希望を託す
~承前
「え? なんだって?」
新型装甲服のヘルメットを取ったライアンは、少々怪訝な声音で聞き返した。
奈落のタルタロスと名乗ったヘカトンケイルの1.5世代目が言った内容だ。
「……出来ればもう少し早くか遅くに来て欲しかったと言う事だ」
タルタロスは言葉を選びながらもきっぱりとそう言いきった。
それは、彼らが暮らす黒宮殿へと向かう道中での言葉だった。
――――我々はここでシリウスの土になる事を選ぶ
――――ただし、その前に大切なものを諸君らに託したい
――――ビギンズは我らの収容を願ったのだろうが……
――――気遣いは無用だ
それは悲壮感の欠片すらも感じさせないきっぱりとした口調だった。
全て承知だと。全部飲み込んでいると。そう言い切った。
そして。
――――どのみち我らはもう長くない
――――半ば実験動物として作られた第1世代のブーステッドだ
――――もう充分に生きた
――――何も後悔は無い
満ち足りた表情でそう言われれば、誰だって言葉を返しにくいものだ。
しかし、任務は任務として厳然と存在している。
出来ませんでした……などと言ってハンフリーへ帰れるとは思わない。
エディがどんな顔をするか……と、それを考えるだけで空恐ろしくもなる。
だが、本当に問題なのはそこでは無い。
ライアンが聞き返した内容は、驚愕の一言だ。
――――間もなくここへシリウス解放軍の残党がやって来る
――――目的は我らだろう
――――ここにはホーライ三姉妹も居る
――――あの子達を人質に取りたかったのだろうな
――――我らを旗印とし戦わせる為に
バードは一瞬だけ真剣に考えた。
そして胸中で『あぁ……』と漏らした。
あのジュザの子供達の宮殿で見たヘカトンケイルの三姉妹だ。
後からアリョーシャに聞いた限りでは、季節と秩序を司る女神だという。
――相手の心を読む様な存在だもの……
――隠し事も一切出来ない絶対の存在よね……
そんな姉妹を人質に取り、生き残りのブーステッドを使役する作戦。
シリウス人民ならば誰でも一様にヘカトンケイル万歳というわけでは無い。
人民の誰もが無条件に敬愛する存在を気持ち悪いと感じる向きは居るのだ。
「……ここには我々8人とホーライ三姉妹の他にカリテス三姉妹も暮らしている。そして、その他にも重要な物があるのだが――」
タルタロスは先頭を歩きつつ言葉を続けた。
余りに重要な話がポンポンと飛び出すので、バードの頭は混乱しつつあった。
「――それを狙って残党軍がやって来る。恐らく今日明日中に大攻勢が始まる」
それが何であるかを聞く前に、Bチームは黒宮殿へと到着した。
宮殿とは名ばかりな、どう見ても砦かトーチカだと思わせる代物だ。
建物の四方には高い塔があり、その塔の間には高い石壁がある。
分厚く組み合わされたその石壁は、隙間にコンクリートが流し込まれていた。
――これでも宮殿?
バードもコレには呆れるしか無い。
豪華で絢爛な建物を要求するつもりは無いが、少なくとも……
「小さな建物だが中は広い。こちらへ」
タルタロスに続き、テッドは建物の中へ一歩足を踏み入れた。
何処が小さいんだよと誰もが悪態をこぼし掛けた。
ただ、テッド大佐が率先して動く以上、チームが動かすのは口では無く身体だ。
テッドに続きドリーが建物へ進み、チームのメンバーが吸い込まれていく。
それこそ、あのシリウス降下作戦でバードが大暴れした砦と同じ構造だ。
壁は分厚くどっしりとしていて、少々の砲ではビクともしないだろう。
相当に大口径の野砲か、さもなくば核弾頭などのエネルギー兵器が要る。
――広い……
率直な印象を述べるなら、実際にはコレしか無い。
バードは何処か唖然としつつ、その建物の中を進んだ。
建物の中には階段が用意されていて、そこを登っていくと中庭に出た。
シリウスの青い光が降り注ぐ暖かな中庭だ。
そしてそこには、幾人かの男女が待っていた。
――ヘカトンケイルだ……
そんな事を思いつつロックへと目をやったバード。
そのロックは背中のマウントへ愛刀を収めていた。
ヤメテオケ……
一瞬だけ視線を交わしたロックとバードは、アイコンタクトでそう会話した。
無線や赤外が無くとも心はもう通じ合っていた。
「客人か? タルタロス」
「あぁ。ビギンズの子等だ」
「……そうか」
中庭の中から聞こえた声は、張りのある若い男の声だった。
その声の主は近づきながら声を掛けてきた。
暖かく包容力を感じさせる優雅な姿だった。
「私は闇のエレボス。奈落のタルタロスと共にこの黒宮殿を守るものだ」
自発的に自己紹介を始めたその男は、細身ながらしっかりとした身体付きだ。
そして、それ以上に驚いたのは……
――猫目だ!
バードも驚くその姿。エレボスの瞳孔は猫の様に縦だった。
「まぁ、驚くのも無理は無い。我々は実験動物だからな」
軽い調子でそう言うエレボスだが、その隣には驚く程豊満な女性が現れた。
身を覆う衣類よりも露出してる部分が遙かに多い姿だ。
「いらっしゃい。ビギンズの子供達。私は夜のニュクス」
――奈落……
――闇……
――夜……
バードはそれらのワードを並べ気が付く。
今ここに居るヘカトンケイルは、皆が暗い側の属性だった。
「この時間は我々ダークサイドの時間だからな」
エレボスはそんな事を言ってセラセラと笑っている。
明るい時間に闇属性とは、何とも皮肉だとバードは思うのだが……
「こっちよガイア」
夜のニュクスが呼んだ相手は、赤い髪の女だった。
大地のガイア。地母神ガイア。始まりの神ガイア。
様々なペットネームを持つガイアは、最も重要な神の一柱だ。
「やっと来たわね。あの子の子供達……」
ガイアは目を細めてチーム全員を見た。その時バードはハッと気が付いた。
ヘカトンケイルの始まりの16人のうち、ビギンズを産んだのはこの女だと。
エディの顔立ちや身体の線は、このガイアにそっくりなのだ。
「あなた達が来るのは解っていたけど、随分と時間が掛かってしまった。でも、大切なものはまだここに有るから、これをあなた達に託したい」
ガイアが懐から取り出したのは、重厚なデザインの小箱だった。
側面にパイロットランプの灯るその箱には、ヘカトンケイルの紋章があった。
「これは……コレこそはシリウス人民の希望。未来への鍵。統合の象徴……」
ガイアの言葉がふと途切れた瞬間、バードはポツリと漏らした。
やや震える声で、それでも感情を精一杯に押し殺して。
「もしかして……最後の一つですか?」
バードの呟いた言葉にロックはハッと表情を変える。
事情を知っている者達も、全員が厳しい表情になった。
「……そう。その通り」
ガイアは頷きながらバードを見た。
その眼差しは怜悧な、氷の刃のような鋭さだった。
「あなた、名前は?」
「バードと申します」
「そう――」
ガイアの表情がスッと変わった。
一言でいえばムスッとしたのだ。
「――問われて答える名が虚偽の名とは……」
ガイアの気分を害した。誰もがそう思わざるを得なかった。
だが、バードは事も無げに言葉を続けた。
「虚偽という事では無いんですが……」
「しかし……真名ではないでしょう? それにあなた……サイボーグなのね」
「えぇ。でも機械なのは身体だけです」
「頭は人間と言いたいのね?」
「その通りです」
バードは悪まで気の強い姿勢を崩さなかった。
ただ、それを見ていたガイアは、ふと表情を崩した。
「あの子の育てた子供達なら、これ位はあって然るべきね」
クスクスと上品に笑ったその姿は、文字通りに最高神を感じさせるものだった。
バードも言葉を飲み込み、ジッとガイアの出方を待った。
「まぁ良いわ。それより、コレを持っていって。そして、ビギンズに渡して」
ガイアはバードへと歩み寄ってその小箱を手渡した。
見た目以上にずっしりと重いその箱は、手に触れて解るくらい冷えていた。
「……それが最後の一つになったビギンズの胚ですか?」
テッドは単刀直入にそう聞いた。
事情を知らなかったメンバーが驚く中、ロックとバードは一瞬顔を見合わせる。
そしてそのまま、ガイアへと視線を注いだ。
「そう。その通り。必ず男の子が産まれる最後の胚。残りは可能性的に半々ね」
――うわっ……
総毛だった様な顔でガイアを見たバード。
ガイアは柔らかな表情で微笑んでいた。
「あなたも……大変な運命を背負ってるのね。今まで大変だったでしょうけど、もうすぐ一度はゴールに辿り着くわよ。ただ、その後が問題ね。心に飼っている虎をどうにかしないと、自分自身が喰われちゃうわよ?」
掴み所の無い言葉を投げかけ、ガイアは笑った。
その意味を掴めないバードは混乱するばかりだが。
「それより、早くここを立ち去ると良い。もうそこまで彼らが来ている」
タルタロスは出立を促した。
もうどうにも出来ないところまで来ているのだと誰もが思った。
「そういう訳には行きません。我々にも任務があります」
テッド大佐はスパッとそれを言い、クルリと振り返ってチームを見た。
その表情には、晴々とした爽やかな自信があった。
「この面々は、過去幾度も極上の窮地を乗り越えてきたヴェテランです。如何なる困難であろうと、それを乗り越え任務を果たします。今回だって同じです」
念を押すように『そうだよな?』と同意を求めたテッド。
その言葉にチームの面々がニヤリと笑って銃を握りなおした。
「敵の規模が解りませんが、我々は数十倍数百倍の敵を押し返す戦闘をしてきたのです。今回だって……上手く生きますよ」
テッドもまた銃を握り、その加速器のスイッチを入れた。
覚悟を決めたその表情を、ガイアは嬉しそうに眺めていた。




