お遊び降下
―――― アームストロング宇宙港 民間エリア
地球標準時間 午後3時
「あれ? ドリー? ジャクソンも。なにやってるの??」
午後の民間機で地上へ降りる予定だったロックとリーナーを送りに来たバード。
その三人の前に尾羽うち枯らしたドリーとジャクソンが立っていた。
半分くらい顔から生気が抜けている。電源残量がやばいようにも思えた。
「午前中のアストロエアが気密ハッチの故障でディレィになって」
「んで、さっきまで修理してたらしいけど、結局運航キャンセルだ」
ボリボリと頭を掻きながら眠そうな二人。
その向こうにはアストロエアのグランドアテンダントが申し訳なさそうにしていた。
「あの、お客様。ラスベガス行きの便に空きがありますので……」
その言葉を遮るようにドリーが手を上げた。
「あぁ。もうそれで良いよ」
「二人乗れるかな? なんなら荷物室でも良い。気密が無くても俺たちは問題ない」
「電源さえ取れれば何処でも良い。あ、でも、耐熱シールドの内側にはしてくれ」
「そうだな。いくら何でも露天だと燃え尽きる」
案内されてビジネスシートへ吸い込まれていくドリーとジャクソン。
その姿をリーナーとロックは見送っていた。
「なんだかさんざんな休暇になりそうだね」
バードもボソリとこぼしてその背中を見送った。
「まぁ、いずれにしても一ヶ月有れば色々出来るさ。休みってのは良いもんだ」
リーナーはカバンの中からチケットを取り出して確かめた。
「俺はまずアブダビへ降りる。砂漠の真ん中は暑そうだ」
「まぁリーナーの仕事だと、そこらの砂浜って訳にはいかねーよな」
「あぁ。全くだ。だから、世界最大のバンカーで爆発ショーやってくるよ」
じゃぁな!と手を上げてリーナーはゲート消えていった。
デザート迷彩のコンバットスーツ姿がやけに決まっている。
いつもと違う姿と言うのは、それだけで何処か楽しい。
そしてこの日のロックはデニムのパンツにポロシャツ姿だ。
誰が見たって20代前半のサラリーマンの休暇に見えるだろう。
見送りにきたバードも私服だったら、若い夫婦の旅行にも見えるかも知れない。
「お! サンパウロ行きのチェックが始まった」
「じゃ、行ってらっしゃい」
バードが手を振って見送った。
ゲートに吸い込まれるロックも振り返って手を振っていた。
「バーディー! やっぱり彼はボーイフレンド?」
唐突に声を掛けてきたのはホーリーだった。
でかい荷物をカートに載せて歩いていた。
「えっ! 違うよ! 違う違う!」
「隠さなくっても良いのに」
「Bチームの頼りになるチームメイト!」
「そっかー でもさぁ」
ホーリーがニヤニヤと笑う。
「なんだか若い奥さんが旦那さん見送りに来たみたい」
「もーっ! そんな事言って!」
「赤くならないだけサイボーグは得よねぇ まぁ、私は赤くなっても目立たないけど」
アハハと朗らかに笑って荷車を押して行くホーリー。
バードはその隣を歩いた。
民間ゾーンの中だけど、海兵隊の制服姿だから周囲からは浮いている。
「さっきの人は中国系?」
「いや、元日本人だって」
「へぇー そんなプライベートまで良く知ってるじゃない」
「こっそり教えてくれたの」
「つまり、向こうはバーディーに気が有るのね」
ホーリーはケラケラと朗らかに笑いながら歩いて行く。
だけど、ふと横を見たらバードが居なかった。
あれ?と立ち止まって振り返ったホーリー。
その視線の先には、深刻そうな表情を浮かべて俯くバードの姿。
「バーディー? どうしたの?」
「あ、ごめん。でも、そんなの考えた事が無かった」
「なにニブイ事言ってんの。男なんてさぁ」
アハハと笑うホーリー。
あまりまともな育ちかたしてないのかも……とバードは思うのだけど。
「一発張り倒して跨って、そんで腰振ってやればイチコロよ」
「……ホーリーは肉食系だね。凄い」
「え?」
不思議そうに首を傾げてバードを見たホーリー。
「だって、良い男を何人も連れて歩いたら女があがるじゃ無い!」
「……すごっ」
アハハハハと笑い、そしてまた歩き出す。
肉食系なホーリーと草食系なバードの対比。
女性海兵隊員が少ないキャンプマイケルの中でも、その姿は浮いているのだが。
『バーディー! 来週の打ち合わせだ。15分以内にガンルームへ』
『了解。民間ポートに居ますので急ぎます』
唐突にテッド隊長の呼び出しが来た。
「フリータイム終了らしい」
「どしたの?」
「隊長がガンルームへ来いってさ」
「私達は仕方ないわね」
そのまま基地エリアへと入り、直通の地下行きエレベーターを待つ。
距離があるだけに、実際はなかなか来ない事が多い。
「何処へ降りるの?」
「フロリダだって」
「ふーん…… いいなぁ」
「なんで?」
ホーリーが周囲を一回り眺めた。
一瞬、バードの耳に甲高い音が聞こえて、超音波だと気が付く。
「それ、なに?」
「ソニックウェーブセンサー。超音波で振動波を探してやるの。真っ暗でも動く物が判別できるから便利よ。サイボーグで無ければ心臓の鼓動までわかるし」
「へー。凄いね。スナイパー装備は便利かも」
「私に言わせればバーディーとかロイが持ってるレーザー計測とか人物判別チェッカーが便利そうよ」
「なんだかセンサーの塊だね。私たち」
「しかも、自分の意思で歩くしね」
アハハと朗らかに笑うホーリー。
いつもいつも気持ちよさそうに笑う姿にバードは癒やされる。
ようやく到着したエレベーターの扉が音も無く開いた。
それほど大きくない直通便の乗客となって深部を目指す二人。
「……実は私、フロリダ出身なの」
「そうなんだ。内緒にしておくね」
「うん。よろしく」
「実は私は元日本人」
「じゃぁ、さっきの彼はバーディーが責任持って落とさなきゃ」
「え? なんで??」
エレベーターがガンルームフロアへと到着した。
再び音も無くドアが開きバードが一歩外へ出る。
「私たちの人生はきっと短いわ」
「……そうだね」
「好きな人と一緒に居られるなら、それだけで女は幸せじゃ無い」
自然と笑みを浮かべたバード。
ホーリーも笑っている。
二人ともバイバイと手を振ってドアが閉まりかける。
「またね」
「うん。またね」
隙間から最後に見えたホーリーの笑顔がコケティッシュだった。
その笑顔にいろんな事を思ったバード。
だが、ガンルームへ一歩入ったバードは女子会モードから士官へ切り替わる。
部屋の中にはテッド隊長の他に、一緒に降りるペイトンとジョンソンが居た。
「いきなり呼び出して悪いなバーディー」
テッド隊長が差し出した書類にはQRコードが三つあった。
「地上で訓練中のODST候補リストだ。最新版では無く受け付け後に書類選考を受けて残ったファーストリストに当たるものだ」
バードは視界の中にデータを表示させて確かめている。
だが、その時バードは気が付いた。
「あれ? 隊長?」
「どうした?」
「いま私をバーディーと呼びましたよね?」
「……うちのブレードランナーがバードでつくづく良かったな」
テッド隊長はペイトンとジョンソンに同意を求める。
「全くですよ」
「これだけ回転が速いと助かるな」
褒められて悪い気はしない。
だけど、なんで?と言う部分でちょっとだけ気持ち悪い。
「地上行きのフライトを待っていたジャクソンがペイトンに話を伝えたんだ」
「そんで、あっと言う間に伝言ゲームさ」
ジョンソンとペイトンが種明かしをする。
「今夜零時に出発する。用意を調え待機していてくれ」
「はい。了解です。ところで宇宙船は?」
「あぁ。ここから直接大型降下艇で出る。対地距離10キロをきったらエアボーン実演だ」
「え-! 地上まで降りるんじゃ無いんですかぁー!」
バードの不平不満はあまり聞けるもんじゃ無い。
ジャクソンもペイトンも笑っていた。
「バーディーが口をとがらせて文句を言うのは珍しいな」
「いや、でも、俺だって地上まで優雅に降りたいもんだぜ?」
ペイトンの率直な言葉にジョンソンが本音を漏らす。
そんな面々をグルリと見渡したテッド隊長が宥める様に言う。
「そう言うな。俺たちゃ教官役だ。格好良く優雅に降下してやろう」
個性の強い隊員を宥め賺して文句を言わさず統率する。
隊長って役柄も大変だなと、ふとそんな事をバードは思った。
「今夜はウォードルームでAチームとミニパーティーだ。それまではフリーで良い」
「了解しました。何時ですか?」
「いつも通りだ」
「はい」
再び視界へリストを表示させチェックを始めるバード。
候補生は全部で106名だった。
―――― アームストロング基地 ウォードルーム
地球標準時間 午後7時
一足早く地上へ降りたロックやリーナーやビル。
休暇になったドリーとジャクソンもすでに地上へ降りている。
いま基地に残っているBチームはテッド隊長とジョンソン、ペイトン、バード以外だと、オーバーホールの為にメンテセンター行きを待っているライアンとスミス。
そして、基地の病院で臨時勤務医になっているダニーだけだ。
ウォードルームの一角でずーっとガールズトークに花を咲かせているバードとホーリー。
そこへ乱入したい男性陣はみな、遠巻きに眺めているだけなのだが。
丸テーブルを挟んで差し向かいの二人。
なかなか話に入りにくいテンションと速度。
なにより、心底楽しそうな二人の表情に『邪魔をするのが悪い』と思っている。
「あんな楽しそうなバードは初めて見たな」
「あぁ。士官学校のラックバディだそうだ」
「どおりで」
ダニーとライアンは遠巻きに眺めながら話をしている。
「俺もそうだったな。ラックバディだった奴と初めて遭遇した時は」
「あぁ、そうだ。腰を抜かすほど驚いた」
「あの環境で過ごしてると、自分以外は絶対AIだと思うよな」
「あぁ」
シミュレーター上の士官学校で同じ部屋だったバードとホーリー。
四年生に進級しホーリーが室長を、バードは副長を務めた。
仮想とは言えトータル四年分の『濃い』人間関係が友情をはぐくむ。
取り留めの無い話や士官学校時代。ODSTスクール時代の苦労話をしてた二人。
そこへロイがやって来た。NSAのバナザードとレイチェルが一緒だった。
「あっ! ロイ!」
ホーリーが先に気が付いて手を上げた。
「悪いなホーリー。邪魔するよ」
「全然!」
椅子を譲ってバードの隣に座ったホーリー。
向かいにはロイを挟んでバナザードとレイチェルが座る。
短く刈り込んだ金色赤髪に真っ白な肌。
瞳の色はブラウンなアーリア人系のロイ。
鼻筋の通ったすばらしいイケメンだ。
「ロイは格好良いけど女たらしだから気をつけて」
ホーリーの肘がバードをつつく。
バードの表情に怪訝な色が浮かぶ。
「女たらし?」
バードの言葉にホーリーだけじゃなくレイチェルまでもがウンウンと頷く。
「そう。だってエウロパの女性スタッフ全部に声かけて歩いた伝説の男」
「うそぉ~ 幻滅」
「でしょ」
ホーリーとバードのトークから、海兵隊士官の威厳が完全に抜けている。
どこにでも居る若い女の子二人が会話するソレだ。
「おいおい! 人聞きの悪い事言うなよ。おれはブレードランナーだ」
「だから?」
ホーリーが冷たく聞き返した。
「だから全部チェックするのは仕事のうちだよ」
その隣でレイチェルが手を振って『ないない』の仕草。
バナザードも額に手を当てて笑いながら天井を見ている。
「それだけデタラメ言えれば大したもんだな」
「ロイのアドリブ出任せも磨きが掛かってきたわね」
バナザードとレイチェルの苦笑いが印象的だ。
「じゃぁ、私はチェックの対象外ですね。だって同業だし」
「そう。だから個人チェックじゃ無くて情報チェックに来た」
「……理由は何でも良いんですね?」
「そうそう。俺たちに必要なのは怪しまれずターゲットに接近する能力だし」
下心がありますと顔に書いてあるような状態でニヤニヤと笑うロイ。
バードは顎を引いて三白眼でそれを見ていた。笑いながらだけど。
「他人行儀されてるうちは無駄だ。諦めろ」
フラリと現れたテッド隊長とディージョ隊長。
二人とも手にはウィスキーの瓶を持っていて、笑いながら話に加わった。
「やぁ。初めましてだね」
「初めまして。バードです。どうぞよろしく」
一瞬、敬礼しそうになったけど、その手を差し出したバード。
ディージョは優しい笑顔でその手を取った。
「テッドのチームじゃ苦労しそうだね」
「なんでですか?」
「エディの愛弟子で、おまけに501大隊の中じゃ一番の堅物だ」
アッハッハ!と笑ってご機嫌なディージョ。
その隣でテッド隊長もゲラゲラと笑っている。
ベロベロ一歩前まで酔っているテッド隊長をバードは初めて見た。
アハハハハと豪快に笑って、そのまま瓶でウィスキーを飲んでいた。
隊長の二人が肩を組んで酒を飲んでいる楽しさは、今のバードにはよくわかる。
「あの。デルガディージョ隊長」
「あぁ、ディージョと呼んでくれれば良い。フルネームで呼ばれると語呂が悪い」
「すいません」
「良いって良いって。気にしないで。で、なんだい?」
「その大量のピアスは?」
「あぁ、これかい?」
ディージョの笑みが優しい笑みから寂しい笑みへと変わった。
右の耳の一番上から順番に外し始める。
「これはブッラカイマー。タイタン攻防戦で死んだ。こっちはレブラント。カリスト突入戦の時だ。次のこれはリム。冥王星軌道戦で降下ポッドごと焼かれた。それからこのピアスはアンディー。同じく降下ポッドが撃墜された。で、こっちのは」
幾つも外されてはテーブルに並ぶピアス達。
黙って聞いていた恵だけど、並べられたその数は実に23点を数えた。
「戦死されたAチームのメンバーの形見ですか?」
再び一つ一つ、両耳へくっつけながらディージョは寂しそうに首を振った。
「サイボーグじゃ無く、ODSTの隊員達だ。俺の守護者はスーパイと言ってインカ神の死神なんだ。だから、俺が地球へ帰る時にまとめて連れて行く為に、今も身につけている。大切な俺の部下であり友だった」
最後に鼻から一つ外したピアスは耳へチェーンが繋がっていた。
「これは……ゾーラ。先週死んだ。俺が殺したようなものだ」
「えっ? ゾーラが???」
裏返った声で聞き返すバナザード。
レイチェルの絞り出すような言葉が震えていた。
「姿が見えないからまさかとは思ったんですが」
ロイは沈痛そうに目を閉じて寂しそうに首を振った。
「アストロマイニングの新社員をチェックしていたら自爆されたんだ」
「えっと……宇宙鉱山開発の会社でしたっけ?」
バードは確認の為に聞き返した。
記憶の中にある企業名の実体をあまり把握してないのもあった。
「そう。木星の衛星にエウリドメと言う小惑星があるんだけどね」
「名前だけは知っています。なんでも、貴重金属の塊とか言う」
「そう。で、その小惑星の鉱物調査に来たというAM社の男がレプリだったんだ」
バードは目を閉じて首を振った。
顔も知らぬ同じブレードランナーの冥福を祈る。
「最初は全く予定に無く、ロイも聞いてないと言う事でな。たまたまガニメデへ行く都合があってロイが調査できないと言う事でゾーラが行ったんだ。最初の報告は人物の識別チェッカーに名前が出ないとかで、エウロパのタウンロンドン査察部に照会が行ったんだけどな」
ディージョ隊長は鼻から伸びていたチェーンに手を触れて遠い目をしている。
「何処にもその男のデータが無かったんだ。そして悪い事に太陽フレアで地球側と通信が出来ないタイミングで調査が始まって、どうも様子がおかしいとゾーラが報告してきた。で、ロイが合流するべくチームをいったん離れようとした矢先だったよ」
隊長の言葉を聞きながら俯くロイ。
その肩にバナザードが手を乗せた。
「いい女だったのにな」
「全くだ」
何となく沈痛な空気が流れる。
賑やかなウォードルームの中で、このテーブルだけが凍り付いていた。
「で、その、名前が出なかったって件は?」
場の空気がいたたまれなくなったのか。
レイチェルが話を切り出した。
何となくバードも興味があった。
「実は私が初降下した時、チェッカーに反応の出ないレプリが居たんです」
バードの口から出た言葉に、ロイが飛び跳ねるように反応した。
「何だって!」
ちょっと過剰とも言えるその反応にバードも驚いた。
「バーディーも遭遇したのか!」
「え? どういう事ですか?」
「俺はエウロパの基地内で二匹見てる。完全に無反応だった」
「どうやってわかったの?」
「基地内の立ち入り禁止エリアに民間人が入っていて、調査に行って銃撃戦」
「射殺したらレプリだったって?」
「その通りだ」
その話に今度はバードが青くなった。
「私の場合は、先に火星へ降下した時、人質を取って立て籠もっている建屋に突入したんですが、Bチームのメディコが人質を調べた時におかしいというのに気が付いて。で、外へ出して尋問したらレプリだったってオチなんです。その場で射殺したんですが、白い血をまき散らして死にました。でも、誓ってチェッカーに反応は出てません。傍目に見たら間違いなく人間だと思うレベルですよ。あれは」
目を閉じれば今でもありありと思い出せる程のシーン。
バードがその手で射殺したレプリの男の、ふてぶてしい態度を思い出す。
「つまり、我々ブレードランナーの識別チェッカーの網をかい潜って活動できるレプリカントが存在するって事だな。困った事に」
ロイの言葉にバナザードもレイチェルも。そしてバードも頷く。
「新型のネクサスⅩⅢでしょうか?」
「確かにアレならまだデータが無いからチェッカーに反応しないよな」
バードの言葉にバナザードが応える。
「あの白い血に含まれているアルミニウム反応でネクサス系だと判別するしか無いけど……」
「あのセンサーはこっちが風上だと判別できないんだよな。おまけにある程度接近しないと駄目だし」
僅かに震えるレイチェルの言葉にロイがぼやく。
守秘義務の気兼ねなく本音を言えるウォードルームだが、ぼやきが漏れると気が重い。
そんな事を思うバードだが、やはり本音を言うとぼやかざるを得ない訳で。
「戦闘中の混乱状況で不用意に接近するのは悪夢です。近寄って自爆でもされた日には後悔のタネ一直線」
それが町中であろうと戦場の鉄火場であろうと、レプリとの戦いで最前線に立つ者にしてみれば、その恐怖は計り知れない。
不意打ちを喰らえば、さしものサイボーグとて尋常では無い被害を被る。
「つまり、これからは気を抜ける間が無いって事ですね」
「そうだな。基地の中だっておちおち居眠りも出来ない」
バードの言葉にバナザードがそう答えて、そしてその場に重い沈黙が訪れた。
「いずれ技術班がチェッカーをバージョンアップするだろう」
「そうだ。それまでは気を抜かない事だ。それしかない」
テッド隊長とディージョ隊長が揃ってそんな事を言った。
間違っては無いのだけど、でも。
「本当にいたちごっこですね」
ぼそっと呟いたバード。
弱きの虫が顔を出している。
「ねぇバーディー」
ホーリーが声を上げた。冷えた空気が気まずかったのかも知れない。
ふと、そんな事を思ったバード。出来るだけ明るい声を心掛ける。
「なに?」
「ヤバイと思ったらまわりに振ればいいじゃない。私と同じようにBチームだってスナイパー居るでしょ?」
「うん、もちろん。ただちょっと変だけど」
「変? どう変なの?」
バードが苦笑いを浮かべた。
「まずね、何処でも笑いを取りに行こうとするのよ。それこそ降下中でも」
「降下中?」
「うん。最初の降下の時なんか、赤マントでクラークケントになりきってた」
「……ハァ?」
「それだけじゃ無くて、戦闘中にムーンウォークしたり」
「……で?」
「ミックスピザのアンチョビだけ丁寧に抜き取ってゴミ箱に捨てたり」
「……どういう男?」
思わず失笑したホーリー。
バードも複雑な笑みだ。
「うーん……でもまぁ。頼りになる系かな。で、そのスナイパーがなに?」
「頼りになる系ならさ。いつも被射撃範囲内に居れば良いのよ」
「ヤバイと思ったら撃ってくれって?」
「そうそう。私はいつもロイを狙える位置に陣取るの」
「なんで?」
「もちろんカバーする為よ! ね?ロイ」
テーブルの反対側でロイが苦笑している。
「実はね、Aチームに配属になった最初の晩にね」
「うん」
「食堂で出たチェリーパイを部屋で食べようと思って持って帰る途中に食べられた」
「……ホーリーは甘い物好きだからねぇ」
「うん。だってこの身体はどんなに食べても太らないでしょ。だから、幾ら甘くても遠慮無く食べて平気って訳よ。で、その私が楽しみにしていたパイを横取りされて食べられちゃったから、いつか絶対ヘッドショットしてやるって決めてるんだけどね」
ホーリーの目に爛々とした殺意が浮かび上がる。
その目でジッとロイを見るのだから、実際生きた心地はしない。
「だーかーらー あれは知らなかったんだって!」
「うそうそ。ロイが知らない訳無い」
「いやだから、ほんとだって。それに」
「それに?」
「200ドル近くも出してレアチーズケーキとスパークリングムースケーキを買ってきたろ?」
「でも、あのチェリーパイはもう食べられないしなぁ」
ロイが必死に弁解するのだけど、ホーリーは許してくれそうに無い。
だけど、ケーキ二つで200ドルって……?と、バードが気が付く。
「ホーリー? ケーキ二つで200ドルって?」
「え?二つ買ったらそれ位するでしょ。17インチの大きい奴を二つ」
「えっと…… って、はぁ?」
17インチと真顔で言ったホーリー。
おおよそ直径50センチに達する巨大なケーキが丸って二つ?
バードの目が丸くなった。
「ロイを殺して良いのはあたしだけ。だから、ヤバイと思ったら片っ端から」
「ヘッドショット?」
「うん。大丈夫!いままで外した事ないし。ね?ロイ」
少し青ざめたように見えるロイ。
サイボーグの血の気が引くなんてありえないのだけど。
でも、確実にロイは青ざめている。
「ロイさん。それってどうやってるんですか?」
「……え? 何を?」
「その青ざめた表情の作り方」
「素でやってるけど?」
「サイボーグだとばれないようにしてるんじゃないんですか???」
バードの舌鋒鋭い質問に畳み掛けられロイは苦笑い。
そうやってごまかした方が良い事もあるのは事実だが……と表情に出ている。
「いずれにしてもバーディー」
「なに?」
ホーリーの笑顔にバードは癒される。
同僚や上司部下やそういった存在ではない純粋な友人だ。
バードの中に居る『恵』という人格にとって貴重な存在なんだろう。
「気をつけてね。向こうも必死な筈だからさ」
「そうだね」
心配してくれると言う心強さは言葉に成らない嬉しさだ。
バードの心にポッと温かい火が燈った様な気がした。
そんなタイミングで、やや薄暗かったメスホールの明かりがパッと照度を上げた。
「そろそろお開きだね」
「あ、ほんとだ。もう23時だよ。そろそろ出発だ」
「あぁ、フロリダへ行くってやつだ」
「うん」
みんな立ち上がってそれぞれにウォードルームを出て行く。
「この基地は私のほうが長いから、なんかあったら相談して」
「オッケー! と言ってもゲストルームは今夜だけらしいよ?」
「そうなの?」
「うん。週明けには個室が用意されるって聞いてる」
個室と言う響きにムフフと笑みを浮かべる。
下士官を含め一般兵卒は基本相部屋か集団寝室を使うのが前提。
最先任曹長クラスでやっと個室もどきが宛がわれる。
鍵のかかる個室を使えるのは士官の特権だ。
専用のシャワールームにベッドルーム。
小さなキッチンに冷蔵庫。そして、書斎。
士官待遇は伊達じゃ無い。
ただ、このウォードルームで食事をする時などでも、兵卒より割高だ。
高給取りはその分払わなきゃならない。
格差社会はこういう部分でバランスを取っている。
「じゃ 気をつけてね!!」
「うん。おやすみ!」
羨ましそうに見ているホーリーへバイバイと手を振ってバードは分かれた。
――――アームストロング宇宙港 軍用エリア。
地球標準時刻 2330
気密を保たれたドライゾーンポートの中。
通常はモンスーア級強襲降下揚陸艦の艀として使われている大型降下艇が接岸し、ギャングウェイを連結していた。
側面にXINAと書かれたそれは、通常であれば地上向けの空中戦車や自走砲を地上へ降ろす為の物。
だけどこの日は、テッド隊長以下四名だけのBチームが独占使用している。
広々とした艇内では、メンバーがのんびりと降下装備を調えていた。
「なんだかウキウキしますね」
ご機嫌で装備を調えているバード。
ペイトンもジョンソンもご機嫌だ。
「地上から対空砲火に撃たれる心配が無いって良いもんだな」
「全くだ。シリウスの連中も対空砲火削れば予算浮くはずだぜ。あいつら貧乏だから」
実際。降下艇へ乗り込むのに笑っているなんて言うのは、バードにしてみれば初めての経験だった。最初に降下した時は、地に足が付いてる感じが一切しなかったものだ。
それを思えば『現場慣れしたなぁ』とバードは内心苦笑する。
自分に勤まるか?と心配していた頃が嘘のようだ。
「これで地上に着いてから艇外へ出るとかやってみたいですね」
「そりゃ無理ってもんだろ。海兵隊はそこまで親切じゃねーしな」
「それに明日は日の出前に降下だからな。真っ暗闇でよけりゃ出来るだろ」
仲間達と明るく笑いながら装備を調える。
リラックスしてはいるが、完全なルーチンワークになっている部分でもあり全く抜かりは無い。
士官学校だけじゃ無く、シミュから抜け出た後に人目を憚らず泣き出すほど辛かったODST教育で、徹底的に教え込まれた準備万端抜かりなくの意識は、こんな時にこそ十二分に発揮されると言って良い。
スペアのマガジンは一本だけ。装甲服はいつもと違って軽装型。
明け方に降下し、訓練を行う候補生のど真ん中へ降下する簡単な作戦。
サイボーグのODSTがどんな事をするのか?を実演して見せるのだ。
そして、その作戦行動に同行出来て、役に立てる兵士を育てなければならない。
「まぁ、その内優雅に降りられるさ。楽しみにしていろ」
ちょっと酒臭いテッド隊長にも慰められたバード。
まぁ、悪い気はしない。
でも、冷静に考えると地球へ降りるのは……
一六歳の時、コロニーの無重力環境の医療センターへ移る前以来だ。
日本へ。自分の家へ帰れないのが寂しい。
自分は公式には死んだ事になってる。
そんな事はもう嫌と言うほどわかっている。
いきなり自宅へ顔を出したら大騒ぎになるのは目に見えている。
でもやっぱり。寂しいものは寂しいし、家へ帰りたい。そんな思いは強い。
出来る限り顔には出ないようにしていたバードだが悶々と考え続けていた。
いきなり自宅へ帰ったら、どう説明しようか。きっと両親は驚くだろう。
兄はどうするだろうか。飼っていた犬は自分を覚えてくれているだろうか。
そもそも。機械になった自分を認識してくれるだろうか?
どうでも良い事を考え続けてだんだんと不安になって行く。
そんなバードを見透かしたかのようにテッド隊長が声を掛けた。
「バード 面倒な事は考えるな 俺たちはみんな一緒だ」
ペイトンもジョンソンもちょっと寂しい笑みを浮かべていた。
「そうですね」
何となくだけど、バードは気が付く。
この基地のサイボーグ達がファミリーネームで呼び合う理由。
コードネームとか、或いはニックネームとか、そんな事は後付けだ。
つまりは、皆同じ境遇なんだと言う事。
いきなりサイボーグにされた理不尽さを抱える仲間たち。
フレディ司令はそれを『生身の人には分からないコンプレックス』と言った。
その言葉の真意を何となく納得できるようになってきた。
「さて、あと6時間したら大気圏へ突入する。少し寝ておこう。酒も抜けるしな」
サイボーグであるからどんな姿勢でも寝られるし、身体が痛くなる事も無い。
だけどやはり、横になった方が寝付きは良い。
降下用のパラシュートバッグを枕にして目を閉じる。
……なんだかいろんな物を思い出して、バードは全く寝付けない。
ふと隣を見れば、ジョンソンもペイトンも思い思いの格好で寝ているのに。
呼吸を必要としないサイボーグだけど、一つ息をついて心を落ち着けて。
そして、瞼の裏にいろんな物を思い浮かべる。
生まれ育った家。
玄関を出て小さな門を開けて一歩出たら、アスファルトの道路。
振り返れば白い壁の我が家。
歩いて行くと公園があって、よく遊んだブランコの向こうには小さな花壇。
コスモス咲く小さな花壇。見上げると青い空に白い雲。
風が吹いて木々がざわめく穏やかな日々。
肌に風を、太陽の熱を感じた日々……
不意に降下艇がガタリと揺れた。
ふと気が付けば、窓の外が大気摩擦熱でオレンジ色に光っている。
気が付けばすっかり寝ていたようだった。
寝起きでは無意識にバッテリー状況を確認する癖が付いている。
「よく寝てたな」
テッド隊長はとっくに窓の外を見ていた。
少しだけ恥ずかしくてはにかみながら、並んで窓の外を見た。
いつもならこの辺りでヘルメットを被るから、裸眼で見たのは初めてだ。
もっとも、今は完全に機械の目だ。
裸眼と言うのもどうかとバードは思うのだが。
いつの間にか起きてきたジョンソンとペイトンも外を見ていた。
「綺麗なもんだよな。地球って」
ジョンソンがボソリとつぶやいた。
オレンジ色に流れる気流の向こう。
真っ青な海が広がる蒼い惑星の姿に心奪われる。
「綺麗だなぁ……」
気がつけばバードもそう呟いていた。
「本当に美しい惑星だ。地球と言う惑星は実に素晴らしい」
テッド隊長は何処か寂しそうに呟いた。
何となく引っかかるものを感じながら、そのまま外を眺めていたバード。
今度はオレンジ色の光が白くなり始めた。
それが大気圏の水蒸気だと気が付く頃には地上から20キロ前後の辺りだ。
「そろそろ飛び出し頃ですね」
「バードも慣れてきたな」
隊長が笑っている。
ジョンソンも笑っている。
「無意識にあちこち確認しそうになるよ。電源とか酸素量とか。あと装備とか」
「今日は事実上、丸腰だけどね」
大気圏突入フェーズから空中飛行フェーズに移ったようだ。
バードは無意識に通信状況をスキャン。
全バンドで賑やかに通信電波が飛び交っている。
まるで渋谷駅前の雑踏に紛れ込んだような感じがする。
もっとも、渋谷駅前のスクランブル交差点は、動画でしか見た事が無いのだけど。
「うーん、電波密度濃い!」
電子戦担当のペイトンが頭を抱えている。
ちょっと辛そうだけど、対処法は分かってる筈だ。
降下艇はガクンと速度を落とし巡航態勢に入った。
窓の下遙かにフロリダ半島の浜辺に広がる広大な演習場が見える。
様々な施設が並んでいるのが解る。
「さて、そろそろ降下だ」
テッド少佐は身体中のアチコチを最終チェックし始めた。
「こんな優雅な降下は初めてだな」
「たまには良いだろ。楽しようぜ」
触発されるようにジョンソンとペイトンもチェックを始める。
もちろんバードも最終チェックに余念がない。
高度5000メートルで降下艇のハッチが開いた。
普通ならエアバレルがこの辺りの高度で飛び出すのだろう。
戦闘用ヘルメットでは無く、普通の降下用帽子を被ってカタパルトへ足を載せる。
「いっぺんに飛ぶぞ!いいか!」
『『『SIR!』』』
バードはカタパルトにぶっ飛ばされ、真っ青な空へ飛び出した。
視界いっぱいに蒼い海が見えた。
『海が蒼くて綺麗!』
『このまま泳ぎ行きたいぜ!』
『潮まみれだと後のメンテナンス大変だぜ?』
『それでも良いから行きたーい!』
無線の中でアハハと皆が笑う。
やっぱりこのチームはどこか緩いとバードは改めて思った。だけど。
『海に見とれて着地点見失うなよ! かっこよく降りるぞ! いいか!』
テッド隊長が手綱をキュッと締める。
これでパッと真面目モードへ戻れるのだからBチームは素晴らしい。
地上に降下ターゲットが見えた。対地距離3000メートルまで来た。
『戦闘降下モードだ。抜かるなよ!』
『『『SIR!』』』
視界に浮かぶ距離計をじっくりと眺めながら、減速率をサブコンに計算させる。
今日の降下重量から逆算すると、パラシュート展開は高度100メートル前後で、誤差は10メートル少々だ。
一気に降下していくと、地上に沢山人が集まっているのが見えた。
戦闘装備を背負ったまま、砂浜に座らず空を見上げている。
『バーディー! トップバッターだ。いい女は優雅に降りろよ』
テッド隊長の指示が飛んだ。
バードはサムアップで応えた。
『そうだぜバーディー ドレスの裾は踏まねーようにな!』
『ヒール折るのも減点だぜ!』
ジョンソンもペイトンも次々に無理難題を押し付ける。
『ちょっと!ハードル上げすぎ!!』
無線の中で笑いながらもバードの目が着地目標を捕らえた。
ODST候補生を飲み込もうとする地獄の釜が蓋を開けて待っているのだった。




