別れへのカウントダウン
~承前
月面周回軌道上 高度100キロ付近
重力が弱い月では大型艦艇の周回軌道がこの辺りに設定されてる。
シリウス派遣軍団の帰還は続いていて、月周辺は時ならぬラッシュだった。
タイガークルーズに参加した家族は一旦月面に降りてから地球へと帰る。
その為か、月面へのシャトル便が出発するデッキはたいへん賑わっていた。
「じゃぁ地球まで気をつけて」
シェルデッキの片隅。
バードは母親を抱きしめて別れを惜しんでいた。
もちろん力は加減してあるし、リミッターもちゃんと効いている。
どれ程に恨んでいても憎んでいても、血は水よりも濃い。
そこには肉親の情があり、何処まで行っても母と娘の関係があった。
「あなたもね。たまには連絡ちょうだいね」
そこに母と娘の見えざる壁は無かった。
完全に自分の手から離れた娘を見つめ、母はまた涙を流した。
後悔はもう振り切ったと思っていたのだが、やはり心を痛めていた。
どうにもならないとは解っていても、やはり後悔はおきるのだ。
「大丈夫。色んな形で地球には何度も降りることになるだろうから」
バードは笑みを見せてそう言った。
これからどうなるかと言えば、それはまだ何とも言えない部分が大きい。
大きな流れとしては海兵隊の中で便利屋に使われる公算が高い。
要するに、生身を使うのがリスキーな現場へ送り込まれるのだ。
そしてもっと言えば、様々な汚れ仕事を押し付けられる可能性もある。
――――私が言えた義理じゃないけど
――――どんなに汚れても心までは汚れない様にね
姑であるロックの母はバードにそう告げた。
その言葉にバードは背筋がゾクリとする悪寒を覚えた。
世を生きていれば、時にはそんな局面にも遭遇するだろう。
実際、今までだってそんな場面に幾つも遭遇したし、乗り越えたつもりだ。
ただ、改めてそれを言葉にして突きつけられれば、どうしたって狼狽える。
――――心に刻んでおきます
そう返答したバードは、深々と頭を下げた。
普段ならば敬礼する局面なのだろうが、やはり日本人的な振る舞いが滲み出る。
短く『そうね』とだけ返したロックの母も深々と頭を下げた。
23世紀の世界では日本式の挨拶が世界にだいぶ広まっている。
ただそれでも、きちんとしたお辞儀の作法は日本人ならではだった。
「じゃぁ、元気で」
涙を流しながら母は歩き出した。その先にはバードの父が居た。
父は母の背を抱くように肩を引き寄せている。
バードは兄、太一と並んでそれを見ていた。
「おふくろも親父もどれ程後悔したか解らんけどさ――」
妹を持つ兄は女の扱いが上手くなるという。
姉を持つ弟とは異なる扱いの上手さだろうが、それは今は関係ない。
「――あんま勝手な事言うなって思うよな」
それが単なるリップサービスなのはバードにだってすぐに理解できた。
もっと言えば太一なりの気の使い方であるという面もだ。
言葉は言う側の心によって武器にもなるもの。
そして同時に、受け取る側の心理によっても受け取り方が大きく変わる。
上手い具合に意志を伝えるのは技術だが、それを受け取る側にも技術が要る。
人と人が集まって社会を作る以上、それは仕方が無い事だった……
「まだシリウスへ行く前だけどね、エディ直接に言われたの」
唐突にそう切り出したバードは、ニコリと笑って太一を見た。
隣に翠を置いた太一は、言葉の続きを眼差しで求めた。
「自分の手に余ることはそこに置いて行けって。何も真正面から受け取る必要はないんだから、どうにもならないなら、それはどうにでもなって良いんだって」
エディから教えられたことを大幅に要約して説明したバード。
太一はそれを上手く捉えられなかった。ただ、言わんとしてることは解る。
色即是空 空即是色
東洋思想体系の根幹にある無常の概念は、戦闘心理学で必ず学ぶものだ。
かつての怨恨で今苦しむ必要はないのだから、第三者的にそれを笑えば良い。
遙か彼方の星まで超光速の旅をした妹は、その速度で過去を振り切った。
そんな解釈を太一は飲み込んだ。
「良い経験をしたんだな。俺より大人だよ。率直に凄いと思う」
兄に誉められてバードも満更では無かった。
ただ、それを噛みしめる前に、シャトル便の出発時刻になっていた。
「後で思い出して味わっておくことにする。さぁ早く行かないと」
そっと兄夫婦を急かしたバード。
その目が翠を捉え笑った。
「甥か姪が産まれたら教えてね。私には出来ないだろうから」
サイボーグの哀しさをオブラートに包み、バードはそっと笑っていた。
どれ程の窮地や困難を乗り越えたらこれ程に強くなれるのだろうか。
太一はそんな事を思いつつ、翠の肩に手を触れて言った。
「じゃぁ、またな」
「うん。姉さんもお元気で」
バードは自ら一歩下がって手を上げた。
その姿を見ていた父親が遠くで手を振った。
ふと、これが今生の別れな様な気がして、バードは息を呑んだ。
シリウス戦役で彼方の地に散った多くの魂も、きっとこれを見た筈だ。
――――また会えるよ
――――大丈夫……大丈夫……
自らに言い聞かせる様にそう呟き、バードは大きく手を振った。
両親や兄弟がシャトルに乗り込み気密が取られる。
デッキクルーがやってきてバードに艦内への移動を促した。
「あれが最後のシャトルよね?」
やって来たクルーが首肯し、バードはニコリと笑った。
「ホーサーをちょうだい。家族をここで見送りたいから、遠慮無くハッチを開けて。私が大丈夫なのは知ってるでしょ?」
呆気にとられたデッキクルーだが、士官にそう言われたら従うしか無い。
彼等が身に付ける安全帯のベストを着込み、命綱をフックした。
オレンジのパトライトが明滅を始め、シェルデッキの空気が減圧され始める。
――――あはっ!
――――驚いてる!
シャトルの窓からこっちを見ている両親と太一が本気で驚いた顔をしている。
そんな中、シェルデッキのハッチが開かれ、開口部から宇宙が見えた。
煌めく星々をバックに、バードは素顔を晒して立っていた。
真空になったデッキの上で、手を振りながら。
己がサイボーグである事を誰もが解る形で示しながら。
『バード! バカッ! なにやってんだ!』
唐突にラジオに響いたロックの声。
ふと見ればギャングウェイの窓にロックが見えた。
『家族に諦めさせたの。あなたの娘はもう機械だよって』
間髪入れず『そうじゃねぇ!』と声が返って来るも、バードは笑っていた。
シャトルがハンフリーを離れハッチが閉じると気圧が返ってくる。
バードは命綱を解き、デッキクルーに渡して歩き出した。
『俺たちもミーティングだぜ』
『うん。解ってる』
月面へと戻って来たODSTの面々はこれから帰着のパーティーだ。
家族を一足先に地球へと返し、彼等は肩の荷を下ろす。
新しい人生の続きが、そこに待っていた。
翌日
久しぶりのキャンプ・アームストロングは、どこか懐かしさを感じた。
ささやかながらも月へ帰着の歓迎式典が開かれ、バードはずっと笑っていた。
フレディ司令は帰還した者達へ感謝の意を伝え、新しい人生を歩めと言った。
今まで501大隊を指揮統制してきた者達が誰一人として居ない不思議な環境。
それこそが新しい時代の始まりを雄弁に語るしるしだ。
もうODSTは必要ない。
その現実が嫌でも突きつけられ、皆は新しい人生を探すことになる。
ただ、そうはいっても即応集団は必ず必要とされるだろう。
地球の問題は地球上で。宇宙の問題は宇宙で。
それぞれが解決を図る時代が来ようとしていた。
「ここも久しぶりだぜ」
Bチーム向けガンルームの中、ジャクソンは穏やかにそう言った。
ドリーは専用のケースを開けて全員にファイルを配り始めた。
それは、海兵隊の編成委員会がまとめた今後の件だ。
これからどうするのか?
進路希望を集め、次のステップへと向かう準備。
既に希望は出してあるが全ての希望は通らないだろう。
しかし、かなりの我儘が通るのは間違いない。
――――エディがそう布石をして行ったからな
Aチームへ行ったジョンソンがそんな事を言っていた。
命よりも重い夢を追って走り続けた男の遺した最後の仕掛け。
それがどんなものかは解らないが、ジョンソンが言うなら間違いないだろう。
「ライアンはどうだった?」
コーヒーを飲みつつ、バードはそんな話を振った。
ライアンはペイトンと何事かを相談中で、時折笑みを浮かべていた。
この二人は遠隔恒星系派遣団への参加を打診していた。
かつてテッド大佐らが訪れたグリーゼ星系への遠征だ。
「希望は通ったらしい。派遣艦隊司令官の名前で歓迎するって書いてある」
ペイトンの表情が晴れ晴れとしているのは理由があった。
そもそもペイトンはブルースターのクラッカーだった前歴がある。
ブルースターがシリウスの工作機関だったことは既に有名な事実。
そして、その関係で家族親族は色々と居心地が悪いとのことだ。
――――本人確認は良いが帰ってくるなってよ
弁護士を通じて親族に連絡が行ったそうだが、その返答はにべもない。
人の心は割り切れないと言うが、やはり世間体はあるのだろう。
今まで散々と地球を騒がせてきた連中の手足だった元テロリスト。
実態がどうであれ、人は勝手なイメージを作り上げ噂するものだ。
「まぁ、なんにせよ、行く宛が出来て良かったぜ」
ペイトンの向かいに居たライアンも表情は晴れやかだ。
家族全てを殺され天涯孤独だと思っていたのだが、伯父が存命だったそうだ。
わざわざハンフリーまでやって来て本人確認を行った。
その結果、ライアンは地球上に於ける戸籍を回復した。
だが……
「面白そうだしな」
ペイトンの言にニヤリと笑ったライアン。
人懐こくて人誑しの面がある不思議な人徳持ちの男。
そんなライアンが『一緒に行かないか?』と誘えば付いて行く者も出る。
実際、そんな誘いにダハブとヴィクティスは乗っていた。
そして意外な事にアナスタシアもだ。
――――面白そうですよね
楽しげにそういうアナの姿からは、いつの間にかAIっぽさが抜けていた。
エディの考えた救済の構図は上手くいったと考えても良いのだろう。
レプリカントと同じように、人生経験を積ませて人間的な厚みを作る。
そんな狙いがあったのだとバードは思っていたが、それもどうは違うらしい。
今のアナスタシアを見ていれば気が付くのだ。
AIとかレプリカントとかだけでなく、人間だってそうなのだと。
生まれて程なくしてから既にデジタル環境に囲まれると人格が育たないのだ。
いつの時代もどんな場面も、結局は困難が人格を育てる。
レベルの高い所に放り込まれ必至について行く努力こそが成長のエンジン。
そして、ハと気が付くとそのレベルに慣れている。それこそが成長の本質だ。
「けど、ジャクソンは意外だったよね」
そう。実はジャクソンもそれに参加すると言い出していた。
家族全てをテロで失ったのだが、母親と弟が存命だった事も大きい。
だが、それ以上に大きなファクターは、実は別にあった。
「仕方ないだろ。あんだけ迫られりゃジャクソンだって折れるさ」
受け取ったファイルを見ながらビルはそんな事を言った。
Aチームのホーリーがジャクソンにホの字なのは周知の事実。
そして、そのホーリーは実は天涯孤独の身。
親兄弟の愛情に飢えているのはバードも感じていた。
だが、それ以上に求めていたのは愛を注げる存在だった。
そんなホーリーはジャクソンに『一緒に行こう』と誘っていたのだ。
「それに、派遣艦隊としてもシェル乗りが多いのは歓迎するだろうからな」
唐突にダニーが口を挟んできてバードは驚いた。
少し険しい顔になっていたが、それでも幾度か首肯していたから。
「ダニーは予定通りなのか?」
ロックがそう問うと、ダニーはニヤッと笑って楽しげな表情になった。
海兵隊の編成部が示した移動の斡旋先には含まれない希望を出していたから。
「例のスライムを研究したいんだろ?」
ドリーは自分のファイルを見ながらそんな事を言った。
あの地下の土壇場で半分に切断されたダニーだ。
純粋な興味として、あの泥ともスライムとも付かない生物を研究したいはず。
そして、あの時にダニーの上半身を抱えたアーネストも同じ希望を出していた。
学の無いアーネストは移動ではなく学業の希望を出していた。
それを見た編成部は、ダニーの補助として同行を勧めたのだった。
「アーネストも一緒に来るっていうし、あれを研究して何者なのかを確定させたいんだ。ただ、地球へ降ろすわけにはいかないから、ベルト辺りの研究施設行きだろうけどな」
何処を見てもサイボーグのままで歓迎されるポジションばかり。
Bチームのメンバーで生身に戻る申請を出した者は一人も居なかった。
最後にチームへと加わったヴァシリですら即応部隊への異動希望を出していた。
ドリーはAチームに行ったジョンソンと共に即応部隊への移動が決まっていた。
「結局、地球に降りるのは俺とバードだけか」
ロックがぽつりと漏らす。
バードはすぐに相槌を入れた。
「まだ降りるって決まったわけじゃないけどね」
ふたりが出した希望はODSTスクールの教官役だ。
だが、海兵隊が差し戻してきた書類には海兵隊の教導団という記載があった。
つまり、候補生ではなく海兵隊に対し訓練を施す教官役と言う事。
そして同時に教導団とは海兵隊最強の部隊を意味する組織でもある。
そこへシリウス帰りのベテランサイボーグが送り込まれる事になった。
全員の行き先が確定し、シリウスへの旅も終わる。
だが、そんな目出度い席なのに、チームの中は何とも微妙な空気になっていた。
祭りの後の寂しさ的な余韻を味わうのとは異なる感覚。
最も近いものは、スミスがこの世を去った時と同じ喪失感だった。
「これで……Bチームの旅は終わるって事だ」
その事実にドリーは少し微妙な表情だった。
501大隊の中にBチームが誕生した時から終焉まで見届けたのだから。
テッド大佐と二人三脚で走り続けて来たドリーだからこそなのだろう。
「思えば色んな所へ行ったぜ。色々あったが、終ってみりゃ楽しかった。ここにトニーとスミスがいねぇのは残念だけど、それも仕方ねぇ」
ジャクソンがそう言うと、ビルがぼそりと言った。
「ジャックが最初に来た頃は随分と面食らったもんだよ。大丈夫かってな」
その一言で、バードはジャクソンよりビルが先に加入してたことを知った。
思えばチームの中でも指折りの謎が多い存在だ。
だが……
「まぁ、そんなもんさ。後から来た奴は大丈夫かな?って心配するんだよ。トニーが良く言ってたさ。気楽にやれって。いつ死んでもおかしくねぇからって」
ペイトンがいつものように『まぁ』から話を始める。
それに相槌を打ったのはあ、意外な事にドリーだった。
「あの人は本当に視野が広かった。ブレードランナーじゃ無きゃテッド大佐の副長はあの人だった筈だ。なんせ最後のブーステッドだったからな」
ドリーが言ったその言葉にトニーを知る者全員が『は?』と言った。
「あぁ、そうか。知ってたのは俺とジョンソンだけだろうな。トニーは俺が来る前に負傷してサイボーグ化してたが、そもそもはシリウスでヘカトンケイルが作ったブーステッドだった。恐らくは何かの実験体なんだろうな。色々と紆余曲折を経てエディが入手したって訳さ」
ドリーは一息ついてコーヒーを飲むと、不意に天井を見上げ思案にふけった。
その脳裏に浮かぶものが何かは解らないが、きっと懐かしい階層の記憶だろう。
バードは辛抱強く言葉の続きを待った。
自分の前任であるブレードランナーの先輩だ。
その人となりを知りたいといつも願っていたのだから。
「これは可能性の話でしかないが、もしかしたらトニーはエディの兄かも知れないんだ。兄と言っても血が繋がってる訳じゃない。ただ、ヘカトンケイルが生殖実験の中で生み出した先天性ブーステッドの一人かも知れない」
その言葉にバードは息をのんだ。
余りに特殊な身の上に言葉が無かったのだ。
生まれてくるビギンズをブーステッドにする為の実験体。
そのテストベッドとして世に生まれたのがトニーだった可能性だ。
「じゃぁ、もしかしたらトニーがビギンズになってた可能性もあったって事か」
ビルは小さく息をこぼしてからそう言った。
そして同時にハッとした表情になってドリーを見た。
「所でビギンズって誰が生んだんだ?」
ビルの言葉は全員が集中するのに十分な威力だった。
ただ、それに対し答えたドリーの言葉は単純でシンプルだった。
「さぁな。それは俺も知らないよ。もしかしたらテッド大佐が知ってるかも知れないが、きっと教えてくれないだろう。なんせビギンズはまだ1歳だからな」
……あッ!
バードはハッと気が付いた。そう。ビギンズはまだ1才だ。
あのパイドパイパーのリーダーであるバーニー大佐が産んだ筈の存在。
つまり、ビギンズとエディの人格は今は異なるのだ。
「シリウスはまだまだこれからだな」
その場を〆るようにジャクソンがそう言った。
ふと、またシリウスへ行くんだな……と、バードは確信した。
まだ1才でしかないが、それでもエディに、ビギンズに導かれて……だ。
シリウスの未来を作るために、もっともっと苦労する事になる。
なんら根拠のない事だが、それでもバードはそれを確信していた。




