ラウンドアップ作戦の始まり<前編>
――――バード少尉
――――準備は良くて?
無線の中に響く柔らかい声は、緊張していたバードの心を溶かした。
それは、ハンフリーのカタパルト管制を受け持つシューターの声だ。
「オーケーです。キャプテン・エレナ。よろしく♪」
バードは務めて明るい声で返答した。
何度経験しても、このカタパルト発艦は緊張感を覚える。
現在使われるオージンは、戦闘出撃における全備重量が60トンを超える機体。
だが、このカタパルトはそのシェルを一気に秒速8キロまで加速させるのだ。
しかも、その加速距離は僅か200メートルほどしかない。
『あいつは身体から心を抜き取る遠心分離機だ』
そう表現される事もあるこの悪魔の装置は、完全に人の手に余す代物だった。
故に、発艦からの約10秒間は、完全なコンピューター制御となる。
パイロットのコントロールは基本的に受け付けず、安全発艦を最優先する。
つまり、完全に無防備になる10秒間。パイロットはそれを恐れるのだ。
――――相変わらず朗らかね
――――でも、落ち着いた発艦をするようになったわ
シューターと呼ばれるカタパルト管制は、必ず最後に自分の目で確認する。
シェルを取り囲む電磁カタパルトは、目に見えぬ磁気の網を持っている。
つまり、巨大な電磁パチンコそのものなのだ。
「キャプテンのおかげよ。少しだけ成長したわ」
――――アジア系は奥ゆかしいわね
カタパルト周りの者が安全帯をロックしてサムアップした。
経路上は完全にクリーンとなり、デブリレーダーにも反応が無い。
カタパルト上に居るバード機の仮想インパネにGOの文字が浮く。
「……そうね。寂しくなるわ。またフィメールクルーが一人減るから」
心底寂しそうな声を漏らし、バードは嘆いた。
実は、シリウス派遣軍のうち、凡そ半分が順を追って交代する事になった。
――――そう言わないで
――――それに、あなたなら男勝りじゃ無い
「……それもそうだけどね」
気易い会話で盛り上がるバードとエレナ。
ニューホライズンを周回し続けるハンフリーだが、今回の発艦は特別だ。
間もなく到着する筈の人員輸送船団を出迎えるための出撃。
到着する宇宙空域を警備する為の発艦だった。
――――私も良い経験だったわ
――――なんぜ10光年を飛んで来て
――――オマケにまた10光年を飛んで帰るのよ?
「しかも、その行程は半年かかりますよね」
――――そうよ
ウフフと笑うエレナは、女の性を露骨に見せた。
超光速飛行すれば同じ年代の女たちに比べ、半年ほど年齢を得するのだ。
宇宙軍に志願する女性兵士は、大なり小なりにそんな願望を持っていた。
――――同い年の友達に比べて半年若いって大きいわよ?
年齢的に30代も後半に差し掛かれば、誰だって加齢を意識し始める。
ましてや女ならば、自らの輝きが翳り始めるのを感じるのだろう。
だからこそ、エレナはこの遠征を歓迎していた。
そして、出来るならもう1往復したいとすら思っていた。
「また来ますか?」
――――歓迎してくれるならね
ウフフと上品な笑いがこぼれる。
ただ、同時にその眼差しはインパネの数字に注がれていた。
打ち出されるタイプ04オージンの重量は68トン。
荷電粒子砲を抱えたバードのシェルだが、実体弾頭兵器を持つよりかは軽い。
重量モードがミディアム設定なのを確認し、もう一度発艦デッキを見る。
その加速行程に人は居ないか?
経路上に発艦着艦用の道具は浮遊してないか?
発艦デッキの中の作業クルーはセーフティーゾーンへ退避したか?
ひとつひとつ指をさし、安全を確認してからインパネを再確認する。
電磁カタパルトの管制パネルをチェックし、シェルの重量をチェックするのだ。
――――私が受け持つ最後の発艦だわ
「お疲れ様でした。いままでありがとう」
『えぇ』と明るい声で答えつつ、エレナはもう一度行程をチェックした。
そして、『元気でね』と言葉を添え、FIREと書かれたボタンを押す。
激しい電磁パルスが発生し、バード機は宇宙へとたたき出されて行った。
――――――――シリウス協定時間2301年9月30日 午前11時
ニューホライズン周回軌道上 高度800キロ付近
クロックアップした視界の中、バードは無意識に後方を振り返った。
全天視野を持つリニアコックピットは、自分の身体も見えなくなる神の視座だ。
その視野の中に様々な情報がフロート表示され、重要度の低い情報は奥へ沈む。
――すごい……
振り返ったバードの視界には複数の艦影があった。
大型空母1隻と強襲揚陸艦2隻を中心とした、国連宇宙軍の機動打撃部隊だ。
宇宙戦闘機が周辺を周回し、その外には生身のパイロットが乗るシェルいた。
そのタスクフォースは艦砲射撃を行う戦列艦も主力となる。
さらには、補給艦や病院船などを加えれば、合計86隻の大艦隊だった。
「バード少尉よりTFCC」
――――こちらTFCC
――――感度良好
「発艦を完了。戦闘空域へ向かう」
――――TFCC了解
――――エリア3-2-6に大型デブリ情報があります
「バード了解。デブリのチェックを優先する」
管制を受け持つオペレーターは大概が下士官の中の専門職だ。
彼らに対し高圧的・威圧的な色を出さず、士官らしく振舞う。
いつの間にかそんな芸当をバードは身に付けていた。
その声を聞く下士官たちが不安を覚えないように、自覚と責任を持つ姿だ。
――うちの部隊でなんかあったら……
――恥だよね
秒速35キロの戦闘速度に達したオージン。
バードはエンジンの出力を絞って慣性運動に切り替えた。
ここから先はベクトル方向を折り曲げるだけの飛行だ。
背中のメインエンジンに付いたノズルを制御し、最低限の動きで宙を舞う。
かつて、それを妖精の飛び方と表現したバードだが、今は完全にそのものだ。
厳ついデザインのオージンだが、その動きはまさにティンカーベルだった。
――――バード
――――聞こえるか?
「はい。もちろんです」
無線に割り込んできたのはテッド大佐だった。
その声は冷静なバードの心を瞬時に温める。
――――第2タスクフォースの交代は一日で全て終える予定だ
「はい。ドリーと打ち合わせしました」
バードが発艦したハンフリーは第2タスクフォースを形作っていた。
そんなタスクフォースが4つほどのグループを作り、グルグルと周回していた。
彼ら国連軍の宇宙艦隊は、凡そ120分で1周回を完了しているのだ。
赤道交差角約50度でこの惑星を周回し、1日12周する勘定となる。
つまり、ニューホライズンの何処へでも120分以内に到達しうる体制。
言い換えれば、地上の何処へでも4時間以内に戦力展開を完了できる状態。
驚異的な戦闘能力を持つ艦隊は、地上を睥睨するように航行しているのだった。
――――カーマンラインから下の事は考えなくて良い
――――現在の状況に特化注力してくれ
「了解です」
スーパーアースであるニューホライズン故、カーマンラインも相応の高度だ。
大気摩擦による空気抵抗はほぼゼロで、周回軌道を進むだけの状態となる。
この領域では宇宙船が受ける影響は、事実上重力だけとなる。
遠心力を失えば重力の底に引っ張り込まれる宿命だ。
ゆえに、宇宙船は相応の速度を維持して航行する事になる。
事実、大型船は高高度へ。小型船は低高度へと陣取っている。
艦隊は鉛直方向にばらけた戦列を形作り、淡々と航行していた。
――――あまり気負うな
――――気楽にやって良いぞ
「そうなんですか?」
――――あぁ。俺たちの出番はもう少し後だ
「……そうですか」
テッド大佐の一言でバードの緊張は一気にほぐれた。
まだワルキューレが出て来ることは無いと言外に伝えてきたのだ。
――――気負う必要は無い
――――ただ、油断無くタスクをこなせ
――――いいな?
「了解です」
手短に応えたバードは無線を切り替え、チーム内モードへと移行した。
高度なデジタル暗号処理が施され、そんな状態の中をバードは泳いでいた。
『ロック! ライアン! どこ?』
作戦空域はとにかく広く大きい。
広大な空域を単機で横切るのは、どれ程慣れていても心細くなる物だ。
シェルは戦闘機ではないし戦車でもない。これは小さな宇宙船なのだ。
『待ってたぜバード。作戦空域で旋回中だ。座標を送る』
無線の中にライアンの声が響き、バードはホッと一息ついた。
ライアン、ロックの順番に発艦し、バードがしんがりだ。
同時に空域の座標コードが送られてきて、バードはそれを入力した。
リニアコックピットの中に矢印が表示され、バードは身体を捻り変進する。
その間にも、作戦区域情報がダウンロードされ続けていた。
『デブリ見た?』
『あぁ。見たぞ。ありゃちょっと……ショッキングだ』
バードの言葉にロックがそう返答し、画像情報を送ってきた。
完全に撃破されている戦闘機のコックピット周りだった。
『……アチャー』
コックピットの中で顔をしかめつつ、バードは落胆の言葉を吐いた。
そのコックピットには、フリーズドライになった女性パイロットがいた。
『あとで収容しようぜ』
『あぁ。彼女の帰りを待ってる野郎がいるかもしれねぇ』
ライアンとロックの会話が無線に響く。
だが、バードは何となく思った。
――このままにしてあげた方が……
つい今しがたに会話したエレナの言葉にあったこと。
つまり、女が持つ意地とプライドと美意識が、こうさせたと思ったのだ
醜くなった姿を曝したくは無い。
だからここで、惑星からも遠く離れたところで静かに漂っている。
――でも……
『そうだよね』
生きている乗組員たちに、その姿を見せねばならない。
士官は最後まで兵員を見捨てず、勇敢に振舞うのだと言う姿だ。
貴族が努めた士官という立場に残されているノブリスオブリージュ。
仲間を見捨てること無く、また、楯や消耗前提でも使わないとする姿。
それらこそが、下士官や兵卒を安心させる一番の薬だった。
『重要な作戦前だ』
『これも士官の義務って……な』
ロックとライアンがヘラヘラと笑う。
ただ、それとは別の次元で集中し、デブリに発光信号を取り付けた。
無線と自発光による位置情報の能動的な表示だ。
宇宙を漂うデブリなど、一度見失えば再発見は限りなく難しい。
少々巨大な物体であっても、岩石小惑星と見間違えることだってある。
だからこそ、回収要請を出し続けるデバイスは重要なのだった。
『後で来るからちょっと待っててくれ』
まるでデートにでも誘うかのようにライアンが言った。
何となくそれがフラグに成らなければ良いなとバードは思った。
シリウス攻略作戦の最終段階となる作戦は、静かに始まっている。
この作戦が終われば、シリウスの地上から強行派を一掃できる。
安心と安全とを地上にもたらし、自分たちは引き上げられる。
どれほど儚い希望だったとしても、地球へ帰還する夢をバードは見ていた。
作戦ファイル01-09-3001
Opelation:Round-Up
作戦名『ラウンドアップ』
『さて……』
ライアンがやや渋い声音で呟いた。
その声にバードは一瞬だけドキリとした。
ライアンの声がまるでテッド大佐の様に聞こえたのだ。
ただ、それを呟いた理由も分かっていた。
バード機のコックピットにも表示が浮いていた。
広範囲に重力震の波がやって来ている。
それは、光速を越えてやって来る唯一の振動波。
つまりは、間も無く宇宙船はワイプインしてくると言う事だった。
『あぁ。来なさったようだ』
ロックは無意識に編隊を大きく取った。
そして同時に、140ミリ速射砲の発火電源を投入した。
地球からの長旅を終えた巨大な船が次々とワイプインし始めていた。
『これさぁ……』
バードは何処か油断しきった声でボソリと呟いた。
その言いたい内容は誰もが分かっていた。
『囮だな』
『あぁ。ワザと隙を見せているってこった』
『ここを攻撃しろってな』
ライアンの言葉にロックが応え、そして再びライアンが返す。
それは、地球軍側が強行派であるソーガーを挑発する行為だ。
地球からの長旅を終えた船は無防備であり、また、迎撃態勢が弱い。
だからこそ、宇宙に残っているはずの強力な戦力を誘うエサなのだった。
『上手く喰い付いてくれれば良いけど……』
なんとなく不安を感じたバードが漏らす。
敵の掌で踊らされまいと振る舞う軍隊の常。
最高の囮が敵を待ち受けているのだった。




