宇宙へ
シリウス系第4惑星ニューホライズン。
地球よりも一回り大きなこの惑星は、周回軌道が地球よりも少々高い。
より大きく重い惑星なのだから、地球比で重力の影響が強くなるからだ。
その関係で重量のある大型艦艇は、より高い位置と高速を求められる。
重力に負けず安定して航海する為には、どうしても必要な事だった。
そんなニューホライズンの高度800キロ付近。
大型艦艇に指定された高度域には、強襲降下揚陸艦ハンフリーの姿があった。
太陽系からシリウス系へ進出して早くも3年近い日々が過ぎ去っている。
クルーはすっかり周回軌道に飽きていて、艦内の空気も緩くあった。
稀には第3惑星や第5惑星へクルーズするが、それもすぐに終わる。
艦内で飛び交う世間話は、いつ地球に帰れるか?ばかりだった。
――――パドラーは収容体制へ
艦内のオープン無線に主任航空管制官の声が流れた。
発艦を司る部門をシューターと言い、着艦を取り仕切る部門はパドラーだ。
進入路から外れてないかを示す誘導装置を扱い、着艦する全てを誘導する役だ。
――――XINAを目視で確認
――――ジーナパイロット
――――ハンフリーは秒速12キロ
ノイズの混じる音声で『了解』の声が届く。
その声に航空管制は緊張のギアを一段上げ、双眼鏡を使い目視で確認した。
――――トリムしろ!
速度を合わせることをトリムと呼ぶ。
大気圏への降下艇であるジーナは、各部のスラスターを使い速度を合わせた。
相対速度は200ノット以内を要求され、パイロットは勢い慎重になる。
艦艇の進行速度は秒速呼称だが、着艦管制は遠い遠い昔と同じくノット呼称だ。
――――誘導路のど真ん中ストライクだ
ジーナのパイロットも手慣れたもので、誘導路を外さない。
ハンフリーの後部に大きく口を開ける着艦デッキには黄色のガイドが点灯した。
オープンデッキへの着艦ならば失敗も許される。
ボルターと呼称される着艦失敗も、艦を追い越すだけで済む。
だが、艦内のドック状になったデッキへ着艦する場合、失敗は許されない。
――――着艦まで10秒!
管制モニターを見ながらパドラーが声を掛ける。
ジーナのパイロットもコックピットの表示を確かめた。
『了解!』
いつの時代であっても、艦への帰投は最も緊張する一瞬だ。
大海原を行く木っ端船のような空母へ航空機が帰ってきた時代と一緒なのだ。
どんなに条件が悪くとも、帰らない限り安息は無い。
燃料が尽きれば航空機は海の藻屑だ。そしてそれは、宇宙でも同じ事。
漆黒の闇が広がる無限の大海原を漂流する恐怖は惑星上の海と変わらない。
運が良ければ海流にのり何処かへと辿り着くだろう。
宇宙ならば何処かの惑星の重力に導かれ、墜落するだろう。
その時まで乗員が生きている保証は、一切無いのだが。
――――着艦!
パドラーの目の前。
巨大な電磁の網にジーナが引っかかった。
強い減速Gと共に、ハンフリーへと絡め取られる。
重力補償装置の降下でハンフリーの艦内には疑似的に1Gが掛かっている。
だが、着艦デッキにはその効果がないので、磁気で引っ張られることになる。
最後には床面から伸びるアーム状のトラスで艦に固定されるのだ。
『拘束を確認した。スタスターの種火を消す』
ジーナはハンフリーの一部となり、その側面に気密パイプが接続される。
艦内との気圧差が調整され、ジーナのハッチが開いた。
この場合、必ず降下艇側の気圧が高く、ハッチは油圧で開ける事になる。
艦内に有毒ガスなどが充満した場合、救助に当る降下艇が即死しない為だ。
「ふぅ……」
全く持って必要の無いことだが、それでもバードはひとつ息を吐いた。
宇宙を飛翔するシェルドライバーだけに、パイロットの腕が気になるのだ。
――――おかえりなさい中尉!
――――地上はどうですか?
連絡通路から姿を現したバードにパドラーの下士官が声を掛けてきた。
しばらく不在だったBチームがハンフリーへ帰ってきたのだ。
「埃っぽくて最低だった」
「それに暑いし風も強いしで大変」
バードに続きパドラーの声にそう応えたのはアナスタシア。
その後ろにはロックとライアン。ダニーとダブとビッキー。
さらにはヴァシリとアーネストが続く。
真空中のデッキに係留されたジーナから、9人のサイボーグが降りていた。
これから始まる最終闘争に向け、準備するためだった。
――――――――ニューホライズン 孤立大陸ヲセカイ上空
2302年 9月28日 午前7時
ハンフリーのデッキへと収容された降下艇ジーナ。
その艇内から出てきたサイボーグは、そのままガンルームへと向かった。
地上の基地に詰めていたBチームの面々だけに、艦内への土産は多い。
そもそもハンフリーはBチームの移動基地でもある。
強襲降下拠点であり、また、宇宙戦闘での出撃拠点。
もっと言うなら、Bチームが陣取る本拠地。
だからこそ、艦のクルーへは気を使うのだ。
そしてこの日、地上から上がってきた9人の土産は大量の空気だった。
シリウスの高原地帯で高圧タンクに溜め込んだ、およそ艦2杯分の空気。
高圧タンクの中へ数百気圧にまで加圧し持ち込まれたそれは、最高のご馳走だ。
峻烈な谷川の清水と共に、宇宙船クルーにとって最も恋しいものでもあった。
「今頃パドラーとデッキエンジニアがジーナに飛び込んでるよ」
「そうですね」
バードの言葉にアナスタシアが笑う。
ジーナの中に残る地上の空気を求めて、役得を発揮し飛び込むのだ。
「……あんな埃っぽい空気がそんなに良いかなぁ」
訝しがるようにするライアンは、腕を組んで考え込む。
ただ、完全密閉空間である宇宙船から見れば、埃っぽい空気ですら羨ましい。
地上を吹く風に曝されて、顔をしかめるのですら楽しいのだ。
「まぁ、俺たちだって艦内暮らしが長くなると地上が恋しいからな」
ロックの言葉に全員がニヤリと笑う。
宇宙船に暮らす者にすれば地上に降りて重力を感じる事が娯楽だった。
船乗りにとっては陸に上がる事が最大の娯楽であるように……だ。
「とりあえず先を急ごうぜ。ブルがブチ切れると面倒だ」
ダニーはそんな言葉で全員を急かした。
ハンフリーの艦内は段々と荒れはじめていて、各所が少々乱雑だ。
「……クリスも苦労が絶えないね」
バードの苦笑いにロックが笑った。
ハンフリーの最先任上級兵曹長クリストファー・ペントンも苦労している筈だ。
「ただ…… こっから先はガチだから」
やや緊張の面持ちでビッキーが呟く。
Bチームに染まってきたビクティスの言葉遣いもだいぶ砕けていた。
「全くです」
アーネストはまだ新入り気分が抜けきっていないらしい。
だが、そんな物もすぐに抜けるだろうとバードは思った。
シリウス系文化圏による独立闘争は、いよいよ最終局面を迎えつつある。
未だ頑強な抵抗を続けるのは、残るは孤立大陸ヲセカイと呼ばれる所のみ。
地球からの調査船が最初に着上陸したと言われている大陸だった。
今は一般人の立ち入りが大幅に制限されている場所。
ニューホライズンに根を下ろした文明にとって最大の聖地。
そして、シリウス開発の全てがここに記録されていると言われている。
シリウス人を導くヘカトンケイルの面々は、この大陸で何かを見たらしい。
それが何であるかを知る人物は、現状のシリウス連邦内部にも殆ど居ない。
ごく僅かな『それ』を知る人物は、皆一様に口を重くして語ろうとしないのだ。
旧先史文明の痕跡だとか、或いは、その文明の生き残りそのものだとか。
オカルト主義者達はこの大陸に地球へとゲートがあるとも噂する。
ヘカトンケイルの面々は定期的に地球へ帰り、協議をしているのだ……と。
ただ、実態を知る者はそれらに対し一様に否定の意を返した。
そして同時に、これ以上深入りするなと警告を発した。
真実を知る者は狂を発する。或いは、正気を失うのだ……と。
「孤立大陸って言葉が伊達じゃ無いって話だけど……」
ダブはブラックカルチャーを現代に受け継いでいる。
魔術や呪術と言ったものに対し造詣が深いのだ。
それ故にどこか恐れている部分がある。
全てのシリウス人にとって誇りの根源であり、また郷愁の根拠でもある地。
ヘカトンケイル関連施設の中で、普段は表舞台に立たない拠点がある地。
全てのシリウス人にとって重要な意味を持つ白回廊と黒宮殿の地。
聖地と言っても良い場所へ、これから踏み込もうとしているのだ。
どうしたって心の警戒レベルは高くならざるを得なかった。
「相当結集してんだろ?」
軽い長子でライアンが言う。
その言葉の通り、ヲセカイには自由シリウス連合軍が集まっていた。
最後の抵抗だ。最後の決戦だと意気を上げていた。
「なんだかんだで総勢30万近い大軍勢らしいぜ」
「マジかよ……」
ロックのボヤキにビッキーが吐き棄てる。
オーグを名乗る様々な人種のシリウス人が、己の夢に殉じる覚悟のようだった。
決戦は近い。
シリウス中の誰もがそう思っていた。もちろん、地球から来た者達もだ。
その戦いへ身を投じるバードは、どこか祭りの終りの寂しさを感じていた。
作戦ファイル01-10-2302
Opelation:Coronet
作戦名『小王冠』
「まぁ、しっかりやろうぜ」
「そうだな」
ロックもライアンも全く気負った様子は無い。
そんなふたりの背中を見ながら、バードはどこか気分が重かった。
この決戦が意味するのは、シリウス社会へのデモンストレーションだ。
シリウスが新しい時代に入る事を印象付ける為の作戦。
まだ一言の説明も受けてはいないが、その中身は容易に想像が付いた。
そして、相当苦労するはずだと言う事も……




