弱者の味方
――――― タクラマカン砂漠 北西部
中国標準時間 一月十五日 0530
地平線を真っ赤に染める荘厳な日の出のシーン。
バードの視界は入力オーバーのフレアに溢れた真っ白な世界になっていた。
ふと顔を影の側に振れば、真っ白な世界へ素早くディテールが戻ってくる。
彼女の見つめる眼差しの先には、前日の降下戦闘で戦死した海兵隊員が国連軍旗のカバーを被った棺に納められ、輸送機への積載を待っていた。
彼らはこれから国連軍戦死者収容センターへ行き、公式に検死を受けて戦死手続きを受ける事になる。大気圏外での戦闘では遺体を収容できない事も多々あるのだが、少なくとも地上戦ではそう言うケースは稀だ。
地平線を染める朝焼けを眺めながら、バードは前日の降下突入時に撃墜された降下艇へ思いを馳せていた。シェルから強制ベイルアウトされた自分がもう少し早く到着すれば、もっと多くが助かったかも知れない。そんな罪の意識が心のどこかでチクチクと痛みを発していた。
「どうしたバード。早いな」
ふと振り返った先にはスミスとロックが立っていた。
バードと同じく戦死者を後方へ送る作業を見守っていた。
「ロック。足は?」
「あぁ、とりあえず応急修理で歩く位はなんとかなる」
「基地で修理?」
「いや、スタッフォードのセンターで部品を入れ換えてくる」
「そうなんだ」
少し安心したバードを見つめるスミス。
「なんかまた小難しい事を考えてないか?」
ジッと眺めていたスミスはバードの表情に何かを読み取ったようだ。
どこか悲しげで、それでも毅然と胸を張っているバードだったのだが。
「……なんだか私が見殺しにしたみたいで」
バードの悲しげな言葉にロックとスミスが顔を見合わせた。
「バードはいつも考えすぎだ。そんなの気にする事は無い」
「でも……」
スミスはフムスを食べながら作業を見ている。
朝食前だが、スミスはこれをどうやって用意したんだろう?と不思議がるバード。
そんな眼差しに気が付いたのか、スミスは袋に無造作に突っ込んだフムスをバードに勧めながら、何となく独り言のように語り始めた。
「俺が生まれた街は……地中海に面した中東の小さな国の首都だった。長らくイスラエルと血で血を洗う戦争をし続けてきた。かつては中東のパリと呼ばれた美しい都市だったと言うが、俺が育った頃には学校も病院も議会も無い、荒れ果てた砂漠の廃墟だった。人が死ぬなんてのはいつでも何処にでもある話だ。むしろ雨が降ったって話のほうが少なかったな。この砂漠と同じ様に」
スミスの眼差しに悲しげな寂しさが浮かぶ。
その意味を掴むにはバードの経験が少々浅すぎた。
「派閥による複雑な権力闘争を経て、最終的に内戦や多国間非正規戦が一端終わったのは俺が十歳の春だった。それまで顔も見た事が無かった父親と初めて会ったのもその頃だ。なにも言わずに抱きしめたオヤジは、左手が無くなっていた歴戦の勇士だった」
その悲しみの意味を何となく理解したバード。
親族や戦争や言葉にならない心の痛みでは無い物。
それはつまり、自らに降りかかる運命の不幸さだと思う。
「ある日、オヤジは俺を抱き上げて街の真ん中へ歩いて行った。何だろうと訝しがったんだが、街の真ん中で軍楽隊がパレードをしていたんだ。降り注ぐ砲弾の音と飛び交う銃弾の金切り声と。そして銃の射撃音に混じって聞こえてくる負傷者のうめき声。それしか知らない……」
バードをジッと見るスミスの目は哀しさに溢れている。
何となくその交差する眼差しを除けるのが失礼に思えて、バードはまっすぐに見ていた。
「それしか知らなかった俺には、まるでそれが神の調べに聞こえたモンだ。その時、オヤジは俺にこう言った。お前が大きくなる頃、まだこの国があるかどうかわからない。だけど、もしまだこうやって戦争に苦しむ人間や、理不尽な仕打ちに泣く人々や、そして戦う力なく死に征く人々とか子供達がこの国に溢れた時には、俺の代わりに戦ってくれって」
スミスは俯いて溜息を一つ吐いた。
能動的ガス交換を必要としないサイボーグの溜息にバードの心が震えた。
「力なき人々の為に。弱き人々を守る為に強くなって、そして代わりに戦ってくれないか。どうにもならないと諦めの涙を流すしか無い人々の為に。それがイスラムの男の勤めだけど、そんな事はどうでも良い。自分より弱い者の為に戦う事が必要なんだと、そう言ったんだ」
寂しそうな笑みを浮かべたスミスは、チラリとバードを見た後で輸送機に積み込まれる遺体袋の列をジッと見た。
背筋を伸ばし帽子を丁寧に被り直して敬礼を送るスミス。
その背中にロックとバードはスミスの優しさを見た。
積載作業を終えた輸送機のハッチがゆっくりと上がって閉まった。ややあってエンジンが唸りをあげ、輸送機が離陸体制に入る。ロックとバードは慌てて背筋を伸ばし、同じように敬礼を送った。
その姿を確かめたスミスは静かに眺めていた。
「最初は意味が解らなかった。何でそんな事を言うんだろう?と不思議だった。だけど、オヤジは笑いながら言ったんだ。これこそが受け継がれていくモノなんだ。自分の為に生きるんじゃ無い。誰かの為に生きるんだ。自分の損得じゃなくて、誰かの幸せの為に。きっと誰かが言うだろう。そんな馬鹿な人生に意味があるか?と。だけどな、そんなの気にする必要すら無い。ヒーローじゃ無くても良いのさ。ただただ。自分より弱い者の為に生きる。その先にのみ、真の栄光がある。これがムスリムの考える本当のジハードなんだ」
今朝のスミスはよく喋るな……
ふと、そんな事を思ったバード。
「スミスは何でBチームへ?」
ある意味でちょっときわどい質問をしたバード。
「俺も知りたい。スミスの話は聞いた事が無い」
ロックもバードの言葉に相槌を打った。
スミスもどこか達観したように口を開く。
「俺が十五歳の時、中東和平会議が開かれ平和が訪れた。俺は街の再建で必死に働き続けて、気が付けば二十二歳になって居た。人の紹介で三人の妻を娶った。バードも知っていると思うがイスラムの男は四人の女と結婚出来る。もちろん欲でするもんじゃ無い。最初の妻は夫がテロで死に、三人の子供を育てていた。二番目の妻は内戦で家族全てを失い、姪の娘を育てる女だった。三番目は俺が寝起きしていたキャンプの自治会で長をしていた長老の孫娘だ。両親をテロで無くし、半分心が壊れてしまっていた。一番目の妻は皆を大切にした。その姿を見ながら俺は思った。この全てを俺が護ろう。たとえこの身が銃弾で蜂の巣になろうとも、この女達を護ろう。いつか必ずこの地に栄える街が出来ると思ったんだ」
目を閉じて上を向いたスミス。
その姿にバードは確証無く、涙を堪えていると思った。
もう涙なんかながさない身体な筈なのに……だ。
「だが、ある日。街の市場で爆弾テロがあった。俺は急いで駆けつけた。幸いにして俺の家族は誰も死んでいなかった。だから俺はどこか他人事だった。他人の死に無関心だったんだ。だけど、それが間違いだと気が付かされたのは、次の週の終わりの頃だ。今度は街の外れにあった集会場でテロがあった。二番目の妻と娘が即死したんだ。泣いて喚いて妻を帰せと叫んだが、全く意味が無かった」
バードと並んで話を聞いているロックは、不意にバードの手を握った。
血の通わない冷たい手な筈なのに、バードの掌は不思議と温もりを感じている。
「気が付けば血で血を洗う戦争が再開していた。シリウス派にも地球派にも入り込んでいる戦争産業の企業が支援をしていた。そこで俺が気が付いたんだ。これは全部シリウスの書いた画だと。だけどある日。俺の家族が暮らしていた郊外の小さな街が大規模な空襲を受けた。慌てて帰った時、そこには俺の家族の死体が山ほど転がっていた。一番目の妻と娘達や長老の孫だけじゃなく、俺の兄弟もみんな死んでいた。一族郎党全部だ」
スミスの目が不意にバードを見た。
いつもの優しげな男の眼差しではなく、まるで許しを請う罪人のような目だった。
或いは、死を前に命乞いをする兵士の目のようだ。
「これはきっと俺の罪のせいだ。このままじゃ死んだ家族が天国に行けないと思って必死に心を込めて祈った。でもそれは。本当は自分の将来を考えると不安だったんだ。テロも戦争も終わらなかったし、むしろ再開した後の方が酷かった。気が付けば俺は怒りに身を任せていた。住んでいた街の反対側でイスラエルのモサドが戦い方を教えていて、そこを訪れた時から俺の心はどんどん荒んでいった。あのマシンガンの連射音を聴いた瞬間に、俺の体は勝手に動き始めた」
太陽を背にして立ったスミスはやおら跪き、そして礼拝を始めた。
全てに許しを請う罪人のような謙虚さと必死さが同居していた。
そんな姿にロックもバードも言葉を失った。
「俺は戦った。それしかない。戦うしか。それまでの嫌な事を全て忘れるように、ただ戦う。戦争を仕掛ける全てが滅べば戦争は終わると考えたんだ。そんな幻想と痺れるようなスリルという快感が身体を駆け巡る。これはきっと天からの授かりものだと思った。自分で言うのも恥ずかしいが、戦うのが嬉しくて仕方がない頃だった。人を殺すのが楽しかった。完全なスリルジャンキーでサイコキラーだった。戦地では条件反射のように身体が動き出し、動く物は何でも撃った。撃って撃って撃ちまくって殺しまくった」
礼拝を終えて立ち上がったスミス。
ポケットから取り出したアラビアコーヒーの紙パックをロックとバードへ一つずつ差し出すと、自らも一つ蓋を開けて飲み始めた。
夜明けの砂漠は冷える。バードの視野に低温警告の表示が浮かんだ。
「俺は悪魔に魅入られていた。それも、飛びきりの悪魔だ。罪の意識が無くなった俺には人を殺すのも虫を殺すのも大して変わらない事だった。だがある日、空一杯にパラシュートの花が咲いていた。海兵隊が降りて来たんだ。停戦協定の監視団としてやって来た。だけど、その時の俺はどうしてもそれが信じられなかった。だから、ありったけの弾で攻撃したんだ。そしたら想像の何万倍という勢いで撃ち返された。俺の仲間はみんな身体のあちこちに穴が空いて血を流していた。俺は見たんだ。その穴から真っ黒な悪魔の血が流れ落ちるのをな。憎しみと悲しみに踊らされ復讐に狂う悪魔の仕業だ。その悪魔と目が合った瞬間、俺の目の前で榴弾が炸裂した。一瞬、世界が真っ白に光って……」
パックに入ったアラビアコーヒーを飲み尽くしたスミスがニヤリと笑った。
「そしてその時。俺の目の前にオヤジが立っていた。お前はなぜ死にかけてるって聞かれた。だから、俺は正直に言ったんだ。悪魔に魅入られていたって。そしたらオヤジが言うんだ。今回は助けてやるってな。そして、お前に取り付いた悪魔を祓ってやるって。気が付いた時にはリヤドにあった国連の砂漠実験場に有るメディカルセンターでサイボーグになっていた。最初は意味が解らなかった。だけど、そこに隊長が来たんだ。悪魔は消え去ったか?って聞かれてやっとわかった。俺の目の前に立ったのは隊長だった。ペイトンと一緒さ」
ちょっと濃くて苦いアラビアコーヒーを飲みきったバード。
ロックも飲みきったようで、二人して顔を見合わせ『濃すぎる!』と呟く。
「隊長は言った。戦争をなくす為に一番必要なモノは、理念でも情熱でもない。それは単純で純粋な『力』なんだと。俺はその時初めて親父が言った言葉の意味を理解した。戦う為に必要なのは、力をコントロールする強い意志なんだ。それこそが受け継がれていくモノの本質だ。そしてそれは、誰かの為に戦う時にだけ一番強く発揮されるモンだ。隊長は言った。弱い者を護るために俺は戦っていると。その時、隊長は俺に手を差し出して―――
スミスの手が空中で誰かの手を掴む。
まるで、見えない天使と握手でもするように。
―――おれはその手を取った。弱い者の為に。虐げられる者の為に。そんな人々を、自分たちの目的を達成する為に使い潰す、ただの道具としか見ない連中を叩き潰すために。俺は戦う。だからその力を俺にもくれと。で、気が付いたらこうなっていた。全ての妻を失った日から、十年の月日が流れていたよ。ただ、まだ旅は終わらないけどな」
清々しい表情のスミス。
ロックはその笑みを眩しいと思った。
「で、スミスは親父さんから受け継いだモノをどう思う? まだそれは生きてるか?」
「勿論だとも。オヤジはアラブのために戦った。俺は地球のために戦う」
「大きく出たな」
「中身は大して変わらないよ」
スミスの眼差しが何時もの優しいアラブの男に戻っていた。
バードの肩をポンと叩いて、そして、空を見上げた。
ジェットブラストを轟かせ輸送機が上昇して行く所だった。
「バード。こんな事を言うのは酷いと思うかもしれないが、でも、はっきり言うぞ?」
バードはコクリと頷く。
「他人が死のうと怪我をしようと、そんなのお前には関係ない事だ。手足が吹っ飛ぼうが内臓全部ぶちまけようが、お前が死ぬわけじゃ無い。お前が殺したわけじゃ無い。それは全部神の御手の上で起きた事だ。そこで死んだ人間はそこで死ぬ運命だったんだ。お前には関係ない」
スミスのとんでもない言葉にバードは唖然としている。
もっと優しい人間だと思っていたと、そう心の中で呟く。
「だけどな。それは無関心でいて良いって事じゃ無いんだ。死を迎えた人間には優しく接するべきだし、今まさに事切れそうな人間には、せめて労いと感謝の言葉を掛けるべきだと俺は思う。大事なのはバランスなんだ。人の死に憎しみを募らせれば、俺のように心の中へ悪魔を招き入れる事になる。そうしたら俺達はただの殺人マシーンだ。誰も止められないパーフェクトキラーだ。だけど、無関心で過ごしたらもっと大きな犠牲を払う事になるかもしれない。だから、その芽は早めに摘まなければ成らない。つまり、何が言いたいのかと言うと……」
何となくスミスの言葉の真意を見て取ったバードは、安堵の表情を浮かべた。
「次の犠牲者を出さないようにしろって事ね」
「そうだ。わかってるじゃないか」
もう一度バードの肩をポンと叩いてスミスは歩き始めた。
その後ろをロックとバードが一緒に歩く。
「歩き方がぎこちないね」
「あぁ。重心制御が甘いんだ。応答性も悪いし細かい動きの追随性もイマイチだ。でもなんだか」
一瞬よろけて踏鞴を踏んだロックは、慌てて手を伸ばしたバードの手を取った。
しかし、ロックのほうが重量がある関係でバードが引っぱられてしまう。
そのままロックの胸に飛び込んで引き倒されたバードは、慌てて起き上がる。
「だっ! だいじょう……ぶ?」
ちょっと恥ずかしそうなバードをスミスが笑って見ている。
「朝っぱらからお熱い二人は結構だか、ここでいきなりそれは無いだろ」
「違うって! 違うって! 今のは事故だって!」
慌てて否定するロック。バードも笑いながら否定するが。
「まぁ、良いってこった。若い二人はお熱いくらいでちょうど良いさ」
スミスの手も借りて起き上がったロック。
何処かちょっと恥ずかしそうな様子のバード。
「ごめん。悪かった」
「え? なんで?」
「いや、引きなり引き倒して」
「ちょっとドキッとしたけど……」
コケティッシュな笑みを浮かべたバードに、今度はロックがドキッとする。
「……けど?」
「うーん。なんでもない!」
「あんだよ……」
ニコッと笑ったバード。
「さぁ、朝の点呼だよ。早く行かないと」
「そうだな」
弱々しく差し込む朝の柔らかな光に照らされ、赤い大地に長い影が伸びる。
背の高い影と低い影が並んで歩く様子に、バードは遠い日の光景を思い出した。
父に手を引かれ歩いた帰り道。道に落ちていた影がこんなだった。
やっぱり父親は思い出せないけど、でも、遠い日に見上げた大きな背中を、ふと思い出していた。
―――― タクラマカン砂漠 ファイナルグレイヴ脇 臨時シェル整備ハンガー
中国標準時間 1000
Bチームのシェルが並ぶ臨時ハンガー。
大気圏外向けにエンジン換装が進むシェルの作業を眺めながら、メンバーは雑談に興じている。
国連軍の定期連絡機が十一時に出発すると言う事で、ロックは一足先に離れた。
鉄火場専門のBチームも地上展開中の海兵隊より先にここを離れる事になったいる。
ただ、荷物が多い関係でサイボーグは自力で帰れと言う冷たいお達しである。
大気圏外向けエンジンへ変更し、大気圏内飛翔用のロケットモーターを背負ったシェルは、巨大な弾道ミサイルのようでもあった。
もっとも、シェルを使えるBチームにしてみれば、むしろこの方が早く帰る事が出来るので好都合と言えるのだが。
「ところでロックのシェルはどうすんだ?」
シェル装備を整えたライアンは不思議そうにナンバー211を見た。
いつもはロックが使っているシェルだ。
「バードのシェルは修理が終わってるからバードが持って帰るとしてだ。このシェルはどうするんだろうな?」
ビルとリーナーは並んでシェルを見上げている。
地上から肩部分までおそよ七メートルの機体が鈍く輝く。
「オヤジの事だから二機同時制御とかやるかもな。いつも想像の上を行く人だ」
「まぁ、帰ってくるのを待とうぜ」
ジャクソンの言葉にはテッド隊長への信頼が溢れていた。
それに応えるリーナーもまた、ただただ単純に待つと言う選択肢を示した。
ファイナルグレイヴ脇に作られた臨時の作戦検討室にはBチームのテッド少佐をはじめ、海兵隊の各大隊指揮官が勢ぞろいしている筈だ。そこで各隊長らはエディ少将に地上に残る各戦闘団の配置について細かな報告を行っている筈。
「まぁ、所定の成果は上げたと言うところだな」
ドリーは手にしていた出撃結果レポートのページを捲りながら呟く。
横からそれを除いているペイトンとビルは、心底なボヤキを口にした。
「大気圏内をシェルで飛ぶのは、次は勘弁して欲しいけどな」
「全くだ。正直生きた心地がしなかったぜ」
Bチームは本来の任務を果たし、後は帰るだけ。
ただ、帰るにしたってやる事は多い。
地上に残った残存兵力で事がスンナリ運ぶように始末を付けなければならない。
軍隊という組織の仕事は、その80パーセントが事務だと言われる所以でもある。
もっとも、鉄火場専門なこのサイボーグメンバーはあまり縁が無いのだが。
「事務仕事の時はエディもアリョーシャも生き生きしてるぜ」
「全くだ。鉄砲玉飛び交う戦線のほうが楽だぜ」
ジョンソンの皮肉混じりなボヤキにスミスもウンザリといった様子で言葉を返した。
空きマガジンや無反動砲の発射筒が積み上げられた廃棄物置き場を横目に眺め、書類の山に埋まっている高級将校をイメージするバード。
「全部にサイン入れるまで帰れないよね」
「だな。俺たちだけさっさと帰してくれれば良いのにな」
待ちくたびれたバードの言葉にライアンまでもがぼやく。
「地上に居ると隙間に埃が入って嫌なんだよ。掃除の手間を考えてくれっての」
ダニーはずーっとブツブツ文句を言い続けている。
そんな姿に苦笑を浮かべたビルやペイトンもまた、コンバットブルゾンのファスナーを上まできっちり締め、更に首回りへバンダナを巻いていた。
体組織の防衛反応として能動的に異物を排除出来ないサイボーグの哀しさだ。
ボヤキ続けるのにも飽きてきた頃、作戦検討室の扉が開いた。
シェル装備のテッド隊長が出てきて、メンバーは帰還出来ると色めき立つ。
「よし。撤収だ。待たせたな。今回もご苦労だった。だが最後のミッションが残っている。最後は格好良く飛ぶぞ。トランスポンダを忘れないようにな」
テッド隊長はヘルメットを腰のホルダーに引っかけ、ぶらぶらさせながらやって来た。
手には別のヘルメットとシェル接続ハーネスがあった。
「所でオヤジ。ロックのシェルは?」
「あぁ。それなら心配ない、あれは―――
何かを言いかけたテッド隊長は、ドアの音に気が付いて言葉を止めた。
Bチームのメンバーがポカンと口を開けて眺める先。
エディ・マーキュリー少々が真っ黒なシェル向け装甲服を着て部屋から出てきた。
「えっ…… エディ?」
ちょっと裏返った声で驚くバード。
他のメンツも皆一様に言葉を失って居る。
「ん? どうした? 私の恰好が何か変か?」
両手を広げて持ち上げたエディはクルリとターンを決めた。
「テッド。どこか変か?」
「いや、問題ない」
「そうか」
テッド隊長からヘルメットとハーネスを受け取ったエディ。
「エディは遊覧飛行でもするのか?」
どこか気の抜けた声でジョンソンが言う。
その言葉にエディがニヤリと笑った。
「そうだな。楽しませてくれ」
皆が一斉に笑い出す。ただ、エディとテッド隊長の笑みだけは凶悪なモノだった。
ビルの目だけがそれに気が付いたようだけど……
「さぁ。行くか」
エディが促し、テッド隊長が搭乗を指示。
地上班が待避小屋へ逃げ込むのを確認したテッド隊長機は空へと飛び立った。
補助ブースターのロケットモーターに点火し、真っ白な尾を引いて一気に急上昇していく。
続々と飛び立つブラックバーンズの面々。バードも同じようにしてロケットを点火し飛び立った。鋭い加速が続き速度が乗っていく。
ロケット点火から四十五秒後。最初のブースターを切り離した。
「各機。メインエンジン点火は高度百キロ。カーマンラインに到達してからだ。それまでは間違っても点火するなよ!」
テッド隊長の注意が飛ぶ。
核反応型のグリフォンエンジンは大気圏外でしか使えない。
グングンと高度を上げながら、ブラックバーンズのシェルは中国大陸を飛び出し太平洋の上空へと躍り出た。
「やっぱ太平洋上空は賑やかだな」
ジョンソンがぼそりと漏らす。
「どうした?」
「民間機に公用機、軍用機で無線が賑やかですよ」
テッド隊長の言葉にジョンソンがそう答えた。
そして、チーム無線にジョンソンのワッチしている無線が流れる。
―――ピーッ!
『PATC 速度照査求む』
―――ピピッ! こちらPATC 現在速度90ノット
ハワイ上空辺りの遊覧飛行だろうか?
何とも長閑な速度照査が行われている。
―――ピーッ!
『PATC バルボア26 速度照査求む』
―――ピピッ!
『こちらPATC バルボア26 現在速度220ノット』
―――ピーッ!
『PATC ビアンカ300 速度照査求む』
―――ピピッ!
『こちらPATC ビアンカ300 現在速度350ノット』
―――ピーッ!
『PATC! アスペン03 速度照査求む』
―――ピピッ!
『こちらPATC アスペン03 現在速度600ノット』
「これ、何やってるの?」
不思議な会話が延々と続く太平洋上空。
バードは不思議そうに漏らした。
「ハワイ辺りの遊覧飛行が速度照会しただろ?」
「それに絡んで俺の方が速いって遊んでんだよ」
「最初は民間機だったけど、アスペンだと地球航空軍の軍用機だぜ」
メンバーが次々と言葉を投げかけた。
「ふーん。そうなんだ」
感心するバードを余所に、鈍足を馬鹿にする様な言葉が延々と続いていた。
―――ピーッ!
『PATC! 速度照査求む こちらキングサーティーン』
「おいおい。超音速旅客機まで参戦してきたぞ」
ドリーは笑いながらも呆れていた。
―――ピピッ!
『こちらPATC 現在速度1982ノット』
無線の中が静まりかえった。これが最速だろうか?
だけど、最初に照会した人は気の毒だな。
ふとそんな事を思ったバード。
「今のところ、キングサーティーンが最速かな?」
「だろうな。今頃鼻に掛けて笑ってやがるぜ」
嗾ける様なジョンソンの声が流れる。
「隊長!」
「どうしたバード」
「私たちは弱者の味方な筈です」
「そうだな」
テッド隊長の声が弾んでいる。
バードが思いついた悪戯をメンバー全員が理解した。
「パシフィックエアトラフィックコントロール。聞こえるか? こちらブラックバーンズ」
「はい、こちらPATC。トランスポンダ受信。ブラックバーントゥェルブ。感度良好」
「面倒だが速度照査を頼む」
「……え?」
無線の向こうに居る筈のオペレーターが言葉に詰まった。
そして。
「こちらPATC ブラックバーントゥェルブ 現在――
メンバー全員が聞き耳を立てている。
おそらく、この無線をワッチしている人間もみんな聞いている。
太平洋上空の航空管制を司るセンターにとってはとっくに責任範囲外ではあるが……
―――ブラックバーントゥェルブ 現在6626ノット 高度75キロ」
プロフェッショナルに徹したPATCから、ブラックバーンズシェルの速度が送られてきて、メンバーが大爆笑を始めた。
超音速旅客機の三倍を超える猛スピードでシェルは大気圏外を目指していた。地球の重力を振り切る様にして。
「ねぇ! 八時方向を見て!」
「お! 富士山だな」
「雪を被って凄く綺麗!」
バードが嬉しそうに皆を呼んだ。
水平線辺りに半分シルエットになった富士山が見えた。
「綺麗な山だな」
「本当だ。実に美しい」
メンバーが口々に褒めてくれる。
バードが呟く。
「ロックに見せたかったな」
その直後、無線の中が口笛で溢れた。
「あんまりお熱いシーン見せつけんなよ!」
ライアンの冷やかしが流れ、バードは自らの失言に気が付く。
「違う! 違うって! だってチームメイトで仲間じゃない!」
必死に否定するバードの言葉に、もう一度冷やかしの口笛が飛び交う。
「もう!」
プンプンと怒った声で吠えるバード。
だけど、笑いを堪えたテッド隊長の声が無線に流れ静かになった。
「そろそろ高度百キロだ。地球に落ちない速度だろう」
シェルの外界は蒼い地球と漆黒の闇に埋め尽くされた宇宙。
秒速十四キロで熱圏を飛翔するシェルは地球脱出速度を越え、月を目指しつつあった。
「全機戦闘加速用意」
テッド隊長の声が無線に響き、バードはグリフォンエンジンの発火電源を投入した。
視界に浮かぶエンジンマネージメントパネルがオレンジからグリーンに変わる。
機体各所にあるバーニアスラスターそれぞれの種火を発火させ、メインエンジン点火に備えた。
「行くぞ!」
最初にテッド隊長機がエンジンへ点火した。一斉に各機がメインエンジンを点火させ戦闘加速態勢に入る。
バードの視野に浮かぶ機動限界線表示のなかに、自機を示す赤い点が浮かび上がった。
ブラックバーンズ各機の組む編隊から少し離れた所をエディ機が飛んでいる。全く無駄の無い動きにバードは驚くのだが……
「さて、そろそろ外気圏へ入るな」
エディの声が無線に流れた。
「俺は離れて見物で良いか?」
「そうだな」
テッド隊長とエディは気の置けない気楽な会話を続けているのだが。
「エディの遊覧飛行で離れるって?」
ジョンソンの訝しがる声が全ての始まりだった。
「ただの遊覧飛行じゃ詰まらないからな。もっと面白くしよう。そうだな。鬼ごっこが良いな。もちろん私が鬼だ。多少は手加減するから精一杯逃げろ。実弾を撃つんで機体に当たったら損傷するだろう。修理費用は諸君らのボーナスから天引きするんで心配しなくても良い。では始めよう」
一方的に話を進めたエディ機が戦闘加速態勢のまま突然真横に飛んだ。
スラスターを非常に上手く使ったエディは、ベクトルロスが殆んど無いままに軌道捻じ曲げた格好だ。
横を飛んでいたライアンが精一杯に機体をひねって逃げるのだが、その全てに対し先手を打つように進行方向へ弾幕を張って逃げ道を塞いでいく。
あっと言う間に機体各所へ三十ミリチェーンガンの直撃を受け装甲が剥がれた。
「装甲が剥がれ掛かるとバランスが狂って機体制御が難しくなる。死にたくなかったら上手く飛べ!」
豪快な笑い声と共にエディが各機へ襲い掛かった。
三機で編隊を組んでいたジョンソン・ペイトン・スミスの各シェルは錐揉み状に突っ込んできたエディのシェルを交わす事が出来ず、衝突寸前まで行ってから分散した。
何処へ襲い掛かるのだろうと皆が見守ると、三方で逃げた各機の逃げ道へ予備弾幕を張り行動の制約をした後、三機纏めて一網打尽に撃墜する。
予想外にトリッキーでアクロバティックな動きをするエディ機。
同じ機体を使っているのだから対抗できそうな物だが、ブラックバーンズの全シェルは五分と掛からずに全滅させられた。
網を張るように広がった弾幕面へ突っ込んだバードは左腕を肘から失った上に右半身へチェーンガンをまともに受けてしまった。
間違いなく通常の戦闘なら制御不能に陥るだろう。
良くて戦線離脱。悪ければエンジンに誘爆して宇宙空間へ爆散。巨大なデプリとして宇宙空間を彷徨う事になる……
「どうしたどうした! シェル同士が本気で戦闘するとこんなもんじゃ無いぞ!」
皆が言葉を失うほどに激しいエディの戦闘。
全くの無傷で、しかも、余裕を持って編隊の中を飛び回っている。
「エディ。久しぶりにヤルか?」
「いや、スラスターの残りが寂しい。テッドとやりあうならまた今度な」
「じゃぁ、そうしよう。俺も命拾いしたぜ」
「HAHAHAHA!」
無線の中に響くエディとテッドの笑い声。
「エディ…… スゲェな」
なんとか搾り出すように呟いたペイトンの言葉。
皆が一斉に「全く応対できなかった」とか「逃げる前にやられた」とか漏らす。
「種明かしをしておいてやろうか。実はな」
テッド隊長の言葉に皆が聞き入る。
「俺にシェルの使い方のイロハを教えたのはエディなんだよ。ついでに言うと、俺は訓練期間中一度もエディから撃墜判定を取った事が無い。三百回近くやって、一度もな」
もう一度無線の中に笑い声が響く。
「ボス! そう言う事は先に言って置いてくれよ!」
ジョンソンがボヤキをこぼすとエディが明るい声でそれに答えた。
「そうだな。その内シリウスの連中に遭遇した時は、きっと戦闘前に名刺でも出してくれるだろうからな。ありがたく受け取っておくと良い」
エディの皮肉に皆が失笑する。月面航空管制から誘導の声が届く頃。
バードは左腕を失ってバランスが崩れ暴れるシェルを宥めながら、早く月面基地へ帰りたいと願っていた。
散々な目にあった地球への地上降下作戦は、ようやく終わりを告げようとしていた。
第4話 オペレーション・ファイナルグレイヴ ―了―
第5話 国連宇宙軍を10倍楽しむ方法(8月15日公開)へ続く




