、普段の生活などでは個人の資質に依存している部分が多い。
ODSTに限らず宇宙で暮らす事になる人間を育てる場所なのだから、宇宙飛行士並みの能力を要求されるのは仕方が無い事でもある。
「なんで再検査が2時間後か解るか?」
とある部屋の中でジョンソンが候補生を唸りつけていた。
「2時間でも15分でも出来る奴は出来るし、出来ない奴は出来ない。明日の朝まで掛かってもだ。だけど軍隊って所は出来るまで待ってくれる様な組織じゃ無い。出来ないなら出来る様になればいい。出来ない奴は必要ないんだ。簡単だろ?」
部屋掃除というミッションがこれほど重要な意味を持つのかと驚く者が多い。
ただ、時間だけは万民に平等で、しかも一切容赦が無い。
青い顔をして片付ける者が居る一方で、テキパキと段取りよく片付けコーヒーを飲むものが居る。
「さて。2時間が経過しました。室内検閲第1号に志願する部屋はありますか?」
バードの問いに勢いよく手を上げたのはリッジ少尉だった。
「この部屋からお願いします」
「了解しました」
リッジ少尉の部屋へと入るバードは、先ほどと全く違う異次元の片付けぶりに驚く。事細かで徹底的に整えられた部屋は士官学校時代の自室を思い出させた。
自分とホーリーとであちこち整理しまくり、使い始めの頃より綺麗になったとまで言われた部屋。さすが士官学校出は違うと感心する。
「ベッド良し シンク良し 洗面台良し トイレ良し 室内床良し クローゼット良し 引き出し良し 衣類整理良し 装備品整備良し」
一つずつチェックポイントを指さしながら確かめるバード。
その声を聞きながら、他の部屋ではここが危ないのかと再確認を急いでいた。
「5号室確認終わり。合格!」
最初の合格者が出た。リッジ少尉以下の4人がホッとした顔をしていた。
「次は?」
「こっちを頼む」
バードに声を掛けたのはボブソン中尉だった。
「中尉。失礼します」
一歩部屋へ入ると、リッジ室とは違う意味で片付けられた部屋に驚く。
整っているのでは無く固まっていると言う印象だった。
「ボブソン中尉は」
「俺はダートマス出身なんだ」
「……そうでしたか」
部屋の外で見ていたジョンソンが笑っていた。
サンドハーストとダートマスは色んな意味でライバルだ。
ウェストポイントとアナハイムが永遠のライバルである様に。
「ベッド良し シンク良し 洗面台良し トイレ良し 室内床良し クローゼット良し 引き出し良し 衣類整理良し 装備品整備良し 合格!」
ホッとした表情のボブソン中尉が一つ息をついた。
その肩をポンと叩くジョンソンが笑う。
「ブリテン出身だと緊張の意味が違うな」
「全くです。大尉。今からソーホーへ呑みに行きたい気分です」
「ここからじゃちょっと遠いな」
二人して笑っているさまを眺めたあと、続いてシェーファー少尉の部屋に入った。
ここはまた違う意味で整っている。ただ、ある種の雑然とした空気も感じるのだ。
「シェーファー少尉は?」
「俺はキングスポイント出身なんだ。だからちょっと緩い」
苦笑いのシェーファー少尉。
商船学校出身の士官だと、色んな意味で大変だろうと思うのだが。
「ベッド良し シンク良し 洗面台良し トイレ良し 室内床良し クローゼット良し 引き出し良し 衣類整理良し 装備品整備良し 合格!」
士官3人の班がインスペクションを終えた以上、パットフィールド中尉はここで手を上げない訳には行かない。
中尉と目のあったバードは、何も言わずにパット中尉の部屋の前に立った。
「よろしいですか?」
「あぁ。頼む」
「はい」
一歩足を踏み入れると、それなりに片付けてある部屋だという印象を得た。
だが、その片付け具合はどうも上手くない。
一言で言えば統制の取れた雑然さと言う様な状況だ。
「中尉はアナハイム卒ですか?」
「いや、実はペンシルバニア大のROTCなんだ」
「……なるほど」
士官学校卒であれば嫌と言うほどたたき込まれるはずの室内作法。
それが全く出来ていないと言うのはおかしいとバードも考えていた。
だが、一般大学卒というのであればそれもやむを得ない。
そう言えばペンシルバニアと言えばドリーも……
あれこれと考えながら部屋をチェックしていたら、一つだけベッドの手入れが甘い物があった。
「コレは?」
部屋の中に冷たい声が流れる。
バードの声が刺さる様に冷たい。
「自分が片付けました!」
一歩踏み出たのは最年少19歳のケーシー上等兵。
「これで片付けたと言えるの?」
「整えたのですが……」
申し訳なさそうに言うケーシーは僅かに震えていた。
「フレームに邪魔な突起があって、どうしても上手くシーツが掛けられません」
怪訝な顔で見ているバード。
無線の中でジョンソンもペイトンも囃し立てている。
『出来ないのとやらないのは意味が違うよな』
『出来る様にするんじゃ無くてやりたくなる様に仕向ければ良いんじゃ無いか?』
『一晩くらいは床で寝たって平気だろ。次から頑張るさ』
全く無責任な言葉が飛び交う。
チラリとペイトンを見たバード。
ペイトンは顎を僅かに振って『やれ』と言うサインを送った。
「全くもぉ……」
ボソリと呟くバードは、怒りの気配を全身に纏っていた。
厳しい視線を一つ送ってからもう一度ベッドを見る。
木製フレームの割と大きなベッドだ。しかも、大の男が眠れる様に大きめに作ってある。
そのベッドのフレームを、バードは力一杯蹴りつけた。鈍い音が響き、木製のフレームが完全に破断した。
それを見ていたケーシーは引きつった表情で震えている。その隣ではパットフィールド中尉が渋い表情だ。
一部始終を見届けたジョンソンが部屋に入ってきてケーシーの隣に立つ。
「ケーシー。お前の手入れが悪くて装備が壊れた。つまり、ここには所定装備が一つ足りない状態だ」
「……はい」
「明日、この部屋を使う班は装備が足りない状態で過ごす事になる。コレがもし戦場だった場合は?」
「……装備無しで戦う事に成ります」
「解ってるじゃないか。装備の整備一つ出来ない様じゃ……」
ケーシーが指導されている最中、バードは自ら踏み折ったフレームになにかを見つけた。
極々小さな機材だ。ペン先ほどの小さなモノだが、フレームの中に食い込む様に隠されてあった。
「なにコレ?」
指先でつまみ上げたバード。
その一言にジョンソンが振り返り、一瞬視線が交差した。
呆れているバードだが、ジョンソンの目には焦りの色が浮かび上がる。
空気が変わったのに気が付いて、バードは黙ったまま視線だけジョンソンへと向けた。
怪訝な顔のままその小さな機材を見つめていたジョンソンは、痛いほどのの沈黙を経て呟いた。
「……盗聴器だ」




