エディ・参戦
~承前
『おぃおぃ……』
ぼそりとこぼしたロックは小さくため息を吐いた。
呼吸を必要としないサイボーグのそれは、心理的に深い意味を持つ。
ライアン辺りと視界を共有する別動班は足を止めて仲間を見回した。
少しだけ顔を見せた不安の虫を、力一杯噛み潰そうと努力していた。
『まぁ、あの位なら動けるだろ。機構的に損傷してる訳じゃ無さそうだし』
なぜかこっち側へ組み込まれたメディコのダニーがぼそりとこぼした。
狭い通路を駆け上がってきた別動班だが、ここは少し広い場所だ。
通路の左右に小部屋が続き、何らかの意図が窺える構造だった。
――――ヤバイ……
こんな構造の場所は奇襲にはうってつけの構造と言える。
理由無くそう直感してるバードは、見るとは無しに古ぼけた扉を見ていた。
その姿が気になったのか、ロックは音も無く愛刀を抜き放った。
手を伸ばせば触れられる距離でなら、銃より刃物の方が強い。
刃を弾く装甲があれば別だが、碌な甲冑ひとつ着ていないなら豆腐と同じ。
ロックは手を伸ばしてバードを下がらせると、愛刀を上段に構えた。
……あっ!
心の中でそう叫んだバード。理屈じゃ説明出来ない予感が走った。
次の瞬間、目の前の扉がスッと開きライオン人間が無造作に入ってきた。
間髪入れずロックが愛刀を振り抜き、そのライオン人間を一刀両断した。
偶発的遭遇による一方的な攻撃は、どんな状況でも歓迎しかねるもの。
先に発見し一方的に攻撃出来るのであれば歓迎するが逆は勘弁してくれ。
我が儘な話ではあるが、命の掛かった状況ではやむを得ない事だろう。
『外!』
ロックが叫び、ダハブが銃を構えて通路の外へと飛び出した。
何らかの攻撃を避ける為には、速度こそが重要だ。
ごろりと転がりつつ周囲を見回したダハブは状況を飲み込む。
通路から出た先は小さな会議室形状の小部屋だった。
『クリア!』
その声を聞き、バードも通路を出た。
小部屋の更に向こうには人の気配がする。
『結構居るな』
ダニーは左手を壁に当てて壁の向こうを『見て』いる。
微少音を捕らえる高性能な聴診器が仕込まれている手の方だ。
音は時に視界以上の情報をもたらしてくれる。
ダニーは視界にエコー映像を映し出し、全員にそれを転送した。
一個小隊くらいの人間がアチコチをウロウロと歩き回ってた。
『刺激しなきゃ大丈夫だな』
こちらの小部屋に興味を示している風が一切なさそうに見える。
そう読み取ったロックはボソリとそう言った。
『あれ、どうしましょう』
ダハブはロックが一刀両断したライオンの死体を指差して言った。
死体を残す訳には行かないからだ。ならば、通路に隠す他ないが。
『……隠すしかねぇだろな。で、向こうはどうするんだろうな』
ロックは自分が斬り捨てたライオンのたてがみを持つ獣人を見ていた。
身体の構造や筋肉の付き方は人間と変わらないが、とにかく筋量が豊富だ。
どんなモノを食べてどう鍛えたのかは解らないが、簡単に育つもんじゃ無い。
このライオン人が生物の範疇にあるのであれば、トレーニングの積み重ねな筈。
――――すげぇ努力だ……
スポーツの場面で筋トレは不要だし害悪という思想はいつの時代にもある。
だが、そんなスポーツでもフィジカルの強さは求められるし瞬発力が要る。
筋トレは不要だが筋肉は鍛えねばならない。
そんな矛盾を解消するにはトレーニングするしか無い。
トレーニングを積み重ね、筋量を増加させ自分を強化する。
その果てにこのライオン人の強靱な体躯があるのだとしたら……
手強い
単純に言えばそんな図式だろう。
距離を取って銃でメタメタに撃つか、一撃で切り裂いて絶命させるしか無い。
バードですら嫌がるネクサスシリーズの最新型にも一脈通じるモノだ。
『多分だけど、向こうも脱出しようとしてるんじゃ無い?』
バードは割と素の言葉でそう言った。
だが、それに対しロックは一瞬の間を置いて言葉を返した。
『ちげーよ。ドリー達だよ』
ぶっきらぼうで朴念仁なロックの素が出ている。
普段なら笑って済ますのだろうが……
『おぃおぃロック。血に飢えてるぞ』
すかさず釘を刺したダニー。
それを見ればドリーが何を思ってこっち組へダニーを送り込んだかも解る。
基本的には思慮深く物事の捉え方に余裕がある精神の持ち主。
それだけじゃなく、様々な事象においてバランス感覚に優れているのだ。
……ロックの暴走を掣肘しろ
そんな思惑が透けて見えたとしても、何らおかしい事じゃない。
なにより、そんな思惑が有る事をバードに示す為にも……だ。
『今日は死にたがりじゃなくて斬りたがりだね』
少しばかり心のすわりは悪いが、それでもバードはそうやって躱して見せた。
いつもならどこか不機嫌に振る舞うのだろうが、そんな顔も見せてない。
素性が解らない城の中で裏ルートを進行しているのだ。
心は常に冷静に。そしてニュートラルな視点を維持する事。
そんなテーマを感じ取り、バードは努めてそう振る舞っていた。
だが……
『まーな。俺の根っこは何処まで行ってもソードファイターだからよ』
剣士の本懐。
己より強い敵と相まみえ、全力を尽くして戦う事。
ロックの本質は常にいささかもブレてはいない。
ただし、それを理解できるのは男だけであるのだが……
『で、ドリー達。どうなんだろう? ヴィッキーは動けるのかな?』
『行動自体は心配ないが、何処かで離脱を告げる可能性はあるかもな』
バードの心配にダニーはスパッと言い切った。
離脱と言うと本質が解り辛いが、要するに自爆だ。
仲間の足手まといを嫌がり、何処かで自爆を選択する。
およそサイボーグとして戦線復帰した面々は、どこか死への恐怖が希薄だ。
一度死んで蘇ったから……などと自称する事もあるくらいに。
『まぁ、向こうは向こうに任せようぜ。こっちはとにかく追う事が重要だ』
ロックは通路の奥を向いてそう言った。
さっきまで聞こえていた足音はすっかり遠くなっている。
ダニーが持つ微少音センサーにも拾えない位に。
『じゃぁ、行こうか。アレは置いてこう』
バードは首をそっちに向けると、その先にはライオン人間の死体があった。
ダハブがそれを通路の脇へと押しやり、邪魔にならない様にした。
敬意や配慮は一切無いし、する必用も感じられない。
今重要な任務を果たすだけというスタンスが垣間見えるのだが……
『そうだな。行くか』
ロックは愛刀を鞘に収めて銃を取った。
全員が通路に戻り、バードは音も無く扉を閉めた。
ブレードランナーとしてレプリを狩りまくった頃の振る舞いだ。
そんな姿をロックは複雑な気分で見ていた。
何処まで行っても猟犬の習性が抜けてないのだ……と、見て取ったから……
――――――同じ頃
玉座に繋がる回廊の途上で本体は小休止していた。
衝撃波の直撃を受けたヴィクティスのメンテナンスが続いていたのだ。
『大丈夫です。まだ動けます。敏捷性はありませんがお荷物にはなりません』
ヴィクティスは別働隊にも聞こえる様、そんな言葉をラジオに流した。
心優しく思慮深いバード中尉が心配しないように……とは心の内だ。
動画を見れば直撃で、率直に言えば行動不能になってもおかしく無い。
だが、現状でヴィクティスの脳は生きているし会話も出来る。
余計な物を削ぎ落とし、装甲やアクチュエータを増やした成果だ。
そして同時に、一つの確信を皆が得た。
確信すると同時に、心のどこかが毛羽立つ様な戦慄とセットで。
――――これはシミュレーターでは無い!
通常のシミュレーターであれば、擱座時点でログアウトするはず。
しかし、そんな傾向は一切なく、ヴィクティスは自力稼働の手段を探っている。
つまり、現時点でBチームは完全にunknownな座標にいる。
冷静になって視界のパラメーターを見れば、GPS座標が消えていた。
シリウス星系GPS座標に動きがないのだ。
『神経系の主系統が断線しましたので、サブコンから無線接続します。歩く事は可能ですが走るのは難しいです。まだ動けますので落伍せずに済みそうです』
さすがは元下士官。ヴィクティスの心は奥底までリアリストだ。
そして同時に、中隊の行動に制約をつけないよう気を配っている。
宇宙軍海兵隊のアンリトンマナーとして、作戦行動の阻害要因は排除だ。
重傷者は自決するべしとするマインドが海兵隊には存在した。
テロが横行する世界でテロ組織と戦い、それらを殲滅するのが任務。
人が行動する環境のうち、最も過酷な世界で戦う組織なのだから。
『ところで、ここ、どこなんだ? GPSのデータが消えてるぜ』
思った事をすぐ口にするライアンが、ふとそう漏らした。
誰も言わなかっただけで、それは全員が共通して感じる事だ。
座標を失う怖さは言葉では表現できない。
常にGPSの支援を受けていた彼らにとっては一大事と言える。
視界に常時表示される時刻と同じレベルで座標も浮いているもの。
それがあって当然と言うべき水準なのだから、違和感しか無い。
『現在地がUNKNOWNなんて…… 碌な予感がしねぇ』
ジャクソンの言葉には僅かならぬ警戒感が滲んでいる。
攻勢限界点としてのバニシングポイントを通り過ぎた可能性だ。
まずは生きて帰る事。戦死せずに帰還する事。
良い兵士の一大原則はこれに尽きる。
だからこそ、だれもが座標を失った事に恐怖していた。
自分達の未来が見えなくなりつつあるのだから。
だが……
『ジャクソンが言ってるうちは心配ねぇさ。バーディーがそれを言い出したら、俺も銃を置いて神様に祈るけどよ。まぁ、俺達の守護天使はいそうにねぇが』
戯けたようにペイトンが言うと、チームのラジオに笑い声が流れた。
バードが持つ特別な感覚は、予感という形でチームに警鐘を鳴らす。
『恐らくだが、何らかの通信障害を受けているのだろうな』
テッド大佐は冷静な声でそう言った。
大佐の従軍歴を思えば、この程度の事はピンチにすら入らないのだろう。
遠くグリーゼ星系まで行ったという海兵隊きってのヴェテランだ。
こんな時にどう考えるか、どう振る舞うか。そんな経験を体現している。
現実を正視する。余計な願望は挟まない。
徹底したリアリストであるからこそ生き残るし生き残ってきた。
その事実のみを持ってして、説得力は無限大だった。
『ですが、戦域無線の時報は流れてます。基準時間は全員狂ってませんよね。それに……って、え? あれ? ちょっと待ってください』
黙って話を聞いていたアナスタシアが急に声を出した。
通信担当である彼女は全バンドをエアチェック出来るし、常にそうしている。
そんなアナスタシアが急に慌てたなら、碌な事じゃない。
中隊内部にスッと冷たい風が流れた。何かが起きる5秒前状態だ。
『どうしたアナ。軍属保険の引き落としでも忘れてたか?』
ライアンがそんな事を言うと、再び無線の中に笑い声がわいた。
だが、当のアナはそれに取り合わず、冷静な声で返答した。
『戦域無線に……え? あれ? うそ…… 暗号通信です。大佐宛です』
将官クラスが使う専用帯域ではなく、一般帯域を使ったり暗号通信。
わざわざそんな回りくどい事をするのだから、そこには何らかの意図がある。
チームラジオから会話が消え、全員がテッドの言葉を待った。
間違いなくエディからの指令だと確信していた。
『中身を見たか?』
テッド大佐の質問にアナは首を振って応えた。
それを見たテッドは手を上げて『来い来い』と言わんばかりに手を振る。
直通の回線を開いて暗号通信を受け取ったあと、渋い声音で言った。
『ありえねぇ……』
小さな声でそう漏らしたテッド大佐はそれっきり黙りこくった。
何が起きているのか理解に苦しむ中隊がいい加減痺れを切らしそうになる。
だが、誰かしらが何かを言おうとしたその刹那、テッドが動いた。
中隊の全員に暗号化された情報を公開したのだ。
『エディが降りてきた』
全員が見ている視界の中には、装甲服でも野戦服でも無い姿のエディが居た。
宇宙軍海兵隊では無くシリウス派遣軍の三軍統合元帥としての正装で。
ひさしにスクランブルエッグの乗った帽子を乗せた姿。
左胸には数々の従軍歴と叙勲を示す勲章と略章が並んでいる。
そして、左手には見覚えのあるステッキ。
――――あれは……
テッドは記憶の奥底から懐かしい映像を引っ張り出していた。
遠い日に見たエディの恩師、ロイエンタール将軍の持っていたステッキだ。
腰に佩たサーベルは、遠くグリーゼ星系から持ち帰ったもの。
地球からやって来た派遣軍を預かる最高責任者として恥ずかしくない姿。
もっと言えば、あのロイエンタール将軍と並び立てる立派になった姿だ。
『ありえねぇ…… エディ……歩けるのか?』
ペイトンが呆れた様な声音でそう言った。
半ば死を待つだけの姿しか見ていない面々は呆気にとられていた。
どう見たって脳機能の限界を迎えていたはずだ。
だが、エディは矍鑠とした姿で空挺装備を外し、身なりを整えている。
そのサポートに付いたのはヴァルター大佐らしく、時々は視界が揺れていた。
『実際には歩いているんだ。動けるんだろうな』
ドリーもまたそんな風に言って驚きを見せた。
中隊の内部に一瞬だけ油断の空気が流れていて、誰もそれに気付いていない。
ピンチはたいていそんな時に来るモノ。
そしてこの時もそんなジンクスは有効だった。
ガチャ……
部屋の大きな回廊の途中にあった扉がそんな音を立て、無造作に開いた。
扉の向こうから姿を現したのは、ライオン人では無くネコ人だった。
――――…………は?
一瞬の空白。完全な空虚状態。そんなタイミングで発生した偶発的遭遇。
中隊の視線が一斉に降り注いだ瞬間、ネコ人の方もまた固まっていた。
――――…………女だっ!
全員が一斉に銃を向けた瞬間、全員が同時に同じ事を思っていた。
細身の身体にキャミソール的な薄着姿。その胸は割と豊かに膨らんでいる。
地球人であれば南欧系とも中東系とも付かぬ顔立ち人間に近い顔。
だが、その頭には猫耳状のモノが突き出ていて、尻尾も見える。
生物進化の観点で言えば、何かしらの意志が働いてデザインされた姿だろう。
「Just Wait!」
ジャクソンは銃口を天井に向け、左手を広げて女に見せた。
待て!の姿だが意味が通じてくれと刹那に祈った。
だが、その女もワンドを持っていると気が付いた時、無駄だと知った。
この距離で強烈な一撃を喰らえば擱座すると瞬間的に思った。
ならば撃つしかない。
そんな覚悟を決めた時、ビルが叫んでいた。
「ちょっと待ってくれ。話を聞いて欲しい。少なくとも敵では無い」
日本語だ……
皆がそう思ったのだが、誰も口を開かなかった。
ロックとバードが別働隊に行った関係で、本隊にいる日本語話者はビルだけ。
そのビルが瞬間的に何かを試そうと日本語で呼び掛けた。
何らかの進展や成果を期待したのだが……
――――――アッ!
瞬間的に全員が身構えた。
偶発的遭遇でしかないが、そのネコの女はワンドを振り抜いた。
その次の瞬間、凄まじい光が視界を埋め尽くしたのだった……
―――――同じ頃
「ついにここまで来たな」
城の入り口を見上げる僅かな隙間にエディは立っていた。
王立海軍の将官服を身に纏い、立派な勲章を幾つも下げている。
「よく動けますね」
ガッチリと戦闘装備で固めたヴァルターは何処か呆れた様にそう言った。
普段のエディからは想像も付かない姿。
だが、現実に今ここで目の前でエディが動いている。
将官のまとうコートの上からパラを装備したエディ。
そんな状態で僅かな隙間目掛けHALOをした。
常識では計れない事を涼しい顔でやってのけたのだった。
「ヴァルター。サイボーグ中隊で一番サイボーグ歴が長いのは私だぞ?」
そんな風に戯けて見せたエディは城を見上げた後で足元を見た。
何処か腹立たしげに、忌々しげに足元の岩を蹴っていた。
「これだ。これこそがシリウス貧困の根源だ。これを引っ張り上げる為に多くの犠牲を払った。あの時の失敗を帳消しにせねば成らん」
思わず『なんすか、それ』と素の言葉を返していたヴァルター。
エディはニヤリと笑って言った。
「50くらい若返ったかヴァルター」
「エディと一緒の降下なんてそれくらいぶりですよ」
「そうだな」
かつては地球全域でガンガンと高高度降下を行った筈。
だが、機械の身体とは言え老化は確実にやって来ている。
エディはエディのままに歳を取っていた。
その芯は些かも衰えぬままに……
「さぁいこう。遠い日の私がこの上で馬鹿面をしている。些細な矛盾を見逃すほどにボケきっているのだ。それを解消せねばならん」
全く掴み所の無い言葉を吐き、エディはスタスタと歩き始めた。
まだ地球の地上で戦闘していた頃のような姿だ。
ただ、見る者が見ればすぐに解る部分もある。
その歩き方は完全なAIサポートによるものだった。
――――まるでアンドロイドだ……
ヴァルターはそんな事を思った。
ただ、どうしても口には出せないでいた……




