帰還への道程
~承前
ハイパードライブの後片付けが進むハンフリーの艦内。
クルー達がさっさと動き回る中、バードは展望デッキへと来ていた。
何も外が見たいだとか居場所が無いとかでは無い。
今もバードの肩書きはBチームのブレードランナーだ。
正常なパトロールの一環であり、そして、警戒活動だ。
『バード中尉より艦内管制。展望デッキ異常なし』
彼女が警戒しているのはシリウスからの密航者だ。
どんな時代でも局面でも同じ事だが、密航という需要は必ず存在する。
安定した社会とて、正規ルートで渡航出来る者ばかりではないのだ。
そして、実際の話としてシリウスの強硬派は未だに健在だった。
シリウスから地球へ行って、とにかく派手に暴れてやる。
自分の身などどうなっても良い。1人でも多く不幸にしてやる。
そんな悪意には警戒を厳にせねばならない。
油断した時の一撃は悶え苦しむレベルで効くのだから。
だが。
――――凄い……
今、バードの視覚センサーに映っているのは、シリウスからの帰還艦隊だ。
外太陽系最大拠点ハーシェルポイント近隣にワイプインした凡そ70隻の艦隊。
彼等はここで太陽系領域の航海に向けて調整を行う事になっている。
次なる寄港地は木星の衛星ガニメデにある拠点ガリレオポイント。
それまでに通常航行が可能になるまで艦内をくまなくケアせねば成らない。
密航者だけでなく、もうひとつ重要な問題を片付ける為に。
『バーディ! 今どこだ?』
唐突に聞こえたロックの声でバードの意識が自分の機体へと帰って来た。
手が空いているBチームは全員が艦内各所をパトロールしているのだった。
『展望デッキに居るけど何か見つけた??』
ロックが自分を呼ぶのだから碌な事じゃない。
そんな予感がしたのだ。密航者を見つけたならそれで良し。
問題はその密航者が抵抗した場合だ。
死体は黒幕を吐かないと言うように、対象者が死んだ場合は情報を得られない。
そうなった場合、色々と面倒の種が増えることになるのだが……
『いや、密航者じゃねぇけど、取り敢えずは第4デッキの救護室へ来てくれ』
ロックの声に緊張感は無い。
それどころか穏やかで笑いを噛み殺してるようなレベルだ。
『解った。5分で行く』
呼ばれた以上は行かねばならない。
艦内管制に移動を告げてそそくさと歩いて行く。
――――なんだろう?
脳内に沸き起こるのは疑問と興味だ。
碌な事じゃ無いって頭じゃ解っているのだが、それでも興味が勝る。
ただ、問題になっているソレを目にしたときは、バードも笑うしか無かった。
「この子、何処にいたの?」
思わず抱きかかえて頭を撫でたバード。
その腕の中には白黒ブチになったネコがいた。
ニャァ
不安そうに辺りを見ているが、抱えられ慣れしているようだ。
「最初の目撃情報では、普通に貨物デッキの中を歩いていたそうだ」
バードが抱えているネコにちょっかいを出しつつ、ライアンがそう応えた。
シリウスの何処かで荷物に紛れ込み、そのまま太陽系まで旅をしたのだろう。
「おまえ、亜光速で旅をしたんだぞ? ネコ界でちょっと自慢になるぞ」
楽しそうにそんな事を言うロックだが、バードは少々渋い顔だ。
「この子、どうやってシリウスに送り返そうか」
首を傾げつつ思案に暮れるバード。
地球からの定期船で送るにしたって、受け取り側が問題だ。
「地球まで連れてっちゃまずいっすかね?」
ヴィクティスがそんな事を言うのだが、バードは渋い顔で首肯を返す。
「検疫の関係で獣は無理でしょ。人間だって生身は腸内洗浄されるレベルなのに」
バードの言葉に全員が表情を硬くした。
検疫
そう。検疫と防疫だ。
実際の話、シリウスで暮らした兵士達は隔離措置が執られているのだ。
シリウスの土着細菌などを持ち込まないよう細心の注意が払われている。
戦争開始直後などではあまり気を使われなかったが、実際は大問題だ。
「まぁ、地球にはいないはずの細菌とか持ち込むと厄介だからな」
話を聞いていたダニーがそんな事を言う。
医者の見地としては捨て置けない部分なのだろう。
地球には存在しない筈の細菌やウィルスの持ちこみは大問題になる。
天敵が存在しないと言うだけならまだ良い。
問題は地球の土着細菌と交雑した場合の対処だ。
「そうだよなぁ……」
どちらかというと物事の考えが軽いライアンですら重い言葉を返す。
未知の細菌が地球のモノと交配され、薬剤が効かない菌が生まれかねない。
人類はこの200年で滅びかねないパンデミックを幾度も経験しているのだ。
だからこそ、大航海時代に経験した検疫という仕組みに地球人類は舞い戻った。
20世紀半ばの宇宙開拓時代に策定された惑星保護の方針を再定義したのだ。
国際宇宙空間研究委員会なる組織が決めたガイドラインはふたつ。
・地球由来の生命および生命由来物質を他天体に持ち込まないこと
・生命が存在する天体から帰還する際は、滅菌か完全な封じ込めを行うこと
冗談の様な話だが、アポロ計画の際には月からの伝染病を真剣に警戒した。
月面には細菌が存在しないと確認されるまで、宇宙飛行士が隔離されたのだ。
そして、23世紀の現代では国連の委員会が定めた惑星防疫手順が存在する。
サイボーグには実感がわかないが、火星でも金星でも防疫措置されているのだ。
「まぁ、ハーシェルポイントの検疫施設に預けて、その手の機関に任せたら良いんじゃないか。場合に因っちゃ看板ネコにでもなるだろうし」
ロックもまた軽い調子でそう言うが、実際には気が気じゃない部分がある。
シリウスで想定外の生物を見てしまったBチームだ。
地球にあんなものを持ち込む訳にはいかない。
「そうだね。とりあえず衛生委員会にはそう連絡しよう」
バードはそう言うのだが、その最大の懸念はひとつ。
隔離措置ではなく殺処分の方が手っ取り早いからだ。
ニャァ
バードの指先をペロペロと舐めている仕草は病的にかわいい。
水を求めているのか?とダニーは紙コップを浅く切って水を入れ差し出した。
――――あ……
この時点でバードは気が付き、水を飲む前にネコの口を隠した。
「この子、何処かで排泄してないかな」
排泄という行為はサイボーグに不要なモノ。
そこに気が付くだけ大したモノなのだが……
「……そうだな。まずはそこを探した方が良い。その上でコイツは……」
ロックの眼差しに鋭さが混じった。
生かしたまま保護なんて悠長な事を言ってる場合じゃ無いかも知れない。
他でも無いバードは、シリウスの風土病らしい珪素化疾患で苦しんだのだ。
「油断してる場合じゃねぇや」
ライアンもその問題に気が付いた。
そう。このネコが地球を滅ぼす恐怖の魔王になりかねないのだ。
「まずは完全隔離。その上で艦内の再チェックだ。これに触れた生身も全員再チェックしなきゃいけない。大袈裟だが、それくらいの注意が要る」
ダニーは医者の見地からそうやって方針を示した。
その直後、艦内放送でハーシェルポイント入港まで2時間が告げられた。
「……時間が無いですね」
少し離れたところで成り行きを眺めていたアナが小さくもらした。
そう。時間が無い。場合によってはハンフリー自体が帰還中止になりかねない。
見なかった事には出来ないし、するべきでも無い。
と、なれば、残された方法はただひとつだ。
「とりあえず副長と相談してくる。艦内をお願い」
バードは静かな口調でそう言った。
ただ、その姿はレプリを始末して歩くブレードランナーのそれだ。
――――覚悟を決めたか……
ロックとライアンは一瞬顔を見合わせ、黙って首肯を返した。
バードは間違い無くあのネコを処分すると確信したからだ。
動物愛護的な側面から思えば酷い話だが、地球への帰還が掛かっている。
ネコ一匹と数千人にクルーを天秤に掛けたとき、どちらを優先するべきか。
「かわいいんだけどなぁ」
その先にどんな言葉が続くのか。
口に出したライアンも聞いていたロックも解っている。
もちろん、遠巻きに見ていたアナやダニーやヴィクティスもだ。
しかし、これもまた士官の義務なのだろう。
バードは少し寂しそうにニコリと笑って救護室を出た。
それを見送った5人は救護室の滅菌作業に入るのだった。
――――同じ頃
Bチームの首脳はハンフリーの法務部で海兵隊本部からの書類を受け取った。
表紙には情報取扱注意の文字があり、クリアランスレベルは上から3番目だ。
「いやいやいや…………」
機密書類開封室で早速開けたドリーは、低い声でそうぼやいた。
その向かいに居たジャクソンはチラリとドリーを見てから文章を目で追った。
細かい文字でびっしりと書かれた文章は、ジャクソンの魂を叩いた。
「……遂に来たなぁ」
手にした書類を眺め、ジャクソンはぼやきつつ小さく息を吐いた。
自発呼吸を行わないサイボーグの零す嘆息は文字以上の意味がある。
「海兵隊本部の決定だが…… いやぁ…… 予想外だ」
ドリーは腕を組んで唸ったままだ。
太陽系領域に入ったことで受信した膨大な電子メールの中のひとつ。
地球に帰還するBチームの今後について、その身の振り方の案内だ。
「しかし、こうやって見ると家族が居るってのはありがたいモンだな」
少し寂しそうにそう呟いたジャクソンは、書類を捲りながら返し読みしている。
海兵隊法務部からの連絡を要約すれば、3つでしかない。
ひとつは、今後は本名を名乗れると言う事。
長らく本人と家族の身の安全を図るために存在を秘匿されていた。
各国の戸籍やそれに準ずるデータベースから削除されていたのだ。
今回、シリウスとの戦争が曲がり形にも終了したことで、それも解除となった。
各国で各々の存在が『回復』し、様々な公的サービス番号が交付された。
つまり、バードは海兵隊の台帳に小鳥遊恵の名で登録されることになる。
ここまで名乗ってきたバードはコールサインとなり存続するのだが。
ただし、そこには大問題がある。
家族に本人だと認証されなければいけないのだ。
地球から家族を呼び寄せ、本人であると認証を受ける。
シリウス側工作員が壊滅した訳ではなく、様々な形で生き残っている為だ。
それ故に、面倒とも言える手続きを経て『生き返る』事になるのだが……
「ジャクソンは……」
デリケートな事を言おうとして、言葉を飲み込んだドリー。
ジャクソンは力なく笑って応えた。
「何も残ってねぇんだよ。女房と子供は爆弾で木っ端微塵だし、親兄弟はシリウス側の攻撃で全滅だ。遠い親戚が残っちゃいるが、顔を合わせた事なんて一度もねぇ人ばかりだからな――」
この場合、裁判所による法務手続きが必要になる。
ただ、幸いにしてジャクソンは警察官時代の記録が残っていた。
そのデータと照合すれば、比較的簡単に処理されるはずだ。
「――ま、適当にシングルで生きるさ。いい歳だが、まだ何かしら身を固める事もあるだろうしな」
本当に深刻な事態に直面したジャクソンだ。
こんな場面ではあまりシリアスに考え込むことは少ない。
元警察官と言う事で割と簡単に身の振り方は決まるだろう。
所属していた警察署から復帰しないか?とオファーが来る可能性だってある。
「人生は長い。老け込むには早いし、まだまだチャレンジしたい」
「全くだな」
ドリーの言葉にジャクソンがそう言葉を返す。
その意図は簡単でシンプルだ。
恩給
そう。法務部が送ってきた案件のふたつめだ。
莫大な金額になる恩給・慰労金をどう受け取るか?
受け取った後でどう使うか。それが問題だった。
そもそもサイボーグはメンテナンスなどでとにかく金が掛かる。
その関係で地球帰還後に身の振り方が重要になってくるのだ。
サイボーグ生活を続行するには何かしらの組織に所属するのが手っ取り早い。
ただ、軍は規模を縮小していくので、遠回しに退役を求めている。
この場合、今後10年分程度のメンテ費用を慰労金として支給するとある。
それを原資に投資等で増やしつつサイボーグの民間人で暮らす事も出来る。
出力の制限だとか無線機能の制約などがついて回るだろうが。
別の方法としては、生身に返ると言う手もある。
この場合は軍が専門機関で生身の身体を調製すると言っている。
クローン技術の応用で生身時代の身体を製作し、再びの脳移植だ。
これを選ぶと慰労金の額が半分以下になる。
具体的には総額の30%程度だ。
もっとも、クローンボディを作り移植手術を受ける事を考えれば随分安い。
それ故に十分選択肢に入るだろう。ただし、ここで重要なのは親族だ。
生身に戻っても人間として『生き返れる』人間以外は無理な相談。
そうじゃない場合には、一旦レプリカント扱いを受け入れる必要がある。
数年中にレプリ管理法が改正され、人間らしく生きられるようになるはずだが。
「なんにつけても、親族は大事って事だな」
ドリーが漏らしたそれは、現時点におけるBチームの最重要課題だ。
親族が居る者はともかくライアンやペイトンはどうするんだ?と言う部分。
天涯孤独となった者たちの身の振り方だった。
そして、それこそが最も重要な案件となる3つ目の事項。
ジャクソンが言うありがたい事と言う部分が問題なのだ。
「タイガークルーズか。船乗りも随分なイベントを考えるもんだな――」
ドリーの呟きにジャクソンが力なく笑う。
ここにきて海兵隊の法務部が501大隊の面々に本名を解禁した理由。
このイベントの核心に当たる部分だ。
「――今までもそれとなく調べてはいたが、まさか親族がまだ生きてるとは思わなかったよ。広大な農場で百姓をしてるとは思わなかった」
ドリーが言うそれは、タイガークルーズにおける参加者の名簿だ。
このハンフリーを動かすクルーの家族が地球からやってくる。
あなたの息子や娘、父親母親、親類はこうやって宇宙船を動かしていますよ。
それを実体験してもらい、軍の活動に理解を深めてもらおうとするイベント。
遠い昔、大航海時代の過酷な船上生活に反対する母親を宥めるものだった。
「……まぁ、本当に虎が乗り込んでくるようなもんだからな」
ドリーの言葉にジャクソンが返した内容。
それはつまり、ドリーの兄弟が存命で、ドリーの妹がやって来るのだ。
ただそれは、ジャクソンが言う様に決して穏やかなものではないだろう。
今の今まで戦死したと思っていた兄が存命で、しかもサイボーグだ。
どんな感情で再会すれば良いのか。百戦錬磨のドリーも頭を抱える問題だ。
その試練を乗り越え、親族から『本人です』を勝ち取らねばならない。
本人確認の為の認証を得るには嫌でも共に過ごす時間が必要だった。
「まぁ、努めて平静を装うさ。今までそんな局面は何度もあったし、これからもあるだろう。その練習だ」
ドリーが言う通り、試練は常に唐突にやってくる。
凪の海は船乗りを鍛えないと、口癖のように言っていた上官の元に居たのだ。
「それに、面倒を抱え込むのはドリーだけじゃねぇってな」
そう。ドリー達ベテランだけでなく若い船乗りも色々と辛いのだ。
ニワカには信じられないだろうが、でも、考えても見ればいい。
多くの船乗りにとっては上官よりもはるかに怖い存在が大量に乗り込む。
艦長は元より、ふたりいる鬼の副長や艦内の下士官を束ねるマスターチーフ。
そして、多くの士官や上官ですらも頭の上がらない存在がやってくる。
「若い奴らにしてみたら悪夢だよな」
クククと笑いをかみ殺したドリー。
若いクルーたちにとってすれば、大量の『口うるさい母親』がやってくる。
軍隊と言う組織に入り、若者たちは初めて規律と言うものに触れただろう。
だが、それを指導する上官や士官たちよりも遥かにヤバい存在だ。
最初は楽しいが、それもいいとこ2日目まで。
最後の寄港地であるガリレオポイントからの1週間は実際の戦闘より辛い。
「そして、これか」
ジャクソンが書類をペチッと指で弾いた。
そこに書いてあるのは、ロックとバードの親族がやってくるという内容だ。
身辺調査済みのマークがついている親族は両人の家族で5名。
恐らくはこれでフルハウスだろう。何処に寝かせるかを考えねばならない。
「海兵隊の兵士がまとめて降りるんで、その分だけベッドは空くが……」
「あのボンクに一般人を寝かせるのは無理だぞ?」
ドリーの言葉にジャクソンが応える。
ボンクとは船乗りの用語でベッドの意味だ。
艦内の海兵隊向けボンクは3段で天地方向が随分と狭い。
それなら士官それぞれに宛がわれてる個室へ入れる方が早いのだが……
「自分の部屋で4人は無理だしな」
「あぁ。良いとこふたりだ」
押し黙って視線をぶつけあう二人。
解決方法を模索するのだが、中々良い案は浮かばない。
もっとも、その解決法もまた軍は策定済みだ。
皆がアッと驚く方法は、まもなく公開されるのだった。




