カッシーニでの再会(後編)
~承前
「強襲降下揚陸艦、ハンフリーへようこそ! 皆様の乗艦を心より歓迎します」
艦長が開口第一声にそう挨拶し、ハンガーデッキは大きな喝采に包まれた。
ハンフリーはクルーの家族を乗せ、カッシーニを出航していた。
「本艦は全長855メートル。総重量は30万トンに達する巨大船です。乗組員は通常5000名を越えますが、今日は皆様を含め約6500名となっています。これから3日ほど、本船は地球へ向け宇宙を進んでいきます。神秘とロマンに満ちた宇宙の航海ですので、皆様の愛すべきご家族がこの船をどう動かしているのか。それをご覧になってください」
再び大きな拍手が沸き起こり、バードの耳は入力オーバーになった。
カッシーニ基地から乗り込んだ凡そ2000名の家族は目を輝かせている。
客船とは違い快適性などと言うものがあまり考慮されてるとは言いがたい。
しかし、逆に言うと宇宙というものをリアルに感じられるのだ。
「今までいろんなものに乗ったが…… 軍艦は初めてだ」
デッキの片隅。
感慨深く周囲を眺めてるバードの父は言葉を失っていた。
宇宙船であるからして、壁と言わず天井と言わず、様々なものが置いてある。
現時点では重量補償により床に足を付いている状況なのだが。
「ほんとね。シリウスから来る時にはコロニー船だったもの」
バードの母もそんな言葉を漏らす。
ふたりの脳裏に何が思い浮かんだのかは解らない。
だが、少なくとも感心してるのだけは間違い無い。
「さて、とりあえず指定された部屋に行こうか」
父母の背中に向かってそう言葉を発したバード。
振り返った両親は少し笑みを浮かべて首肯した。
そして……
「差し当たって同じ部屋だけど、いい?」
バードがそう断ったのは、予定に無かった来客の存在だった。
「あぁ。勿論だ。押し掛けたような形だからな」
そこに居たのは、バードの兄・太一だった。
――――協定人類歴 2306年 1月5日 1130GMT
―――― 場面は時間を30分ほど遡る ――――
カッシーニで招待客を待っていたとき、太一はいきなりバードの前に現れた。
――――え?
それ以外の言葉が浮かばなかったバードは絶句した。
弁護士であるバンホーラが言った予想外の人物が、本当に予想外だったからだ。
タイガークルーズに当たって申請した招待家族は父母だけの筈。
だが、ハンフリー招待客の集合場所に兄、太一が姿を現していた。
それも、国連地上軍の制服を着た姿でだ。
そしてそれ以上に驚く存在が居た。
バードを慌てさせるのに十分な存在だ。
――――うそ……だよね?
兄・太一の隣に立っていたのは銀の髪をした女性だ。
バードとほぼ同じくらいの背丈をしたスレンダーな女性。
しかもその人にバードは見覚えがあった。
バードの視界にインポーズされたのは、その女性のパラメーター。
国連地上軍、広域機動戦闘団所属、長距離強攻偵察隊の四等准尉。
ただ、そんな事は実際どうだって良い。
そこにいる女は、あの市ヶ谷の防衛省庁舎で射殺したはずのレプリ、翠だ。
「余り驚くのもどうかと思いますよ。中尉」
バンホーラが朗らかに言う物の、バードは流石に面食らっていた。
そんなバードに気が付いたのか、遠くで太一が手を挙げた。
「お帰り! 久しぶりだな!」
翠と共にやって来た太一は満面の笑みだ。
そんな兄を前に、バードは驚きを隠しきれなかった。
「まぁ、驚くのも無理ないか」
隣にいる翠に微笑みかけ、太一はまだ笑っていた。
「いや、驚くでしょ。5年は確かに長かったけど…… どういうこと??」
バードの言葉に太一はニンマリと笑い、翠の手を取ってバードに見せた。
ふたりの指にはエンゲージリングがあり、結婚した事を物語っていた。
「翠……さん……ですよね?」
「えぇ、そうです。中尉」
太一と同じく地上軍の制服を着た翠は朗らかにそう返答した。
ふたりの襟章を見れば四等准尉なのが解る。地上軍の下士官でも准士官待遇だ。
「驚くのも無理はないですが――」
そう切り出したバンホーラ。
バードはそっちへ視線を向けて眼で『説明して』と訴えた。
「――あの東京の施設で翠さんの偽者レプリを直接処分した中尉なら驚くのも無理はありません。ですが、実は彼女は本物の翠さんです」
思わず『え?』と返答したバード。
その油断しきった様子に太一はプッと吹きだした。
「実は翠さんはブーステッドの実験体なんですよ。中尉達サイボーグを製造するサイバーダイン社に対し、レプリ産業を事実上断念したタイレル社が実験を進めてきたブーステッドの実用被験者です。中尉も何度か遭遇してる筈ですよ。銀の血を流すレプリよりも打たれ強い『ウソでしょ?』
バンホーラの説明を途中で遮ったバード。
その眼差しは驚きを通り越した状態で翠を見ていた。
「いえ、本当なんです。そもそも国防軍の特殊作戦群に所属してたんですが、サンクレメンテで訓練中に重傷を負い、一度は死亡判定が出て……後は、中尉と同じパターンです。ただし、翠さんを引き取ったのは海兵隊ではなくタイレル社でした」
バンホーラと翠を交互に見ているバードは脳内で情報を整理した。
そして、一つの結論に達した。
この女は。いや、翠と言う女性は、もうひとりの自分であると。
些細な運命の差で、もしかしたら自分がこうなっていた可能性があるのだと。
「つまり、タイレル社の実験に付き合う事で、命を永らえた。だけど、タイレルの中に居たシリウスの工作員により、コピーレプリが世に放たれた。私が処分したレプリはそれだった。そう言う解釈でOK?」
バードの問いにバンホーラは小さく『YES』とだけ返答した。
そして、それに続き問題の核心を話し始めた。
「そもそもタイレル社はブーステッドの製造メーカーでした。ただ、その製造過程において余りに非人道的な行為が多々あった為、人道上の配慮で生産が禁じられたのです。ですが、様々な理由でブーステッドは社会から求められました」
その時点でバードも全体像が見えてきた。
話に聞いていたルーシー誕生の秘話やテッド大佐の奥様であるリディアの件。
それだけじゃなく、新たなビギンズ誕生に至ったあれやこれやを思い出した。
「……たぶんですけど、これ、全部エディが描いた画ですよね?」
ニヤリと笑ったバードはバンホーラにそう問いかけた。
サイボーグの研究で発展したブリッジチップの応用。
身体的な不具合を治すべく研究されたレプリ技術のフィードバック。
何よりエディが求めたのは、サイボーグのその後なのだろう。
そしてそれは、バードへの置き土産であり、これからのサイボーグ技術。
次のサイボーグ化候補が安心してそれを受け入れるための担保になる。
「元帥の思惑である可能性は否定しませんが、実際にはより深いところな筈です。マーキュリー元帥がサイボーグ化した後、生身に戻る算段を模索した人々の思惑じゃないでしょうか」
バンホーラの言葉に何が引っ掛かったバード。
しかし、それよりも興味は翠に向いていた。
穏やかな笑みを湛える物静かな雰囲気をまとった存在。
経験的にこの手の人は注意がいるとバードは直感した。
相手に警戒されない空気と雰囲気。
つまりそれはベテランブレードランナーそのもの。
ただ、その時点でバードの頭からある事実がすっぽりと抜け落ちていた。
端から見れば、バード自身がまさにそのタイプであり、空気感なのだ。
「では、改めて自己紹介を」
聞き覚えのある声だ。あの時、市ヶ谷で聞いた声そのものだ。
翠の切り出した自己紹介に、バードは笑みを返していた。
准尉である翠は士官であるバードに気を使っていたのだ。
腹の底で警戒しつつ、親族へ向ける眼差しを作る。
ただ、同時にもうひとつの顔がバードの表面に滲み出ていた。
――――無様はさらせないよね……
自分が何者なのかをバードは瞬時に思い出したいた。
地上軍海兵隊でシリウス帰りな激戦を生き残ったベテラン士官。
いや、ベテランは言い過ぎだろうが、何度も死にはぐった経験はある。
だからこそ土壇場の限界ギリギリでも自分を保ち律する事が出来る。
それを発揮するときだと思ったのだ。
「元国防軍の特殊空挺作戦軍で言語と文化工作班でしたみどりです。今は国連地上軍で色々とやってます。どうぞよろしく」
翠は握手ではなく敬礼を行った。
親族だとか義理の姉妹とかではなく、あくまでも士官と準士官の接触に徹した。
バードはそこにプロフェッショナルとしての凄味を感じると同時に警戒もした。
ある意味、自分よりも遥かに『出来る存在』として要注意なのだと思ったのだ。
「ありがとうございます。急に姉が出来て実は少し戸惑ってますが――」
太一を見て無警戒な笑みを作ったバード。
作り笑顔は見透かされると直感したのだ。
そして、翠は『まだ』家族ではない。
Bチームメンバーのようなファミリーでもマフィアでもない。
この『最後の一線』はまだ越えてはならない。
「――まさかいきなり出来た姉が長距離強攻偵察隊なのは驚きました。海兵隊。第501大隊Bチーム所属のブレードランナー。バード中尉です。どうぞ……これからよろしく」
翠の敬礼に応礼した後、バードは無警戒な様子で右手を差し出した。
初対面の下士官や事務官相手に行う基本的な応対そのものだ。
――――お前の事はまだ信用してないぞ
言外にそう突きつける振る舞い。そして、翠の肩書きを一発で当てる能力。
それだけで機動戦闘団の長距離強攻偵察隊所属ならば実力が解るはず。
相当な訓練を積み重ねないと所属出来ない特殊部隊。
長距離強行偵察隊は実際にはヒューミントの為の組織だ。
そんな才女を相手にバードが見せたのは、それぞれの立場の違いだ、
士官と下士官は馴れ合ってはいけない。そんな空気を漂わせていた。
だが、それでもバードは心のどこかで何かを期待していた。
きっとそれは、認めた瞬間に心から溢れだしてしまうであろうモノだ。
鬱屈した劣等感や屈辱感を抱え、世の全てを呪って生きてきたバードの根幹。
モルモットのように扱われ、工業製品のように接せられた悔しさや悲しみ。
それらをこの人はもしかしたら解ってくれるかも知れない。
そんな期待だった。
「あぁ、そうだ。大事なことを忘れてました中尉」
翠と握手を交わしたバードに対し、バンホーラは唐突にそう切り出した。
なんだ?と顔だけ向け話の続きを待つ体制になったバードはまだ警戒していた。
「本年元日を以て501大隊所属者全員に本名使用が解禁になってます」
思わず『聞いてませんよ?』と返答したバード。
士官総会でもチームのミーティングでも、そんな情報は聞いた覚えが無かった。
そして同時に、この場の全てが出来レースの可能性を思った。
地球に残ったシリウス派工作員による壮大なトラップの可能性だ。
いや、トラップでは無くテロであり、もっと言えば仕返しの可能性。
そしてそれは、バードの心深くに今も蟠る罪の意識その物。
冷静に考えれば、ブレードランナーとして処分したレプリの数は千を超える。
レプリが人かどうかはともかく、間違い無く生き物の命を奪っている。
その報いがいつやって来るのかと怯えている部分はあるのだ。
『バードよりドリー。取れてる?』
思わず無線でドリーを呼んだバード。
直信ではなくチーム内のオープンラジオにしたのは無意識だ。
間髪入れず『どうした? 何か問題か?』とドリーの声が返ってきた。
警戒する様子は無く、どこかで打ち合わせでもしつつ寛いでいるだろう。
『いま、海兵隊の弁護士から本名の使用解禁って話を聞いたんだけど、本当?』
バードの声が流れた瞬間、一斉に『マジか?』『嘘だろ?』と声が出た。
アナからは『私は最初から本名でしたよ?』と返ってくる。
そこから一瞬だけ間を置いてジャクソンの声が聞こえた。
『俺も今聞いた。と言うか見ている』
ジャクソンは静止画を全員に配信した。
ハンフリーの艦長室で受け取った書類の中にそれがあった。
『艦長が開封を忘れてたらしい。さっき開封したらしく、慌てて呼び出されたよ』
ドリーの声が緩い。
隅々まで気を配るタイプの人間だが、逆にいうと油断するときは油断する。
そしてそれは、何よりも声に出てしまうタイプだった。
『人類協定歴3006年初日を以て第501大隊の全サイボーグ隊員に対し、本名の使用を許可する。マッケンジー上級大将のサイン入りだ。間違い無い』
ジャクソンは艦長から渡された本部からの通達を読んで聞かせた。
その視界にインポーズしてくる映像にはフレディのサインがある。
バードは無意識レベルで視野にあるサインの筆跡判断をAIにやらせた。
過去に見た映像記録と比較し、99%の確率で本物だと判定している。
『つまり、俺はドナルドだ。ドナルド・マックバーン。これを名乗るのは40年ぶり位だな』
ラジオの中で名乗りを上げたドリー。
バードは腹の底で笑いつつも明るい声で言った。
『そろそろクルーファミリーが乗艦するから、そっちをお願いしますね。団体様なんで大変ですが、よろしく。マックバーン少佐』
バードの一撃にラジオの中で笑い声が溢れた。
それと同時進行で現実世界も状況が進行していた。
「すいません。中隊無線で確認してました」
サイボーグがテレパシーの様に無線を使えるのは太一も解っていた。
それを知らない翠が怪訝な顔になっていたのは御愛嬌だろう。
小声で『無線会話中だよ』と翠に説明したようだ。
「いま確認が取れました。この辺りの手続きは面倒ですね」
ニコリと笑って翠を見たバードは一度太一へ目をやってから言った。
「小鳥遊太一の妹、恵です。改めてよろしく。ただ、今後も普通にコールサインとで呼ばれると思うし、その方が今は馴染んでるんで、バードで良いです」
小さく『了解』と応えた翠は笑顔だった。
義理の姉妹となった形だが、翠から見てバードは士官だ。
そこには親族としての関係以上のものが横たわる。
難しい距離間と配慮。それだけで翠もバードも眩暈がしそうだ。
ただ、それを思ったバードの眼が別の家族を捉えた。
やや離れた所に居たのはロックの母と弟だ。
「すいません。知己が来たようです」
その言葉に驚く太一だが、バンホーラはその人物を見てからバードを見た。
さぁ、勝負ですよ!とでも言わんばかりの表情なのは、全部知ってるから。
ハンフリーのデッキへと歩いてきたのは、ロックの母親と弟だ。
共に少し緊張した面持ちで辺りを見ながら歩いていた。
そして、その隣にはバードの父母がいた。
――――親戚だものね
そう思ったバードだが、ややあって向こうがこちらに気が付いたらしい。
バードの父母は太一と翠に驚いていて、なんでここに居るんだ?状態だ。
「けど、いきなり来られたって部屋とか用意出来ないかもよ?」
困った様な笑みでそういうバードだが、太一は笑いながら翠を見て言った。
「こう見えても元特殊作戦軍だ。ふたりとも鍛えられてる。飯とトイレがあればデッキで十分さ。今日は勝手に押し掛けただけだから、面倒は掛けないよ」
太一はあっけらかんと言うが、その隣に居た翠もまた遠慮無く言った。
自信溢れる笑みでバードを見ている翠は、
「中尉ほどでは無いでしょうけど、それでも相応に訓練してるから大丈夫。それに私は並の人間より余程丈夫だし」
ブーステッドの丈夫さはバードもよく解っている。
翠の言葉に疑いは無いが、問題は自分の両親だ。
「とりあえず家族向けの個室を宛がわれてるから、一旦そこに入ってて。あとで艦のコントロールと相談するから」
実際の話、バードがねじ込めば少々のことはどうにでもなる。
なんなら自分の私室を太一夫妻に使わせたって良い。
問題は部屋に残っている機密資料だが、それは艦の保安パートに預けよう。
ついでに翠の監視も頼もう。問題は無いと思うが、それでも警戒はするのだ。
やって来たバードの父母が『ふたりとも何やってんの』と驚きつつ笑っている。
そして、ロックの母と弟に太一達を紹介していた。
――――こう言うことか……
朗らかに世間話をする自らの両親とロックの母親。
それだけじゃ無い。ハンフリーのクルーに日常が戻って来つつある。
地球からやって来た親兄弟や家族と再会し、ハグしたり泣いたりしていた。
極限の緊張と死の恐怖に怯えた日々が終わり、彼等は平和な社会へ帰るのだ。
その前に、ワンクッション置いてやって、非日常と日常の間に一拍入れる。
「とりあえずデッキに行きましょう。乗艦が始まってるから」
バードは皆に移動を促し、ハンフリーへと入っていった。
その先頭をバードが歩けば、セキュリティ担当の下士官が敬礼した。
恵の父母や兄夫婦。それだけでなく、ロックの親族もがその背中に見惚れた。
緊張感の漂う、ブレードランナーの背中だった。
― ― ― ― ― ―
「兄さん姉さんはこっちでお母さん達と入ってて」
担当下士官からルームキーを貰い部屋へと案内した。
その隣の部屋ではロックが自分の家族を部屋に入れていた。
ただ、すぐにロックの母親と弟はバード達小鳥遊家の部屋へと来た。
そこにはバードとロックが居て、皆で談笑が始まった。
何年かぶりの穏やかな家族の会話。
それは、バードが経験した事の無い、家族の時間だった。




