最終決戦に向けた訓練
~承前
宇宙の虚空は深海に似ている……
かつて宇宙が拓かれ始めた頃、あるスペースワーカーがそんな言葉をSNSに漏らしたのだとか。そもそも、深海は宇宙よりも未知の場所なのだから、それが似ているなどと言うのはただのフェイクに過ぎない。
だがそれでも、多くのスペースワーカー達は言葉では無く直感・実感として一つだけ海のように深く理解している事がある。それは……
「やっぱ宇宙っておっかないですね」
ヴァシリが漏らしたその言葉は、太古より船乗り達が言い伝えてきた大切なものだった。海には敬意を払え。言い換えるなら、海を甘く見るな。もっと言うなら、それはきっと『神の作った世界全て』を指す言葉だ。
宇宙は広く大きく冷たく、そして灼熱だった……
「ンな事ぁみんなわかってんだよ! ボサッとしてねぇでカバーに入れ!」
脳内に直接響くライアンの言葉に『了解!』と返してヴァシリは自らの軌道を慎重に遷移した。背中で吼えたけるエンジンは凄まじい推力を叩き出して宇宙の虚空を隕石のように突き進んでいる。
――――まるで身体から魂を引っこ抜く遠心分離器だ……
相変わらずシェルというのは暴力的すぎる乗り物だ。加速も旋回もシェル以外の如何なる乗り物は太刀打ちできない。制御核反応型のグリフォンエンジンは、自分自身を破壊しながら推力を叩き出すとんでも無い代物なのだ。
視界に浮かぶ座標速度は毎秒38キロを表示しているが、それと同時に見えているフラワーラインが微妙に歪なのを見て、ヴァシリは自分自身が世界の一部であることを再確認していた。
――――銀河内周回運動……か
そう。太陽やシリウスと言った恒星もまた、銀河系の中を周回運動している。銀河の中心を誰も見た事は無いが、そこには超巨大ブラックホールが存在していて、我々人類が活動するフェルミ場とは異なる場に存在する重力の見えざる手により引っ張り続けられているのだ。
つまり、ヴァシリは今、秒速35キロで座標を移動しているが、その空間座標自体が銀河の回転運動の中に存在していて、秒速80~85キロで虚空を移動しているのだった。
「ヴァシリ!」
ロックが一括すると、ヴァシリの心は機械で出来た身体に返ってきた。一瞬だけ宇宙の虚空に溶けていたソレは、再び冷静なマシーンとなったのだ。
「すいません! セッティングを再確認してました!」
一気に機を旋回させライアンのサポートに付いたヴァシリ。相互距離12キロを取り、ライアンの周囲をサポートするポジションだ。
シェルは高機動な乗り物だが、攻撃の段では一瞬静止する。凡そ2秒ほどの攻撃フェーズに入った瞬間、まったく無防備になるのだ。つまりは、その瞬間こそが最も危険な一瞬。
あのウルフライダー達が教えてくれた彼女らの強さの秘密は、その瞬間を相互サポートすることが本質だった。
『カバーが遅くてよ? それじゃ七面鳥を撃つより簡単ね』
エンジンノイズの混ざった無線の声が響き、アグレッサー役のシェルパイロットから鋭い指摘がやってきた。ただ、そこにやってきたのは声だけではなかった。ライアンとヴァシリの機体にガンガンと衝突音が響く。
『これが実弾なら即死ね』
ウフフと楽しげな笑い声まで混じって響く声。
ただ、二人の機体に衝突したものは信管の入ってない実弾そのものだった。
『やっぱり信管抜くと注意力や気合も抜けるみたいね』
『そうね。抜くべきじゃなかったわね』
その声の主が誰だか、ヴァシリは把握する事すら不可能だった。だが、少なくとも一つ分かる事がある。こんな局面でもヴェテランに育ちつつある中尉達は状況を把握し最善のポジションを抑え反撃を試みている。
その心の強さだけでなく、どんな局面でもシチュエーションをひっくり返せる可能性がある事を、新人たちは学びつつあった。
『さて、そろそろ新人さんの手ほどきは終わりかしらね』
――――この声の主はわかる……
ヴァシリはそう直感した。
いつだったか、ハンフリーの艦内でテッド大佐に紹介された奥様だ。数奇な運命により敵味方となってしまった大佐の妻は、シリウス軍で最強クラスのパイロットになっていた。
『じゃぁそろそろお願いします。そろそろ完勝させて欲しいので』
チーム内無線ではなく広域無線に響いたバードの声。その声が妙にやる気満々でテンションも高いのを聞いて、ヴァシリは素人が退場する局面なんだと実感した。
『ありがとうございました。大佐殿。もっと精進します』
ヴァシリの吐いた言葉に『そうね。そうして』と柔らかい言葉が返ってきた。その声を聞きながら、テッド大佐の妻がリディアという名前だと思い出した。だが、そんなリディアの声に続き響いたのは、どこか固い女の声音だった。
『小娘の分際でイキがんじゃないの。今日も締め上げてやるから覚悟しなさい』
……あぁ
ヴァシリが幾度か頷いたその声は、あのウルフライダーと呼ばれたシリウス軍の最強エースチームで最初にサイボーグオペレーションを受けた女性だ。データベースの中からサンドラの文字が浮かび上がり、同時にクラウンマークが視界に浮く。
個人識別マークを背負ったエースオブエースは、戦闘態勢になって凄まじい旋回を決め、攻撃ポジションについた。
『全員発火電源投入。いい塩梅にテンション上がってきたんだから、その気にさせなさいね』
ウフフ……
売れた女の甘い声で言ったのはサミール。交差したアラビア刀をマークにしているウルフライダーの副長だ。チーム内でも指折りの実力と言うが、チーム最強のリディア大佐にはかなわないらしい……
距離を取ったヴァシリは視界の中でアーネストを探した。去年の今頃はまだ、地上で下士官として戦闘をしていたはずだ。実際はそんなことなど無いのだが、なにかこう想像もつかないほど遠くへ来たような錯覚を覚えたのだ。
「ヴァシリ」
どこかから声が聞こえ、思わずアーネストを探したヴァシリ。見つけたアーネスト機は頭上方向およそ100キロ辺りにいた。直接視界では見えないが、視野にスーパーインポーズされる機体情報を見つけたのだ。
「生きてるか?」
思わずそう問うたヴァシリ。アーネストからは『殺されかけた』と震える声で回答があった。Bチームのヴェテラン2名と組み、3オン3での模擬戦闘を行った二人だ。信管を殺した実弾を使い、実際に飛び交う弾の中でどう運動すればいいかを二人は実地で学んだ。
「なんかさぁ……」
改まった声でそう切り出したアーネストは、素直な感嘆を口にした。
「中尉や大尉たちがなんで戦闘中にあんな動きができるのか、やっと理解した」
アーネストが口にしたそれは、先のシリウス地上戦で見せたバードたち中尉勢だけでなく大尉や少佐が見せた戦闘中の機敏な動きの核心部だった。
「……言いたい事はよくわかる。次を読んでるんだよな」
ヴァシリの声はわずかに震えていた。超高速戦闘となるシェルバトルは、手数と手順とが密接に絡み合った詰将棋の様なものだ。敵の機動エリアを削り、何もない空間の中で追い込む技術がいる。
だがそれは、何も宇宙空間の三次元戦闘だけでは無いことを実感したのだ。例えそれが地上戦であろうとも、基本的にやっている事は変わらない。大きな盤面の上で、チームの各々が全体を見ながら段々と敵を追い詰める動きをするのだ。
「……本当にすごいよね」
話に割って入ったアナは、驚きを隠せないといった風に言った。同じように3オン3を経験したアナは、ダブとビッキーに挟まれて待機エリアに後退した。このままハンフリーへ帰投しても良いと言われていたのだが……
「見たいよな。達人レベルの戦闘を」
ビッキーがそんな事を漏らす。いま目の前ではロックとライアン。そこにバードが加わった3機が連携戦闘をしていた。対するはクラウンマークとツインソードマーク。そこに黒衣の女性のシルエットが描かれたシリウス製のシェルだ。
「次の次の次を読めって言われたんだけどさ……そんなの乗数的に増えてくから把握しきれねぇんだよな」
ダブの言葉には悔しさが滲んだ。事もなげにやってるように見える機動だが、それは万の可能性を秘めたすさまじい手札の切りあいだ。双方が持てる技術をすべて使って相手を追い詰めようとしているが、決定打がない。
だからこそ、双方は相手の手を読み合って、その上で相手を追い詰める手順を構築するのだろう。だが、双方ともに経験を積み重ねているのだ。つまり、双方ともに相手の出方が容易に想像がつく。だからこそ……
「キツネとタヌキの化かしあいってね」
唐突に響いたバードの声。あの激しい戦闘の中でも周りに気を配っていた事に新人たちが舌を巻いた。そして同時に、この訓練が特別な意味を持つことを肌感覚として感じ取った。
――――いよいよだ……
地球とシリウスの100年戦争も、最終決戦の時が近づいていた……




