次世代へ託す希望
~承前
「疲れているところをすまんな」
テッド大佐は最初にそう労った。
普段から気遣いの出来る人なのだから、そんな言葉は想定内だ。
だが、大佐は全員を室内に入れた後でドアを自ら閉めて鍵を掛けた。
通常ではないそのオペレーションに、全員が警戒のギアを一段上げた。
「わかっていると思うが……」
そう切り出したテッドは全員を見てから目と耳を手で閉じる仕草を見せた。
それは、サイボーグにならば嫌という程伝わる重要な意味を持っている。
――――枝をつけるな
通常ではあり得ないことだが、それでもハッキングは警戒せざるを得ない。
サイボーグは見聞きする物を常時記録し、どこかに情報を送る事も出来る。
逆に言えば、重要情報を得たい者にとっては狙い目の抜け穴となる。
それ故にサイボーグ処理を受ける者は厳しく選別されるといっても良い。
常に警戒を怠らず、些細な矛盾や異常を見抜いて対策出来る事が重要だ。
生理的な部分での適性とは別に、人格や性格の部分でも適性が要求されてた。
「良いか?」
サムアップしてみせたテッド。
Bチームの面々は各々にサムアップして準備完了を知らせた。
「先ず重要な部分から話す。集中してくれ」
モニターの脇に立ったテッドは頸椎バスのケーブルを繋いで画像を見せた。
そこに映っていたのはゆるい格好のエディで、撮影地は宇宙船内と思われた。
「ご覧の通りだ。エディは現状、1日の内18時間~20時間を眠っている。そろそろ脳が限界に近い。老いは全てに平等だが、サイボーグだって老いるということが証明されつつある」
映像の中、エディは本物の老人のように一つ一つの動きがゆっくりだ。
ただ、相変わらずその眼差しは鋭く、相手を打ち据えるような威圧感がある。
「シリウスの支配者って姿だな」
ぼそりとそう言ったライアンは、どこか感動している風にも見えた。
王や貴族と言った貴顕達に共通する優雅さとでも言うのだろうか。
些細な動き。何気ない動作。そう言った部分にすらオーラがある。
ひとつひとつのふるまいに持って産まれた気品と艶を溢れさせていた。
「脳の運動野が老化するのはAIのサポートでカバー出来るが、どれほど機械が進歩しても魂の老化は防げないらしい。事実、難しい判断や行動を行うと、エディは途端に眠ってしまうようになった」
これじゃ作戦行動など無理だ。誰もがそう思ったエディの現状。
だが、そこにバーニーが姿を現した。その隣にはルーシーがいる。
そのふたりがサポートに付いた途端に、エディは室内を歩いた。
時にはお茶などを楽しみつつ、ジョークを飛ばしていた。
――――ふたりから活力を吸い取っている……
理屈では無くそう直感する姿。
なにがどう……と理屈は全く解らない。だが、現実にはそれが起きている。
となれば、現実を受け入れるしかないのだ。
そして……
『Bチームの諸君。私にとって最後のオーダーを発したいのだが、受けるかどうかの判断は諸君らに任せる』
画面の中でそう発したエディ。
恐らくはテッド大佐の見た視界を記録したものだろう。
テッド大佐に接する時にだけ見せる柔らかな表情。
言い換えれば、家族にだけ見せる油断しきった素の姿。
エディにとってテッドは息子その物なのだとバードは思った。
「これはまぁ、要するにエディの遺言だ。そして同時に、未来への投資」
テッド大佐の言葉がわずかに震えた。だが、それもやむを得ないだろう。
大佐は一足早くその中身 ―― 遺 言 ―― を知っているのだ。
「私は無条件で受諾しますが……」
半ば無意識にそう切り出したバード。
その隣に居たロックも相槌を打つように言った。
「俺もです。例え中身が何であれ、俺は参加します」
テッドにとっては息子と娘とも言えるふたりがそう切り出した。
僅かなことだが、そこにテッドは大きな満足を覚えた。
そして……
「なぁオヤジ。こういうのはさ、逆に聞いた方が良いと思うんだよ」
テッドをオヤジと呼ぶのはジャクソンがそう切り出した。
その中身を理解したのか、ライアンが続けた。
「そうだぜ隊長。あ、今はドリーだった」
相変わらずの調子でそう言うライアンに全員が僅かに笑った。
サイボーグマフィアとまで呼ばれるBチームの団結心が僅かにこぼれた。
「もしここにスミスが居たらきっとこう言うぜ。なんで最初からスパッと命令しないんだって。俺達はいつでもそれをやる用意があるってよ」
ジャクソンやライアンの意を汲み取ったのか、ペイトンもそう意思表示した。
相変わらずの吊り目を炯々と光らせる姿は、やる気十分な感じだ。
「やりたくねぇチキンは居るかってよ。最初からそう言ってくれ」
ジャクソンは笑いながらそう言った。
それを聞いたアナスタシアが少し不思議そうな顔になる程度に。
ただ、その表情がアナスタシアだけでなくなった辺りでテッド顔色を変えた。
思えばバードより後にチームへ加わったメンツは、エディの事を知らないのだ。
「何か言いたそうだね。言ってみてくれ。遠慮なく」
アナスタシアを見たテッドは、そう言った後でダブやビクティスを見た。
合わせてヴァシリやアーネストもだ。
バードまではエディが直接鍛えた世代だが、それ以後は雲の上になっている。
テッド大佐の直卒からドリー体制になった後のヴァシリ達には尚更だろう。
――――――死に掛けのサイボーグが何だって?
率直に言えばそんなところかもしれない。
もっと言えば、シリウスに何らかの利権があるのだろうけど、俺には関係ない。
偽らざる本音を言えとなれば、そう言わざるを得ないのだろうが……
「いや、あの……自分は……上級大将の事はよく解りませんので」
少し苦しそうにダブがそう言うと、隣に居たヴァシリも追随した。
「そりゃ俺もです。と言うか自分は兵卒上がりなもんで、政治のことは正直よく解りません。理解の範疇を超えてます。要するにバカなんで解らないんですよ。だからもう普通に、いつも通り言って貰えたら良いです」
そもそも、ヴァシリやアーネストは志願兵でやって来た兵卒だ。
10光年を越えた先で死にかけて、そしてサイボーグ化されたに過ぎない。
そもそもの資質として、若干の差がある……とふたりは思っていた。
士官になれる者とそうで無い者の差は、言葉では説明しにくいものだ。
だが、確実にそれはある。むしろあるからこそ選び出し鍛え抜く必用がある。
熱いうちに鍛えれば鉄となる若者を探し出し、教育する。
その結果として生まれてくるのが士官という生き物だ。
「口を挟んでわりぃが――」
ヴァシリに向かってロックがやおらに斬り込んだ。
この辺りは本当に人斬りなんだなとバードは思う。
そして同時に、他人のことを放っておけない人だとも。
お節介だとか余計な事だとしても、他人を救いたいタイプだ。
「――俺やコッチのバードや、もっと言やぁここのメンツで最初から士官教育受けたのなんかドリーくらいなもんだ。基本的にはただの民間人でくたばり掛けた面々が色々あってこうなっただけだからな。場数と経験で学んだだけだ」
それが何を意味するのかはヴァシリやアーネストにはよく解った。
最初から自分の意志で士官を目指す存在とはスタートラインが違う。
その差は時間が経過すればするほど開いていく物だ。
困難な現場で周囲を励ましつつ統率し、任務を遂行する。
ヒロイズムとか、或いは責任感と呼ばれる部分での資質があるかどうか。
命懸けの現場に飛び込んで行ける心の強さは後天的には獲得できない。
その部分において、ヴァシリ達は何処か劣等感を持っているのだった。
「だな。ロックの言う通りだ。ヴァシリ達が気にしてる部分は資質じゃなく経験って所なんだよ。誰だって最初はレベル1から始まる。その成長に差が出るのは仕方が無いが、全ての面で劣っているなんてケースはまず無い」
人の精神を見つめるプロ。ビルは静かな口調でそう言った。
相手の心に言葉を染み込ませるテクニックというのは確実に存在した。
「そうだな。ビルの言う通りだ」
隊長であるドリーが切り出し、テッドは少し笑ってドリーを見た。
「実は俺だってROTCで一般大学から宇宙軍に入って、んで、ドジってこうなった訳だ。まぁそれなりに苦労したけど、俺達は生身より有利に経験を積んでいけるから成長の速度はそれで補える。とは言え、ヤバイ所にばかり行ったけどな」
ヤバイ所……
そんな言葉でチームの古いメンツがニヤリと笑った。
本当にヤバイ現場で死にかけた経験は、座学による学びを軽く凌駕する。
百の訓練より一度の実戦。
その教育方針で鍛え上げられた面々は面構えが違うのだ。
「なら、とりあえずエディの話を流す。それを見た上で判断してくれ。参加を強制はしない。判断は各々の良心と信条に委ねる。不参加による処罰もしない。志願を募るのでは無く自主参加だ。そこは言明しておく」
テッドがそう明言したからには、相当な事があるのだろう。
バードは少し気を入れて集中力を上げた。その辺りも随分と慣れていた。
しかし、そんな物など問題にしないだけの衝撃が襲い掛かってきた。
テッドが再生させた映像の中、エディは相変わらず静かな口調で語った。
『今から話すことは諸君らの胸に仕舞っておいて欲しいと願う。人によってはただの妄想と片付けてしまうものだからな。だが、私には大事な事なのだ。この惑星に生まれた私には、全てが運命だった』
そこから切り出したエディの話。
チームのメンツは完全に引き込まれていくのだった……
――――――同じ頃
「エディ」
ニューホライズンを周回するジョンポールジョーンズの一室。
サイボーグ向けのメンテナンス施設が揃った部屋ではエディが寛いでいた。
その室内へと入ってきたバーニーはいつも最初に名前を呼ぶ。
どう反応するかを見れば、まだ脳が機能しているかどうか解るから。
「あぁ、今はまだ……機能している」
エイジング処理されたその姿は80才代後半の老人だ。
だが、サイボーグ故にその動きはまだまだ若々しい。
それを見てとったバーニーは飲み物を手渡した。
「あの子はどうした?」
「寝たわ。少しグズッたけどストンってね。きっと大物になるわよ」
穏やかな会話を交わしたふたり。
バーニーはエディの隣へそっと腰を下ろした。
彼女の視線はエディの手元へと注がれている。
エディが寛ぐソファーのテーブルには、少し大きめのメモ帳があった。
「……彼等は動くかしら」
少し不安そうな言葉を漏らしたバーニー。
そんな彼女をジッと見つめ、エディは静かに笑った。
「半世紀掛けて鍛え上げた連中だ。並大抵のことでは動じないさ。それより、拡大プログラムで参加した若者の方が心配だよ」
ソファーに身を預けていたエディはやおら上半身を起こした。
その手を伸ばした先のテーブルに置いてあるペンを取りキャップを外す。
メモ帳と言うよりも便箋と言うべきサイズの紙には細かな文字があった。
「進んでるの?」
バーニーは、その便箋を覗き込んだ。
そこにはエディの書いた文章がビッシリと並んでいる。
機械が書くのだから機械的なフォントになるのはやむを無いだろう。
エディが自ら書き記す、己の人生を綴った叙事詩だった。
「あぁ。今は……30代まで書き終えた」
ヘカトンケイルを両親に持ち、シリウスで最初に生まれた人類。
ビギンズと名付けられた子供の過ごした日々は、苛烈で苛酷なものだった。
ただ、なぜビギンズなのか。なぜシリウス最初の存在なのか。
それだけじゃない。あのヘカトンケイルがその座に列席しなかったのか。
ビギンズの存在には余りに謎が多いのだ。
「……間に合うと良いわね」
バーニーの言葉に『あぁ』と返答したエディ。
少し笑みを浮かべ、便箋にさらさらと文字を書き始める。
10才未満の頃に経験した試練と命の危険。
10代の頃に経験した出会いと別れ。
20代の頃に経験した様々な困難と挑戦の日々。
なにより、己が何者であるのかを問うた探索の日々。
やがて知る、自らの正体と持って産まれた苛烈な運命。
超常の存在と言えるヘカトンケイル達が口を揃えて言う言葉。
――――――希望の御子
誰もが知りたくて、誰も知らなかった真実がそこに書かれている。
ただ、それを横から眺めていたバーニーは、段々と顔色が悪くなり始めた。
「君もそろそろ限界だな」
「まだ大丈夫よ。あの子達より先にして貰ったんだから」
レプリの身体を使っているバーニーも身体の方が限界だった。
それ故か、バーニーは最初にレプリのスペエアボディへ乗り換えた。
シェルでのドッグファイトを散々と経験したのだから、やむを得ない事だ。
強靱で撃たれ強いとは言え、レプリカントの身体も所詮は生身。
循環器系などへの苛烈なG圧力は文字通り命を縮める行為その物。
それだけじゃなく、脳殻内部からの脳液漏洩による神経系への負担もある。
だが、それ以上の事をバーニーは経験していた……
「いきなり頓死しないでくれよ」
「それは私のセリフよ」
さらさらと文字を書きつつ、エディは左腕でバーニーを抱き寄せた。
全く嫌がらず、されるがままに任せたバーニーは少し甘い息を漏らす。
「予定よりも10年ほど余計に時間が掛かってしまった。まだ死ぬわけにはいかないんだがやむを得ない。これを次のビギンズへ…… あの子へ渡してくれ」
それは、死を覚悟したのではなく受け入れたエディの遺言だ。
次のビギンズを自らの手で育てたかったのだが、それも無理のようだ。
ならば自由に育ち、沢山を学び、その中で遺言を受け取って貰おう。
残された時間を客観的に見つめたエディはそう考えたのだ。
「あなたが生き残って……あの子を育てなきゃダメじゃ無い」
バーニーがそう言うと、エディは嬉しそうに笑みを浮かべる。
だが、その表情がスッと消え去り、今度は寂しそうな顔になった。
「その余裕分を全て食い尽くしてしまったからな」
この1年。エディは残された命を使ってメッセージを書き記していた。
それは、ヘカトンケイルが預かっていた男子が産まれる最後の胚の為だ。
確実に男子が産まれる最後の胚。
その胚を育てる為に、バーニーは最初に身体を乗り換えた。
同じく最後まで残していた戦闘強化型では無く母体向け仕様のレプリボディに。
愛する存在の為に。希望の御子、ビギンズの為に。
なによりこのシリウスの為に。バーニーは喜んでそれを行った。
「これ、いつか公開するの?」
少し不安そうな声音となったバーニーがそう漏らす。
エディは幾度か首肯しつつ、『そうだな』と応えた。
「シリウスの市民も知りたいだろう。全てを達成する事は出来なくとも、新しい何かを生み出す為の礎くらいにはなるかも知れない。新しい時代は新しい世代が作れば良いんだ。その為には私の代で問題を解決しておきたい」
セントゼロの地下に残る古代遺跡。
まだ5才になる前のエディは、ヘカトンケイルを連れてそこを歩いたという。
複雑な構造の地下遺跡だが、何の案内も灯りすらも無しに歩いたエディ。
最終的に辿り着いたのは玉座の間と呼ばれる大きなホールだった。
そしてそこでヘカトンケイルは目撃したのだという。
このシリウスを蝕む物の正体を……
「誰が聞いたって……ただのオカルトね」
少し自嘲気味にバーニーが言う。
エディもエディで『全くだ』と応える。
だが、それを前にした日から、ヘカトンケイルはエディをビギンズと呼んだ。
そして、シリウスを救う御子であると喧伝したのだ。
ニューホライズンと呼ばれた惑星の土壌が絶望的に痩せている理由。
どれ程に施肥を行っても農作物の収量は増えていかないのだった。
その理由が全く解らぬまま、ヘカトンケイル達はその研究をし続けた。
そして彼等は知った。エディによるセントゼロの案内によってだ。
同時にビギンズがその全てを解放する存在だと言うことを理解した。
貧しさと苦しみと、なにより、生まれながらの不幸さを解消する存在だった。
「新しいビギンズは自分の意志で育って欲しい。ただし、何処かで必ず現実に直面するはずだ。その時にひとつずつ、この書簡を見せてやってくれ。映像じゃダメなんだよ。この手のものはな」
エディは解っていた。かつての自分がそうであったように。
遠い日の記憶が少しずつ蘇ってくる恐怖を次のビギンズも味わう事に成る。
産まれる前の記憶。前世の記憶。遠い遠い昔の記憶。
人間の狡さや汚さや、或いは裏切りや絶望や強烈な別離を積み重ねた記憶。
そして、賞賛と喝采の中で栄耀栄華を誇った輝かしい時代の記憶
積み重ねられた愛別離苦のミルフィーユがフラッシュバックしてくる。
その都度に強烈な精神的苦痛を味わい、幾度も挫けてきたのだ。
「……支えてくれる存在が必用なのよね」
「あぁ。その通りだ」
今生のエディを導いたブリテン紳士のように、強く励ます存在が必用だ。
しかし、次のビギンズを護り導く存在は期待できないだろう。
だからこそ……
「バーニー」
「なに?」
エディは薄く笑みを浮かべたまま、静かに言った。
「頼んだよ」




