地獄の入り口
バードが見上げている先。
シンプソンと胸に書かれたTシャツを着ている候補生が鉄棒にぶら下がっていた。
バードの視界には警告を告げる真っ赤な文字がスクロールしている。
ただ、レプリチェッカーの反応は無い。
『ねぇペイトン』
『なんだ?』
『ペイトン ここの事務所のデータサーバ。ハッキング出来る?』
『どうした? なんかあったか?』
『候補生の中に個人識別マーカーで名前の表示されない者が……』
懸垂の監督から一歩下がって全体を見回したバード。少し離れた場所でジョンソンに絞られているグループの中に、もう一人名前の出ない奴が居るのを見つける。
『識別マーカーのエラー表示が二名いる』
『マジか?? レプリチェッカーは?』
『レッド表示じゃないけどグリーンでもない』
まさかと思いつつ、バードはゆっくりと距離を詰めた。目を見れば一発で解るはずだ。
ジョンソンの監督下、腹筋をしている候補生にも真っ赤な警告文が浮いている。
それとなく近づいて行って、必死に腹筋をしているシーンを観察。
懸垂の終わった組から腹筋をしているのだけど、警告付きの候補生だけがバードを見ていない。
いや、正確にはバードだけじゃなく、Bチームのメンバーを見ようとはしていない。これはますます怪しいとバードは警戒モードに入る。
『バーディー。それはどいつだ?』
ジョンソンも声が警戒モードに入った。
『アッチの懸垂中のシンプソンと、この腹筋中のアレン』
『なるほど。確かにこいつら俺と目をあわせようとしないな』
『でしょ? あっちのもそうなの』
腹筋を終えてそれぞれの班毎にグループを作っている候補生達。
ジョンソンはテッド少佐をチラリと見て、次へ行って良いか?と確かめた。
テッド少佐が僅かに頷いたのでジョンソンは丸太の上に足を乗せる。
一番最後まで腹筋をし続けて居た者がグループへ合流すると同時にジョンソンが指示を出す。
「一つのグループで丸太二本を持ち移動! 丘を下ってもう一度登れ!」
ここの丸太にも『古き佳き伝統』と書かれていた。
「最初に終えた者は休憩する時間が有ったんだがなぁ 次は頑張れ」
クタクタに疲れ切った候補生が絶望的な表情を見せている。
そんな中でもシンプソンとアレンは目をあわせようとしない。
「はじめ!」
各グループが丸太を抱えて丘を降り始めた。
下り坂なので速度の調整が重要なのだが、足を取られたりして転べばえらい事になる。
そんな様子を眺めながらバードは無線の中で呟く。
『候補生にレプリが紛れ込む可能性ってあるかな?』
『まぁ、無くは無いだろうけど可能性は低いよな』
『候補生は軍のアチコチから集められてる。元の部隊に紛れ込んでたか……』
ジョンソンもペイトンもかなり警戒しているようだ。
『候補生の履歴を偽造してここへ潜り込ませたとかならどうだろう?』
『あんまり考えたくないな。つまり、内部に工作員が居るって事だろ』
ペイトンの言葉にバードは思わず身震いした。
『とりあえずサーバーをハッキングして見る。経歴を洗ってみよう』
『よろしく』
ややあってペイトンがバードの方を向いてさりげなくサムアップした。
『ここのセキュリティはザル以下だ。今そっちへ送る』
『あ、データ来た』
視野の片隅に書類マークが浮き上がった。
自動展開させてデータベースを更新させてみると、片方にはシンプソンと名前が表示された。もう1人のアレンも表示が浮いている。
『バーディー 問題か?』
テッド隊長が打ち合わせを終えたらしい。
さっそく事態の確認が始まった。
『候補生に識別マーカー漏れが二名。いまペイトンがハッキング掛けてデータ更新したら判明です』
隊長の表情が一気に険しくなった……
『最優先で細心の注意を払おう。ここで自爆でもされると面倒だ』
『そうですね』
バードは識別リストを開けて要注意人物の欄へチェックを入れた。
視界にこの二人が入る都度に[!]の表示が浮くようになっている。
『まさかとは思いますが、Aチームのロイから聞いた話もありますし』
『絶対に注意を怠るな。目を離すな。怪しい素振りを見せたら隊から外す』
テッド少佐の声が明らかに緊張している。
だけど、気取られると向こうも警戒するかも知れない。
『絶対に気取られるな。出来ればしっぽを掴んで吐かせたい』
『了解』
『で、どいつだ?』
『こっちとこっちです』
隊長の視野に入れてもらって矢印表示。
『よし解った。俺も警戒する』
続々と丸太を抱えて丘を登ってくる候補生達。
汗を流して辛そうだ。だけど、一切同情してはいけない。
「さて、そろそろ身体も暖まって来た頃だろ」
内心警戒しているテッド少佐だが、表向きはにこやかで、サラッとそんな言葉をはいた。
だが、候補生達は一切遠慮の無い姿勢にショックを受けたのか、愕然としていて心ここにあらずだ。
不意に一番外側に居た候補生達が丸太を下へおろした。テッド少佐はそれを見逃さなかった。
「誰が下ろして良いと言った?」
テッド少佐の言葉に雷でも落ちたかのような反応を見せた候補生のグループが再び丸太を抱え上げた。
だが、指示以外の行動をするとペナルティと言う一大原則をまだ理解していない者が居ると言うのは問題だ。
「両手を地面へつけ! 解っているな! 12名も間抜けが居るんだ! 腕の数だけ腕立て伏せ! 24回だ!」
大きな声で『ハイ!』と返事をし腕立て伏せを始める。
だが、ついさっきまで腕立て100回懸垂100回をこなし、更に丸太を抱えて走った後だ。どれ程鍛えてあっても速度が乗らない。
「モタモタするな! 丸太を抱えて待ってる仲間が居るんだぞ! それとも途中で止めて休んでるのか? 仲間がこんなに苦しんでるのに!」
「勝手に丸太を下ろすんだから勝手に休む位は朝飯前だよな? 他人がどんなに苦しもうと幾らでも我慢出来るモンだしな」
身体を持ち上げる事が出来ず震えている候補生の耳元で、ジョンソンとペイトンが大声を張り上げている。
その姿を見ながら丸太を抱えたままの候補生達もプルプルと震えていて、恨めしそうに腕立て組みを眺めている。
ジョンソンの言葉に辛辣な皮肉が混じり始めるのを実感して笑いを噛み殺すバード。
――――あ! チャンスだ!
それとなく腕立て組みへと近づくと、絶対に目を背けられない角度で候補生の向かいに立った。
「背中が曲がってる! 腰までちゃんと上げる! それがODSTの腕立て伏せと言えるの?」
厳しい言葉を浴びせかけながら、唐突に丸太組みを見た。やはりアレンとシンプソンは目を合わせない。
だが、ホンの一瞬だけシンプソンの視線がバードと交錯した。レプリ反応は無い。でも、バードと目が合った後、不自然に視線をそらした。
『視線を合わせようとしません。一瞬だけ見たのですが、レプリ反応は出ませんでした』
『臭うな。よし、重点的に絞り上げよう』
やっと腕立て伏せを終えた組みが再び丸太を抱えて立ち上がった。
「諸君。戦闘に休憩時間は無い。訓練についていけないと判断する追放審議会も無い。なぜなら、実戦について行けない者は死ぬからだ。つまり、勝つまでが戦闘だ。勝ちきれば安全だからだ。わかるか?」
テッド少佐の言葉が恐ろしい響きを持っている。
だけど、勝ちきるまで攻め続けるのが基本で来たのだから、バードもそれに疑問は挟まない。
「全員行軍開始! 前へ進め! 丸太をおろすな!」
テッド少佐を先頭に候補生が歩き始める。ここまで全く休んでいないのだが、そんな事は関係なく、装備を背負ったまま歩き続ける訓練が始まった。
黙々と歩き続け、途中、兵舎の前で水の入った水筒を受け取り水を飲ませる。それから今度は硬いレーションでカロリーを補給させエネルギーを摂らせる。勿論丸太を抱えたままだ。
生身だと確かに大変だ。バードは自分達サイボーグが重宝される訳だと気が付く。そして、こき使われる訳も。
『バーディー エナジーアンプルの補給を忘れるなよ』
『はい。実はさっき1本入れました』
テッド少佐の言葉にバードはカミングアウトする。身体は電気で動くけど、脳殻内の生体部品はカロリーを必要とする。硬質プラスティックに入った栄養補給用リキッドを経口補給すれば、サイボーグはカロリー不足でへばる事など無い。
『隊長 これって本当はどんな味なんですか?』
『さぁな。本当の味覚なんてサイボーグ改造された時、センターに置いて来たからな』
テッド少佐の言葉にジョンソンとペイトンが失笑している。
実はサイボーグに味覚は無い。普段の食事で感じている味覚は、神経情報のデータをロードしているに過ぎない。精神的に不安定で甘い物が欲しい時は、ケーキを自棄喰いしたりするが、それとて擬似的に味覚を感じるだけだ。
「少尉殿! あと、どれ位行軍するのでありますか?」
候補生が死にそうな声で聞いてきた。フワッと振り返って、なるべく優しそうな笑みを浮かべて。そして―――
「さぁ? 敵が早めに全滅すれば作戦は終了。基地へ帰ってぐっすり眠れる。敵がしぶとく抵抗するなら、全滅するまで徹底的に叩くだけよ。まぁ、全ては少佐が止まれの号令を掛けるまでじゃ無いかしら? 私も従うだけよ」
バードは冷たく言い放った。
あちこちから泣き言じみた呻きが聞こえる。
「さて、そろそろ歩くのも飽きた頃だろう」
テッド少佐の言葉に候補生が一瞬だけ安堵の表情を浮かべた。だが、実際にはここからが本当の訓練だなんて口が裂けてもいえない。
ふと思い出したバリーズブートキャンプのワンシーンを思い出すバード。行軍してきた候補生が見た物は、インストラクターが用意した様々な障害だった。
腰まである泥沼。匍匐前進するしかない鉄条網。大きなギャップの出来た斜面。平均台位しかない一本橋と人の背丈を越える高い壁。
「各班丸太を抱えて突入!」
テッド少佐の指示通り、各グループが一斉に障害へ挑みかかった。
丸太を抱え、障害を乗り越えていく。
「みんな頑張るね」
「そりゃそうさ。ODSTに入りたい一心だからな」
バードの素直な心情にペイトンが笑う。
だけど、ジョンソンは緩んだ意識をキュッと締めた。
「だけどそろそろ怪我人が出る頃だ。注意しよう」
「そうだね」
候補生をジッと見ているペイトンはバードに囁く。
「候補生の意識を締めるのは簡単だ。必要以上にプレッシャーをかけて、その上でこう言う。お前の動きの全てを見ているぞ。決して目を離さないからな。仲間と同じ様にやっているか、毎回確かめてやる!ってな」
ペイトンに続きジョンソンが呟く。
「そうやって徹底的に解らせるんだ。仲間と一緒に努力する事。仲間の足を引っ張らない事。宇宙で暮らし行動するには、一人だけ浮いて自己中する奴が居ると困るだろ。チームワークの基本は一人一人がやる気を出すこと。怠ける奴は必要ない。それぞれが役割を果たす事だ。それが出来ない奴をここで弾くのさ」
話を聞いていたバードは僅かに頷いた。
「教官役も大変だね。ちょっと舐めてたかも」
「でも、さっきの懸垂はよかったな。あれは良いアイデアだ」
「そうだな。俺達が何者かもあいつらよく理解するだろ」
三人でそんな打ち合わせをしてから、現場監督へと戻っていく。
ジョンソンは泥沼へ。ペイトンは鉄条網へ。バードは壁に陣取った。
「そこのロメオ! とっとと辞めて帰った方が良いんじゃない? 家でジュリアが待ってるわよ! それともパリにでも行ってモデルになったら? せっかくの良い男が筋肉ゴリラになっちゃうよ」
小馬鹿にする様な言葉を浴びせかけて奮起を促すバード。
高さ三mほどの壁へ飛びついて乗り越える訓練だが、疲れから力が入らないで居る。
だが、そこへテッド少佐が水道のホースを持って現れた。
「バーディー。彼らも暑くて死にそうだろ。そろそろクールダウンが必要だ」
気温は10度に達していない環境下だ。動いていなければ寒さに凍える環境と言って良い。しかし、テッド隊長は遠慮なくホースで水を掛け始めた。
「いいか、よく聞け。大気圏外で行動中にヒーターが故障すると、体感気温は軽く氷点下だ。寒さはこんなもんじゃ無いぞ!」
ホースをバードへと手渡したテッド少佐は次のセクションを見に行った。
同じ様に遠慮なく頭から水を掛けるバード。身体を動かし続ける候補生の身体からモワモワと湯気が上がり始めた。
冷たい水を掛けられたくない候補生が死に物狂いで壁を乗り越えていき、次のグループがやってくる。同じ様に水を掛けながら発破を掛けるバード。
「何をしても良い。叫んでも怒鳴っても吼えても良い。ただ、指示された事はやり遂げなさい。上官は出来ると思って指示を出すのだから。出来ないなら先に言いなさい」
ジャバジャバと遠慮なく水を掛け、候補生に向かって叫び続けているバード。だけどいつか、自分も同じ事を言われたような気がするなぁと内心苦笑いを浮かべる。
どれ程声を出しても声帯が炎症を起こすわけではないから、ある意味で遠慮が無い。全てのグループが障害セクションを全部クリアした所で、再び集まって整列した。
「各障害を突破し終えました!」
先頭に立っているパットフィールド中尉は胸を張って報告した。
さすが士官だとバードは思うものの、その姿は士官とは程遠いだらしない姿だ。
「よろしい。ではこれより再びテンマイルランを行う! 今朝出発した所まで走ればちょうどテンマイルだ! ただし、今回は全員装備を外していけ! 制限時間は同じく35分! 良いか! 三分で装備を脱げ! はじめ!」
唐突にテッド少佐の指示が飛び、候補生は面食らいながらも野戦装備を脱ぎ始めた。重量のある装甲入りのアーマースーツを脱ぎ、予備弾薬や水筒、食料といった物を地面に下ろして身軽な格好になる。
しかし、全員が装備を脱ぎ終わる前にテッド少佐は無情にもランを始めさせた。
「三分経過した! これよりスタートだ! はじめ!」
慌てて候補生が走り始めた。装備を脱ぎ終わっていない者も慌てて脱いで走り始めた。辺りには乱雑に脱ぎ散らかされた装備が置かれている。
「さて。ここからが見物だぜバード」
凶悪な笑みを浮かべたペイトンがバードを見た。
「なんで?」
「誰も自分の装備を気にしていない。あ、強いて言えばあの少尉。シールズ出身の奴だけ自分の装備をちゃんと片付けてある。だけど、宇宙戦装備に限らず野戦装備はどれか一つ掛けても命に関わるからな」
インストラクター達がやって来て、候補生の荷物を全部乱雑にピックアップトラックへと載せた。
「さて、俺達も行くか」
テッド少佐が走り始めた。
ジョンソンもペイトンもそれについて行く。
「追い越して行ったら候補生はショックだよね。きっと」
もちろんバードも一緒になって走っていく。
なるべくプレッシャーになる事を選びながら。
足を取られる砂浜と違い、足場のしっかりした場所だ。結構なペースで走るBチーム士官達。ふとGPSのデータを見たら、速度は時速45キロと表示されていた。
「あ。追いつきますね」
「あたり前だぜ。どんなに頑張っても生身じゃ時速8キロが限度だ」
フォームを崩さず淡々と走って行って候補者を続々と追い越して行く。上半身裸で戦闘服のズボンだけの状態な候補生達。Bチームの面々は朝方に降下してきた装備からパラシュートが無いだけだ。
顎を上げて苦しそうに走っている候補生を追い越しながら、バードはアレンとシンプソンを探した。グループの真ん中あたりで苦しそうに走っている。その姿をチラリと見てから、構わず追い越していった。
『隊長。例の二人。怪しい所は今の所ありません』
『そうか。引き続き警戒しろ』
そのまま追い越して行って、早朝に降下着陸した場所へとたどり着いた。テッド少佐がゴール地点に立っている。ジョンソンはストップウォッチを見ていた。そんな物が無くとも時間を計るくらい余裕のサイボーグだが、見かけ上の公平感は大事だと言う事だ。
そして、ファイルとペンを持つバード。ペイトンはピックアップトラックから個人装備を掴み、砂浜へ乱雑に投げ飛ばしている。候補生個人の名前が書かれた装備だから、それぞれ専用のものだ。
『バーディー。指示に従わない物は海に入ってから砂浜を転げまわって砂だらけにしろ』
『え?なんでですか?』
『見ていれば解る。そろそろ候補生の注意力が散漫になる頃だ。身体で覚え込ませろ』
『なるほど。了解です。覚えがあります』
意味深な指示を出したテッド少佐。
その向こう、はるか遠くに候補生の一団が現れた。
続々と砂浜を走ってやってくる集団。
その先頭に立っている者のタイムは33分25秒だった。
「あそこに良い女が立ってるだろ? 名前とタイムを申告しろ。報告して『行って良い』と言われたら装備のところへ行け」
テッド少佐はそう指示を出しながら候補生を送り出す。
その隣でジョンソンがタイムを読み上げている。
先頭でゴールしたのはケーシー上等兵。
候補者の中で最年少な若干19歳の若者だった。
「ケーシー上等水兵です。タイムは33分25秒」
「33分25秒」
バードが復唱した後ケーシーは走り出そうとした。
「誰が行って良いと言ったの?」
「いえ! 誰も言っていません!」
「両手をつけ。解ってるよね? 20回やってから頭まで海へ入れ。その後で全身に砂をかぶせろ。やれ!」
「イエッサー!」
「始めになんて言われた? ここへ来てタイムを報告して行けと言われてから動きなさい!自分の判断で勝手に動くな! 指揮官の手間を増やすな!」
バードのすぐ脇で腕立てを始めたケーシー上等兵。
その姿を見ながら続々と到着した後続集団がタイムを報告している。
「リベラ曹長。タイムは33分55秒で有ります」
「33分55秒」
「はい!」
「よし、行ってよし」
次々と報告し続ける中、46人目の段階で制限時間35分を越える者が出てきた。
「モーガン二等軍曹。タイムは36分5秒であります」
「36分5秒」
「はい!」
報告を聞いたあと、バードは無線でテッド少佐を呼んだ・
『隊長?』
『クールダウンさせてやれ』
『了解』
すかさずペイトンが注文を付けた。
『砂浜のホットドッグにゃ砂混じりが基本だぜ?』
『オーケー!』
チラリとモーガンを見たバード。
「二等軍曹。頭まで海に入ってクールダウンしてきなさい。その後で砂を被る事」
「イ…… イエッサー!」
続々と海に入り、そして砂まみれになる候補生達。
ジョンソンはタイムを読み上げながら水に浸かって来い!と叫ぶ。
最初にゴールしたケーシーと46位以降の候補生がまるで砂男になっている。
『力を出し尽くす事が重要なんだ。タイムはさしあたって大した問題じゃ無い。疲労を考慮してタイムテーブルを再調整すれば良いだけの話だ。だが、最初から手を抜いて良いって訳じゃ無い。一番大事なのはやり抜こうと言う気力と根性だ。候補生達には訓練を最後までやり遂げると言う姿勢を態度で示させる。つまり、それを教え込むって事だ』
テッド少佐がこのランの目的を淡々と語って聞かせた。語っている先はバードだ。
そんな中、ペイトンは最初に到着したケーシーを叱りつけていた。
「最初にゴールしたのは大したもんだが、スタンドプレイでお前は砂まみれだ。今回お前が学んだのは、一位だからってそれで良いって事じゃ無い。指令を守り、遂行し、完璧にやると言う事だ。だがそれを出来なかったお前は今回学んだ。次はもっと酷い事になる。わかるな」
「はい」
「ガッツを見せろ。そして、言われた事だけを完璧にやれ。もしこの先に指揮官しか知らない地雷原があったらお前は即死だった。行けと言われるまで動かないのはお前を守るためだ。わかるな。指示された事以外はするな」
懇々と説教をしたペイトンは、水に濡れ砂まみれでスクワットする候補生達の所へやって来た。
皆が青い顔をして必死にスクワット中だ。
「作戦行動はタイムスケジュールが先に決まっている。それに沿って動く事が要求されるんだ。少しでも遅れれば爆破の砂を被るかもしれない。海や川に落ちてずぶ濡れかもしれない。或いは酷い怪我を負う事になる。だが作戦は待ってくれない。だからタイムスケジュールを守って動け。それが自分の身も守る唯一の手段だ」
唸りを上げるペイトンの指導。その先頭にはシェーファー少尉が居る。両脚ともガクガクに震えていて、満足にスクワットになっていない。対番にはジョンソンが居て、同じように叱りつけている。呆れるような口調で唸りつける。
「士官がそのザマでどうする。俺だったらお前の下には付きたくないね。戦闘中に勝手にへばってこっちまで殺されそうだ。手本を示せない士官に存在価値なんか無いだろ。良いか。士官は出来て当たり前だ。指令を遂行して、その上で足りない部分を補え。簡単なことだろ」
それぞれに監督と指導を繰り返している中、ケーシーから遅れる事15分で最後尾のコマロフがゴールへたどり着いた。その背中をシールズ出身のライナリッジ少尉が押していた。
「リッジ少尉。それはどういう事だ?」
テッド少佐が尋ねた。
「部下が遅れそうだったので押してきました」
「なぜ?」
「全員で帰還する為であります! 少佐殿!」
ウンウンと満足そうに頷くテッド少佐。
だが、ジョンソンはコマロフの頭を掴んでいた。
「おいおい。少尉の手を煩わせてどういう事だ? 纏めて戦死したら指揮官が居なくなって仲間が困るんじゃ無いのか?」
「はい! その通りであります」
息が切れてまともに会話出来ないコマロフ。
そのままバードへタイムを報告しに行くのだけど。
「コマロフ上等兵。タイムは50分35秒であります」
「15分遅れね」
「申し訳ありません」
「あそこに居る仲間が見える?」
バードに促され集合地点を見たコマロフ。
ずぶ濡れになって、しかも砂まみれの仲間達が震えながら待っている。
寒さに負けないようにスクワットをして身体を温めていた。
「あなたが遅れなかったら、寒い思いしなくても済んだかも知れないのにね」
コマロフは何も言わず走り出しそうになった。
「誰が行って良いと言った?」
「申し訳ありません!」
「手を付け。15回腕立てをしてから海に入りなさい。砂を被って集合地点へ」
その後ろ姿を見送ってからバードはリッジ少尉を見た。
「リッジ少尉。先任の方に厳しい事を言うようですが」
「構わず言ってくれ。貴官は自分より遙かに厳しいポジションに居る」
「そうですか」
バードは心の準備を整えた。
「部下の安全は大切ですが、タイムテーブルを守らないとより危険を招きます。打ち合わせの段階で決めた爆破タイミングが35分なら、それ以降の部下を切り捨ててでも行かないと自分が死んでしまいます。ここでは46人が生き残る事になるでしょう。酷い話ですが、駄目な側を切り捨ててでも作戦を遂行する事が士官に要求されると私は考えます。そうしないと、そこに至るまでに流れた血が無駄になるからです」
同じ階級にある女性士官の口からとんでもない言葉が飛び出した。
リッジ少尉は先ずそれに驚いた。だが、それを見守っている中尉や大尉や。そして少佐までもが『当然だ』という表情でそれ見ていた。
現場の任務遂行と同時に作戦の進行をも守らなければならない難しい立場をリッジ少尉は実感していた。
「部下を見捨てる勇気か。厳しいな」
「はい。ですが、ここでの約60名の為に、作戦全体数万名の命を危険にさらす可能性があります。その時、厳しい判断をして、それに責任を取らねば成りません」
「了解した。指導ありがとう。バード少尉」
リッジ少尉の敬礼にバードは美しいフォームの敬礼で応じた。
「リッジ少尉! 同じく海でクールダウンしてこい! 君ならわかるな! なにせシールズだ」
テッド少佐の声が響き、少尉は海へと走っていった。
「さて、ここからがショータイムだ。候補者をしっかり見ておけよ」
砂まみれのリッジ少尉が集合場所へ合流した所でテッド少佐が員数を確認した。
全員揃っているのを確かめて、次の指示が飛ぶ。
「先ほど諸君らが脱ぎ散らかした装備だが、バラバラに投げ捨ててあったのでバラバラにしておいた。三分以内に装備を再装着し班ごとに再集合! 始め!」
自分の装備を纏めてあったリッジ少尉だけは荷物が一カ所に置いてあった。
だが、候補生の装備はアーマーベストも水筒も食料ポーチも、あちこちに飛び散っていてすぐには見つけづらい状態だ。
「自分の装備だけ探し出して先に装着しようとする奴ははじき出すんだ」
ジョンソンがバードに囁いた。
「なるほど。これは厳しいね」
「だろ?」
ペイトンもニヤリと笑った。こんな時にこそ個人の資質が非常に良く表れる。
自分の荷物だけ集める者が居る一方、手当たり次第荷物を持ち上げては持ち主を呼び出す者が居る。
そして、各グループのリーダーのウチ、特殊部隊経験者の士官が居る班だけは、班の装備を集める事から始めるなど統制が取れていた。
「おい! そこの軍曹!」
早速ペイトンが見つけたらしい。
「ヒース軍曹! ここへ!」
識別マーカーで名前を呼んだバードが呼び出した。
「なぜ自分の装備だけ集める」
「制限時間が乏しいからであります」
「他のチームを見てみろ。手分けして装備を集め、時間内にグループで完璧を目指しているだろ。だが、お前はどうだ?」
ペイトンの指が突き刺さる程に強く押し付けられている。
「宇宙では誰一人として一人では生きていけない。助け合い支え合いフォローし合う事が重要だ。だけどお前は仲間より自分を優先する個人主義者だ。そんな奴を仲間がどうして信用する!自分より仲間のために動け!そうすれば――」
続いて何かを言おうとした時、リッジ少尉率いる五班が整列した。
「第五班! 装備を調え準備を完了しました!」
それをチラリと見たペイトンは、あきれ果てたようにヒースを見た。
「見てみろ。チームワークの良いグループはとっくに作戦行動には入れる段階になっている。だがお前のグループはどうだ。なんてザマだ」
この段階でヒース軍曹は自分がしでかした事に気が付いた。
決定的ミスを犯した事を悔いても、もう遅いのだが。
「いったん装備を全部外して海に入れ! その後で再装備! 五分以内だ!」
ヒース軍曹は弾かれた銃弾の様に走っていって指令を遂行し始めた。その間に続々と準備を終えたグループが整列を始める。砂まみれになって非常に不快なのだけど、そんな事は一切構ってくれない。気が付けば砂浜をスタートした訓練開始から12時間が経過していて、候補生の表情がゾンビのようになってきた。完全に精気が抜けきって土色をしているのが多い。多分腹ペコだろう。携帯食料を持っているはずだが、食べる暇なんか無かった。辺りは薄暗くなってきていて、着々と夜になり始めた。
「第三班 装備を調え準備を完了しました」
ヒース軍曹の所属する班が整列した。ここまで脱落を申請した者は居ない。
疲れ果てているが目だけはギラギラとした獣のような候補生達。
ぐるりと見回したテッド少佐は満足そうに頷く。
「宜しい。では基地へ戻る。隊列を組め。行進開始!カロリーの補給を怠るな!」
各班が番号順で行進を開始する。
インストラクターが先導し、基地へと向かって歩き始める。
その列に寄り添うようにしてテッド少佐が歩いている。
ジョンソンやペイトンも一緒だ。もちろんバードも。
だが、砂浜から基地の方角ではなく、今まで走ってきたエリアへ向かって全体が進んで行く。候補生がざわつきはじめるがインストラクターは全く動じていない。
走ってきたルートを回り、再び丘に登って、そしてまた戻ってくる。トータル10マイルほど歩き、やがて兵舎が見えてきた。3時間近くも歩き続けた事になる。時刻は23時近かった。
あまり良い作りではないが、それでも柔らかなベッドと暖かな食事をイメージした候補生は、一瞬でも終わりの夢を見た。だが、テッド少佐の思惑はそんなに甘いものではない事を彼らは気が付いていない。
兵舎の前に温かい食事の用意がしてあるのが見える。だけど、飢餓限界に近い所で大食させると死亡する事がある。幾ら腹ペコでも、程ほどに食べるのも訓練の一つ。まず水分をとり、それから高カロリーな物を少しずつ食べさせる。
戦地で動けなくなると戦線が維持できなくなる。つまり、バード達サイボーグの苦労が増えるだけ。だから厳しいけど仕方が無い。ちゃんと教えておかないといけない。
テッド少佐は兵舎の直前で急に行軍コースを変えた。目の前まで来ていた待望の食事が遠くなっていき、隊のアチコチから怨嗟の声が漏れ聞こえる。
「飯を喰いたいか! 食べたきゃ食べても良いぞ! ただし! その次点で脱落だ!」
兵糧攻めが精神的に一番きつい。
だけど、いざ戦闘が始まった時には、腹が減ったからと言って敵が手を緩めてくれる訳が無いのだ。
だんだんと足があがらなくなってきて、ガクリと膝を突く者が現れ始め、すぐ後ろに居たものが担ぎ上げて再び歩かせる。
「全体! 行軍しながらよく聞け! 腹ペコで急に飯を喰うと死ぬ場合がある。まずうがいをして、それから水分を摂って十分待て。そのあとから……」
行軍しながらテッド少佐が説明を始めた。
兵舎の前のトラックをグルグルと歩きながら、まず水分を取り始めた。
「水をしっかり飲んだらしばらく待て。気持ちはわかるが自分の命が大事だろ」
候補生全員の顔色が明らかにヤバい。
目がくぼんで生気を失い、唇の色が紫になっている。
オーバーワークの症状だ。このまま行くと突然死しかねない。
『隊長 候補生がそろそろ限界です』
『そうだな 少し寝かしてやるか 一時間くらい ハハハ!』
どうやったらここまでサディストに徹しきれるんだろう?
バードは変な所を感心している。その間にテッド少佐は食事をありつかせる所までやって来た。
まるでオアズケ状態な犬を見ているようだ。
今にもヨダレを垂らして襲い掛かりそうだ。
グラウンドに候補生集団を分散させ、各班から二名ずつ配膳係が集まってきた。
「全員ゆっくり良く噛んで食事するように。急いで腹へ詰め込むと命に関わるぞ」
やっと飯の時間だと、候補生の表情に安堵が浮かぶ。ただし、食事と言っても温めたパウチ食品に砂糖のたっぷり入ったコーヒーと温い牛乳が今夜のメニュー。
兵舎前のグラウンドに直接座って食事を取り始める候補生達。その間に例の怪しい奴を探し始めるバード。シンプソンはすぐに見つかった。まるで戦争でもしてるかのように食事をしている。だが、アレンが居ない。
――――あれ?
何処へ行ったかな……と探すのだけど。
「ジョンソン! ペイトン! バーディー! 集合!」
テッド少佐に声を掛けられ、バードは走って行った。
一日動き続けて良く走れるな……と、そんな視線が集まってくる。
候補生たちのアチコチから『やっぱりサイボーグだ』と声が漏れる。
好きでサイボーグになった訳じゃないのに!とバードは叫びそうになった。
「食事後にシャワーを浴びせてメディカルチェック。健康上問題がある者はここで強制排除だ。装備を整えたら砂浜で丸太レースを朝までやる」
「そりゃハードっすね。候補生くたばりますぜ」
「現状でも半数くらいは行動限界が近いです」
ジョンソンとバードは反対ですと言わんばかりの言葉を吐いた。
だが、テッド少佐はニヤリと笑ってボソリと小声で言った。
「まだ半分残っている。大丈夫だ」
テッド隊長は絶対真性ドSだとバードは思った。
だけど、限界を超えると言う事の重要さはバード自身も良く解っている。
「食事はゆっくりさせよう。その後でシャワーだ。まだまだゲームはこれからだ。0時に集合し行動開始とする。今夜は長いぞ。お前達が先にへばるなよ」
嗾けるように言った隊長の言葉にバードたちがニヤリと笑う。
テッド少佐はインストラクターの指導軍曹を呼んだ。
「軍曹!」
「はい! 少佐殿!」
「今夜はこのまま砂浜でレースだ。食事後にシャワーを浴びせメディカルチェックを受けさせてくれ。今夜は俺達が監視しているからイントラはよく休むんだ」
「承りました!」
軍曹の敬礼にテッド少佐が応えて、インストラクターは食事中の候補生に通達を始めた。それを見ていたテッド少佐は候補生の士官四人を呼び出す。食事中だった士官達は慌てて走ってきた。
「今夜は長い夜になる。朝まで動き続けてもらう。諸君らは士官として隊を統率する立場だ。当然責任も重い。下士官以下が怪我をして離脱するかどうかは諸君らの注意に掛かっている。リーダーとしての立場を自覚し、率先して動き、隊を導け」
「イエッサー!」
「諸君らが疲れ果ててダラダラと動けば、その空気は隊へ広がってしまう。そして怪我人が続出し、隊は作戦行動を行えなくなる。だが、諸君らが元気に溌剌と活動し、声を出して注意を喚起し、仲間をまとめ守ろうとする姿勢を見せれば、隊は自然に引き締まり注意を怠らず、朝まで元気に動き続けられる事になる。全員をよく見ているから抜かるなよ」
「はい!」
士官達が候補生の中へ走って帰って行くのを見ながら、バードはシンプソンともう一人。アレンを探す。
『どうしたバーディー』
『マークしてる候補生が片方見当たりません』
『本当か?』
『はい。ついでに五人か六人くらい足らない気がします』
『……脱落申請に行ったなら話は早いんだがな。どこかにこっそり隠れてへばっている可能性がある。明朝まで様子を見る』
出来る限り平静を装っているテッド少佐だが、声に緊張感が漂っている。
一心不乱に食事をし、それと同時進行で各班のリーダーが朝までトレーニングの手順を確認しているのを見ながらバードは非常に気になっていた。
テッド少佐も問題視しているようだけど、脱落申請の可能性を考慮していた。だけど、何となく、心のどこかがざわついて、危険を知らせているような気がした。とりあえず落ち着かないのだ。
『バーディー。考えすぎても始まらない』
『確かにそうですが』
『0時になったら再開だ。それまで俺達も食事にしよう』
Bチームの面々が黙って頷いた。騒々しく喧しく禍々しい夜と言う魔物は、疲れ切って眠りを欲する候補生達のすぐ傍らにやって来ていた。




