独立闘争の本質~農人の意地
~承前
モルダ市街の中心部からやや外れたところ。
鬱蒼とした森の続くエリアに聳えるのは、煉瓦積みの大きな建物だった。
モルダック州市民大会堂と名付けられた巨大なホール。
それは、この地に入植した拓殖民達が開墾作業と並行して作った施設だった。
「ここは相当厳しかったんだってね」
海兵隊士官の正装となる第1種士官服を纏い、バードはそのホールに居た。
伝統のブルードレスは時代による変遷があるものの、未だにマリーンブルーだ。
隣には同じように正装をしたロックが居て、その向こうにはライアンが居る。
この時代、既にイブニング仕様のスカートスタイルは無くなっていた。
男女平等の概念が行き着く所まで行った社会の恐ろしさ。
性別という考え方から脱却した時、衣装は男女共通になっているのだ。
つまり、バードもロックと同じくパンツに詰め襟の上着を纏っている。
ただし、大佐以上にならなければ袖を通せないダブルボタンではないのだが。
「……聞いた話しじゃ、入植一年後の生存率は22%だって」
ボソリと呟いたロックの言葉にバードが表情を曇らせる。
100人入植して一年後に生き残っているのは22人。
但しそれは、半死半生まで含めた数字のトリックに過ぎない。
このシリウス入植概略を読破したバードは、その途中で幾度も挫折しかけた。
記述されたその内容が、余りにも常識とかけ離れたモノだったからだ。
俗に辛酸を舐めた~などと表現するが、その実体は余りに壮絶だ。
通常、軍隊とは定数の30%が死傷した場合、戦闘力ゼロの査定を受ける。
3人一組で行動する場合、負傷者1名を残り2名が支援するからだ。
だが、ここジュザでは生存率が22%。78%が死傷した事になる。
それを、ただ単純に『辛酸を舐めた』と言う表現で片付ける事など出来ない。
そして、その中でも極めつけに環境の悪かったのが、ここモルダ地方だ。
「1人で5ヘクタールだっけ?」
「あぁ。大型爬虫類の跋扈する原生林相手にな」
1ヘクタールとは、100メートル四方の土地を指す基準単位だ。
この地に入植した人々は、各々指定された5ヘクタールを開墾する義務を負う。
制限期間は3年で、その5ヘクタールの開墾を終了した後は自由だった。
つまり、入植地の基線となるエリアから離れた未入植地を幾ら開墾しても良い。
開墾した土地の収穫や収益は個人のモノに出来る仕組みだった。
「……簡単じゃ無いね」
「間違い無く……な」
この惑星に独自の生体系が謳歌する原生林を開墾するのだ。
それは、とても言葉で言い表せるようなモノでは無い。
3年の間に土地の開墾が終えなければ、全ての支援が絶たれてしまう。
その中には、無条件で配給を受ける食料なども含まれていた。
つまり、直径数メートルに及ぶ大木の森を開墾し終えなければ、飢えて死ぬ。
開墾して田畑を整備し、自力で収穫を上げられる体制になる必要があるのだ。
それが出来ぬ者は死ぬしか無い。
如何なる階層の出身であろうと、この地に初期入植した者は全て農民だった。
農業的な予備知識の有る無しに拘わらず、全てが百姓としての入植だった。
そして、結果的に失敗し、飢えて死んだり、或いは、過労で斃れていった。
「そんな所を踏みつけてるんだね」
「しかも俺たち、事実上の占領軍だぜ」
「……風当たり強い訳だよねぇ」
解放軍としてやって来たはずの地球軍だが、実際には非常に風当たりが強い。
何とはなしに向けられる怨嗟と反骨の眼差しは、時として目に見える牙となる。
手製爆弾によるテロこそ無いものの、地味な嫌がらせは枚挙に暇が無い。
街で買い物をしようとすれば、もう閉店だ……と、断られる事もあるくらいだ。
「どうやって溶けこむんだろうね」
「手がねぇ訳じゃねぇが……金が掛かるだろうな」
ロックの言った言葉の意味をバードも良く理解していた。
口説き落とした意中の女を、姫よ華よとあやすように全てを与えるしか無い。
「多分だけど、ここの地域の開拓史を書いたのは……日本人だ」
「……ほんとに?」
「あぁ。そうでなきゃ、骨のたわむ思いなんて表現、思いつかないだろ?」
モルダ正史なる本を読破したロックは、その文章の行間に言葉を失っていた。
言いたかった事をどれ程飲み込んだのか。どれ程の苦闘がここにあったのか。
それを知れば、このジュザが壮絶な闘争を選んだ理由も見えてくる。
「……農人の記憶って奴ね」
「あぁ……」
俗に草莽の士などと言うが、この地に入植した者達には大志があった。
地球の農文化は、人類が地球文明の開闢して以来1万年掛けて作ったものだ。
入植者は筆舌に尽くしがたい苦闘と犠牲を払い、100年でそれを成した。
だからこそ……
「この地の人々を裏切れないって事だな」
「本当にね」
肩を並べ眺める先、遅れてやって来たエディ元帥はダブルボタンの正装だ。
あの日、木星の衛星で見た提督帽を頭に載せ、飾緒の付いた外套を纏っている。
そして、整列するBチームからひとりずつ呼び出し、訓示を述べている。
――エディが嬉しそうだ……
Bチームだけでなく、多くのODSTや野次馬となる海兵隊が見ている前。
エディはどこか朗らかな表情でその訓示を与えていた。
誰に聞かせるでもない、相手本人に言う言葉だ。
「……聞き取れないね」
「ドリーだけ聞き取れれば良いんだろ」
ロックの向こう側に居たライアンがそう呟く。
Bチームのトップバッターであるドリー大尉は、晴れて少佐の仲間入りだ。
テッド少佐の片腕として常に傍らに居たドリーは、15年ほど大尉だった。
「さぁ、ドリー少佐。みなに挨拶を」
エディの訓示が終り、アリョーシャはドリーにスピーチを促した。
昇進した者は部下や同僚のにスピーチをしなければならない。
アメリカ的な文化だが、責任の存在を常に意識する社会とも言える。
「……ありがとう ありがとう」
拍手を送られ照れているドリーの姿が可愛い。
微笑ましい姿にバードは自然と笑顔になっていた。
「どうか皆、楽にしてくれ。改まる事は無い……」
ドリーはいつもの様に冗談を交えながらのスピーチを行なった。
人懐こい笑顔がトレードマークな黒人の大男だが、その表情は柔和だ。
責任感に篤く、面倒見の良い性格で、なにより、人の役に立つ事が好きな男。
そんな存在がナンバー2だったのだから、テッド隊長もやりやすかっただろう。
「もう30年も前になるが、死にかけだった役立たずの士官候補生を拾ってくれたテッド大佐に心から感謝する。そして、ここまで一緒に死線を潜ってくれた仲間達や同僚達。それだけじゃなく、ODSTや海兵隊や、全てのスタッフにも心から感謝する。ありがとう。本当にありがとう」
ドリーの言葉を聞きながら『やっぱり……』と呟いたバード。
外のメンツがそうであるように、ドリーもまたテッドによって救われたひとり。
Bチームの中で一番の古株は、いつの間にか副長の座についていたのだろう。
割れるような拍手を浴びたドリーは、少佐軍団の仲間入りを果たした。
ただ、その少佐軍団は、かつての隊長軍団のようなメンツではなくなっている。
各チームが世代交代を果たし、新人加入と共に内部昇格を成し遂げていた。
「隊長会議で肩身の狭い思いをしなくても良いんだね」
テッドの抜けたBチームを預かり、幾度か隊長会議へと出席したドリー。
その場にはヴェテランなロニー少佐やウッディ少佐が居て困ったらしい。
階級と言う絶望的レベルの身分差がある軍隊で、向こうは50年級の存在。
そんな人々を相手にすれば、いくら回転の速いドリーでもやり難い。
何より、そのヴェテランの向こうにテッド大佐がいるのだ。
「おっ! ジャクソンたちは4人纏めてだ」
「だね!」
アリョーシャの声に呼ばれ、ジャクソンが前に進み出た。
それに続き、ビル、スミス、ペイトンの3人が前に進み出た。
エディは最初にジャクソンへキャプテンのワッペンを貼り付けた。
晴れて大尉へ昇進したジャクソンは、晴れやかな表情だ。
「嬉しそうだね」
「大尉って一つの到達点だからな」
年功序列的な仕組みの軍隊ではあるが、中尉から大尉への昇進は割と難しい。
そして、その先へ昇進して行くには、不断の努力が必要な仕組みだ。
専門の教育機関へ送り込まれ、座学と訓練とを繰り返す必要がある。
現場向きの人間がその能力を惜しまれ、現場昇進する事もある。
その場合、現場以外では浮いた存在となってしまい、本人も苦労する。
腕っ節の強さだけで昇進していけるほど、士官という立場は簡単では無い。
腕力以上の脳力が必要なのだった。
「この為にエディと隊長が学校へ送り込んだんだね」
「ジャクソン達は現場スカウトみたいなもんだからな」
士官になる為の教育機関ではなく、現場経験を積んだ士官向けの教育施設。
それは、如何なる組織や国家であろうとも確実に必要とされる学校だ。
現場に出て理不尽さに震え、不条理さを噛み締め、悔し涙を流す必要性。
人間性の限界を知った後でなければ、理解出来ない事があるのだから。
「……深謀遠慮だね」
「それが出来るからエディも隊長もスゲェって事だろうな」
奇麗事を並べる前に、まずは出来る事をしっかりとやる。
良いか悪いかと言われれば、間違いなく悪い事と答えるような手段。
必要悪といわれる事を行なって、その責任をとれる様になる事が重要だ。
「みんな嬉しそうだね」
微笑を添えた柔らかな表情を浮かべ、バードは大尉たちのスピーチを聞いた。
ジャクソンはエディとテッドの導きに感謝し、救われたと礼を述べた。
スミスもまた、自暴自棄になり掛けた自分自身を導いてくれたと感謝した。
ビルは海兵隊のために役に立ちたいと述べ、テッドへの謝意を添えた。
そして、ペイトンは、自らの成長を促してくれたと感謝した。
「みんな…… 大人だぜ」
「何ごとも場数と経験って奴だね」
「全くだ」
小声で続けるふたりの会話は全て英語だ。
気が付けば日本語より英語の方が上手くなっていた。
誇らしげな大尉達の表情を見ながら、バードは改めて自分を振り返る。
あの、宇宙空間の病院で経験した事は、もはや朧気な夢に感じている。
「俺たちの番らしいぜ」
ニヤッと笑ったロックが囁く。
エディはアリョーシャの支援を受け、中尉のワッペンを並べていた。
「ダニエル少尉。ライアン少尉。ロック少尉。バード少尉。前へ」
アリョーシャの良く通る声が響き、バードは背筋を伸ばして歩いた。
軍隊とは、同じ階級ならば一日でも奉職の長い方が上となる。
ひとえにそれは、指揮権上の優先権を明確化させる為の措置だ。
だが、その明確なガイドラインは時にシャッフルされ、リセットされる。
昇進によってタイマーの時計がリセットされるのだ。
――負けないから……
内心でそう呟いたバードは、隙あらば追い越してやろうと考えた。
場数と経験と、そして、勇気と度胸と根性だ。
現場において必要なあれやこれやを沢山吸収している。
それらは自分自身の中で渾然一体となり、自分の中に息づいている。
自分自身の一部になっているのだ。
「ダニエル少尉。一歩前へ」
ダニーが呼ばれ一歩前に進み出て、エディはその肩に中尉のワッペンを貼った。
その背中を見ながら、自分の旅が新たな章に入ったとバードは感じていた。




