時間との戦い<前編>
ニューホライズンをグルグルと周回する軌道上のハンフリー。
艦内時刻が午後2時を僅かに回った頃なら、緩い空気の漂う時間帯だ。
艦内清掃などは一段落し、主に主計科が食事の後始末などで忙しくあった。
宇宙船は深海を行く潜水艦と同じで、完全な密閉空間となっている。
その為、ゴミの処理などには気を使わざるを得ない。
ただ、潜水艦と違って宇宙船の場合、目の前に巨大な焼却炉があるのだ。
専用のコンテナに収め大気圏へと落下させれば、完全に燃え尽きて塵へと還る。
夜間にやれば眩い光が見える事になるから、行うのは昼のエリアと言う事だ。
艦外に幾つも投棄されたコンテナが重力に引かれ落下していく。
やがてそれは断熱圧縮を受け、眩く光ながら塵へと還っていった。
「だからな。ここで油断すると、いくら俺たちでもあのゴミと同じザマって……」
ガンルームの中、勢ぞろいしたBチームは訓練のデブリーフィング中だ。
大型モニターの前では、ヴァシリとアーネストが硬い表情になっていた。
この二人の前にBチームへとやって来たアナ達と同じく、シェルの特訓中だ。
教官役を務めるのはジャクソンとペイトン。アシスタントにライアンとロック。
仮想敵として振る舞う役はスミスとバードが務めていて、新人2人を指導する。
「早めにスラスターを使ってると、いざって時に燃料が無くなるからさ」
教官役とアシスタント役は、それぞれの経験を新人へと伝えるのが仕事。
後は自分で考えなきゃいけないし、それをしなければ上達は無い。
どんなに機材が高性能になっても、戦略が進化しても、戦術が発展しても……
最後はパイロットの『考える力』だし、土壇場の対応力が重要になる。
「私が初めて飛んだときのことだけどね――」
皆に続いてバードが口を開いた。
敵役として振る舞ったバードの動きは、トリッキーを通り越して理解不能だ。
リニアコックピットにも拘わらず、バードを見失う事が何度もあった。
それだけに、バードの言葉に2人は興味を持った。
考える力なら充分にあるのだから、後は考えた量の勝負だ。
「――自分自身の重心点を常に意識しろ。両肩と両足のスラスターエンジンが生み出すモーメント軸が重心点を貫通しないとスピンモードに入る。遠心力であっという間に体中バラバラだ。視界の隅に出ている機動限界のブロッサムラインからはみ出さないように注意を怠るな。最初はこれで精一杯だろう……ってね、そう言われたのよ。その時点でBチームの隊長だったテッド大佐に」
ポカンと口を開けてその言葉に頷いたヴァシリ。
その隣ではアーネストが呆然とした表情で話を聞いていた。
「上手くやろうと意識するんじゃ無い。ブザマでも良い。失敗できる時に失敗するんだ。実戦で失敗すれば即戦死になる。お前なら出来る。水中遊泳をイメージすると良い。あまり深く考えずに本能で飛べ――」
両手を広げて説明するバード。
その話を事前に聞いていたアナスタシアも笑みを浮かべている。
バードにとっては父親代わりとも言うべきテッドの言葉だ。
その声音を真似るようにして言った後、自分の本音がこぼれた。
「――考えてからアクションを起こしても遅いのよ。練習するんじゃ無くて、自分自身その物になるようにするの。歩いてるとき、足下に障害物があっても考える前に避けるでしょ? そのレベルまで行くと、テッド大佐の背中くらいは見える筈」
Bチーム配属から早くも2年が経過しているアナ達3人はかなり向上している。
だが、その前に居る筈のバードとロックの2人は、既に技量的に別次元だ。
テッドやエディが手ずからに鍛えた2人の技量は、既に先任を追い越している。
ドリーやジョンソンのレベルで、純粋な空中戦ならば勝敗は時の運だった。
「実際の話として必要なのはコツや技術や、そう言った小手先のモノだけじゃ無くて、度胸とか根性とかそう言った部分の図太さと、もう一つは割り切りや取捨選択のセンスさ。その意味じゃバーディーやロックはセンスが良いって事だ」
最近少しだけ人間的に丸くなったスミスは、柔らかな表情でそう言った。
理屈を考えてからアクションを起こしても間に合わないシェル操作だ。
スミスが言うとおり、最後は経験とセンスが重要になる。
横Gに耐え、激しいアクロバットを経て敵を追い詰めるのに必要なのは根性。
肉体的な付加は一切無視出来るサイボーグだから、最後に重要なのは脳だ。
コレばかりは生まれ持った能力なのだから、上手く付き合うしかない。
「まぁ、なんだ。今はとにかく場数と経験だ。100の訓練より1の実戦と言った所で、訓練で出来ない事は実戦では絶対に出来ない。バーディーが言うとおり、自分の身体で歩くのと同じレベルになるまでシェルに馴染もう」
隊長であるドリーはそう話を締めくくった。
この後は1時間ほどの休憩を挟んで訓練再開だ。
僅かな休息時間でしか無いが、それでもこの1時間は大きい。
通常の睡眠と同じように、脳細胞の内圧を下げてやるのが目的だ。
コレにより、細胞間に溜まった老廃物を洗い流してやる。
細胞膜の隙間に溜まる老廃物は炎症を引き起こし、サイボーグの突然死を招く。
シェルの運動能力は、並の戦闘機など比較にならないレベルなのだ。
だからこそ、こうやって休息をしっかり取り、身体を労らねばならない。
まだまだ先のある若者達の為に導き出された知恵。
それは、先達となるヴェテラン達の苦い教訓そのもの。
夥しく積み上げられた、悲しみと苦しみと死の経験そのものだった。
――――――――シリウス協定時間2301年10月1日 午後2時
ニューホライズン周回軌道上 高度800キロ付近
同じ頃、第2タスクフォースを預かるテッド大佐は、テレビ会議の最中だった。
第1タスクフォースはアレックス少将が陣頭指揮に当っている。
第3はマイク少将が指揮を取っていて、第4はヴァルター大佐の預かりだ。
「各チームとも訓練は進んでいるか?」
冒頭、それを確認したマイク少将は、各チームの仕上がりを確かめた。
それぞれの集団を預かる頂点がサイボーグなのだから、その会議は仮想空間だ。
頚椎バスに繋げられたケーブルの先には、広大な草原が広がっている。
清かな風の吹く草原の丘には瀟洒なテラス付きのロッジが建っていた。
「とりあえず俺の預かりは問題無さそうだ」
Fチームの配置されているヴァルター大佐は、涼しい顔でそう言った。
テラスに設えられた椅子に腰掛け、皆はワインなど舐めながら談笑している。
実際に酔うわけでは無いが、その味はリアルなもので満足感を覚えるレベルだ。
こうなると逆に酔わないのがもどかしいのだが、擬似的に楽しい気分にはなる。
「Bチームの順調のようだ」
「いよいよ……俺たちの手を離れてきたな」
「あぁ」
テッド大佐の言葉にヴァルター大佐が応えた。
501中隊がサイボーグの実験中隊に衣替えしてから50年。
その間ずっと先頭に立ってきた者たちは、やっと肩の荷を降ろしつつあった。
そして、その話を聞くリーナーやウッディ。ロニーたちも表情を緩める。
「……実際、いつまでも手を煩わされているようでは困るからな」
エディ大将は優雅な仕草でワイングラスを揺らし、呟くようにいった。
その生誕より既に100年の年月を数えるが、実年齢は未だ70前。
道中で40年近くを時に喰われている勘定だが、それでも衰えは隠せない。
「で、地上はどうなんだ??」
「そうだな」
テッドの問いにアレックスは資料を見せた。
リョーガー合衆国とラウ合衆国の2大勢力は協議会の設立に向けて動いていた。
「まぁ、要するに新しいシリウス連邦設立へ向けた第一歩だな」
「地球と対等な組織を目指すって事か」
「その通りだ」
ジュザは混乱が続いていて、新体制を確立する為の選挙ですらままならない。
だが、地域の代表などを選出し、ジュザのひとり立ちに向け動いている。
リョーガーとラウはオブザーバーとして国連政府から人材を招いていた。
100年続いたこの戦役を終らせ、一つの惑星国家として団結する方針だ。
「まぁ、月内には体制が固まるだろうな」
資料を読みながらもテッドはそう呟いた。
その文言の中に踊る地名、サザンクロスの文字に目を細めつつ……だ。
「新体制になって公式に停戦を提案すると言う事だな」
同じように資料を読んでいたヴァルターもそう呟く。
全体像としての流れは確定し、あとは政治的な手続きを残すのみだ。
「で……」
一言で話を変えたジャン。
隊長軍団の空気がガラリと変わった。
「あぁ……そうだな」
クククと笑みを浮かべたエディは、皆の顔をひとつひとつ確かめた。
どの顔を見ても、期待に胸を膨らませている様子が見て取れる。
「直接話をしたわけではないが――」
一度話を切り、ワインを一口含んで飲み込んだエディは、ふぅと息を吐いた。
「――おおよその座標は掴んだ。そして、残存戦力の様子もな」
エディが持つ人的なネットワークはシリウス軍の中にも浸透していた。
ただ、ソーガー県の武装集団にはその糸が無いらしい。
リョーガーやラウに残っていたシリウス軍残党は自治機関の戦力となっている。
そんな集団を窓口に、シリウス軍内部のネットワークを使っているのだった。
「第5惑星セトを周回する小惑星の一つ。コード0503011.オグノと呼ばれる直径20キロほどの小さな岩の塊だ。ジルコニウムの塊だったらしく、内部は殆ど空洞化していて、セトの倉庫として使われていたらしい」
エディの言葉を聞く皆の前にホログラムが投影された。
ニューホライズンが浮き上がり、そこから遥か彼方にセトがあった。
「次の再接近までおよそ7ヶ月ある。それでも距離は8000万キロの彼方だ」
エディはホログラムを指差しながら話を続けた。
「実際の話として、おいそれと行ける距離では無いし、現実的には超光速船による航海を必要とする訳だ。現状では大気圏外にシリウス軍艦艇は無く、在ったとしてもとんでもない旧式艦ばかり。つまり、戦力としては心許無い」
クククと笑ったエディは、表示が切り替わるのを待って話を続けた。
セトを周回するオグノの軌道は楕円であり、その形はまるで落花生だ。
「それでもソーガーの連中は当てにするだろう。故に、彼らの心をへし折るには最適な存在と言う事になる。あの武装集団を率いる首魁に絶望を植え付け、夢を見た者達には現実を見せ付ける。つまり――」
エディはジャンをジッと見てニヤリと笑った。
その笑みが意味するところは単純でシンプルなものだ。
「――彼女らに出撃を促し、それら全てを返り討ちにし、大気圏外戦力を完全に消滅させた上で、地上の側に絶望を植えつける。それでゲームセットだ」
朗らかな表情で言ったエディだが、それを聞いていたロニーの表情が曇る。
エディの吐いた言葉にある、ごく僅かな矛盾に皆が表情を曇らせた。
「彼女ら……って?」
ジャンはどこか探るようにそれを言った。
最も大切な存在がそこに居るはずなのに……
「彼女らは彼女らさ」
禅問答のような答えを言ったエディは、再び表示を変更した。
オグノに立て篭もる残存戦力は、ざっくり言えばシェルが180機ほどだ。
だが、そのどれもが一騎当千のつわものばかり。
あのワルキューレが鍛えに鍛えてきた、シリウス軍シェルのエースばかり。
そして、古くから戦ってきたヴェテランばかりと言う状況だった。
「出来るものなら両方とも手に入れたいだろ?」
ジャンへそう話を振ったエディは、楽しげにその反応を見ていた。
僅かに取り乱し掛けたジャンは、刹那の間に平常を取り戻した。
「両方とも……ですよね」
「あぁ。テッドがリディアから聞いた話では――」
エディの目がテッドへと注がれた後、再びジャンを見ていた。
まだまだ最前線を突っ走る必要があるのだと、再確認するように。
「――こっちに来ていた方がゲル化を発症したらしい」
「やっぱり……」
途端に不機嫌そうになったジャンは、何ごとかをブツブツと言っている。
まるで世界の全てを呪うかのような姿だが、その背をテッドが叩いた。
「まぁ、もう一つの方は問題ないって話だからな。ルーシーもそう言ってる」
「……え?」
キョトンとした顔でテッドを見たジャン。
その反応を見たテッドもまた驚いていた。
「あれ? ルーシーもこっちへ来てるが……」
「……知らなかった」
「最終的には必要になるんだから、早い方がいい」
テッドの言葉に幾度も頷きつつ、抗議するような目でエディを見たジャン。
やや不機嫌そうな様子で、忙しなく足を組み替えた。
「それはそうだが…… 一言くらいは有って然るべきだと思うが」
ジャンの言葉にエディが苦笑いを浮かべる。
ただ、その様子ですら、どこかぎこちない。
「完全に忘れていた。と言うより抜け落ちていたと言う方が正しいな」
「……エディ」
「やはり、そろそろ私は限界なのかも知れない」
涼しげな顔をしつつも、エディの表情に苦悶の色が混じる。
およそ100年を突っ走ってきたビギンズの脳自体が限界なのだった。
「残された時間は少ない。故に、ここからは無駄な手を使わず一気に行くつもりでいる。それぞれに難しい問題を抱えているのは分かっているが、先ずはシリウス開放を最優先してほしい。私からは以上だ」
エディはそんな事場で会議の終りを宣言した。
シリウス開放と言う名の物語が着々と進んでいる事をテッドは実感していた。




