マルチバース
キャンプ・スミスの中央棟。
ざっくり300人は軽く入れるハンガーに501大隊が勢揃いしている。
彼等の表情は明るく、室内には緩い空気が漂っていた。
「これからどうすんだ?」
手にした冊子のページを捲りつつ、ペイトンは緩い声でたずねた。
冊子は再就職の手引きとなるもので、除隊希望者のリクルート資料だ。
「わかんねーや。ここまでマジんなって突っ走ってきたから、どうして良いのかもわからねぇし、それに一般社会って奴自体が俺には謎だぜ」
同じ様にページをパラパラと眺めつつ、ライアンはそんな返答だ。
シリウス戦争は終わりを告げ、501大隊も解隊の時が迫っている。
凄まじい闘争を繰り広げたこの半世紀で、人類はまた一歩前進していた。
争うよりも話し合いを。殴り合うよりも競い合いを。
夥しい量で流された血と涙。そして積み上げてきた財産とが気付かせた真実。
話が通じないのであれば距離を取れば良い。
どちらか一方が勝ちすぎても良い事は無い。
闘争を煽る者に扇動されてはいけないのだ……と。
「まぁ、いずれにしろ、このまま機械の身体でいるか、生身に戻るかは考えておいた方が良いだろうな」
ふたりの会話に口を挟んだのはビル。
国連軍人事総局が編纂した地球とシリウス両方の再就職先リストは膨大だ。
全部で15万件を超える求人が来ていて、サイボーグ前提の職もある。
高度な科学系やテック系ならサイボーグはうってつけの再就職先だ。
それだけでなく、宇宙産業や深海産業などでも熱心な勧誘があった。
「まぁなぁ……と言うか、ハッカー稼業するならサイボーグの方が有利だけど、逆ハックされる危険性は常につきまとうからな」
その身に降り掛かった災厄の影が未だに尾を引いているのだろうか。
とかくライアンは他人を信用すると言う部分で最後の一歩が難しいらしい。
隙を見せればやられる。油断をすれば寝首を掻かれる。
その意味では死ぬまで心から油断する事が無いのだろう。
「どんなにつくり込んだ身代わりでも、貫通してくることがあるからな」
ペイトンもまた実感のこもった言葉を返した。
乱数で制御される複雑な電子迷路も、量子コンピューターは一瞬で突破する。
その対策として量子コンピューターを使うのだが、完全に矛盾闘争状態だった。
「こう言っちゃなんだけどよぉ……」
小さく息を吐きながら、ライアンは窓の外を見て言った。
穏やかな風が吹く秋の日差しがそこにあった。
平和だ……
銃声と爆発音とジェネレーターの唸り声と。
およそ一切の生産的な光景が無い戦場なるフィールドと対極にある光景。
穏やか過ぎるそのシーンに心がざわめいているのだ。
「平和過ぎて……上手く言えねぇけど、変なんだよ」
人口に膾炙する通り、身体は闘争を求めるのだ。
それも、勝てる戦いを。勝って勝利の美酒に酔える時を。
戦いたいんじゃない。勝ちたいのだ。
決して褒められる話ではないが、それでも人は勝利を望んでしまうのだ。
承認欲求と言う生物の人間の根源的かつ恥ずべき本能として……
「まぁ、俺たちはオヤジからあれこれ教えられちまったからな。世間並な青春なんて無かった。寝ても醒めてもドンパチしてきたのさ。そりゃ仕方ねぇ」
少し自嘲気味にそう言ったペイトンだが、同じようなもどかしさを感じていた。
どんなに否定しても、突き詰めれば人を殺してきたのだ。
理屈ではなく本能として、もはや救われない人間なのだと自嘲していた。
ただ……
「けどな、それが役に立つときだってあるかも知れないぞ?」
再び口を挟んだビルは、チョイチョイと指をさしてニヤリと笑た。
少し離れたところではバードとアナスタシアが盛り上がっていた。
そこには他のフィメール型サイボーグも居て、微妙な顔になっていた。
「これか」
ライアンがパチンと指ではじいた再就職先リストのページだ。
そこにはフィメール型サイボーグの求人募集としてセックス産業が並んでいた。
一夜の夢を売る産業が合法な国では文字通りの好待遇で勧誘が行われている。
そもそも性病などの心配が無いので、女を買う側からも好評なのだ。
ただ、この募集要項に記された文字は全く異なっている。
そこに記された業務内容は、戦闘経験を買われたバウンサー稼業。
つまりは、揉め事対策要員としてだった。
「まぁ、うってつけの仕事なのは否定しねぇけどよ」
肩をすぼめてそう言ったペイトンは困った様な笑顔だった。
――――――――孤立大陸ヲセカイ キャンプ・スミス 大会議室
協定人類歴 2305年 10月1日 午前9時
「諸君、待たせたな。楽にしてくれ。戦争は終わりだ」
唐突にそんな物言いをしつつも部屋に入ってきた人物がいた。
国連宇宙軍海兵隊を預かる司令官。フレネル・マッケンジー上級大将だ。
それに続いて入ってきたのはブルとアリョーシャ。
更に続くのは、かつては各チームを率いていた大佐達。
室内に居た凡そ200名のサイボーグ達が姿勢を整えて敬礼を送る。
その敬礼に応礼を返し、フレディは一段高い演台へと登った。
「ビギンズはお披露目され、シリウス軍は正式に親衛隊の編成に取りかかった。実は我々の中からシリウス出身者にも声が掛かり、マーキュリー元帥の育てた初期メンバー全員が残る事になっている。地球出身者は帰還するが、希望する者はシリウスに残っても良い。これからその件について説明を始めるのでよく聞いてくれ」
フレディ司令の言葉を聞きつつ、テッド大佐は何度も首肯している。
それを見ていた大隊のメンバーは、この旅が終わったのだと思った。
「まず、来週の初めに大規模な士官総会が開かれる。例によって分散開催だ。まだまだテロを試みる馬鹿は後を絶たない。掃討作戦はシリウス軍が行うので我々は傍観に徹する。ただし、自衛はするがね」
フレディ司令の妙な軽口に僅かな笑いが漏れる。
過度な緊張も警戒も無い、緩い空気。
――――終わったんだな……
そんな安堵感が室内にあった。
「ほんで、どうする?」
ハンガーの一角。バードとアナスタシアが談笑していた所へロックが現れた。
リクルート資料の小冊子を竹刀の握りレベルにまで丸め、無造作に掴んでいた。
「教官役でもやろうかなって」
「あぁ、これか」
丸めていた冊子を広げたロックは犬耳に折っていたページを広げた。
ロサンゼルス郊外に設定されたODST向けの訓練施設で教官役を募集中だ。
何年か前にはサンクレメンテ島で教官役を引き受けていたこともある。
その関係で勝手が分かるのも大きいのだろう。
「シェルのアグレッサー役も楽しそうだけど、やっぱり大地に足を付けて生きていたいし。まぁ、アチコチ引っ張り回されるだろうけどさ」
朗らかにそう言うバードだが、シェルの教官役は率直に言って魅力だった。
およそ宇宙という所は人間が定常的に暮らすには不向きな場所だ。
僅かな気密漏れで命の危険が迫る極限環境故にだ。
「それも良いな。たまには宇宙へ上がるが基本は地球暮らしだろうし」
ロックの物言いにバードはニコリと笑って首肯した。
一緒に暮らす前提でロックは人生を考えている。
それがたまらなく嬉しかった。
「月並みだけどさ」
回りをチラリと見てから、バードは少し声量を落として言った。
「随分と自分の運命を呪ったけど、でも、あなたに会えて良かった。海兵隊に来て良かった」
辺り四方1メートルの先にすら届かぬ小声で会話するふたり。
日本語で交わされたその言葉を追える者の耳には入らなかった。
「そりゃ俺もだ」
素直な少年の目が真っ直ぐにバードへと向けられた。
朴念仁な男の口から出た言葉に、バードは身を捩る程の幸福を感じた。
ただ、そんな事をするべき場でも時間でもなかったのだが……
「あまり無駄に喋っていると恋人たちの大事な時間を浪費することになる。続きはアレックス中将に頼もう」
フレディ司令はバードを指差しながら笑ってそう言った。
大隊の面々が冷やかすなか、壇上にアリョーシャが上がった。
「我々の仕事は事実上終わりだ。強襲降下し暴れまわる。そんな仕事はもうシリウスには無いだろうし、あったら困る。そうやって過ごしてきた半世紀が終わってしまうのは、少し寂しくもあるがな」
余り笑えない冗談がこぼれ、室内に失笑が漏れた。
それを聞いたアリョーシャはしてやったりの表情になって続けた。
「エディは常々言っていた。港を出た船は港に帰るまでが航海だ。船乗りは港に戻って錨を降ろすまで油断してはいけないのだと。故に我々は最後まで我々の仕事を続ける。具体的には――」
アリョーシャの手が室内のモニターを指差し、全員の眼がそこに集まった。
この戦争で501大隊が過ごしてきた全てがそこに詰まっていた。
「――我々はそれぞれのチームが母艦とする強襲降下揚陸艦へと乗り込む。そこで総会に参加し、しかる後に地球へと帰還する途に就く事に成る。もっとも、私はシリウス人なのでここに残るがね」
エディやテッドがシリウス人なのは、ある意味で周知の事実だった。
もちろんアリョーシャもそうなのだが、初めて聞いた気もした。
バードは少し微妙な顔になってロックを見た。
そこにある複雑な感情は、一言では言い表せないものだ。
「まぁ、ある意味あたりめぇな話だよな。もっと言やあぁ……全ての面でエディは特別で別格だったのさ。沢山の味方を作れたんだ」
ロックの言葉に、バードは深い畏敬の念を感じた。
後悔の果てに全てを変える決断をして、その為に時を越えたのだ。
未来も。運命も。そして、最愛の人も。全てを救う為に。
そして、改めて思索を巡らせれば気が付くこともある。
エディは敵ですらも救ったのかもしれない。
シリウスを蝕んでいた数々の存在にも、一定の論理と主張があった。
彼等は彼等なりの正義と理想とをもって、夢を追ったのかもしれない。
例えそれがどれ程に迷惑だったとしても、純粋な願いだったのだろう。
純粋故に、手が付けられなかったのだが。
「シリウスの王。そして私たちは王の剣。だけど……」
何かを言いかけたバード。
ロックはニヤリと笑って言った。
「敵もまた王の剣なんだよな。王に向けられる剣だけどさ」
バードが言いたい事をロックがスパッと言い切った。
思考や思索が同じ所にある。心が繋がっている。
その心地よさにバードは悶えた。
「あいつらはあいつらでやるべき事をやってたんだ。エディの手の上で踊って、シリウス人から嫌われ詰られ、絶望の果てに死ぬ運命だった。けど、奴等がいなかったらシリウスはひとつにまとまらなかったかもな」
悪法も法であり、悪政もまた政治。
失政とは政治の本質と言うように、最善の悪手を選ぶ必要がある。
そんな彼等もまた、エディは救ったのかもしれないのだ。
汚れ役としてステージから消えることになった者達。
好かれはしなかったが、必要とされた者達だ。
「ほんと、偉大な人だったんだね」
「全くだ」
あれやこれやの話が続くなか、バードとロックの小声トークは続いた。
時々はアリョーシャの言葉に耳と意識を傾けながらだが。
「最後に、これからのシリウスだ。諸君らも興味があるだろう?」
アリョーシャの言葉にバードとロックは顔を上げて視線を送った。
壇上のスラブ系サイボーグがこっちを見ていた。
目が合ったと気が付き、瞬間的にバードはニコリと笑った。
「現状、シリウス大統領は暫定的にひとりだけとなっているが、やがてこのポジションにビギンズが就くだろう。シリウス全土で大規模な選挙が行われる事になっているそうだ。それまではヘカトンケイル、並びにビギンズを後見する100人委員会の面々が舵取りを任される。それで良いのか?と言う気もするか、最後の最後で責任を取りたくない者も多いのだろう」
微妙なその言い回しにアリョーシャの本音を感じ取ったバード。
結局、責任を負えば詰め腹を切らされる事になる。
まだまだシリウスは不安定で、未来へ向けた投資は道半ば。
普段の生活ですら、安定した食糧供給がままならぬ事もある。
そして失業率の問題。その前に完全崩壊している学校教育。
生活水準の基本となる部分で、シリウスは地球に大きく遅れていた。
そこにフォーカスしなければならないのだ。
「ビギンズがシリウス王となる頃、シリウスは惑星レベルでの連邦制となる。まぁ要するに、24世紀の今でも言語と宗教と肌の色によるギャップを人類は乗り越えられていない。それをどう改善して行くのか。それ自体がシリウスのテーマ。もっと言えば――」
アリョーシャはそこで言葉を切って室内を見渡した。
様々な人種や宗教や思想信条の全てを越えた共通項――サイボーグ――な者達。
彼等の眼が自らに注がれているのを確認した。
「――それこそが、エディの残していった課題。いや、宿題だ。エディが帰ってくるまでに、我々はそれを実現せねばならない。上々に仕上げて見せて、答え合わせの時間にせねばならない。そして、またあの不服そうな顔でもう少し何とかならなかったのか?と言わしめねばならないのだ」
大佐達が一斉に吹きだし、室内に失笑が漏れた。
そう。エディはいつもそうだった。
完璧に仕上げる事が最低線・最低限の義務だった。
そして、それが出来なかった時にはお小言がこぼれた。
最初は皆それに反発するし、或いはふて腐れる。
だが、今はもうその核心を皆が知っていたし理解していた。
不可能とも思える課題に対し、限界まで挑戦する事が重要なのだ。
ODST訓練でも繰り返し言われる様に、1位以外に価値は無い。
2位は負けの一番でしかなく、2位などと言う低い目標は話にならない。
現実的な目標では無く、更にその上の目標を目指すこと。
それだけが現実的な目標に達せられる唯一無二の手法。
つまり、ギリギリの限界に挑み、それを越えろ。
エディはそう言っているのだ。
「このシリウスは5年程度で穏やかな連邦制へと移行し、次の5年で緩やかな連合体勢へと移り変わるだろう。地域の実情や人々の思想信条にあわせ、同じ考えの者同士が集まってコミュニティを作り、各々がそれぞれの主張を突き合わせすり合わせることで惑星全体の進路や未来を決めていく。つまり――」
アリョーシャの眼がチラリとフレディ司令を見た。
そこにどんな意味があるのか、バードは理解し損ねた。
「――つまり、我々の行う事はちっぽけかもしれないが、人類の次を見据えた壮大な実験でもあるという事だ」
自信たっぷりにそう言い切ったアリョーシャ。
その言葉を聞き、フレディ司令がニヤッと笑って目を閉じた。
――――すごいなぁ……
何がどう凄いのかは言葉に出来なかった。
ひとりの人間が思い描ける理想なんて範疇には収まらないスケールだ。
同時にハッと気が付いた。これがエディの指令であり宿題なんだと。
つまりは、地球の次を模索する実験なのだ……と。
――――エディは人類を救いたいんだ
そんな結論に達し、ふと妙な思考が頭を過ぎった。
エディがなんでそんな事を思うに至ったのか?だ。
どんなことにも理由があり、事情があるはずなのだ。
遠い世界にいた筈のお妃様を助けたエディ。
遙かな過去の世界にいたモンスターを封じたエディ。
その痕跡はここに有るが、その歴史は途絶えている。
――――あッ!
バードの脳裏に膨大な何かが浮かび上がった。
それは、とてもじゃないが言葉で表現出来ないものだった。
過去何度もシミュレーターで経験した、あの世界での戦闘訓練だ。
バード達は過去や未来に行ったのでは無く、世界を飛び越えたのだと確信した。
マルチバース理論
そんな言葉で表現される、世界線と言う概念。
平行宇宙へと飛ぶ奇跡をエディは見せたのだろう。
――――あれ?
その時、バードの脳裏にささやかな矛盾が姿を現した。
しかしながらそれは、重要かつ重大な問題を孕んだ矛盾だ。
このシリウスに居た文明はどこへ行ったのか?
滅んだのか?
いや、滅んでは無いだろう。
根拠など無いが。
何処か別の世界へ移動したのか?
いったい何処へ行ったと言うのだ。
そもそもどうやって行ったのだ。
ここに残るこれだけの文明の痕跡はこれ以上発展しなかったのか?
石積みの城を築いた者達の文明はその後でどうなったというのだ?
何故ここに別のエディが生きた時代の痕跡『だけ』が残っている?
――――帰ってくるんだ!
アリョーシャはそれに備えると言ってるんだ。
そしてそれこそ、シリウスあがシリウスとして独立した存在でいられる理由。
シリウスを地球の防波堤として存続させる根拠となる。
地球を護るために!と納得させるのだ。
「エディの宿題って……苛酷だね」
ロックに向かってボソッと零したバード。
ただ、ロックもさすがにそこまで思考が追いつかなかった。
「まぁ、なる様になるだろうさ。目の前のことをしっかりこなしていくだけだ」
ロックは軽い調子でそんな事を言った。
その思慮の浅さにバードは少し不快感を覚えた。
ただ、その直後にふと思い至った部分もある。
全体像が見えなくとも、理由など聞かされなくとも。
まずは努力することこそが重要なのだ……と。
それ自体が、その行為行動、そして思考こそが最も大事なものなのだと。




