博愛主義と言う無駄な思想
~承前
銃声の止んだデラド市街中心部。
かつては美しかった市街も、今は各所に死体が積み上げられていて、火葬の上で埋葬するか、それとも郊外に大穴を掘ってまとめて埋めるかの処置を待っている。
個人を特定できる死体であれば遺族への引き渡しも考えられるのだが、そもそもこんな形で激しい運動に参加した者の末路は悲惨の一言だ。世間の眼もあって遺体の引き取りを希望する遺族は稀で、その多くがまとめて廃棄して欲しいと要望を出すケースが多い。
自分の欲望や我が儘で社会を争乱させた愚か者が親族に居る。それは、多様性という概念の拡大と共に世間に広まった新しい概念。つまり、他人の権利を踏みにじる愚か者だと、そんな処断をされる事への抵抗だった。
「何だか酷い光景ね」
鼻が焼けるような死臭こそ無いものの、断末魔の悲鳴を上げたままの表情で事切れた死体を眺めるのは、少々きつい物がある。溜息混じりにそう零したバードは、手持ちのインスタントドリップなコーヒーのパックでコーヒーを淹れていた。
馥郁たる香りが漂い、チームの面々がニヤリと笑ってそれを眺めている。こんな時、バードは必ず全員分のコーヒーを淹れる癖がある。日本人的な遠慮思想の極地とでも言うのだろうか。自分だけコーヒーを飲むのが申し訳無いと考えてしまうのだった。
「まぁ、これも仕方がねぇさ」
例によって『まぁ』から切り出すライアンは、バードの淹れたコーヒーをインターセプトして一口飲んだ。半分程度崩れた大きなホールの中、あり合わせのカップを集めてコーヒーを人数分揃えたバードは、Bチームの仲間を呼んだ。
「コーヒー淹れたよ」
全員が『おぉ!』と喜びながら集まってくる。
各チームが散開して市内各所に陣取っている状況だ。作戦本部は現時点における作戦の経過状態を勘案し、次の一手を思案している事だろう。次の指示を待っている各チームは、正直手持ち無沙汰だった。
「まぁ……しかしなんだなぁ……」
ウンザリ気味の声音で零したライアン。
その向かいに居たロックはバードの淹れたコーヒーに口を付けて言った。
「今まで色々見てきたけどよぉ……」
ふたりの眼差しの先は、積み上げられた死体の山だった。戦闘が終わった後で一斉に降下し始めたODST各大隊の面々が、街中の片付けから始めていた。爆発系兵器と違い、荷電粒子砲による攻撃では流血の惨事にはなりにくい。
その分だけ片付けもサクサク進むが、そうは言っても様々な理由で損壊した死体は各所に残っていた。そして、そんな死体が放つ血の臭いや、割けた腹からこぼれる便臭などがジワジワと街中に溢れ始めていた。
「不思議なもんだよな。これが牛やら豚やらなら、今頃は美味そうって言ってるかも知れねぇのにな」
同じようにコーヒーを飲み始めたペイトンが言う。
そのボヤキに反応したのは、医者でもあるダニーだった。
「手術も料理も変わらないよ。肉を切ってる手応えは一緒だもの。レーザーで焼いた患部を切除する時の手応えは、ステーキを切り分けるときと一緒だし、そもそもレーザーで焼かれた患部が放つ臭いは肉の焼ける臭いそのものだし」
あくまで医者の所見を述べただけのダニー。しかし、そんな言葉に『ちょっと待てよ』と言わんばかりの少尉軍団が渋い表情だった。
「次からハードウェルダンのステーキを食べるときは…… 手術中のつもりで喰うようだな」
ヴァシリは遠慮無くそう言ってダニーを弄った。
さすがに失言だったと気付いたらしく、ダニーは微妙な顔になって言った。
「まぁ、医者なんてサイコパスだらけって陰口叩かれるからな。血みどろの手術して、両手を脂でドロドロにして、全部終わってからローストビーフでも喰いに行くかってやれなきゃ務まらない」
感覚の麻痺は何も軍隊だけでは無い。医者だってそれを起こすし、もっと言えば血の滴る様なレアローストの肉を美味い美味いと言って人は食べるのだ。
「軍隊ってのは血も涙もねぇって良く言われるけど……」
怪訝な顔でダブがボソリと零す。
その、本当に言いたい事を、アナが察した。
「食べられる為に産まれて来て、経済性の為に大きく太らされて、収益性の為に酷い環境で育てられ、食べられる為に殺されて食卓に上がるんですよね。その手の経済動物は」
養殖。或いは肥育と言う言葉で誤魔化される物。食べる為に育てられる産業とは言え、そこに命への敬意があるかどうか。ただ、アナが本当に言いたい事は、結局またバードが言った。
「残酷とか残忍とか人間的に優しくないとかね。そんな言葉で批判されることは多いけど、でも、それを言う人達の大半が、美味しく無いって理由で食べ物を粗末にするよね。食べられる為に生まれてきた生き物の命を、まったく省みてない」
――――食べ物を無駄にするな
その言葉の裏にあるもの。それは、単に食べ物の話では無い。あの積み上げられた死体を見て、とにかくギャーギャーと喧しい連中に対するウンザリ気味な軍人の感想だ。
『なんて酷い事を!』と叫ぶ者達の弱腰が招いた悲惨な結末を、当事者達は絶対に認めない。話し合いで全て解決できると本気で信じている間抜けなお花畑にしてみれば、話し合いで折れない方が悪いのであって、自分達は悪くないのだろう。
「まぁ、なんにせぇ……」
再びライアンが『まぁ』から始め、バードは指差して言った。
「まぁはともかく、しゃべり方がロックみたい」
ロックのように、ぶっきらぼうな言い方になりつつあるライアン。
そんなライアンの様子がおかしかったのか、全員がゲラゲラと笑っていた。
「さて、次のお達しが出たぞ」
そんなところへ現れたドリーは、ニヤリと笑って切り出した。
ただ、その隣に立っているジャクソンが微妙な表情なのを見れば、その実情が透けて見えるとバードは思った。
「例の4人組だが――」
――あぁ……
そう。ODSTの面々が死体片付けに勤しんでいる最大の理由。それは、当初の戦術的な目標だったSRA幹部の4人を拘束しそこねたことだ。あの4人を拘束するか、若しくは射殺する事が当初のゴールだったのだ。
強行派の核心部にある4人はSRAを分割し、それぞれのチームを率いてそれぞれに活動を開始する見込みだ。つまり、まだまだシリウスの武力独立を諦めていないと言うこと。
状況としては完全に独立している状況だが、彼等は現状の『誰かに独立を認められた現状』を良しとしていないのだ。
「――それぞれに脱出を図ったようだな。ショウエイ・ノギだけは足取りがつかめていて、現在はDチームが追跡を行なっているが、正直言えばこのまま逃がして例の遺跡に逃げ込ませる方が正解だと個人的には思う。少なくともそこらで拘束するのは限りなく不可能に近い」
ドリーの説明に全員が不承不承の首肯を返す。ここでの不始末で戦争が終らなかった事実に辟易としている部分もある。ただ、本当にウンザリ気味なのは、この街から一定数以上の強行的独立派が逃げ出したことだ。
彼等はいずこかで再起を図るだろう。それは、もう何かの理屈とか信念とかそういうものですら無くなっている可能性が高い。つまりそれは、もはや彼らの生き方そのものに昇華している可能性が高い。
地球に対し抵抗し、そして抵抗し、さらに抵抗し、その上で精一杯の迷惑を掛けて死ぬ事が目標。力尽くであろうと無かろうと、地球に対する服従など絶対にありえない純粋さだ。
「んで、これからだが……」
微妙な表情で話の続きを切り出したジャクソンは肩を窄めて言った。
「ここに戦略的拠点を設営し、地上戦の準備を粛々と勧める事になった。俺たちはここで基地設営のお守って訳だ。連中は尻に帆を掛けて逃げてる筈。そんな連中のケツを煽る為に、派手にやる」
つまりそれは、ここで一気に畳み掛ける事をしないと言うことだ。ただそれは、例によって生身の事情に振り回される事を意味する。バードはロックと顔を見合わせ『またか』の表情になった。
肉体的な疲労の無いサイボーグなら、生身の事情を無視して追撃できるし、徹底的に追い詰めて精神的に疲弊させ、破れかぶれになったところを返り討ちにする事だって出来るはず。
だが、エディはそれを良しとしない……
「みんなが言いたい事は解ってる。実は俺もそれをオヤジに言ってきた。ここで畳み掛けて徹底的に叩いちまうべきだって。けど、どうやらそんな簡単な話じゃ済みそうにねぇんだよ。これがよ」
ジャクソンの言葉には含みがある。しかも例によってまだ教えてくれそうにないストレスが垣間見える。少々ウンザリ気味ではあるが、それもまた仕方がないことだと飲み込むしかない。
ただ、バードは僅かに表情を変えて切り出した。おそらくは全員が思っているであろう事を……だ。
「逃がした連中は最終的にどうするんだろう?」
そう。突き詰めればこれが重要だ。殺すのか。それとも共存の道を選ぶのか。
たとえそれが彼ら自身の選択によるのだとしても、至れる結末は先に知りたい。
「まぁ、それに付いては――
ドリーが切り出した言葉は、海兵隊本部の置かれたシリウス遠征軍統合作戦本部の公式見解そのものだった。
――――同じ頃
統合作戦本部の置かれたサザンクロスの郊外。
大きなビルに陣取った国連軍本部の中では、エディが微妙な表情で会議に出席していた。
「それは……グランドマスターの腹案と言うことか?」
海兵隊の大将ポストとなったエディは、フレディ大将と会議に出席している。
この日のテーマは最終的にシリウスを如何するのかについての資料提出に向けた打ち合わせのはずだった。
戦争は軍人でも始められるが、それを終らせるのは政治家の仕事。故に軍人は正確で虚飾の無い情報を政治家に上げる必要がある。それを元に政治家は『どう終らせるか?』と考えるのだ。
だが、いつの間にかその中味は変質し、今は逃がしてしまったSRA幹部の処遇に切り替わっていた。つまり、継戦能力をどう絶つべきか?についての相談と言うのが正しい表現だろう。だが……
「いえ、マーキュリー元帥の言われるようなモノではなく、あくまで個人的な願望と思ってもらえば結構です。あくまで、個人的な願望ですよ」
それを言っているのは、シリウスの地上に展開している地上軍から参加している航空参謀だった。かつてのシリウスから脱出し、火星と地球で入植者として過ごしたと言う男だった。
「……しかし、それが可能かね?」
フレディも率直な言葉でそう問うた。
それは、この参謀――コーネル・ドロー大佐――の言った、SRA幹部に対する処遇の提案だった。
――――最終的に捕縛した後の件ですが……
――――彼らもシリウス市民として処遇出来ないでしょうか?
――――間違った思想に導かれただけだと小官は考えているのです
その間違った思想で幾万もの犠牲者が出た。
それゆえに苛烈な処遇を決定したはずなのだが、そこに口を挟んだのだ。
「可能かどうかは捕縛後に判断するべきではないかと考えます。憎むべきは罪であって人ではない筈。それを一律に処断してしまうのはどうかと考えているのです」
因果と結果を履き違えた間抜けな判断。一言でいえばそうなるのだろう。
だが、問題は統合作戦本部に一定数の賛同者がいることだ。
――――何もそこまでしなくとも……
甘ちゃんといえばそれまでだろう。だが、博愛主義と言う虚しい妄想に取りつかれ大甘な処断をする自分が正しいのだと勘違いする層は、いつの時代も一定の数で存在する。
次の悲劇を防ぐ為。偶像化され崇拝の対象となり、間違った概念の思想的な根拠や寄り所として祭り上げられるのを防ぐ為。その為に、人道の罪を犯した者は厳しく裁かれなければならない。
だが、彼等は『人が人を殺す事はまかりなら無い』と、真顔で、真剣な顔で堂々と言うのだ。そもそも、その裁かれる対象が人を殺しているにも関わらず……
「……で、最終的にどうすると? まさか無罪放免で釈放せよと?」
非常に剣呑な調子でテッドはそう言った。
かつて、シリウスの地上で暴虐の限りを尽くしたシリウス独立派の実情を知る者としては、そんな甘い対応がどうしても飲み込めないのだろう。
「まさかまさか。彼等には一定のペナルティが必要なのは言うまでも無い。ですが、何も殺す事はないと、私個人としては考えているのです」
妙に自身たっぷりな物言いをしたドロー大佐は、カップに残っていたコーヒーをすすってから、天井を見上げた。なにか思考を纏めているようにも見えるし、何も考えていないエアヘッドの様にも見える。
「それとも、歴戦のヴェテランであるテッド大佐は、彼らを一網打尽に殺すべきだとお考えですか?」
嗾けるような調子でドロー大佐がそう嘯く。それを聞いたテッドは僅かに表情を変え、背もたれに身体を預けてからジッとドローを見た。虚無感に打ちひしがれたような、そんな様子だった。
「あくまで個人的な希望だが……」
そう前置きし、テッドは1つ息を吐いてから言った。
遠い日、シリウスの街を牛耳っていた数多の愚連隊を思い出しながら。
「……SRA幹部だけでなく、そもそもシリウスの強行的独立派と呼ばれた集団は最後の1人に至るまで須らく死んでもらう必要があると考えている。彼らが行なってきた恐るべき政策を思えば、彼等によって殺された全てのシリウス人民が納得できる結末は、それしかないだろうから」
あくまで冷静な物言いに徹したテッド。
だが、その苛烈な言葉は長年このシリウスに生きてきた者の総意だった。
「そんな…… 恐ろしい事を…… 地球人は血も涙も無い者達だとシリウス人に根付かせてしまいませんか?」
ドローの言った言葉に最初に反応したのは、ヴァルターだった。
小さく『ハッ!』と笑い、僅かに首を傾げてドローを見た。
その姿を見ていた者達全員が同じ事を思う。
ヴァルター大佐が異常な目をしている……と。
「そもそも、血も涙も無いのは強硬派だった。街中でも郊外でも、シリウスのありとあらゆる所で彼等は行なってきたんだ。穏健派と呼ばれる市民を広場や路地や、公衆の面前へと引っ張り出し、考え付く限りに凄惨で残虐な方法で見せしめに殺してきた。地球に尻尾を振る狗はこうなるのだと思想統制してきた。それを……許せと言うのか?」
紛れも無いシリウス人の本音がこぼれた。
ただ、それを聞いたドローは僅かに笑みを浮かべて言った。
「その許されざる行為を寛大に受け入れ、更生し共に生きようと手を差し伸べる。それこそが地球側の余裕なんだと見せるのですよ。そして、罪は許せるのだと。手を差し伸べて共に生きようと、そんな姿を見せて、彼らを改心させるのです」
自信たっぷりにドローはそう言った。
いや、むしろその姿は、言ってやったぜ!的な満足感まみれだった。
いつの時代にも、どんな環境にも、この手の人間は存在する。
その甘さが命取りになる事を知っていて、なお人を信用しようと言い出す者だ。
「……その、崇高な理念は……賞賛に値すると言っていいだろう」
エディは静かな口調でそう言った。
落ち着いている様子のエディに、ドローはどこか表情を緩ませた。
だが、テッドやヴァルターだけでなく、フレディまでもがそれを知ってた。過去に幾度も経験し、何度もその姿を見てきた。エディ・マーキュリーと言う人物が見せる倣岸な支配者としての姿。
冷徹で無慈悲で、尚且つ、一片の私情を挟む事無く現実に即した判断を下す。そんな姿を幾度も見たからこそ、テッドは解っていた。
――エディ……
――ぶち切れた……
と。
「そうだね。君の言う通りかも知れない。あくまで寛大な処置は地球の余裕かも知れない。ではこうしよう――」
エディはニヤリと笑ってドローを指差し、三白眼になって言った。
まるで冥府の底から沸きあがってくる、魔王のような重い声音で……
「――例の4人は出来る限り生きたまま捕縛する。その上で、彼らの処遇はシリウス人の判断に任せよう。ヘカトンケイルを含めた全てのシリウス人の判断だ。民族自決の精神に則り、彼ら自身に処断させよう」
思わず『それでは!』と言い掛けたドロー大佐だが、エディはそれを手で制し、遠慮無く自分の言葉を続けた。一切の反論を許さない強い様子でだ。
「シリウス人民が彼らの行なってきた事を許せば、彼等はきっと生きながらえるだろう。ただ、この100年に渡り無駄な血を流し続け、人民を抑圧し、自分達の復讐願望をシリウスの夢にすり替えてしまった者達に対し、シリウス人民がどう思っているのか。彼等はそれを味わう事になる」
何かを言わんとしてそれを封じられたドローは、ただただ震えていた。
それを見ていたエディは、オマケの一撃だと言わんばかりに言葉を添えた。
「出来れば、最終戦闘にシリウス人部隊を混ぜておきたいところだね。シリウス軍の再編と再教育は進んでいる。君が言うとおりに博愛の精神をシリウス人が認めるなら、それはきっと素晴らしい結果に終るだろう。そしてこれは――」
スイッとドローを指差したエディは、強い口調で最後に畳み掛けた。
「――地球人が口を挟む事じゃない」




